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運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく  作者: シドロンモドロン


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第25話 火種

ライトが、近すぎた。

白い光が目の奥を刺して、日向は反射的に笑顔を作ろうとするが、うまくいかない。

口角は上がるのに、頬がついてこない。

しんどい。


「大丈夫です、日向さん」


耳元でささやいたのは、会社の広報担当と名乗る女性だった。

柔らかいのに、手つきが早い。

髪を整える指先が、迷いなく動いていた。


「笑顔、今の感じで行けます」

「……行けます、か」


日向は返事をしたつもりなのに、自分の声がひどく細い。

喉が乾いて、肺の底が浅い。


点滴のチューブが、腕に引っかかる。

それだけで体が勝手に「無理」と言い出しそうだった。


鏡の向こうに、見慣れない自分が映っている。

いつもなら、もっと目が開いている。


(寝てないわけじゃ、ない。寝てるのに、まだ足りない感じがする)


さっき測った数字が、頭の片隅に引っかかっていた。

L値。


色々あったから、減っているだろうとは思っていた。

でも、減ったことより、戻りが鈍いことの方がこの気持ちの原因だろう。


休んだ。

点滴も入っている。

毎日同じ検査もしている。

L値は、いつも通り少しずつ戻っているように思う。

戻っているのに、安心できなかった。


「日向さん、準備いいですか?」


鏡の外から、別の男の声。

この場だけ空気の種類が違う。


「……はい」


日向は立ち上がろうとして膝が少し笑った。

支えられるのが悔しくて肩に力が入る。


「車椅子で行きましょう」

「歩けます」

「無理はなしでお願いします」


日向は唇を噛んで、車椅子に座った。

座った瞬間、負けた感じがして、胃が少し痛む。


廊下を曲がる。

病室の前をいくつも通る。


カーテンの隙間から、寝返りの音。

誰かのうめき声。


それなのに、廊下の先は明るい。

明るすぎる。


ドアの前に立つと、制服の男が待っていた。

会社の腕章。


「日向さん、体調は」

「平気です」


反射で答えた。

平気じゃないのに、平気が先に出る。


(大丈夫って言え。大丈夫って言えば、みんな助かる)


そんな考えが、どこからともなく湧いてくる。


「すぐ終わります」

「……何が、ですか」

「記録と説明です。皆が不安ですから」


不安。

その言葉に、日向は一瞬笑いそうになった。


回廊で不安じゃない瞬間なんてない。

なのに、外の不安は別の形をしているように思えた。


ドアが開く。

中は小さな会議室だった。


壁際にカメラ。

卓上にマイク。


そこだけ、病院じゃない。

どこかのスタジオみたいだと思う。


椅子に座らされ、背筋を伸ばすと、背中の筋が悲鳴を上げた。


「では、簡単に」


カメラの向こうの男が言う。


「お名前をお願いします」

日向ひなたあおい…です」

「回廊内で起きた現象について、分かる範囲でお願いします」


血の匂いも、砂も、叫び声も、全部削られた言い方だ。

なんだかスッキリしない。


日向は目を閉じて、思い出そうとした。

あの暗さ。


吉永さんの声。

胸の奥がぎゅっと縮んだ。

あの人は、いつも現場の温度を一定に保とうとしていたと思う。

怒鳴るときも、冗談を言うときも。


天井の崩落。


自分の息が乱れて、視界が狭くなる。

武器が重くなる。


あの距離感。

小鬼みたいな影。


そして――


「日向さん。」


カメラの向こうが促す。

息を整えようと息をすれば、消毒液の匂いが鼻に刺さる。


「……追い詰められてました」


声が出た。


「前に進めない、逃げ道も薄い、みたいな」


言いながら、自分の言葉が薄いと思う。

薄いのに、周りは満足そうに頷く。

薄い方が都合がいいのだと、日向は嫌でも分かった。


「そのとき、手から炎が」


言った瞬間、室内の空気が一段上がった。

期待の温度が上がる。

興奮して見開いている人もいる。

拍手でも起きそうだった。


日向は反射で、笑ってしまいそうになる。

喜ぶ場面じゃないのに。


(なんで、嬉しいんだ)

(なんで、これが誇らしいんだ)


分からない。

分からないのに、体の奥がうっすら熱を持つ。


「炎は、どういう」

「……こう、熱いっていうより、出た、って感じでした」


日向は、両手を見た。

今は包帯とテープだらけで、痛々しいだけだ。


回廊の中では、確かに火だった。

でも、火が出た瞬間の感情の方が、もっと生々しい。


怖かった。

悔しかった。

死ぬのは嫌だ。


その思いが悪態と一緒に喉の奥から噴き出して、燃えた。


燃えたのは、炎じゃない。

自分の中の何かだ。


「素晴らしい」


隣に座っていた別の男が、思わずと言った顔で口にする。

日向は、すぐにその言葉が嫌になった。

そんな簡単に片付けないで欲しい。


でも――

反論しようとして、頭がふっと逸れた。


(これで、みんな助かる。これで、もっと何かが変わる)


