コタン
北国
一国一民族の同化政策が進められる時代。
若いときにエカシはコロボックルに情けをかける。その礼は宝と謎の約束だった。
宝を求めているとき、エカシは大切な人を失う。
その後、エカシは和人と共生するコタンの長老となる。
和人の軍隊と共生しても民族の誇りある祭りを行う。祭りは婿選びの祭り。選ばれた娘三人が山の社で待つ。険しい山を登り切った男三人が娘三人と巡り会う。
二人は祭りの掟で三里の道を隔てた場所から七晩通い通さなければならない。
その年の祭りは、二十八年目の大祭。
その祭りで選ばれたのは娘アンラムひとりだった。
他国からもアンラムを求め、その年の一番の誇りある獲物を持ち集まる男たち。
山の社にいるアンラムを目指し、誇りをかけて登る男たち。
その中には陸軍の軍曹吉田もいた。武士の社会を捨てた石井四郎もいた。
そして、若返ったエカシもいた。
山を登る男たちを見守る女たち。
愛を信じつつ生きることを問う試練が始まる。
あらすじ
登場人物
〇エカシ 男
出生年不明 推定18歳 長老時53歳
アイヌ民族の男。コロボックルより財宝の在りかと謎の約束をもらう。
財宝を探し滝に飛び込んでいるときに大切な女性を事故で失う。以後コタンで過ごし長老となる。二十八年目のイオマンテでコロボックルの約束がはたされ若返り自らがピリカを求め山を登り始める。
〇アンラム 女
出生年不明 推定17歳
母系家族で育つ。祖父、父共に祭りの勇者であり、祖母、母も共にイオマンテで白羽の矢が立った。自然と一体になる力を持つ。
祖父はアイヌ民族であるが父は陸軍の将校であったことを知っている。人の心は目の中に宿ると信じている。
〇村田大尉 男
1856年10月16日生 32歳
陸軍兵学寮教官を経て現在の中隊を率いる。吉田軍曹は生徒であった。過去の任務でアイヌ民族と何らかの深い関りをもつ。
〇吉田軍曹 男
1867年12月24日生 21歳
幼年学校より陸軍士官を目指す陸軍兵学寮入寮中、フランス人教官の馬を噛む直前の毒蛇を銃で撃ち救うが教官に銃を向けたとして尉官を失う。村田教官の弁護に救われる。
〇小里志保利 女
出生年不明 推定23歳
伊勢商人であった五代前の祖が当地に土着、アイヌ民族と血縁を結ぶ。酒造りをしながら当地に住む。気骨ある男を求め婚期を逃す。祭りは生きる糧である。
〇石井四郎 男
1850年12月7日生 38歳
佐賀藩着座、石井家に生まれる。家紋は丸に三ツ鱗。戦国時代よりの武家。18歳で戊辰戦争に参加。明治の武士の有様をみて出奔。出奔中に許嫁を亡くす。
〇神谷久 女
1856年2月6日生 32歳
亀田藩岩藩主家臣、神谷家に生まれる。家紋は丸に揚羽蝶。戊辰戦争隊長神谷男也の娘。
神谷家は新政府軍として参戦するも、理不尽な扱いに幕府軍となる。父、兄を亡くし家を弟に託し、北に新天地を求める。
〇佐々中尉 28歳
佐々成正の家来佐々平左衛門の子孫
〇堀尾中尉 36歳
秀吉家臣堀尾吉晴子孫の傍系。中央より改易後されたが、熊本で堀尾の苗字を通した。
堀尾義春の子孫。
〇桃井少尉 26歳
仙台藩佐藤家に生まれる。剣豪桃井春茂の 門弟を務め、名を賜る桃井源蔵の子。
〇寺内少尉 27歳
寺内正毅の傍系。父の姿に憧れ軍人となる。
○志曹長 41歳
農民の出自。洋食店や割烹に奉公するが軍隊にこそ自分の生きる道があると信じている。
コタン 本編
○口伝による史実
○山塊の峡谷
川岸の二軒の家が焼け落ちている。
その家は蕗の茎で造られている。
家の回りに倒れている老人と老婆、
一組の夫婦とその子ども。
○同
アイヌの男・エカシ(推定18)がゆ っくりと歩き家に近づいてくる。
その足元に転がる旧日本陸軍兵のボタ ン。
○同
エカシが焼けた家の横に立つ。
家はエカシの膝下より小さい。
コロボックルの家である。
○同
エカシ、石で墓を作り終える。
雨が降り始める。
○同
コロボックルの長老が、エカシの後ろ に蕗の傘を差し立っている。
その姿は、倒れていた老人である。
エカシが振り向き、驚く。
雨が強くなる。
コロボックルの長老「・・・・・」
声が雨で聞こえない。
コロボックルの長老、水晶のペンダン トと小さなエメラルドをエカシに渡す。
エカシ「(驚く顔、そして神妙になる)」
コロボックルの長老「・・・・・・」
エカシ「(静かにうなずく)」
雨が急に上がる。
○同
鷹が峡谷から舞い上がる。
○残雪の山に囲まれた湖(カルデラ湖・全景)
空をイヌワシが舞う。
湖が眼下に広がる。
深く碧い湖水。
湖を取り囲む雪を残した山々。
湖岸にあるコタン。
コタンには五色の天筆がはためく。
そのコタンの対岸に立つ朱塗りの鳥居。
鳥居から急峻な山林に向かいまっすぐ にのびる石段。
石段の先にある社。
その社の裏から下る急峻な参道は大木 木の森の中に伸び、麓の宿場町へと続 く。
イヌワシが声高く鳴く。
○北国・初春の山中
滝が激しく落ちている。
氷を残したまま水煙を上げ流れ落ちる 滝。
滝壺の氷が日の光に輝き水煙が虹をつ くる。
その虹の下、滝壺の底石が一面に輝い ている。
○同・笹竹林
一面の笹竹林に滝の音が響く。
アイヌの少女(15)が笹竹のタケノ コを採っている。
○同・滝
エカシが岩に立ち、激しく渦巻く滝壺 を見つめる。
エカシの顔は日の蔭となり見えない。 エカシ、小さなエメラルドを滝壺に放 る。
変わらず激しく落ちる滝。
滝壺が渦巻き岩を噛む。
エカシ、エメラルドの後をなぞるよう に滝壺に飛び込む。
○同・雑木林
滝の音が響く。
旧帝国陸軍初期の一分隊・5人が笹竹 をかき分け歩く。
