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運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく  作者: シドロンモドロン


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第0話 第七湾岸回廊

息が、喉の奥で熱く絡んでいた。


ヘルメットの中で呼吸がこもる。

防護ベストの内側は汗で湿り、手のひらは槍のシャフトに張り付いている。

左前腕に固定した小型盾のベルトが、動くたびにきしむ。


このベストの表面には回廊由来の繊維素材が一部使われているらしい。

ニュースでは「夢の新素材」と持ち上げられていたやつだ。

実際に着てみると、ただの少し重い防具にしか感じない。


足を踏み出すたび、足首から脛にかけてずきずきとした痛みが走った。


境直耶は浅いとは決して言えない呼吸で、自分の足音だけを数えていた。


——一歩、二歩、三歩。止まるな。


通路は人が二人並んで歩けるくらいの幅だ。

壁は岩ともコンクリートともつかない素材で薄い筋模様が走っている。

ヘルメットのライトが前方を照らし、その光が壁に当たると

筋がかすかに光を散らした。


ライトの輪の中だけはそれなりに輪郭がはっきり見える。

輪から半歩外に出れば、すぐ墨を流したような暗さだ。


「……くそ」


ヘルメット越しに漏れた声は、耳の内側でやけに大きく響いた。


さっきまで直耶は隊列の中にいた。

全員の足音と短い確認の声が、この狭い通路の空気を埋めていた。


それが、ほんの一分もしないうちにひっくり返った。

——世界が、揺れた。


初めは地震かと思った。

ヘルメットの端に浮くはずの簡易表示は、妙におとなしい。

数値が動いていない。

正常を装っているみたいに、平らだ。


次の瞬間、頭上から細かい破片がぱらぱらと降ってきて

前を歩いていた誰かが短く悪態をついた。


「上、まず——」


言い切る前に、天井の一部が崩れ落ちた。


耳を叩く鈍い音。砂と粉塵。

直耶は反射的に左腕の小盾を上げ、槍を胸に引き寄せた。

肩に何かがぶつかる衝撃。膝をつく。

それでも意識は飛ばなかった。


崩落が収まったとき、前方のライトは薄くしか見えず

無線越しの声もノイズ混じりになっていた。


『前の三人、生きてるか!』

『……こっちはなんとか。後ろは?』

『境!返事しろ!』


森山の声だ。

地上からのはずなのに、やけに近く聞こえるのが腹立たしい。


「境、無事です!」


咳き込みながら叫ぶと、通信アイコンが一瞬だけ点滅した。

すぐに薄くなる。


『そっち何人残ってる』

「——二人。いや、一人です。吉永さんが——」


言いながら振り返って、言葉が詰まった。


後ろにいたはずの吉永が見えない。

通路の後方は天井ごと潰れていて、瓦礫の隙間にヘルメットのランプが弱く光っているだけだ。

呼びかけても返事がない。動く気配もない。


下敷きだ。

救いようがない、という事実だけが

じわじわと胸に落ちてきた。


『……了解』


森山の声が一段低くなる。


『後ろ側は完全に潰れてる。救出は無理だ。

今は生きてる側を帰す』

「……はい」


返事をしたのが自分の声だと、少し遅れて気づく。


『そっちから引き返すルートは?』


直耶はライトを壁に向け、崩落していない方向をざっと見渡した。


「さっき分岐した通路が一本あります。壁に印が——」

『入り口から見て左側の枝だな。

 一応、浅層Cブロックの想定ルートに入ってる。

 合流ポイントC2まで出られるはずだ』


管制室の声も混じる。

「マップ」といっても、回廊が毎回同じ形をしているわけではない。

何十回分もの探索ログから、「この辺りにだいたい合流地点が出やすい」という傾向だけをまとめた図だ。


短い会話が交錯し、すぐに決定が下された。


『境。お前はそのまま単独でC2を目指せ』

「単独で、って……」

『他に選択肢がねえ。そっちにいるの、お前一人だろ』


