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運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく  作者: シドロンモドロン


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第28話 慣れますよ

直耶は病室の枕元で震えたスマホを掴んでから、しばらく画面を見下ろしたまま動けなかった。

榊からのメッセージは昨夜のまま残っている。


『明日、入口で追加テストがあります。今度は外部の記者が来る予定です。

 日向さんの負担を減らせるなら減らしたいので、手伝ってください』


了解、と返した指先の感触だけが、まだ生々しい。

通知は昨日の夜と変わらず多かった。

まとめサイト、社内連絡、ニュースの速報。

それらをまとめて消して、指が止まる。


家族のグループ。


母からの「大丈夫? 病院は落ち着いた?」が、二日前で止まっている。

返信欄に指を置き、「元気、大丈夫」と打って、送信を押す。

返信を待たず、スマホを伏せた。


背中の打撲はまだ痛い。

なのに、一番重傷だった足はもうすっかり良くなってしまった。

歩けてしまうことが、嬉しいより先に気持ち悪さを連れてくる。


――治りが早い。理由がわからない。

佐伯の声が、昨日から頭の奥に居座っている。


(こないだの『結晶が体に吸い込まれた事』なんて、人には言えない…

 そもそも全て買い取られるし、知っている限り誰も言ってない。

 バレたらきっと、モルモットだ。)


