第20話 装備一式、その対価
ブリーフィングルームの空気が、いつもと少し違っていた。
ざわざわとした声が扉が開いた瞬間すっと収まった。
前に立った森山は、いつもの無表情に見えてどこか機嫌がいい。
「…では、定例の前に一件、通達だ」
壁際のモニタにロゴが映る。
六つのひし形を組み合わせたマーク。
文字がその下に出た。
六菱重工。
「ニュースで見たことある人間も多いだろうが
重工メーカーの六菱が、探索関連部門のスポンサー枠を
増やした」
ざわ、と小さな反応が起きる。
「日本国内の探索企業のうち、暫定10社が対象。
その中で各社、上位4割のチームに装備一式の提供と
成績に応じたボーナスが出る」
日向が小さく口笛を鳴らす。
「うわ、ガチのやつだ」
森山は淡々と続ける。
「うちの会社もその10社に含まれた。
そして、第三探索チームA班・B班は社内評価で支給対象に入った」
一瞬、静まり返って、それからどっとざわめきが広がる。
「マジか」 「俺らが…?」 「装備一式って、全部?」
直耶は高梨と目を見合わせた。
自分たちが何か特別なことをした覚えはない。
昨日、ルート一本ぶんを伸ばした。
それくらいだ。
そんな思いとは裏腹に森山は少しだけ口元を和らげ続ける。
「浅層と中層のルート開拓、回収素材の量、それから安定運用実績。
数字で出せるものを全部突っ込んで評価された結果だ。
…要するに、地味にこき使われてきた分が少しだけ形になったと思え」
「少しだけ、ですか」
吉永が苦笑する。 森山は肩をすくめた。
「金銭ボーナスは成績上位チームに後日別途。
装備は支給条件を満たしたチームには一斉に渡される。
今日はその試着と調整をする。
午後から、テストも兼ねて浅層に一本潜る」
日向が手を挙げる。
「スポンサー側の条件って、やっぱり…」
「もちろんある」
森山は、モニタに別のスライドを出した。
「回廊内物資の共有と研究用の提供。
それから、エネルギー変換実験用のデータ。
今までも似たようなことはやっているが、もう少し“量を増やしてくれ”という話だ。
競争枠もある。上の方のチームには、装備に加えて金が乗る。
成績に応じたボーナスがまさにソレだ」
高梨が小声で「うわ、分かりやす」と漏らした。
「条件はかなりオープンに公開されている。
人を集めたいのと、企業としてもイメージを取りたいんだろう。
…こちらとしては、使えるものは使う。
スポンサーの意向で無茶な突撃をさせられるわけではない。
そこは私が止める」
それはいつもの森山の口調だった。
はっきりとした線引きに、部屋の緊張が少しだけ緩む。
「とりあえず、今日は“新しいおもちゃのお試し会”くらいに思っておけ。
では、各自、装備室へ。
詳しい条件と契約文言は総務から回ってくる。
質問はそのときまとめてしろ」
解散の声と同時に、椅子の音が一斉に鳴った。
立ち上がりながら胸の奥で小さな違和感を転がす。
(上位4割…って、そんなにいい成績だったっけ、俺たち)
昨日、槍を振った。 ナイフで刺した。 ルート一本ぶん、前に進めた。
それだけのことで、世界的企業のロゴが入った装備が降ってくる。
やはり、釣り合っているのかどうか。
自分ではよく分からなかった。
それでも、「もらえるもんならありがたくもらうべき」だという打算はある。
家のローン。奨学金。学費。 昨夜の母のメッセージ。
(…まあ、そういうことなんだろうな)
小さく息を吐いて装備室へ向かった。
*
装備室のラックに、新しい作業服がずらりと並んでいた。
色は、今までより少し落ち着いたグレー混じりの迷彩。
肩と胸のあたりに小さく六菱のロゴと会社名、その下に「第三探索」の刺繍。
