第30話 敵
朝、直耶が目覚めるとスマホのニュースが飛び込んできた。
『回廊の大変動は世界規模』
『探索者のL値に影響が!?』
またか。
身支度を整えながら、軽く息を吐く。
最近の出来事を思い出しながら、食堂へ向かった。
大変動時、回廊に探索者を送る関連企業は多大な人的被害を被った。
崩落に巻き込まれた者。
はぐれて行方不明になった者。
敵性生物に命を奪われたもの。
怪我をして再起不能になった者。
回廊関連の行方不明や後遺症を残すような怪我を負った人々。
そのどれもに企業と国から手厚い手当金が払われた。
結果は単純だ。そのまま終わった。
金で命を買うような行為だという話は、ほぼ議論にすらならなかった。
また、運よく生還した人員は総じてL値の低下が確認される。
当初企業サイドは隠蔽を行ったが、人の口に戸は立てられない。
情報社会におけるネガティブな情報伝達は想像以上に早く世界を駆け巡った。
だが、その情報を補って余りある新情報。
『魔法が存在した!発動の瞬間を動画へ収めることに成功!』
むしろこの話題で全てが打ち消されたように思う。
日向という実在する証拠。
その熱に浮かされるように、企業には探査希望者が集まっていた。
その実在する証拠は、日本だけにとどまらなかった。
海外の回廊でも同様の『魔法』が確認されたと、もっぱらの噂だ。
その情報はセンセーショナルに報道され、より回廊への熱が高まっていくのを直耶は感じていた。
だが、気になることもある。
76。
今の直耶のL値だ。
回廊脱出時は68まで落ちていたらしい。
いつも日を追うごとにジワジワと回復していたので安心していた。
元に戻ると思っていた。
だが、一定から上昇しない。
まだまだ平均よりは高い。安心できると言われる数値だ。
しかし、落ち着かない。
自分のメモにある『L値:メンタルのHP 入社時:82』の文字。
佐伯先生には、この程度良くあることだと軽く流された。
もっと低い人はいるのだ、と。
君はやっぱり頑丈だね、と。
思い切って高梨にも聞いてみれば…入社時から落ちているそうだ。
なのに、返事は実にあっけらかんとしたものだった。
『なんだ、そんな事気にしてたのか!
俺、入社時は64で今59で頭打ち。
そんな大した事ねーよ、まだまだ稼げるってことじゃん!
コボルトいたんだぜ!?魔法あるんだぜ!!?今後が楽しみなんだよ~!』
非常にポジティブな返答に、自分の価値観が殴られたようにすら感じた。
L値が規程を下回れば、強制引退か強制入院か。
会社内で人生を左右するのがこの数値のはず。
今はメディアも周囲も、回廊への関心が高い。
エネルギー結晶。
新しい素材。
敵。
もう何もわからない。
誰か、教えて欲しい。
これは正常な世界なのか?
俺が間違えているのか?
人の死は、そんなに軽いものだったのか?
回廊が出現してから、周囲の価値観とのズレが始まった気がする。
自分も
変わらなきゃ
いけないのかもしれない
そんな思いが頭を占める。
「境!行くぞ!」
森山の声に、一気に現実に引き戻された。
気づけば回廊の中だ。いつもの装備も身にまとっている。
手癖とは恐ろしいものかもしれない。
*
扉の向こうに足を入れた瞬間、音の種類が変わった。
ざり、ずしゃ。
先日も感じた、靴越しの感触。
洞窟は暗い――はずなのに、やはり見える。
岩肌に混じった白い粒が、今日も脈動するように淡く明滅している。
光源と呼ぶには弱い。
だが、歩けるだけの視界を与えてくれている。
森山が短く言った。
「改めて確認するぞ。
目的は内部探索だ。昨日の地点を起点に、ルートを新しく取る。
深追いはしない。戻れる道は常に確認しろ
編成はいつも通り。
前衛盾は大熊
遊撃・スカウトに境
中衛盾・遊撃が俺
三宅と榊はフォローアップ
背後警戒は高梨だ」
榊が頷いて、腰のポーチから小型のビーコンを取り出す。
三宅が通路の曲がりに合わせて一定間隔で置いていく。
戻り道の印だ。
直耶は槍を握り直し息を整えた。
身体の軽さは、まだ残っている。
「境、前方確認」
森山の合図で直耶は通路の先を読む。
曲がり角。足跡はない。
代わりに乾いた擦れが遠くで一度だけ鳴った。
合図を送ると、森山の手が上がる。
覗き込んだ先――低い影が、こちらに背を向けている。
金属が石を叩く音がした。
カン、カン、と乱暴なリズム。
なんだ?