そう言われて、ようやく自分が本当に一人になっていることを意識した。


背中にいたはずの仲間はいない。

前の数人とは、厚い瓦礫の壁に隔てられている。


訓練では何度も「単独行動は禁止」と叩き込まれた。

誰かが列から勝手に飛び出そうとするたび、教官は容赦なく怒鳴り、ペナルティを課した。


——だが今、直耶は意図しない単独行動の中にいる。


『いいか境。落ち着いて聞け』


森山の声が、少しだけ低くなった。


『ルート自体はそう難しくない。

 想定通りに行けばC2でまた繋がる。

 途中で遭遇したら基本は回避。無理に倒そうとするな。

 やばかったら距離を取れ』

「了解です」

『——それから境』


ほんの一瞬だけ、間が空く。


『さっきの崩落で、お前が真っ先に頭を庇ったの、誰が見てたと思う?』


直耶は思わず返事に詰まった。


『佐伯先生だ。ヘルメット越しに見てた。

 “簡単には壊れない子だね”ってさ』


医務室で聞いた言葉が、喉の奥に蘇った気がした。

——壊れにくい。


『だからって調子に乗って突っ込むな。

 壊れにくいのと、壊れないのは違う』

「……了解」

『よし。合流してこい。長く迷子やってると、俺が説教する』


ノイズ混じりの声が途切れる。

通信アイコンはまだ点いているが、やはり薄い。

頼りにするには不安だ。


直耶は瓦礫の壁から視線を外し、まだ開いている方の通路を振り返った。


ライトの円錐の先に、暗がりが口を開けている。


足元の岩を踏みしめ、進む。

足首の痛みを無視して、一歩、また一歩。



分岐まで戻ると、通路は二つに割れていた。


一つは、崩落で塞がれた本来のルート。

もう一つは、まだ誰も足を踏み入れていないように見える細い道だ。


壁に描かれた白い印が、かろうじてC2への矢印を示している。

だが下のほうはところどころ擦れていた。

前に潜った別チームか、数日前の自分たちの印かもしれない。


「……こっち、か」


声に出して確認してから、直耶は狭い方の通路に身を滑り込ませた。


足音がさっきよりもよく響く。

天井は少し低くなり、ライトの光がすぐ近くで跳ね返る。 壁の筋模様も、どこかさっきとは違って見えた。


人間の建築なら、設計者の意図や作業の癖みたいなものが読める。

ここにはそれがない。


「誰が作ったのか分からないもの」というのは、それだけで気味が悪い。

いや、そもそも「作った」という前提が正しいのかどうかも分からない。


訓練の雑談で聞いた回廊の与太話が浮かびかけて、直耶はすぐに頭を振った。


——今は、考えるな。歩け。



数分歩いたところで、視界の端で揺れる影がひとつ。


直耶は反射的に足を止め、左前腕の小型盾を少し前に出した。

ベルトが皮膚の上できしむ。

右手の短槍を強く握りしめた。


呼吸を殺し、手の震えを抑えながらライトの角度をそっと変えた。


ライトの輪の端、床近くで、低く動く黒いモノ。

床を掴むように、何かの足がわずかに踏み込み、筋が浮かぶ。


(……犬? 違う。もう少しでかい)


映像でしか知らない野犬や、訓練で見せられた「突進してくる動物」とも、重ならない。

“似てる”のに、“違う”。その違いが、毎回いちばん嫌だった。


ライトがほんの少しだけ前に滑る。


通路の先、曲がり角の影から黒い身体が半分だけ顔を出していた。


大型犬ほどの体格。だが、細すぎる。

肋骨と背骨のラインが妙にくっきりしている。

四本の脚は、節の位置が少しおかしい。

人間が描いた「動物の脚」の絵を、誰かが勝手に一節足したみたいな輪郭だ。


ライトの光が目に当たった。


二つの光点が、一瞬だけ細くなる。

こちらを見ている——としか言いようがない動き方。


直耶は喉を鳴らし、無線に息を押し込む。


「こちら境。前方の分岐の先に、影一体。

 サイズ犬より大きめ。形状不明。距離は……近い」


返事はすぐには戻らなかった。

通信アイコンは点いているのに、音が来ない。

さっきから、そういう間が増えている。


(……頼るな。いま頼れるのは自分の目だけだ)