皆、戊辰戦争官軍の雰囲気が漂ってい る。
二等兵Aは錦の御旗を持っている。
皆疲れ、統率がとれない歩き方である。
二等兵B「こげな所にアイヌの村なのありゃ しねぇべ」
二等兵A「あーその通りだ。こっただ物もい らね。あー迷ったー」
二等兵Aが錦の御旗を投げ捨てる。
二等兵C「やってられね。助けてくれだー」
二等兵D「あー命令なんぞ関係ないべ」
二等兵C「そんだ、そんだ」
二等兵B「あの少尉。ほんとに一人で探しに くるべぇかの」
二等兵A「そったことあるもんでね。明け方 からこっちは歩いてんだ」
上等兵「アイヌなんぞ、皆ぶっ殺してやりて」二等兵B「しかしあの少尉殿、頭よえぇって んでねか。アイヌと仲よーくしろだと」
二等兵A「あーあ、迷ってしまったー」
二等兵D「迷ってしまったなー」
上等兵「あーやってられね」
上等兵が座り込むと銃が暴発する。
皆が驚き腰を抜かす。
と、子熊が木に枝と共に落ちてくる。
皆さらに驚きの悲鳴を上げる。
○同・山中
滝の音に混じる銃声。
少尉服の兵隊が銃声に向かい走る。
○同・笹竹林
アイヌの少女が滝の音に混じり響く鉄 砲の音に耳をすます。
○同・雑木林
上等兵がニヤリと笑う。
上等兵、子熊に向かいわざと狙いを外 して鉄砲を撃つ。
驚き逃げる子熊。
笑い、空に鉄砲を撃つ上等兵。
逃げる子熊。
兵隊たち、笑い転げる。
鉄砲の音が、滝の音に混じり山々にこ だまする。
○同・滝
滝に響く鉄砲の音。
激しく渦を巻く滝壺。
鉄砲の音が渦を巻く滝壺に響く。
○同・雑木林
兵隊A、鉄砲を撃つ。
笑い転げる兵隊たち。
兵隊B、空に向け鉄砲を撃つ。
小熊、逃げ回り木に登ろうとする。
上等兵、子熊の足元に鉄砲を撃ち込む。
笑い転げる兵隊たち。
鳴き声をあげる子熊。
上等兵の目、子熊に狙いを定める。
上等兵の目に子熊が映る。
子熊の蔭の雑木が激しく動く。
上等兵に向かってくる巨大な茶色い塊 と咆哮。
○同・山中
滝の音に混じり銃声とかすかな悲鳴が 響く。
アイヌの少女、メノコマキリを抱き身 構える。
滝の音に混じり銃声と悲鳴、熊の咆哮 がとどく。
アイヌの少女、採ったタケノコを捨て る。
悲鳴と銃声が山にこだまする。
○同・滝
エカシ、滝壺から浮かび上がる。
その手に光る色とりどりの宝石の塊。 エカシ、流れに身をまかす。
青い空に雲が流れる。
銃声が立て続けに青い空に響く。
○同・山中
少尉が走る。
○同・山中
エカシが走る。
その腰には輝く宝石の塊と山刀。
○同・笹竹林
兵隊Aが笹竹の奥の雑木から血を流し よたよたと出てくる。
アイヌの少女メノコマキリを抜き身構 える。
○同・山中
エカシが走る。
少尉がエカシの姿を見つける。
銃声が山中に響く。
エカシが銃声に向かい走る。
少尉、エカシの後を追い走る。
銃声が響く。
○同・笹竹林
咆哮がこだまする。
兵隊Aが雑木に吹っ飛ぶ。
○同・雑木林
エカシ、走りながら山刀を抜く。
少尉、走りを止めウインチェスターラ イフルを構え始める。
○同・笹竹林
雑木にメノコマキリとタケノコが飛び 散る。
○同
エカシが山刀を振りかぶる。
少尉、エカシの肩越しにウインチェス ターライフルを構えている。
熊の影が立ち上がる。
影はエカシの体を凌駕する。
○同・滝
滝壺に三発の銃声が響く。
○同・沢
水が流れ落ちる。
流れ落ちた水が岩に当たる。
岩に当たった水が緩やかになる。
水が森を通る。
水が湖岸のコタンへと流れていく。
○湖の岸にあるコタン(夜)
家々に提灯が灯り通りに五色の天筆が はためく。
天筆が通りを埋め尽くす。
日章旗も天筆の中に混じっている。
○同・往来
アイヌの村人たち、子どもが楽しそう に歩いている。
吉田軍曹(21)と今一等兵(18)
その中をゆっくりと歩く。
吉田軍曹は拙攻の姿で肩にはカバーを 掛けたライフルがある。
今一等兵は大きな背嚢姿である。
○同・陸軍宿営地
陸軍宿営地は村はずれである。
○同
歩哨が二人、敬礼をする。
吉田軍曹と今一等兵が陸軍宿営地に入 る。
○陸軍宿営地内本部テント(内・夜)
テントの入口があいている。
整然とした本部テントでコタン宿営地 隊長の村田大尉(32)を囲み副隊長 佐々中尉(28)堀尾中尉(36)補 佐官桃井少尉(26)、寺内少尉(2 7)が参謀テーブルを囲んでゆっくり とウイスキーを飲んでいる。
○同
志曹長(41)が料理を運び士官テー ブルに載せる。
志曹長「おまたせいたしました」
村田大尉「志曹長も席につきなさい」
志曹長「は。ありがとうございます、ですが、」
吉田軍曹、今一等兵が入ってくる。
吉田軍曹「失礼致します。吉田入ります」
今一等兵「今一等兵入ります」
志曹長「なんだ貴様ら。いきなり姿を現しお って。戸口前での挨拶はなしか」
吉田軍曹、今一等兵、直立しなおす。
佐々中尉「曹長そう大きな声で話さずとも。 それに入口は開いてましたよ。さ、報 告してください」
志曹長「(憮然とする)」
吉田軍曹「報告致します。村内及び湖畔巡視 終了いたしました。異状ありません」
志曹長「あたりまえだ。貴様たちはいつから この村に駐屯している。この村田中隊 が駐屯してから異状は無いに決まって いるではないか。・・だが、異状なし の慣行はよろしい。だがテント入り口 で、」
佐々中尉「曹長。もういいでしょう。本部テ ントの入り口を開けているわけは隊の 皆も、村のアイヌも知っているのです から」
村田大尉「調理はもうよいから君も席に着き なさい」
志曹長、直立する。