背はコボルトより高い。痩せた人型。肌が濁った色に見える。
手には粗い刃物――刃こぼれだらけの鉈みたいなもの。
ゴブリン。
直耶の背筋が少しだけ固くなる。
犬頭より人の形に近いせいで、嫌な感覚が混じる。
ゴブリンがこちらを見つけ、喉を鳴らした。
威嚇というより、怒りに見える。
大熊が一歩横につき、森山が短く指示する。
「隊列を崩すな。境、焦るなよ。」
直耶は頷き、槍の穂先を低く構えた。
ゴブリンが突っ込む。
刃が振り下ろされる。
――重い。
受けたのは大熊の盾。金属音が洞窟に響いた。
直耶は斜めに踏み込み、槍を腹へ。
ドス
手応えはあった。
だが抜く瞬間、刃物が直耶の脇を掠めた。
布が裂ける音。
皮膚が熱い。
大熊が横から盾で押し、森山の刃が喉元に吸い込まれ
あっさりとゴブリンが塵になった。
残ったのは、黒い爪のようなものと、刃物の欠片。
榊が拾って袋に入れ、ラベル用メモに何かを書き足す。
「……種類が違うと、素材も違いますね」
「増えてるな」
森山が短く告げる。
「油断するな、行くぞ」
通路はまだ続いていた。
白い粒の明滅が、なぜか少し強くなった気がする。
誘導灯のようだ。
その時、遠くから「叫び」が聞こえた。
甲高い。獣のような声が響く。
次に、もう少し低い唸り。
金属が石を叩く音。
乱れて、ぶつかって、連続する。
争うような音が続く。
「確認するぞ」
全員が影に身を寄せ、曲がり角の外を覗いた。
そこにいたのは――二つ。
コボルトと、ゴブリン。
塵になりつつあるゴブリンも見える。
互いに向かって殺意をむき出しにしているようだ。
コボルトが噛みつき、ゴブリンが刃で叩き落とす。
叫び声が壁に反響している。
直耶は喉が乾くのを感じた。
――戦っている。
コボルトが転がり、ゴブリンが追う。
しかし次の瞬間、ゴブリンの足元に噛みついたコボルトが、喉元にもう一度食いついた。
ゴブリンがよろけた。
森山の視線が、直耶に落ちる。
合図は、ほんの僅かな頷き。
「……行くぞ。横から。まとめて取る」
直耶は呼吸をひとつだけ置き、飛び出した。
槍の穂先が、ゴブリンの脇腹を貫く。
三宅の盾がコボルトの顎を跳ね上げる。
森山の刃が、迷いなく止めを刺す。
二つの影が、ほとんど同時に塵になった。
一瞬だけ、静けさ。
直耶の胸の中に、現実に似合わない感想が浮かぶ。
――ラッキーだ。
榊が素早く残留物を拾い、三宅が周囲を警戒する。
黒い爪、刃物の欠片、牙、体毛、結晶。
袋が少しずつ重くなる。
大熊が小声で言った。
「敵同士で潰し合ってるのか」
「どうやら、あいつらは共生関係ではないようだな」
森山が前を向いた。
「もう少しだけ先を確認しよう。それから戻る」
その「もう少し」の直後だった。
ぬるり。
水が動く音に似ているのに、水じゃない。
粘り気のあるものが、土を撫でる音。
直耶が足を止めた瞬間、前方の岩陰から緑の塊が滑り出た。
「おお!きっとスライムだ!!」
高梨の嬉しそうな声が跳ねる。
丸いというより、重い。形が崩れながら広がり、地面にべたりと張り付く。
匂いは薄いが刺激臭が混じっている。
高梨が反射で盾を上げた。
森山が一歩も動かずに言う。
「近づくな。触るな。複数いるぞ!囲まれるな」
奥からズルズルと引きずる音が複数聞こえ、同じフォルムが近づいてくる。
先頭の塊が、吐いた。
飛沫。
