表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく  作者: シドロンモドロン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/44

第26話 点滅する数字

ぴ、と短い電子音が鳴った。

ベッド脇の小さな端末に数字が浮かぶ。


53。


私はその数字を見て、口角が少し引きつった。


「はい、終わりました。目、しみませんでしたか?」


看護師さんが手に持っていたのは、ペンライトのような細い測定器だった。

先端の白い光が残像としてまだ残っている。


「大丈夫です」

「よかった。最近はこれで済むので楽ですよね。

 昔のヘッドセット、髪がぐちゃぐちゃになりますし」


看護師さんはそう軽く笑って、端末に数値を送った。

L値。今日の値。

ここ数日、毎朝同じ手順で測っている。


ぴ、ともう一度。送信完了の合図らしい。


53。


(私、入社の時は67だったのに⋯

 昨日も53だった。もう……増えないの?)


いや、まだ決めつけるのは早い。

お医師さんも、榊さんも、三宅くんも言っていた。


L値の回復速度は基本的に一定。

睡眠をとろうが点滴を入れようが、劇的に跳ね上がることはない。

日々じわじわ戻る。

だから今日も昨日より少しだけ楽になる――はずだった。


なのに、ここ数日は同じ数字が続いている。


ベッドの横のテーブルには、検査結果の紙が重なっていた。

52、53、53、53。


「疲れが残ってますね」


看護師さんがカルテを見ながら言う。


「顔色、昨日よりはいいですけど」

「……寝てるのに、足りない感じがして」

「それ、みなさん言われますよ。回廊帰りの方は特に」


みんな。

森山隊長、榊さん、大熊さん、高梨くんに三宅くん。

そして、はぐれた境くん。亡くなった吉永さん。


境くんは別室にいると森山隊長が言っていた。

足をやったと。固定していると。


(気分転換に、顔でも見に行こうかな)


生きてるって分かってても、見ないと落ち着かない。

そう思った直後に、別の事が脳裏に並ぶ。


(今日……また呼ばれるんだろうな)