村田大尉「吉田君に今君も休んでいきなさい。 君たちのことだ湖畔周り二十五キロ一 度も休んでいないのだろう」
堀尾中尉「一杯いただけ。イオマンテだ。曹 長」
志曹長「は」
堀尾中尉「彼らに一杯注いでやれ」
志曹長「は」
寺内少尉「曹長」
志曹長「は」
寺内少尉「・曹長」
志曹長「はっ」
村田大尉「志曹長」
志曹長、直立する。
村田大尉「隊のみんなにも今日からしばらく は皆が背負っている荷をおろせと伝え てください」
志曹長「(意味がわからず考える)」
村田大尉「イオマンテの祭りから七日間、皆 が休みをとれるようにしなさい。しば らくは辺境にいる緊張と気負っている 心を休めるように伝えてください」
志曹長「は」
村田大尉「張りすぎた糸は切れます。・・民 族同化政策など急がなくてもよい」
堀尾中尉、黙って酒を飲む。
佐々中尉、桃井少尉視線を合わせうな ずき酒を飲む。
寺内少尉、微笑み酒を飲む。
堀尾中尉、グラスを置き。
堀尾中尉「イオマンテのその後、いかがしま すか。選ばれた娘と一緒にコタンを守 ろうとする者が出たら」
村田大尉「(無言)」
寺内少尉「しきたり通りに山に登らせますか」
村田大尉「そうする。しきたりは守る」
堀尾中尉「そうですか。部隊の者が入って規 律は乱れませんか」
村田大尉「部隊は君たちがいるから大丈夫で しょう。村は長老のエカシが守ります。 この村は大丈夫です。そうだ吉田君、 今君、君たちも我々と一緒に席につか んか」
吉田軍曹、今一等兵、驚く。
志曹長、目で二人に合図を送る。
吉田軍曹「申し訳ありません。辞退致します」寺内少尉「それはいかん。辞退はいかん」
堀尾中尉「席に着け。曹長椅子をもて」
志曹長「は」
吉田軍曹「しかし、自分達は」
堀尾中尉「これは命令だ。曹長」
志曹長「は」
寺内少尉「曹長あまり、声を張りすぎるな」
志曹長「は」
桃井少尉「どうだ村の様子は。参道宿場もに ぎわっているだろうな。28年目の大 イオマンテだ。さ、お前たちももうよ いだろう。さあ銃をおろし休め。よろ しいですね、寺内少尉」
寺内少尉「もちろんだ。銃をおろし休め。よ ろしいでしょうか佐々中尉」
佐々中尉「もちろんです。君たち銃をおろし て休みなさい。そうだ、志曹長も一緒 に席に着きなさい。よろしいですね。 堀尾中尉」
堀尾中尉「むろんだ。巡視兵。銃をおろし休 め。曹長は席につけ。いかがですか村 田隊長」
村田大尉「もちろんだ堀尾中尉。さぁ曹長も 君たちも席に着きなさい。・さて、こ れは伝令遊びのようだな、曹長」
志曹長、直立する。
○陸軍宿営地内本部テント(外)
本部テントから夜空に笑い声が響く。
○夜空
十四夜の月が雲からのぞく。
○湖の岸にあるコタン(夜)
かがり火が燃える。
村人がムックリを鳴らす。
村人たちの笑い顔。
熊の入った木製の檻が北斗七星を模り 並ぶ。
北極星に当たる位置には、大きなかが り火が燃える。
かがり火の横に見上げるほどの朱塗り の櫓。
櫓の回りにも、黒漆の三方が小さな北 斗七星を模り置かれている。
村人が広場に集う。
人々のざわめきに落ち着かない熊たち。
女たちがムックリをならす。
人々が踊る。
男が炎に酒をかける。
酒が一瞬で激く燃え上がる。
落ちつかない七頭の熊。
村人と兵隊たち混じり合い笑い合う。
座っている者、立っている者。
各々が酒を飲み物を食べ笑い合う。
炎が空に舞う。
火の粉が空に吸い込まれる。
○夜空
星空。
十五夜の月が浮かぶ。
雲がかかり姿を隠す。
○湖の岸にあるコタン(夜)
焚き木が燃える。
エカシ(53)が焚き木と櫓の間に、 朱塗りの弓と三本の白羽の矢を背負い 立ち上がる。
その首にから頬に一筋の鋭い傷跡、そ して水晶のペンダントが光る。
皆が、エカシを見つめる。
静寂。
炎が風にあおられ勢いを増す。
飛び散る火の粉。
エカシ「長い年月心待ちにした日が近づいた。 かなわずに消えた想い。叶わぬ願い。 今宵皆が希望を託す。願いを叶える者 を選ぼう」
歓声があがり、そして静まる。
エカシ「いにしえより、イオマンテで選ばれ し娘はコタンの争いを治め、病を癒す ウエインカルの力を受ける。そして七 日後、村を守る正しき勇者を選ぶ」
歓声が低く湧く。
エカシ「今宵はその道しるべとなるピリカを 授かろう。さぁ二風谷の娘よ、おのが 分身となる品を持ち寄るがよい」
七人の娘たちが皆の中から立ち上がる。 七人の娘たち、生まれた順に熊の檻を 通り、エカシの周りに集まる。
ハルコ(16歳6月)は肌着を胸に抱 き抱えて歩く。
イタキ(16歳11月)は火打ち石入 れを右手に、燈明台を左手に持ち足早 に歩く。
サポ(17歳6月)はゴザを両手で強 くかかえて歩く。
ユキ(17歳8月)は、耳飾りと櫛を 盆に乗せゆっくりと歩く。
アサム(17歳9月)は上着を広げて 大切そうに持ち、歩く。
カリン(17歳10月)は鹿革の靴を 捧げ持ちながら慎重に歩く。
アンラム(17歳11月)が反物三反 を持ち熊の檻にゆっくりと近づく。
アンラムが熊の檻に近づく。
熊がおとなしくなる。
アンラム、熊の檻を通り過ぎる。
熊、次々に目を閉じ地に伏す。
娘たちがそれぞれの品を 櫓の回りの三 方に置く。
エカシ、七人の娘を見わたす。
木々が風に揺れる。
エカシが櫓に片足を乗せる。
その姿は炎に照らされて、蜃気楼のよ うである。
エカシ「カンナカムイの力をもって選ぶがよ い」
エカシ、スルスルと櫓に昇り始める。
エカシ、櫓の途中で止まる。
その姿が炎と空気の中で揺れる。
エカシ「カパッチリカムイよその翼でピリカ を選べ」
エカシ、更に登り森を見つめて止まる。