液体が線になって飛び、大熊が盾で弾く。
じゅっ、と嫌な音。
盾の縁が白く泡立ち、煙が立ち上がる。
金属の光沢がみるみる鈍くなる。
「っ――くそ!」
大熊が咄嗟に盾を引く。
しかし引いた分だけ、飛沫が床に落ち、土が小さく黒ずむ。
直耶は槍を構えた。
倒す。突く。塵にする。
だが、穂先が緑の塊に触れた瞬間、手応えが抜けた。
刺さったのに、刺さっていない。
粘りが吸って、刃が滑って、決定打にならない。
榊の声が鋭く飛ぶ。
「境さん、引いて!効果が薄そうです!」
反射で槍を引くと、合わせて穂先に緑が糸を引く。嫌な粘りだ。
下手に絡めば、腕ごと体を持っていかれそうだ。
スライムが、広がる。
じわじわと距離を奪ってくる。
森山の判断は早かった。
「撤退!ビーコン回収は後だ!」
三宅が大熊の盾を見ると、色の変わった部分が溶けて穴が開いているのに気づき息を呑んだ。
大熊が笑ってごまかそうとするが、顔が引きつっている。
スライムが再び吐いた。
今度は直耶の足元だ。
咄嗟に下がり、一気に距離をあけた。
「撤退開始!」
目を離さず、全員で下がる。
スライムは追いかけるように進むが、こちらが早い。
戻り道は、思ったより短く感じた。
白い粒の明滅が、帰りを急かすようだ。
扉を開いてホールに戻った瞬間、直耶は肺の奥の湿り気に気づいた。
洞窟の乾きとは違う、あの白い空間の空気。
*
地上の素材提出窓口は、すでに妙に忙しかった。
直耶たちの前にも、別の班が並んでいる。
透明なケースの中に入っているのは、焦げた布きれみたいなもの、黒ずんだ爪、乾いた破片。
職員が手袋越しに持ち上げ、淡々とラベルを貼る。
「班名、採取地点、採取時刻。未確定は未確定で。
推測は推測で分けてください」
榊が袋を差し出す。
牙と体毛。爪と刃の欠片。結晶。
「第三探索。扉の先、洞窟状通路。
コボルト、ゴブリン、スライム。コボルト、ゴブリン、塵化確認済み。
スライムは斬撃の効果薄く、盾の溶解あり。撤退判断。」
職員の眉が、ほんの少しだけ動いた。
列の後ろで誰かが笑っている。
「うち、さっきまで『ゼリー』って呼んでたのに
いきなり危険物扱いは草」
「草じゃねぇ! 盾溶けてんだぞ!」
別の班の隊員が、縁の欠けた盾を持ち上げた。
そこだけ光沢が死んでいる。金属が、腐ったようにざらついていた。
大熊がそれを見て、無意識に自分の盾に視線を落とす。
同じように溶けた縁。笑って誤魔化していた顔が、今は笑えない。
「……境」
森山が小声で呼び、直耶を列の外に寄せた。
「先に報告室へ行く。榊は窓口を済ませてから合流」
榊が短く頷く。
袋とメモを持ったまま、職員の前へ進んだ。
*
報告室は仮設の会議室だった。
白いパネルで仕切られ、机が並び、壁には地図の代わりに白紙に近い紙が貼られている。
書き込まれている線はどれも途中で切れていた。
前のマップはもう使えない。
その現実がそのまま出ていた。
森山が机の前に立ち、隊員を見回した。
「口頭でいい。見たことだけを言え。推測はいらん」
三宅が口火を切った。
「洞窟状通路、視界は確保されています。
岩肌の白い粒の明滅が光源になっている可能性があります」
「可能性、は推測だ」
森山が即座に切る。
「白い粒が明滅していた。暗いのに歩けた。以上だ」
三宅が頷き直す。
「はい。白い粒が明滅。暗いが歩行可能。
ビーコン設置、手前は回収、一部未完。撤退判断で放置」