無事に歩けることを、今はもう感謝しよう。

直耶は息を吐き、ベッドから起き上がった。



病院を出ると冬の空気が肺に刺さった。


施設へ向かう道は、以前よりずいぶん整っている。

臨時の警備詰所。仮設トイレ。誘導のコーン。案内板。

そして、横断幕。


『大変動対応 安全確認中』

『探索事業 段階的再開に向けて』

『新規採用・協力企業 受付窓口(臨時)』


大変動。

ニュースや社内の掲示でも、その言葉が使われ始めていた。

いつの間にかソロで脱出した日の出来事は、そう呼ばれている。


この縦穴が突然できたとき、最初に空気を満たしていたのは「どうする?」だった。

今は「どう使う?」が当たり前になっている。

誰もがそれを当たり前として扱っていることに、どうしても慣れない。

そんな慣れない空間を稼ぎに使っている自分がおかしかった。


入口前には人だかりがあった。

腕章をつけた案内係、記者証、通訳、カメラ、見学の列。

今日も回廊はそこに佇んでいた。


直耶が近づくと、森山が手を挙げ近寄ってくる。

第三探索チームのチームリーダー。

名刺にするならその程度の権限だ。現場を回す責任はあるが、会社の決定を覆す権限はない。

それでも前に立たされる。


「お待たせしました」

「来たか。……悪いな、連日」


悪いと言いながら、森山の視線は柵、カメラ、導線をなぞっている。

その隣に榊がいた。

医務と安全管理を兼ねる立場で、いつも通り目だけが忙しい。


「今日は想像より多いですね」

「探索事業本部が節目にしたがってる。今日で回廊再開前の確認を片づけるってな」


回廊再開。

止まっていたものがまた動く。

動くと金が回り、人が集まる。


「日向さんは?今日はどうですか?」

「相変わらず向こうで、広報が囲ってます」


榊が視線を送った先、日向がいた。

直耶が近づくと、日向がこちらに気づいて笑う。


「境くん」

「……大丈夫ですか」

「うん、もう大丈夫。私がやらなくちゃね」


そこへ、社員証を下げた男が森山の方へ歩いてきた。

胸元のプレートには「探索事業本部 運用統括部長」と書かれていた。


「森山さん、最終確認です」


男は探索事業本部・運用統括部長だった。

初めて見る上役だった。


「記者は国内10社、海外3社。撮影ラインは柵まで。

 地下への同行は代表一名のみ。

 日向さん本人は柵の外。回廊敷地に入れない。ここまでが合意です」


森山が噛みしめるように言う。


「部長。合意っていうなら現場の安全判断を優先してくれ。人の数が多すぎる」

「安全判断は尊重します。だからこそ人数を管理します」


部長の言い方は丁寧なものだったが、有無を言わさない圧があった。


「取材を止めたい気持ちは分かりますよ。

 ただ、会社のリスクは会社が持ちます。回廊運用の再開が決まっています。

 ここで事故を起こせば、止まるのは現場ではなく事業全体です」

「ですが!」

「さらに、関連の問い合わせ件数が昨夜だけで4桁です。志望者も、協力企業の打診も。

 大変動後の空気は、もう変わっています。逃すと取り返しがつきません」


部長が日向の方を見て、穏やかに言う。


「日向さんの負担は減らしますとも。今日は回廊の境界線を見せるだけでいい。

 魔法の再現は、こちらは求めません」



外部取材が始まると、場の温度が変わった。

騒がしいというより明るい。笑いが混じる。拍手すら混じっている。


ここが、危険を抱えた入口だという感覚が薄れていく。


日向は柵の手前で用意された質問に答える。

昨日の焼き直しのようなやり取りが続いた。


怖かった。でも仲間がいた。応援が力になる。


直耶は日向の杖の先が小刻みに揺れているのを見て、胃が縮んだ。

周りの熱に押されて、日向の呼吸が浅くなるのが見える。


そして案の定、警戒していた事態が起きた。


取材の熱が上がり質問が矢継ぎ早になっていた時だった。

記者の一人が柵の上からマイクを伸ばす。


「すみません、これだけ! あの先の空気感だけ――」


柵の上だろうと、機器が越えた。


「やめてください!」


声が思ったより大きく出た。

直耶は柵に手を掛け、マイクを押し戻す。


「え、入ってないですよ? 僕はここです」

「機材も同じです。お約束通り、線の向こうに出したらダメです」


記者は睨むように直耶を見る。

そんな中、森山が遅れてやって来た。


「アウトだ。次やったら打ち切る」

「…ははは。すみませんすみません、熱くなっちゃって」


熱くなっちゃって。

軽い言い訳と周囲の笑い声。


直耶は、自分の方が場を壊しているのではと一瞬思い、すぐ打ち消した。

榊が直耶の横に立つ。


「境君、あなたの判断は正しいですよ」


淡々とした声が直耶の肩を支える。

その直後、運用統括部長が一歩前に出た。


「予定通り、代表一名を地下ホールまで案内します。全員は入れません。

 機材は弊社スタッフが保持。記者側は手ぶらで同行。よろしいですね」


森山が歯噛みする。


「森山さん、こちらが責任を持ちますから。

 あなたには現場を回していただきたい」


森山はしぶしぶと引いた。


ここは、会社だ。

現場と会社の決定は一致しないこともある。