次の瞬間、黒い影が通路の中に滑り込んできた。


「っ——!」


直耶が盾を掲げたのは反射だった。


乾いた衝撃音。

何かが盾の表面にぶつかり、滑っていく感触が腕に伝わる。

爪か歯か。

判断している余裕はない。重さで一歩分、後ろに押し戻された。


ライトの輪の中に入りきった“それ”は、四本の脚でしっかり床を掴んでいた。体毛は真っ黒というより、光を吸うような暗い灰色。

ところどころに薄い模様のようなものが浮いている。

尻尾はある。振ってはいない。

背骨の延長線上で、静かに揺れているだけだ。


口元が照らされる。

牙が見えた。

鋭い、というより長い。

口の中に収まるはずの長さが、外にはみ出しているように見えた。


(近い)


匂いは分からない。だが、熱と筋肉の張り具合は分かる。

“それ”は盾に前脚をかけるようにして、もう一度力を込めた。肩の筋肉が波打つ。


直耶は腰を落として足の位置をずらした。転ぶな。

転べば、その瞬間に終わる。


真正面の体当たりなら、まだ分かりやすい。

訓練の受け身の延長でいなせる。

だが、こいつは違う。


押すふりをして、次の瞬間、身体が横に滑った。

盾の角を軸に、胴体だけが半歩ずれる。

脚がばらばらに動き、常に別の角度から力をかけてくる。


「っ……!」


盾で受けた衝撃と、床を掻く音が同時に来る。

足元を狙っている。

直耶は反射で槍の穂先を下げた。

脚と床の間。そこに“届きそうな距離”だけを作る。


——倒す必要はない。近づかせない。それだけ。


穂先が空気を裂く。

肉に入った手応えはない。

だが、かすかに硬いものを叩いた感触が、指に戻ってきた。


“それ”の動きが一拍、止まる。


止まった瞬間、直耶は一歩だけ横へ退いた。

盾の角度を変え、槍の長さを残す。

距離を作る。距離を守る。


“それ”は低く身構え、ライトの輪の端を舐めるように動く。

見えづらいギリギリの位置。

追いきれない脚。

追うな。追えば引きずり込まれる。


直耶は槍を突かない。

“突ける距離”に入らせないように、槍を置く。


置く、という感覚が先に来た。

自分がそう教わった覚えはない。だが、身体が勝手に選ぶ。


(……こういうの、なんなんだよ)


考える余裕はない。


“それ”が再び踏み込んだ。

直耶は槍を少しだけ押し出し、盾を半拍遅らせて前へ出した。


ガ、と短い音。

穂先が壁を掠めたのか、爪が岩を掻いたのか。

どちらでもいい。

大事なのは、相手がまた一拍止まったことだ。


次の瞬間、“それ”は身を引いた。

ライトの輪の外側に滑り出て、距離を一気に開ける。


追ってくるかと思ったが、二歩ほどこちらに出たところで、ぴたりと止まる。


前脚が一度だけ床を叩いた。

低い音が通路に残る。

数秒、互いに動かなかった。


やがて“それ”は、喉の奥で短く鳴らし、左右どちらとも判別しづらい妙な動きで通路の脇に身を消した。

脚と尾の位置がばらばらに動き、壁と床の隙間に溶けるように飲み込まれていく。


ライトを動かしても、もうどこにも見えなかった。


「……は、っ……」


直耶は意識して大きく息を吐いた。

膝が笑いそうだ。だが、まだ立てる。


盾の縁が少し凹んでいる。

槍のシャフトには細い傷が増えていた。

サバイバルナイフの柄に、指が一瞬だけ触れる。

抜く必要はなかった。抜かずに済んだのが、たぶん正しい。


無線に、短く息を押し込む。


「こちら境。影と接触。短時間。

 こちらは離脱できました。追ってきてはいません」


返事は遅れて、ノイズの向こうからやっと届く。


『……了解。よく無事でいたな。

 追うな、そのままC2へ向かえ』


森山の声だ。


『欲張るな。

 浅いところでも、欲張ったやつから先にいなくなる』

「……欲張る余裕なんて、なかったですよ」


半分本音で呟いて、直耶は通路の奥へライトを向けた。

さっきの影は、もうどこにもいない。


足を踏み出す。足首が抗議するように痛む。

それを、生きている証拠くらいに雑に片付けて、歩き続けた。

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― 新着の感想 ―
大学の就活失敗ってことは2月にはなっているんだろうから 別に中退する必要無かったんじゃないかな? 学費は払い込み済みなんだからもったいない。
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