エカシ「モシリコルチよ、はずれし矢がなれ ば、ピリカを守る、力ある男を選ぶが よい」
エカシ、櫓のてっぺんに立つ。
その姿は月と重なり影となる。
風が吹き火の粉を櫓に舞い上げる。
エカシが髪をほどく。
風になびくエカシの髪。
雲が流れ月を覆い隠す。
エカシの姿も闇に隠れる。
エカシ、三本の矢を一度に弓につがえ、 天に向かいゆっくりと引き絞る。
弓がぎりぎりと引き絞られる。
雲が切れ、星空が見える。
エカシ「雷と鷲と火のカムイよ。皆の希を叶 えるピリカを選べ。七晩つづけ、三里 の道を駆ける試練」
弓がいよいよ引き絞られる。
エカシ「試練に耐える勇者の力。奮い立たせ るピリカを選べ」
風が櫓の下から巻き上がる。
エカシが矢を放つ。
三本の矢が星空に吸い込まれる。
フクロウの鳴き声が響く。
その声が静寂を呼ぶ。
矢の落ちてくる音が静寂を破る。
二本の矢が次々にアンラムの反物に刺 さる。
遅れた矢が落ちてくる
木の葉が風に揺れる。
矢が風に流される。
その矢、吉田軍曹の目の前に刺さる。
稲妻が一瞬空に走る。
エカシのペンダントがひかる。
雷鳴が一瞬鳴る。
ペンダントが砕け散る。
稲妻。
エカシの顔にエカシ(18)が重なる。
稲妻が空を走る。
○アンラムの家(内)
アンラム、母(33)、祖母(51) が板の間で一緒に反物の繕いをしてい る。
その奥にいろりのある土間。
土間でアンラムの祖父(50)と父(3 2)、吉田軍曹が酒を飲む。
祖父は北の風通しの高窓を背に座り、 父はその左の窓を背に、吉田軍曹は父 の正面に座っている。
その左に祖父。
父が祖父に酒を注ぐ出す。
吉田軍曹の酒杯は手つかずのままであ る。
いろりの中で、小枝が小さく音をたて
る。
○同
母と祖母、アンラムが反物の繕いをす る。
母が針に糸を通す。
母「今年は一人」
祖母、金糸を反物に縫いつけながら。
祖母「・・・(微笑む)」
母、反物に糸を縫いつけながら。
母「もう一人は男守り」
アンラム、反物を置き、土間に向かい。
アンラム「軍曹さんも社の中に入りたいです か、女から選んでもらいたいですか」
母「失礼ですよ」
吉田軍曹「いえ。私も男でありますから、社の中に入って、いや、三番男として山に登ってみたい気持ちはあります。ですが私はお嬢様の守りですから社には入りません」
アンラム「山の下で待っていたらどうですか」
吉田軍曹「それでは私の役目となりません」
母「あの坂を登られるのですか」
吉田軍曹「・・私は下では待ちません・・・ 無頼の輩が山を登るのを阻止します。 良き男をお嬢様が選べるように道を整 えます」
母「何を御自分の力となさるのですか」
吉田軍曹「私は、・・自分は遠目がききます。 よって銃には自信があります」
祖母「金物を持っては上れませんよ」
吉田軍曹「私はみなさんと同じ民族ではあり ませんから、」
祖父「今年エカシが許した」
祖母「ほぅ」
吉田軍曹「銃を持ってあがります」
父「それがなければからっきしだ」
吉田軍曹「・・」
祖父「しょうがない。時の変わり目だ」
吉田軍曹「祭りは守ります。お嬢様も守りま す」
母「この糸が見えますか」
吉田軍曹「もちろんであります。糸の色は朱 の色です」
父「ほう」
父、枝を折り火にくべる。
その左手首からのびる熊の爪痕。
小枝が小さな音を立ててはじける。
はじけた火の粉が北の風通しの窓から 外に出る。
火の粉が、月明かりにとける。
○山里の宿場
狭い往来に、屈強な男たちが熊の毛皮 や狼の毛皮、大きな干し魚などを手や 肩に担ぎ次々に入ってくる。
茶店や宿屋の客引きが、活気づく。
○山里の宿場・宿(内)
寝起きの布団。
少し乱れた夕餉の膳。
行商人の石井四郎(男・38)が浴衣 姿で宿の二階から宿場の往来を見てい る。
○同
石井四郎、閉まっている部屋のふすま をちらりと見るが、また外を見続ける。
神谷久(32)がふすまを開け部屋に
入ってくる。
神谷久「おじゃましますよ」
石井四郎、かまわず外を見続ける。
石井四郎「・・・」
神谷久、夕餉の膳を片付け布団をたた みながら。
神谷久「お客さん、何が珍しく・・・」
神谷久、石井四郎の姿を少し悲しくそ して懐かしそうに見つめる。
石井四郎「どうかしたかな」
神谷久「・・気に障ったら申しわけありませ んが。行商を始めなすって間もないこ とでしょうか」
石井四郎 「・なぜだね」
神谷久「はい。・・お客さんの連れてらっし ゃる空気が。離れた家族の者に似てお りました」
石井四郎「そうですか」
神谷久「つまらんこと言ってもうしわけあり ません。・・通りをめずらしそうに見 ていらっしゃる」
石井四郎「・男だらけだ。入ってくるのは」
神谷久「(口調が変わる)そうら、女奪いに 山に登るのですもの。それに山の神様 は女ですから、女が登ると嫉妬して怒 られますで。女は山に登られませんで しょうに」
石井四郎「そうだったね。それでその女を奪 うのかい」
神谷久「(クスッと笑い)十三夜のイオマン テで選ばれたピリカが社にいなさる。 そのピリカまで、今年一番の獲物を持 って男たちが先を競います。命をかけ て先を争うのです」
石井四郎「ほう」
神谷久「じつは男がピリカを奪うのではない のですよ。男が選ばれるのです。命を かけて山道を登り、社に三番手まで入 った三人の中からピリカが一人選びな さるのです」
石井四郎「女が男を選ぶのか」
神谷久「はい。毎年一人の女が三人の中から 一人選びます」
石井四郎「今年はどうなんだね」