「おお、なんか“チーム”って感じになってきたな」
高梨が袖を引っ張りながら言う。
「ロゴでかくないだけマシじゃない?背中にドーンとかだったらやだよ」
日向が笑いながら、自分のサイズを確かめている。
ヘルメットも一新されていた。
側面にセンサーらしき突起が増え、後頭部には小さなユニットが追加されている。
整備係が説明する。
「新型ヘルメットは、心拍とか呼吸だけじゃなく、頭部周りのノイズも拾ってくれるらしいよ。
詳しい理屈は私も知らないけど、スポンサー様が“取れるもんは全部取ってくれ”って」
三宅が興味深そうに手に取った。
「データの精度は上がりそうですね。
その分、解析班の負担も増えそうですけど」
「仕事が増えるのは、給料が増えるフラグかもしれないよ?」
日向が軽口を飛ばす。
直耶も新しい装備に袖を通した。生地は厚くて柔らかい。
今までの作業服より少し重いが、関節のところが動きやすく作られている。
「サイズ、大丈夫か?」
「はい。ちょうどいいです」
大熊の問いについ、はにかみながら応えた。
新しいものは、やはり心が躍る。
ヘルメットを被ると視界の端に小さな表示が浮かぶようになった。
簡単なステータスと、自分の隊列位置。
ゲームのHUDみたいだと一瞬思う。
ただ違うのは、リセットボタンがないことだけだ。
*
午後、エレベータの中で森山の声が流れる。
『新装備の初日だ。最初から無理に深くは行かない。
昨日までのルート一本ぶんを、装備とセンサーのテストを兼ねてなぞる。
状況次第で、C2方向に少し足を伸ばす』
「了解」
先頭の大熊が短く答え、他のメンバーもそれぞれ癖のある返事を重ねた。
『隊列は昨日とほぼ同じ。
先頭、大熊。すぐ後ろに境。左右に日向と高梨。
中段に吉永と榊。最後尾に三宅。
…何かあれば、まず声を出せ。
新しい装備は、最初は人間の方が慣れていない』
「それはそうですね」
榊が、ヘルメット越しに微笑を含ませた声を出す。
エレベータが沈み、扉が開く。 新しい作業服に包まれた七人が、薄暗い浅層の通路に一歩踏み出す。
床の冷たさは、いつも通りだった。
「行くぞ」
大熊のシールドが前に出る。
直耶は半歩後ろ、槍の柄を軽く握る。
左腕の小型盾と、新しいグローブの感触を確かめながら歩き出した。
*
驚くほど「いつも通り」だった。
昨日、自分たちで引いた白いマーキング。
壁のスプレー跡が、新しい装備越しの視界にもはっきりと見える。
「センサー値、全員良好です。新型のほうも特に異常なし」
三宅の声が、軽いノイズと一緒に耳に届く。
「前より、データの立ち上がりが速いですね。
細かく取りすぎて、逆に訳わからなくならなければいいんですけど」
「分かる範囲だけ分かればいいさ」
吉永が前を見たまま言う。
「地図と違って、数値は気分で変えられるからな」
「それを言うと、僕の仕事が全部気分みたいじゃないですか」
三宅が苦笑する。
通路の角をいくつか曲がる。
昨日、小型に遭遇したポイントも通り過ぎたが
今日は影一つ動かない。
「静かっすね」
高梨が小さく漏らす。
「昨日の分、今日は控えめってやつかな」
「うるさい日の翌日は静か、みたいなね」
日向が続ける。
境は黙って歩きながら、足裏の感触を追っていた。
新しいブーツは少し硬い。
それでも、かかとに残している「半歩ぶんの戻りしろ」を邪魔はしない。
訓練で叩き込まれた動きが、装備を変えても崩れないかどうかを確かめるように。
*
所定の探索範囲を進み終えたのは、入ってからそれほど時間が経っていない頃だった。
「予定していたマーキング地点まで到達。追加の危険要素なし」
榊が、地図と照らし合わせながら報告する。