直耶はバイト時代の理不尽さと重なり、苦笑するばかりだった。



代表記者が腕章を付けた。

同行するのは直耶と榊、そして運用統括部長が責任者として付く形になった。

日向は同行しない。

広報が「休憩を」と言い、日向は別室へ下がったのは幸いだった。

下がりながら周囲へ向ける笑顔。

記者たちは最後まで撮影を続けていた。


ゲートの前で、運用統括部長が確認する。


「ここから先は回廊敷地。一歩入れば扱いが変わります。

 ――境さん、榊さん、いつも通りでお願いします」


いつも通り。

部長が一度でも現場にいた試しは無い。

そんな人が言う『いつも通り』に、意味はあるのだろうか。


ゲートをくぐる。

久しぶりに一歩踏み込んだだけで、空気が違った。


耳の奥が詰まり、皮膚が乾くように冷える。

呼吸の仕方を思い出す。


記者が思わず声を漏らした。


「……うわ。雰囲気変わった…」

「慣れますよ」


運用統括部長が平然と言う。


ぽっかりと、エレベーターが口を開けていた。

金属とコンクリートで固められた縦の空間。

エレベーターの隙間から吸い込まれるような風が、弱く吹き上がっている。


中は意外なほど普通の箱だ。耐荷重、注意書き、非常停止。


直耶は手すりを握ると、降下が始まる。

腹がふわりと浮く。耳の詰まりが増す。床がわずかに震える。

箱が縦に落ちていく感覚を、直耶は覚えてしまっている。


扉が開いた。


地下ホールは白い照明で照らされていた。

広いスペース。壁に簡易の地図、矢印、番号。

誰も設計していない場所。

やはり、薄気味悪い。


記者がカメラを向けた瞬間、モニターにノイズが走った。

砂嵐のように揺れる。


「え、今……」

「よくあります」


榊が短く言う。


「入口から離れるほど記録は安定しません。電波も乱れます」

「なるほど……だから貴重な映像になるんですね」


ホールの奥にもう一枚扉があった。


え?

あんな扉なかったはずだ。

直耶は榊に耳打ちする。


「榊さん、あんな扉、今までありましたか?」

「いえ、報告はありません。……でも、追加構造は“起き得る”想定です。

 記録して、今回は近づかない。それで十分です」

「き、気まぐれ…そ、それでいいんですか?」

「いいんですよ。ほら、あれだけの崩落があったのに、もう綺麗なものです。

 回廊にとってはその程度の事なのでしょう。我々は、未来のために動くだけですよ」

「そ、そんな…程度の事でしょうか…」

「はい。もう誰も気にしてませんよ?境君もいい加減慣れたと思っていました」


笑顔で告げる榊。

なんとか、直耶は言葉を飲み込んだ。


扉の隙間から、わずかな冷気が流れてくる。

冷気というより、乾いた何かが。


「……この先が」 記者が言いかけたところで、運用統括部長が先に遮った。

「ここまでです。本日は回廊再開前の安全確認の一部として、入口からホールまでの記録が目的です。先は、段階的再開の手順に沿って、別途」


段階的再開。

止まらない未来が見える。


直耶は扉を見た。

扉の向こうを、身体が覚えている。

耳が詰まる。皮膚が乾く。奥へ奥へ。


記者がぽつりと言った。


「世界が変わったって、こういうことなんですね。

 大変動って呼びたくなるのも、分かる気がする」


直耶は返せなかった。

変わったなら、変わったこと自体をもっと怖がるべきだと思う。

でも怖がる方がもういない。

そのことが、直耶の喉を絞めた。


榊が扉の前に立つ。


「さぁ、戻ります。ここまでです」



地上に戻ると、森山が直耶へ近づき、低い声で言った。


「悪い。止めきれなかった」

「いえ。止める方が悪いみたいな空気ができてたと思いますよ」

「そんな空気を作るのが、記者どもの仕事だ。……いや、違うな。会社がそう動いてる。

 さっき改めて連絡があった。明日から探索を再開する」

「そう、ですか」

「ああ。あとでアプリで通知も来るだろう。境、会社がお前の荷物を寮へ移したそうだ。

 退院だとよ」


森山は吐き捨てかけて、飲み込んだ。


「境、お前の荷物はもう寮へ移動したそうだ。

 また明日から、頼むぞ」

「⋯はい」


流されるまま寮に戻ると、高梨が出迎えてくれた。


「よっ。おかえりラッキーマン」

「勘弁してくださいよ」

「いやいや、ソロで帰ってきたの境くらいなんだぜ?

 大したもんだよ、実際」

「なら、やってみます?」

「ははっ!軽口返せるなら本当に大丈夫そうだな。

 また明日から頑張ろうぜ」


高梨の軽口が心地よかった。

気持ちを切り替えなければ。

明日からまた、回廊だ。


ベッドに倒れこむように横になる。

なんだか疲れた。


直耶は目を開け、二段ベッドの裏を見上げた。


潜る。潜れば稼げる。

稼げば家は回る。家族が安心する。

とにかく潜れれば、稼げるのだ。


…稼ぐ?あといくら稼ぐ?

そういえば、いくら必要なんだっけ…?


「なぁ、境!こないだD班で可愛い子がさぁ!!」


そんな考えを遮るように、高梨の声が振ってきて

雑談に花が咲く。

そのままゆっくりと夜が更けていった。

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