神谷久「今年は二十八年目の大祭で、選ばれ るピリカは三人のはずでありました。 三人の登った男はみんなピリカと巡り 会えたはずでしたが」
石井四郎「そうではなかったのかな」
神谷久「はい、そうではなかったのです。白 羽の矢が二本同じ捧げ物にあたりまし たのです。それに外れた一本の矢は男 守りを選んだのです。ですからピリカ は一人であとは男一人です」
石井四郎「男守り、とはなんですか」
神谷久「ピリカを守る男の厄です。厄年の厄」
石井四郎「男厄とは。厄とは災いのことかな」
神谷久「そうです。ふさわしくない男を山か ら蹴落とすのですが、登ってもピリカ には選んでもらえんので厄なのです」
石井四郎「そうか。・・私も山に登ってみよ うか」
神谷久「申し訳ありませんがおやめなさった ほうがよろしいかと」
石井四郎「何でだね」
神谷久「白岩岳の坂道ご覧なさってください ませ。それに荒くれの男たちだらけで す。華奢なお客さんでは。まぁいらっ しゃればおわかりになりますけど」
石井四郎「そうかい。・・その日はいつなの ですかね」
神谷久「お客さん」
石井四郎「どうだろう。難儀なのだろうが、 私は登れるだろうか」
神谷久「お客さん」
石井四郎「私はあきらめないで山に登れるの だろうか、難儀を越えられるのだろう か」
神谷久「(見つめる)」
石井四郎「(空をみる)」
神谷久「お客さん」
石井四郎「どうでしょう。難儀を越えて登れ るでしょうか」
神谷久「命がかかるほどの、」
石井四郎「命をかけられる祭りはいつですか」
神谷久「・・明日ははふけ待ち月(20夜) ですから、四日後となりましょう」
石井四郎「見てみたいな」
神谷久「(見つめる)」
石井四郎「見るだけだな」
神谷久「(岩井の影を見る)」
石井四郎「ところで、どんな装束かね」
神谷久、正座し直して。
神谷久「お教え致します、おいでなさいませ」
○湖に立つ鳥居
鳥居から山の社へと続く石段。
エカシ、鳥居の下の湖水で顔を洗う。
顔が湖面に映る。
顔が若返っているが傷は残っている。
エカシ、階段を見上げ、駆け登る。
湖面を風が波だてる。
波が湖岸の岩にあたって砕ける。
○夜空
下弦夜の月(23夜)
○アンラムの家(内・夜)
明かりが灯っている。
母、衣を広げる。
祖母、髪飾りを整える。
父と祖父、いろりで酒を飲む。
アンラム「ばあさまもかあさまも白羽の矢が 立ちなされました。私にも立ちました。 ・・・私も教えていただいたように相 手の目の中を見つめて決めます」
祖母「ほぅ」
母「まっ」
アンラム「ばあさまは、じいいさまが持って いた狼の飾りを選びなされた。かあさ まは熊の爪の飾りをとうさまからいた だきなされた。そして、お二人は勇者 であった。村を守られた」
祖父「ほほっ」
アンラム「それに、大きな獲物を持つ者が心 正しい勇者とは限りません。本当に命 をかけた物とは限りません」
父「どうしてそれがわかる」
アンラム「心は目の中に宿ると教えていただ きました」
祖母「・・じいさまは良い顔つきの男であり ました」
祖父「ほ」
母「・・とうさまも良い顔だちでした。男前 です」
父「はは」
アンラム「お二人とも顔立ちで選びなされた のですか」
祖父、父、酒を注ぎ合う。
祖母、母、アンラム、三人が見つめ合 い笑いあう。
○陸軍宿営地内本部テント(内・夜)
吉田軍曹が下帯姿でカバーのかかった 銃を下げ立っている。
村田大尉、その姿を見つめる。
村田大尉「その姿でいくか」
吉田軍曹「はい」
村田大尉「どこまで登るつもりだ」
吉田軍曹「行けるところまで登ります」
村田大尉「そうか」
吉田軍曹「はい」
村田大尉「・・他の男は獲物を持ってのいる が、何を持っていくつもりだ」
吉田軍曹「山に持ち込む獲物はありません。 自分の誇れるものはこのライフル銃だ けです」
村田大尉「そうか」
吉田軍曹「はっ」
村田大尉、吉田軍曹に背を向け自分の 行李を開け、狼の牙でできた首飾りを 差し出す。
村田大尉「持って行け」
吉田軍曹「・・頂戴いたします」
○残雪の山に囲まれた湖の
空を雲が流れる。
○エカシの家(内)
エカシ(18)の手が小さな行李を開 ける。
エカシが若返っている。
行李の中にはメノコマキリと宝石の塊 がある。
○白岩岳・登り口
鳥居の先にガレ場の急な上り坂。
鳥居の前にひしめく下帯姿の屈強な男 たち。
毛皮を手にする者。
恵比寿俵を担ぐ者。
大きな干し魚を担ぐ者。
手に手に獲物を持ち、殺気だっている。
その男たちを囲む女たち。
女たち、手に手に柄杓や手桶を持ち、 男たちに水をかける。
男たちの体から湧き立つ湯気。
男たちが次々に吠え声を上げる。
男の中に若返ったエカシもいる。
男たちにもまれる、吉田軍曹。
その背にはカバーのかかった銃。
首には狼の首飾りが輝く。
吉田軍曹、男たちの中からもみ出され る。
小里志保利「お前さん登るのか。登れるのか」吉田軍曹「なんっ」
小里志保利「これ飲んで勢つけろ」
小里志保利、吉田軍曹に竹筒を渡す。 吉田軍曹、竹筒に口をつけ飲む。
吉田軍曹、目を見開く。
目が、小里志保利と見つめあう。
吉田軍曹、身震いをする。
石井四郎、その姿を荷を背負ったまま で見つめる。
神谷久が、石井四郎を見つめる。
石井四郎、荷を置き服を脱ぎはじめる。
○湖に立つ鳥居
アンラム、民族の正装で石段の上の社 を見つめる。
一歩踏み出す。
○白岩岳・登り口
男たちが足を踏みならす。
体から湧き立つ湯気。
足元から湧き立つ湯気。
回りを囲む女たちが、男たちに水をか け、酒を飲ませる。
その中で、エカシは酒を飲み山静かな 目で山を見つめる。
○同