榊がメモを机に置きながら続ける。
「遭遇は順に、コボルト、ゴブリン。
さらに交戦中のコボルトとゴブリン二体を確認。ゴブリンの内一体は塵化中。
横から介入、二体同時塵化。
次にスライム。酸性の吐出で大熊の盾が溶解。物理打撃、刺突は決定打にならず。
撤退」
森山が頷く。
「撤退判断は正しい。盾が溶けるなら、皮膚も溶ける。
次、同じやつが出たら、近づくな。近づいた時点で負ける」
高梨が小さく手を挙げた。
「隊長、質問です」
「短く」
「アイツ、吐く前にぬるって音しました。水っぽい。だから……来る、って分かるかも」
森山が頷く。
「音は使える。だが当てにするな。音がしないスライムがいたら死ぬぞ」
言い切られて、高梨が口を閉じた。
森山は最後に直耶を見る。
「境。動きは良かったぞ」
「……興奮が抜けてないだけです」
森山はそれ以上追わず、机を叩いた。
「以上。次の班が来る。解散。
榊、文書化。他メンバーは装備整備へ」
「了解っす」
*
整備スペースは、機械油と溶剤の匂いが混ざっていた。
搬入された盾やヘルメットが棚に並び、担当の作業員が手袋とゴーグルで覗き込んでいる。
大熊の盾が机に載る。
溶けた縁を見た作業員が、息を吸った。
「これ、思ったより深いですね……表面だけじゃない。層が死んでる」
「死んでるって言い方やめて」
大熊が笑おうとするが、引き攣るだけだった。
作業員は、溶け跡にライトを当てて言った。
「酸性反応ですね。吐出物か、体液か。
いずれにせよ、金属に対してこれです。布なら一瞬ですよ」
一瞬。
直耶の喉が乾いた。
「対策はありますか?」
三宅が聞くと、作業員は首を振った。
「現状、回廊内での対策は二択です。
距離を取るか、当たらないか。装備で受けるのはオススメしません」
高梨が小声で言った。
「よし、じゃあ当たらなければ勝ちだな」
「簡単に言うな」
三宅が即座に突っ込む。
無理やりでも、いつもの雰囲気にしたいのだろう。
「はぁーあ。境、部屋行くぞ」
高梨が直耶の背中を軽く叩いた。
*
笑い声。怒鳴り声。疲れた咳。
部屋に戻る道は色々な声が響いていた。
直耶が部屋に入ると、高梨がベッドの下段に荷物を投げて言う。
「今日さ、結構当たり日だったよな」
「当たりって何が?」
高梨は笑って、天井を見上げる。
「だって素材が出た。種類も出た。
現場で死ななかった。だろ?」
「まぁ、な」
高梨は言いながらも、声を落とした。
「ただ、スライムはきつかったよな。ありゃ反則だよ。
やっぱ物理がダメなら、魔法かねぇ」
「そんなもんなの?」
「ゲームなら常套手段よ。
日向っち、どうにか一緒に潜れないかなー」
「…隊長に具申してみようか」
「え?まじで?」
「隊長なら、生き残るためって言えば理由作って引っ張ってきてくれるかなって」
「…そうかもな。ダメ元でやってみっか!
そういや境、家、うまくいってんの?」
直耶は答えを選んで、短く言った。
「うん。だから稼がないと」
高梨は「俺も」とだけ返してスマホをいじっている。
その時、廊下で誰かが笑いながら叫んだ。
「今回かなり取れたよな!ボーナス出るかな!」
声が遠ざかる。
潜ってるのは自分たちだけじゃない。
同じように別の班が、別のルートで、別の死に方の可能性に触れて帰ってきている。
その事実がどうにも軽く見えた。