撮影。

その単語が、嫌な熱を連れてくる。

昨日も、今日も、明日も。

広報が「少しだけ」と言っていたのに。

全然少しだけで終わらない。


枕に頭を戻した。シーツが冷たい。

点滴のチューブが腕に触れて、現実に引き戻される。


「今日は、このあと面会の予定が入ってます」

「……誰のですか」

「会社の方ですね。あと、チームの方の面会予約も入ってます」


胸の奥が少しだけ落ち着く。

榊さんだろうか。

メディックを兼任しているからか、連日お見舞いに来てくれる。


看護師さんがカーテンを閉め、足音が遠ざかった。

病室の外は妙に賑やかだ。

笑い声まで混じっている。

同じフロアには、同じ回廊帰りがいるはずなのに。

そんなことお構いなしに様々な単語が耳を撫でる。


軽く目を閉じると、暗さの裏に回廊の暗さが重なる。

あのとき自分の手から出た火は、まだ感覚として残っている。


温かい。

怖い。

それでも、体のどこかが「助かった」と思ってしまう。


その思いが、小骨みたいに喉の奥に残る。

嬉しがってる場合じゃない。

誰かが死んで、誰かが怪我をして、自分は生き残っただけだ。


なのに外の世界は、そこを違う角度から切り取っていく。


カーテンの向こうでドアが開く音がした。

すぐに控えめなノック。


「日向さん、入ります」


柔らかい声。広報担当の女性だ。


照明がまた近づく。

ライト。カメラ。マイク。

この病室の端だけが、別の場所になる。


「今日も短くで大丈夫です。昨日の放送、反響がすごくて」

「反響……」

「はい。『勇気をもらった』って。『希望だ』って。問い合わせも増えてます」


希望。

その言葉を、心の中で転がした。

回廊の中で希望なんて、そんな綺麗な形では見えなかった。

必死に息をして、足を動かして。

誰かの背中を見失わないようにする。

それだけだ。


でも、外では希望になる。


広報担当は手際よくタブレットを開いた。

画面には、ニュースサイトの切り抜きや短い投稿が並んでいる。

私の顔。

私の火。

私の名前。


そのどれもが、別世界の出来事に思えた。


「今日のコメント、こちらで下書きしています。

 読んでいただいて、違和感があれば調整します」

「……私が、言うんですか」

「もちろん。日向さんの言葉として、です」


タブレットの文章は綺麗だった。

怖かった。

でも乗り越えた。

仲間がいた。

応援が力になる。

次も頑張る。


全部、嘘じゃない。

嘘じゃないのに、自分の中から出てきた言葉みたいには感じない。


私は一番簡単なところだけを掴んだ。


「……怖かった、は本当です」

「はい、そこは残しましょう。正直さが大事です」


正直さ。

その言葉が便利に使われる瞬間を知ってしまった気がして、息が浅くなる。


ドアの向こうで低い声がした。

森山隊長の声だ。

榊さんの声も混じる。


「日向に負担をかけるな」

「現状、世論対応が必要です。スポンサーも――」

「スポンサーの前に、隊だろ」


言い合いが続く。

つい目を伏せた。

自分のせいで、また誰かがぶつかっている。


(火が出たせいなのかな)