男たち、体をぶつけもみ合う。
岩井四郎がその中にいる。
石井四郎、その腰には鐔と鞘を小袖の 生地で結わえた小刀がある。
吉田軍曹、岩井四郎の小刀に目をとめ ると、顔が引き締まり体に精気が満ち る。
○同
吉田軍曹、居並ぶ男をかいくぐり、ス ルスルと鳥居の上に身を置く。
小里志保利、その姿で目が熱くなる。
吉田軍曹、小里志保利を視界に入れ筒 の酒を飲み、流れるようにカバーから 銃を抜く。
銃はヘンリーライフルである。
吉田軍曹「(小里志保利を見る)」
小里志保利「 」
小里志保利、酒樽から柄杓を三本とり、 次々に空に向かい投げあげる。
○同・鳥居の上と空
空に柄杓がとぶ。
吉田軍曹、ヘンリーライフルを撃つ。
速射。
三本の柄杓が次々に、頭に穴が開き、 枝が三つに折れ粉々になって飛び散る。
○同・登り口
吉田軍曹、鳥居にスッと立つ。
静寂。
吉田軍曹「自分は男厄の役目なり。これより 金物、持ち込む事かなわず。よいか。 この銃のみ許されるものなり。心して 登れ。恥ずべき者は自分が討ち取る。 よいな」
吉田軍曹、銃身を回転させ三発速射す る。
吉田軍曹「よいな」
男たちの血気がわき上がる。
○同
石井四郎、振り向く。
石井四郎の目に映る神谷久の姿。
石井四郎、その腰から小刀を抜き神谷 久に渡す。
神谷久、かんざしを抜き、石井四郎に 渡し、目を閉じ小さく頭を下げる。
石井四郎、かんざしを腰に差す。
○同
屈強な男①「うおー」
屈強な男②「うおー」
吠え声が一面に広がる。
石井四郎、目が戦意に満ちる。
エカシ、一文字に結んだ口。
○森の沢のよどみ(回想)
エカシ(18)が血まみれで流れ着い ている。
エカシに近づく狼。
狼、一匹の子狼を連れている。
子狼、エカシに近寄り顔の傷をなめる。
狼、エカシの顔をのぞき込む。
エカシ、右目を開け見つめ返す。
その瞳。
○白岩岳・登り口
吉田軍曹、鳥居の下に立つ。
登り口に、男たちを取り囲む女たちの 熱気と男たちの熱いうねりが充満する。
小里志保利「いつじゃー。いつはじめるー」
屈強な男③「うおぉぉー」
囲む女たちの手から手、桶や柄杓で一 斉に水がかけられる。
手桶が飛ぶ。
柄杓が飛ぶ。
手桶が跳び、鳥居にあたり砕ける。
吉田軍曹「(一言叫ぶ)」
石井四郎「(嗤いながら叫ぶ)」
エカシ「長老よ。これが約束か。生きている 意味なのか」
男たち、吠え声と共に鳥居の登り口に 殺到する
男たち、坂道を上りはじめる。
男たちの罵声と吠え声。
女たちの嬌声。
屈強な男④、坂道を転げ落ちる。
その上を踏みのぼる足。
男たち肩をぶつけあい、坂道を登る。
屈強な男⑤、頭を蹴られ転げ落ちてく る。
叫ぶ女たち。
笑う女たち。
嬌声をあげる女たち。
吉田軍曹、頭を上げ振り向く。
小里志保利「(嬌声で声がとどかない)」
吉田軍曹「(うなずき、叫ぶ)」
男たちの嬌声。
女の罵声。
石井四郎、立ち上がり坂道を這い上が りはじめる。
○残雪の山に囲まれた湖
湖面に雲の影が映る。
湖岸の木々の枝が揺れはじめる。
湖面が波立つ。
○白岩岳・参道
男たちがひしめき登っている。
石井四郎、その中で目を輝かせ口元の 笑みが絶えない。
○山の社
アンラム社を見つめ立つ。
○残雪の山に囲まれた湖
湖面が激しく波立つ。
白い稲妻が湖面を走る。
雷鳴が湖面を揺らす。
雨が堰を切ったように降り出す。
湖面を叩く雨。
湖岸が雨でかすむ。
○白岩岳・参道
社に続く道に大木が連なる。
激しい雨と雷。
稲妻が木々の上を走る。
○山の社(内)
アンラム、目を閉じ座っている。
激しい雨音。
稲妻が社の隙間から漏れ入る。
雷鳴がとどろく。
○白岩岳・参道
激しい雨にあられが混じり降る。
エカシの頬をあられが叩く。
雷鳴が参道脇の木をゆらす。
稲妻が森の木々を伝う。
岩井四郎、雨と汗と泥にまみれ坂道を 登る。
吉田軍曹、先頭を切って登る。
○山の社(内)
総黒漆塗。
アンラム、中央に目を閉じ座っている
激しい雨とあられの音。
とどろく雷鳴。
明かり取りから雷が板の間を走る。
○白岩岳・参道
激しい雨と稲妻。
雷が参道脇の木に落ちる。
その木が雨の中で燃える。
○山の社(内)
稲妻が社の中を走る。
アンラムの顔が稲妻に浮かぶ。
○白岩岳・参道
石井四郎の顔が稲妻に浮かぶ。
その口元に笑みが漂う。
腰のかんざしを握る。
○山の社
屋根の上をかすめる稲妻。
雨が屋根を破り通すように降る。
雷鳴が社を揺らすようである。
○白岩岳・参道
社近くの細い急坂。
雨、いよいよ激しくなる。
雷が、うなるように鳴る。
稲妻が、急坂を伝い空に登る。
稲妻が脇の大木に落ち参道をふさぐ。
○山の社
雨が坂道を流れる。
稲妻が社の背面から空に登る
稲妻が空を横に走る。
稲妻が傍らの杉めがけ走る。
○同・(内)
アンラム、目を閉じ座っている。
○山の社
空が青白く光る。
雷鳴。
あられが降る。
稲妻が激しく急坂を駆け下る。
○白岩岳・参道
吉田軍曹の背負う銃。
石井四郎のかんざし。
エカシの顔の傷が稲妻に浮かぶ。
三人の目に社が浮かぶ。
○山の社
風が巻き上がる。
雷鳴。
風が木々を押しつぶすように吹く。
雷鳴。
あられが雹に変わる。
雹が木々の葉を破り、屋根に波のよう に降る。
稲妻。
風が吹く。
雹がやむ。
雷鳴。
稲妻。
生木を裂くような轟音。
脇の杉が裂け、裂け目に火が走る。
焼けた杉が屋根に倒れる。
○同・(内)
アンラムが座っている。
アンラム、気配に目を見開く。
屋根を破る焼けた杉。
エカシ、社に飛び込んでくる。
吉田軍曹、エカシにつづく。
石井四郎、一瞬後につづく。