吉永がスプレーを手に取り、壁に新しく印を描いた。
「ここから先はC2側のルート候補だが、今日は見送る。
森山隊長からの指示もそうなっている」
「確認は十分ってことですか」
境が尋ねると、吉永は頷いた。
「新装備初日だしな。
今日は歩ける範囲の確認で切り上げるのが妥当だろ。
…じゃ、戻るか」
「戻りルートは、来た道そのまま。
途中のマーキングも確認していきましょう」
榊がそう言って、隊列が反転する。
来た道を辿るだけ。
いつもなら、それで終わりのはずだった。
*
違和感に気づいたのは、二つ目の角を曲がったときだ。
先頭二列目で歩きながら、壁を見た。
さっき通ったときに自分でも見た白いスプレー跡。
…が、ない。
「…あれ」
思わず足が止まりそうになり、慌ててかかとに力を入れてペースを保つ。
「どうした、境」
大熊の低い声。
「いえ、その…壁の印、見間違いですかね」
歩きながら振り返り、後ろの榊に声を投げた。
「ここ、さっきマーキングありましたよね」
榊も歩きながら壁を見て、眉をひそめる。
「…僕の記憶だと、確かにありました。
スプレー跡が⋯。吉永さん?」
中段から少し後ろ、吉永が立ち止まった。
「地図だとこの角に一本。
さっき通ったときも確認した。…が、今はない、か」
壁は、コンクリートと岩が混ざったいつもの質感だ。
上書きした跡も、削られたような傷もない。
最初から何も描かれていなかったかのように、きれいだった。
「スプレーって、こんなすぐ消えましたっけ」
日向が小さく言う。
「回廊の湿気で薄くなることはあるが、ここまできれいに消えるには早すぎる」
大熊が短く答える。
森山の声が無線に入った。
『どうした。足が止まったな』
榊が状況を簡潔に説明する。
「戻りのルート上のマーキングが、地図と現物で一致しません。
少なくとも一つ、消えたのか、見えなくなったのか」
数秒の沈黙。
『…カメラ上では、こちらからは“いつも通り”に見える。
印の有無までは分からん。
ただ、ルートの形状に大きな違いはないはずだ』
「形状に違いはない、はず?」
吉永が言葉を繰り返す。
『測距データと過去ログの比較だ。
完全一致ではないが、許容誤差の範囲内、という分析が出ている』
「許容…」
日向が小さく笑う。
「現場の感覚としては、許容できる誤差じゃないんですけど」
「一旦、そのまま戻り続けてみよう。
次の角まで。そこでまた確認を」
吉永が判断を下し、隊列が再び動き出す。
槍の柄を握る手に力が入りすぎないよう、意識してゆっくりと息を吐いた。
*
次の角を曲がったところで、全員が足を止めた。
本来ならまっすぐ伸びるはずの通路。
地図にも、昨日までの記憶にも残っているいつもの景色。
そこにあったのは、行き止まりだった。
壁がある。
昨日まではなかったはずの壁が、通路を塞ぐようにたちふさがっている。
「…は?」
日向が間の抜けた声を出す。
「工事、入りました?」
「こんなところで工事するわけねえま」
高梨が即座に突っ込むが、その声にも力がない。
榊が、ゆっくりと近づいて壁に手を当てた。
「素材は…他の場所と同じですね。
コンクリートと岩が混ざった、回廊のいつもの材質です」
「マジで、“いつも通り”ってやつですか」
足元を見た。
来るとき自分たちが付けた靴跡が、手前まではちゃんと続いている。
そこから先は、ただの壁だ。
吉永が無線に向かって話す。
「森山隊長。戻りルートが、地図上と完全に食い違っています。
通路が埋まっているとしか言いようがない」
しばしの沈黙。
通信のノイズが、いつもより少しだけ大きく聞こえた。
『…地図のほうには、通路がある。