勝手にそう思ってしまう。


ドアが開いた。

廊下側から低い声が刺さってくる。


「日向に何をさせてる」


森山隊長だ。榊さんも後ろに見える。

日向は肩が跳ねた。


「許可は取っています」

「俺を飛ばしてか」


言い争う声が、室内に響く。

日向は目を伏せた。


自分のせいだ。

自分が、火なんて出したせいだ。


そう思った瞬間、また別の考えが滑り込んでくる。


(火が出てよかった)


怖い。

自分の頭が、二つに割れていくみたいだ。

よかったと思う自分と、怖いと思う自分がチグハグだ。


「日向さん」


今度は、落ち着いた声。

榊さんが近づいてくる。


「撮影ですか」

「……そう聞いています」

「終わりです。日向さん、もう休んでください」


その言葉が、胸に刺さった。


「あの、そういえば境は?」


日向は口に出してしまった。

森山隊長が一拍置いてから答えてくれた。


「生きてる。別室だ。足をやってるがな」


日向は息を吐いた。

それだけで、少し泣きそうになる。

一緒に潜った。

背中を預けた仲間だ。

回廊の中で、仲間の安否は、それだけで心臓にくる。


「お見舞いにはいけますか」

「医務の許可次第だ」

「……そうですよね」


当たり前のやり取りなのに、泣きそうになるのが腹立つ。

日向は指先に力を入れた。


「日向さん」


カメラの向こうが、もう一度言った。


「最後に、視聴者に一言」


視聴者。

日向は笑いそうになった。

回廊の中に視聴者はいない。


いるのは、息をしてる人間だけだ。

それでも、外の世界は「見る」。


「……怖いです」


日向は、まずそれを言った。

空気が一瞬止まる。

止まった空気の中で、誰かが焦った顔をした。


日向は続けた。


「怖いけど、帰ってきました」


そこから先が、うまく言えない。

「頑張ります」と言えば、それっぽい。

「皆のために」と言えば、拍手が取れる。

でも、それは嘘じゃないのに、嘘みたいだ。


(何が本当なんだ)


日向は、喉の奥を押し広げるように言った。


「……ちゃんと、生きて帰るために、やります」


言い終えた瞬間、室内の空気がほっと緩む。

欲しかった言葉が来た、という顔。


日向は、その顔を見て、心の中が冷えた。

自分が利用されているのが分かった気がする。


燃やすための火。

照らすための火。


どっちでもいい。

とにかく、燃えていればいい。

そんな思いが透けて見えた気がする。


車椅子で廊下に戻される。

森山隊長がドアの前に立っていた。


目が合うと森山隊長は何か言いかけて、結局言葉を飲み込んだ。

その飲み込み方に救われた気がする。

隊長を責められない。

ここは会社だ。隊長だって社員の一人にすぎない。


でも、責められないことが、逆に苦しい。


病室に戻る途中、ガラス窓越しに待合スペースが見えた。

テレビがついて字幕が流れている。

画面の上の方に見えた単語が、日向の目を引っかけた。

エネルギー結晶。

回収。

買い取り。

希望のエネルギー。


短い単語が、気持ち悪いほど踊っている。

人の死より、そっちが前に出ている。


(でも世の中って、こういうもんだよね)

(回廊だからしょうがないよね)


自分の中に、誰かが言い訳を置いていく。

それを便利だと思ってしまう自分が、もっと嫌だった。


さらに流れる字幕。

湾岸。

回廊。

帰還者。

未知の現象。


画面の中の人間が笑顔で手を叩いている。

その笑顔が自分に向けられている気がする。


「…生放送だったなんて…聞いてないよ……」


日向は背中の汗が冷えるのを感じた。

同時に妙な高揚が胸の底でちりちりする。


(すごいことをした)

(有名になる)

(世界が変わる)


その考えが出た瞬間、日向は自分で自分を殴りたくなった。

でも、殴る力も残っていない。


ようやく病室のカーテンの中に戻る。

静かだ。

静かなのに、廊下の笑い声が遠くで続いている。

祭りの音みたいに。


日向は枕に頭を落とした。

涙は、出ない。

疲れで勝手に瞼が落ちていく。


ずっと、検査結果の数値が頭から離れない。

まだ回廊から出て、大して時間が経っていない。

まだわからないはずだ。


明日にはまた少し回復しているよ。

いつか戻るはずだよと、どこかで信じている。


そして、その重さをごまかすように、明るい言葉がまた浮かぶ。


(大丈夫)

(みんな、喜んでる)

(世界初だよ)

(だから、もっと行けるよ)


日向は目を閉じた。

閉じたまぶたの裏で回廊の暗さがちらつく。


暗さの中で火だけが鮮やかに残っている。

火は温かい。


温かいのに、怖い。

怖いのに、少し嬉しい。


その差が日向の中でまだ収まらないまま、

点滴の落ちる音だけが、一定のリズムで続いていた。

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世界の熱量と現場の悲哀という熱と冷たさの乖離がひどいw
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