雷鳴。
小石ほどの雹が降る。
小枝が折れる。
雹が土にめり込む。
風が激しく吹く。
雷鳴。
雹が激しく降る。
木の枝が折れる。
雹が屋根を突き破る。
稲妻と轟音が社に突き刺さる。
○残雪の山に囲まれた湖
黒雲が薄れる。
湖の周りの山々が、淡く輝く。
雲間から天使のはしごが三筋さす。
○山の社
杉の木が屋根を突き破っている。
○同・(内)
屋根の破片と木っ端が散らばる。
裂けた杉が屋根からめり込み、幹が床 板を破り枝を床に伸ばす。
吉田軍曹の銃が破った床と地面を結ぶ。
石井四郎と吉田軍曹、頭や顔から血を 流し折り重なる。
その下にエカシ。
エカシ両腕の肘を張りうつぶせながら 目を開いている。
その腕中に。
アンラムが目を開いている。
アンラムはエカシに、エカシは吉田軍 曹と石井四郎の下に折り重なる。
○夜空
下弦の月。
雲がうっすらとかかる。
○湖に立つ鳥居(夜)
漆黒の湖。
石段に明かりが灯もり社までつづく。
エカシ、石段をぎこちない足取りで下 りてくる。
アンラム、その姿を見つめる。
○同
エカシ、アンラム、石段を背に焚き 火を囲んで座っている。
アンラム「私が会いに来ます。お前様は火を たいて待っていてくださいませ」
エカシ「それでは」
アンラム「皆の願いもあります」
エカシ「よいのか」
アンラム「はい」
エカシ「ありがたい」
○同
湖の波が、焚き火を映す。
エカシ「コロボックルの約束でこのエカシだ」
アンラム「・・どんな事があっても不思議で はありません。社で守ってくださった 方は御三人。確かにいてくださった御 三人の中から私が選びました。あなた 様を私が選ばせていただきました」
エカシ「アンラム」
アンラム「明日から七日の間。この火を目指 してまいります」
焚き火から火の粉が空に舞い、闇に消 える。
○山里の宿場・宿(内・夜)
石井四郎、頭に包帯を巻かれ、小綺麗 な布団に寝かされている。
枕元に小さな明かり。
明かりの下に小刀と荷物。
神谷久、仕事着のまま足元に正座して いる。
その髪に焦げたかんざしを挿す。
○雪の山に囲まれた湖(朝)
日の出。
月が同じ空に残る。
○湖に立つ鳥居
鳥居に波が寄せる。
○同・(夜)
暗闇に火が灯る。
○湖畔(夜)
アンラムが湖畔を走る。
○湖に立つ鳥居(夜)
焚き火が燃える。
エカシ、焚き火の前に座っている。
○湖畔(夜)
小雨が降り始める。
闇に焚き火の明かりがうかぶ。
○湖畔(夜)
アンラム、小雨の中、胸に竹筒を抱き 走る。
○湖に立つ鳥居(夜)
アンラム、エカシ、焚き火をはさみ向 かい合っている。
エカシ、竹筒に口をつける。
エカシ「温い」
アンラム「そうですか」
○湖
朝日が射す。
湖畔の空気が日に輝く。
○コタン・陸軍宿営地
歩哨①と歩哨②が立っている。
歩哨①「軍曹はどうかな。生きているかな」
歩哨②「まだ2日の夜じゃ」
歩哨日「そうだな」
二人の肩越しに陸軍宿営地内を歩く小 里志保利の姿が見える。
○湖(夜)
湖面に星がうつる。
ダイヤモンドダストが湖に舞う。
○湖畔(夜)
アンラム、薄氷を割り走る。
○山里の宿場・宿(内・)
石井四郎の顔、ひげが少し伸びている。
神谷久、丸に揚羽の紋付きを着て石井 四郎の足元に正座している。
石井四郎、目を開ける。
神谷久「三日目でございます」
石井四郎「うむ」
神谷久「不覚をとられました」
石井四郎「不覚であった」
石井四郎、口元を緩ます。
○湖に立つ鳥居(夜)
雪が降っている。
雪が焚き火の上に降る。
エカシ、アンラム、焚き火を囲んでい る。
エカシ、竹筒に口を付け飲む。
アンラム、竹筒を持ちその様子を見る。
エカシ「酒が熱い」
アンラム「・・あなた様のことを想い走って いると熱くなりました」
エカシ「(微笑む)」
雑木に雪が降る。
笹の葉に雪が積もる。
○コタン・陸軍宿営地(夜)
歩哨①と歩哨②が立っている。
小里志保利が宿営地から出てくる。
○同
小里志保利、歩哨に礼をして通る。 歩哨①と歩哨②共に声をかける。
歩哨①「気が付かれたか」
歩哨②「軍曹殿はいかがだ」
歩哨①「四日目だぞ」
小里志保利、振り向き小さく微笑む。
その顔に、雪がちらつく。
○湖面(夜)
雪が落ちては消える。
雪が降りつづく。
○湖に立つ鳥居(夜)
雪が膝下まで積もっている。
雪が焚き火に降る。
エカシ、ぎこちない足で焚き火の回り の雪を踏む。
エカシ「アンラム」
雑木の枝から雪が落ちる。
アンラム、雑木の藪から出てくる。
その手に一匹のウズラ。
アンラム「走っておりましたらウズラがぶつ かってまいりました」
エカシ「・・寒くはなかったのかい」
アンラム「あなた様のことを想うと雪は温こ うございました。雪も溶けました」
エカシ「そうか」
アンラム、微笑む。
○コタン・陸軍宿営地(朝)
雪が降っている。
雪が足首ほどに積もっている。
歩哨③と歩哨④が立っている。
小里志保利が、手に桶を持ち、宿営地 に歩いてくる。
○湖に立つ鳥居(夕)
雪が降っている。
雪が膝丈ほど積もっている。
エカシ、焚き火に小枝をくべる。
小枝がはじける。
雑木の枝から、つもった雪がザワザワ と落ちる。、
猟師、雪の藪をかき分け出てくる。
猟師「へへへ」
○夜空
牡丹雪が空を埋めて降る。
牡丹雪の結晶が見える。
○湖に立つ鳥居(夜)
焚き火に肉が焼けている。
火が燃える。
猟師、肉を掴み頬ばる。
猟師「たいしたものじゃの」
エカシ「はい」
猟師「そのような話、聞いたこともない。お なごが三里を走るとは」
エカシ「そうですか」