映像上も、そこは突き当たりには見えない』
「目の前には壁があります」
吉永の声は落ち着いていたが、直耶には、喉の奥に固いものが詰まるような感覚があった。
『位置情報は合っている。
君たちは、確かにその角の先にいるはずだ。
…少し待て。解析班と照合を』
「待ってる間に、他も確認してみましょう」
榊が言い、大熊が頷く。
「一旦ここから下がる。
分岐をいくつか見て、どこまで同じでどこから違うかを確認する」
「了解」
隊列を組み直し、少し前の分岐まで戻る。
そこは、来るときに通り過ぎたはずの狭い通路だ。
壁にこすれた跡と、うっすら残る古いマーキング。
「ここ、さっきは“右が元ルート、左は未確認”って話でしたよね」
直耶が確認すると、榊が頷く。
「はい。今までは右が戻りルート。
その右が塞がれているので、残っているのは左だけです」
「地図だと?」
「地図上では、右が戻りルート、左は未整備のまま。
…ですが、現実は逆転してますね」
榊が淡々と言う。
「つまり、地図と現物の対応がずれ始めているってこと?」
日向がぽつりとこぼした。
「ゲームで言うと、パッチ当たる前のマップ見ながら歩いてるみたいな」
「今それを言うタイミングか?」
高梨が苦笑する。
「でもまあ、分かりやすい例えではあるな」
吉永は、小さく息を吐いた。
「森山隊長。
現状、戻りルートとして把握していた道が塞がれており
代わりに未整備扱いだったほうが通れる状態です」
『…了解。ひとつ確認する。
C2側へのルートは?
そちらから見て通れるように見えるか』
榊が端末を操作し、簡易地図を出す。
「この分岐からなら左へ進んで何度か曲がれば
C2側の中層準備ルートに合流できる可能性があります。
正式に安全とされているのは途中までですが」
『こちらの地図でも理屈の上ではそうなっている』
森山の声が、ほんの少しだけ硬くなる。
『戻りルートが不安定な状況で、無理に元の道を探るのは得策ではない。
…提案する。そこから、C2側へのルートを優先して確保しろ』
「C2側、ですか」
喉が、知らず鳴った。
森山が続ける。
『本来は数ヶ月後に本格的な攻略を予定していたラインだ。
だが、今は“出口に繋がる可能性が高いほう”を選べ。
…ここから見える範囲では、C2側の地形変化はまだ小さい』
「“まだ”って言いました?」
日向が小さく突っ込む。
森山は少しだけ言いよどんでから言葉を継いだ。
『…回廊全体で、微妙なズレが出始めているのは確かだ。
だが、今ここで議論しても答えは出ない。
君たちは今いる場所からどう生きて帰るかだけ考えろ』
静かな言葉だった。
吉永が隊の方を向き直る。
「聞いた通りだ。
戻りルートを探して迷うより、C2側に向かって進んだほうが
まだマシに見える」
大熊が頷く。
「進むなら、前を固める。戻る場所は、歩きながら考える」
「榊、ルートの候補を」
「はい。この分岐を左。次の三又を右。その次を…」
榊が指で空中に線をなぞるのを横目に
握っていた槍の柄に力を込めた。
(帰り道が勝手に消えるなんて、聞いてない)
それでも、立ち止まっている余裕はない。
「境」
前を行く大熊が、短く呼びかける。
「はい」
「前に出るのは任せる。…戻る道も、一緒に探せ」
思わず苦笑した。
「いつもの仕事ですね」
「いつもより、少し難易度が高いだけだ」
大熊の声は、いつもと同じだった。
「行くぞ」
先頭のシールドが、今までとは逆方向へ向かう。
そのすぐ後ろに槍を構えて続いた。
通路の先は、まだ見えない。
ただひとつ分かっているのは。
今日の「いつも通り」は、もうどこにも残っていない
ということだけだった。