そう思った瞬間、胸の奥で別の感触が動く。

苦さと一緒に、ほんの少しだけまた――助かったという言葉。


助かったのは事実だ。

事実だからこそ、変えようがない。


カーテンがもう一度開く。

森山隊長が顔を出し、その後ろに榊さんが続く。


「日向、今日はここまでだ」


森山隊長が言い切る。

広報担当は一瞬だけ口を開きかけて、閉じた。

笑顔を作って引いた。


「……すみません」


反射で口をついて言葉が漏れる。

謝ることじゃないのに、謝る言葉が先に出る。


「謝るな」


森山隊長の声は硬い。

怒っているというよりも、むしろ疲れているようだった。


榊さんがベッドの横に立っていた。

いつも通り、冷静に努めているように見える。


「体調はどうですか」

「……大丈夫です」


大丈夫じゃないのに、つい大丈夫が先に出る。

榊さんは私の顔を一目見て、目を逸らさないまま言った。


「大丈夫ではないですね。L値の推移も確認しました」


胸がきゅっと縮む。


「……止まってます?」

「現時点では『止まっているように見える』だけです。

 上限の計測手段はありません。分かるのは現在値のみです。

 入社の時だって、あくまでも現在値でしたから」


森山隊長が腕を組む。


「三宅も言ってた。回復速度は基本一定だと。

 だから、こういうときほど慌てるなって」

「はい」


榊さんが頷く。


「ただ、一定以上に回復しない状態が続く場合、削れている可能性が高いと推測されます」


喉が冷える。


「……削れた、って」


言葉を探しても、うまい言い方が見つからない。


「回復しないこと、でしか分からないんです」


淡々としているのに、胸に残った。

回廊の中で代償を払ったのは、火を出した自分だけじゃない。

吉永さんが死んだ。

境くんが怪我をした。

他の皆も擦り傷だけで済む話じゃなかった。


森山隊長が、言いにくそうに咳払いをしている。


「あー、境の見舞いにでも行くか。

 医務に話は通してある。あいつは暇そうにしてたからな」

「……行けます?」

「車椅子だがな。無理はするな」

「はい」



廊下はさっきよりも明るかった。

窓から差し込む昼の光が床に反射している。

白が多すぎて、目が疲れる。


車椅子を押すのは森山隊長だ。

大きい。回廊の外でも、頼りになる人だった。


「……隊長」

「なんだ」

「私、変ですか」


自分でも驚くほど小さな声になった。

森山隊長はすぐには答えなかった。

車輪の音だけが続く。


「変、ってのは便利な言葉だな」


ようやく言う。


「戻りきってないだけだ。体も、頭も」

「……はい」


少しだけ納得しかける。

納得しかけたところに、次の思考がまた浮かぶ。


戻りきってないなら、戻せばいい。

次がある。


考えた瞬間、自分で自分に驚いた。

そんな簡単な話じゃない。分かっているのに。


境くんの病室の前で森山隊長が足を止めた。

ノックをして、返事を待つ。


「入るぞ」


カーテンの向こう。

境くんの顔が見えた。


白い天井の下で、境くんは少し痩せて見えた。

でも、目はちゃんと開いている。


「日向……さん?」

「やっほ。来ちゃった」


いつもの調子を出そうとして、声が途切れた。

元気なふりはできる。笑顔も作れる。

でも笑った瞬間に肺が浅くなる。


境くんが眉を寄せた。


「無理してない?」

「……してない、って言いたいけど。してるかも」


正直に言ってしまった。

境くんが少しだけ笑って、すぐに顔を戻す。


「ごめん。俺の方が……」

「謝らないでよ。謝るなら、私も謝らなきゃいけなくなる」


言ったあとで、自分の言い方が引っかかった。

誰に? 何に?


境くんの右足は固定具で固められている。

その足を見たら、胸の奥が熱くなった。


「生きててよかったね」


それだけ言った。

言ったら喉が痛くなった。

境くんは一瞬だけ目を閉じて、伏せ目がちに呟いた。


「……日向さんもね」


短い言葉。

それで十分だった。

森山隊長は気まずそうに咳払いをして、カーテンの外に出た。

私と境くんだけだ。


私はベッド脇の棚を見た。

透明な袋。私物。汚れた装備。

境くんの指先が、無意識に右手をさすっている。


「手、どうしたの」

「……なんでもない。変な感覚が残ってるだけ」

「変な感覚」

「うん。……ごめん。今はうまく説明できない」


そんな事もあるのだろう。

私は一度だけ深呼吸した。


「私も、説明できないことがある」

「え」

「火のこと。

 ……みんなはスゴイって言うけど、私は怖かった。今も怖い」

「……そりゃ怖いよ」


境くんはそう言って視線を落とした。


「でも、外は……盛り上がってる」

「うん。盛り上がってる。すごい勢いで。

 私、今日も撮影だった」

「嫌だった?」

「……嫌、って言うと、また違う。

 嫌なのに、ちょっと……ちょっと、嬉しいって思っちゃう。

 有名になるとか、私だけ特別とか⋯。

 そういうの。……良くないよね」

「そんなことないよ」


境くんが即答した。


「それ、普通だと思う。……たぶん」


私は境くんの顔を見た。


「でも、普通って何?」

「回廊の中で普通だったこと、外では普通じゃないでしょ?

 よく考えてみて。

 道が都度変わって、敵が出て。

 機械仕掛けはうまく動かず肉弾戦。

 怪我して、人も死んで、ボロボロになって。

 かと思ったら魔法。

 普通なわけ、ないじゃん?」


境くんが小さく「急にごめん」と息を吐いた。

驚いた。

こんなに話す人だったんだ。


「……でも、それが今は普通。普通になったんだ」


境くんが自分に言い聞かせるように言っている。

そっか。私はもう、そこを考えないようにしてた。


「⋯まぁ、そうだね。でも、そんなもんじゃない?」

「⋯俺は全然慣れないんだ。ズレてるのかな」


自嘲気味に笑ってる。

釣られて笑いそうになって、咳払いで誤魔化した。


「ねえ、境くん」

「なに」

「前の日常に戻りたい感じ?」

「……どうかな。戻りたい、って訳じゃ⋯ないと思う。

 色々上手くいかなかったから。

 今は生きてるって感じ、するし」

「私も似たようなものだよ。……怖いのに、ちょっとだけ楽しいって思う時がある」

「⋯そういうもの、なのかな」

「もっと楽に考えて良いと思うよ?

 回廊が世界に出て、世の中の空気も変わってる。

 スポンサーも研究も、動きが早いし。

 私はまさかの魔法使いだもん」


境くんがイタズラっぽく言う。


「それ、後で皆と聞かせてよ。何がどうだったのか」

「もちろん。境くんもソロでの生還劇、皆と聞かせてね」

「やめてくれ、そんなカッコいいもんじゃないよ」

「私だって、そうだよ」


なんとなく、2人で困った顔して笑い合った。

一息ついた所で、不意に言ってしまった。


「私の数字が……止まったかもしれない」


境くんが眉を寄せる。


「L値?」

「うん。今、53」

「……日向さんの、いままでって?」

「最初は67だったんだ。

 回廊に潜って減ることはあっても、休めばまた67には戻ってた。

 でも、いまはここから上に上がらないんだよね」


笑ってごまかそうとして、笑えなかった。 


「榊さんが、上限が削れた可能性があるって」

「……そっか」


境くんはそれ以上言えなかった。

言えない沈黙が病室に落ちる。


その沈黙を、テレビの音が割った。

廊下の待合スペースから流れてくる笑い声とニュースのテロップ。

もう何度も同じような話題が流れてる。

湾岸。回廊。帰還者。未知の現象。

魔法の火。希望のエネルギー。


誰かが拍手している。


私は境くんの顔を見て、何も言えなくなった。

辛そうな顔をしている。

でも、強い目で私を見返した。


「日向さんさ、俺の考え、話してもいいかな」

「え?なに?」

「俺、回廊はまだ何も終わってないと思うんだ」


どういうこと?

私がキョトンとした顔をしていると、境くんが続ける。


「今回こんな事があって、きっと変わった。

 何かが変わったんだ。

 敵も倒せばすぐに塵になって、何かが残るようになった」

「そ、そうだね。最初見た時ビックリしたよ。

 だから、これから先は、今までと違う?」

「今思うと、魔法を使うヤツは昔もいたんだよ。

 高梨、アイツの足抉ったの、多分魔法だったんだと思う」

「あーーー、確かにいたね」

「だから、きっともっと何かある。L値だって、きっと戻せる何かがあるよ」


胸の奥が少し軽くなる。

私を元気づけてくれている。

私も、切り替えないといけない。


回廊内ならもっと何かが起こるかもしれない。

だって未知なんだ。

L値だって、何かの拍子で本当に戻るかもしれない。



その夜、私は上手く寝付けずにいた。

眠っているはずなのに意識が浅い。まぶたの裏で光がちらつく。


測定器の光。

回廊の暗さの中で見た火。

テレビの派手な照明。


全部が混ざって、同じ白に寄っていく。


ベッドの上で静かに呼吸した。

点滴の落ちる音が一定のリズムで続いている。


ぴ、ぴ、ぴ。


規則的な音は、本来なら安心材料のはずだった。

なのに、頭の中の数字は居座ったままだ。

それは「今の私」を見せつけるというより、もっと無邪気に、次を数えさせてくる。

次の日の53。

その次の53。

数字が続く未来の方だけが、妙に具体的だった。


息を吐く。白い天井に吸われていく。

回廊の外は安全だ。安全なはずだ。


でも、安心の手触りがない。

代わりに、回廊の中の感覚だけがまだ残っている。


火が出た瞬間の、あの熱。

怖さで手が震えていたのに、同時に、確かに――進めた。


進めた、という事実が胸の奥で確信に変わる。


あれがなかったら、と考えると喉が締まる。

あったから助かった、と考えると少しだけ楽になる。


廊下の向こうの笑い声が遠くで続いている。

同じフロアで誰かが苦しんでいるのに、外はお祭りみたいに熱い。

その熱が窓の隙間から入り込んで、私の皮膚を撫でる。


火は危ない。

火は必要だ。


そういう言葉が、頭の中で並ぶ。


私の火で探索が楽になれば、誰かが生き残る確率は上がる。

それはたぶん正しい。


拍手。

名前。

画面の中の私。


それを思い出した瞬間、胸の底がちりっとする。

喜び、と呼ぶには小さすぎる。


手を握りしめた。

爪が掌に食い込む。

痛みで、少し現実に戻ったような気がした。


私は別に英雄になりたいわけじゃない。

たぶん。


ただ――次があるなら、今度はもっと落ち着いてやれる。

だから一旦、受け入れることにした。


怖い。

でも、やれる。

やるんだ。


ぴ、ぴ、ぴ。


一定の音に合わせて、呼吸も落ち着いていく。

点滴の冷たさが、腕の内側でゆっくり温度を奪っていく。


さっきより少しだけ心が軽い。

境くんの言葉を思い出す。

きっと、大丈夫だ。


私は目を閉じた。

閉じたまぶたの裏で、回廊の暗さがちらつく。

暗さの中に、火だけが鮮やかに残っている。


温かい。

怖い。

それでも、今夜はそれを見つめるだけで、眠れそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