猟師「じゃが、この雪では走れん。どうした ものかの。へへへ。へっへっへ」
○湖(夜)
牡丹雪が湖面に降る。
湖に立つ鳥居(夜)
猟師、口をぬぐい、身支度を整える。
猟師「この雪じゃ。おなごが走れるものか。 ましてや五日目の夜じゃで」
焚き火に、溢れた肉の脂が音をたて燃 える。
猟師、藪の雪をかき分け中に消える。
藪の中から、声が響く。
猟師(声)「女が五晩、三里を走れるものか」
○コタン・湖の岸(夜)
雪が降っている。
雪が腰丈に積もる。
アンラム、対岸を見つめる。
対岸に火が灯る。
雪がやむ。
○湖(夜)
取り囲む山の雪明かり。
○湖に立つ鳥居(夜)
焚き火。
エカシ「アンラム」
エカシ、振り向くとアンラムが焚き火 の前に裸で立つ。
その両手に握られた二匹の魚。
アンラム「走れませんでしたから、泳いでま いりました。あなた様のことを想って おりますと魚が二匹よってまいりまし た」
アンラムの笑顔。
○湖に立つ鳥居(夜)
雪が雑木に積もっている。
エカシ、組み終わった焚き木に火をつ けようとする。
雑木の雪が落ちる。
行商人が雑木の藪をかき分け出てくる。行商人「ちょうどよいところでしたな。火を つけましょうか。それにしても、何を なさっているのかな」
行商人、荷ををおろす。
○同
焚き木が燃えている。
行商人「ほう。ほう。なんと。なんと。三里 の雪道を走ると。走っていると竹筒の 酒が温くなる。雪のこの時期、ウズラ が飛んできたと。・・雪がふり走れん となると、湖を泳いできたと。・・泳 いでいると魚がよってきたと。ほうほ う。不思議だ不思議なもんだ。・・・ しかし合点がいきませんな」
エカシ「そうですか」
行商人「合点がいきませんな。・・お前さん の想い人などわしには関係ないが。・ ・・・あなた様の想い人などわしには 縁のないこと。じゃがなぁ。じゃがな あぁ。諸国を商いで回りましたが聞い たことのない話ですな」
エカシ「そうですか」
たき火が小さく崩れる。
行商人「魔物が付いているんでないですかな」
火の粉が小さく飛ぶ。
行商人「戯言ですよ。それでは」
行商人、荷を背負い雑木の中に入って いく。
エカシ「そうか」
〇同
エカシ「アンラム」
雑木の雪が落ちる。
アンラム、雑木の中から一匹の魚を抱 え、裸で出てくる。
〇雪の山に囲まれた湖(朝)
波が岸によせる。
湖岸一面の霧氷。
太陽に木々が光る。
〇湖に立つ鳥居(夕)
エカシ、焚き木を組もうとしている。
錫杖の音があたりに響く。
藪の雪がガザリと落ちる。
坊主、錫杖を鳴らし腕から先に藪を? き分け、のそりと出てくる。
坊主「何をしておいでかな」
エカシ「は」
坊主、ニヤリと笑い、エカシに近づき、 すぐそばにしゃがみ込む。
〇コタン
夕陽がコタンを染める。
〇湖に立つ鳥居(日没)
焚き木が組みあがっていない。
エカシ、坊主、向かい合い座ってい る。
坊主、寂静を鳴らし立ち上がる。
坊主「そのような話聞いたこともない。生身 の人間が氷の水を泳げることなどでき るわけがない」
エカシ「・・」
坊主「丈筒の酒が温かくなり、獲物が自ら寄 ってくなど」
エカシ「・・・」
坊主「よいか。この湖の水。氷と同じなり。 生きている者が泳げるはずなどありわ しない。まして、泳げば魚が近づくな ど。・・泳いでいるうちに二匹の魚が 寄ってくるなど。・・さらに次の日に は大魚となるとは」
エカシ「・・・」
坊主「よく考えてみなされ」
エカシ「・・・」
坊主「よく考えなされ。取り殺すなぞの話は、 あまたの数がありますぞ。人にあらぬ 者が好いた人を取り殺す話は数多くあ りますぞ」
エカシ「・・・」
坊主「この女もその類と見たり。よくよく心 しておかれよ」
坊主、錫杖を鳴らし、印を切る。
坊主「よいか。心するべし」
エカシ「・」
坊主「よいな。今宵は大荒れとなる。空に星 は出ず。月も新月なれば、おぬしの明 かりが唯一に目印となる。決して火を 焚いてはならぬ。」
坊主、錫杖を突き刺し、両手で印を組 む。
坊主「行き場を失った魔物を湖の底に沈める のじゃ。決して火を焚いてはならぬ。
よいな、火を焚かずに湖の底に沈める のじゃ」
エカシ「・・」
坊主「荒れ果てる湖の底に沈めるのですぞ」 坊主、錫杖をエカシの頭にかざす。坊主「・・(何事かつぶやく)」
坊主、錫杖をならし雑木に入っていく。坊主(声)「火を焚いてはならぬ」
エカシ、対岸を見つめる。
雷が、遠くでなる。
〇同・(夜・新月)
湖、漆黒の闇。
焚き木、組みあがっていない。
雑木の枝、風に揺れる。
エカシ、足を湖に入れる。
エカシ、目を閉じる。
波が、大きく足にかかる。
エカシ、目を開く。
〇湖の対岸(夜・新月)
アンラム、湖の岸に立つ。
湖、岸より先は漆黒の闇。
木々が風に揺れ始める。
アンラム、足を湖に入れる。
波が、大きく足にかかる。
アンラムの衣が風に飛ばされ、木の枝 に掛かる。
稲妻が湖面に走る。
〇コタン・陸軍宿営地(夜)
テントの屋根にあられが落ちてくる。
〇同・傷病者用テント(内)
吉田軍曹、上半身を包帯で巻かれうつ 伏せで寝ている。
顔は右を向いている。
小里志保利、湯桶を持ちテントに入っ てくる。
吉田軍曹の足を丁寧に拭きはじめる。
小里志保利の顔。
〇同・(外)
雹が降る。
〇同・(内)
小里志保利、吉田軍曹の足を拭いてい る。
雹の音が止む。
吉田軍曹、ゆっくりと目を開ける。
〇雪の山に囲まれた湖(夜・新月) 湖面にさざ波が立つ。
雲が切れ、星の輝きが湖面に映る。
ゆっくりと星空が湖面を覆いつくす。
〇同・湖面
エカシの手。
アンラムの手。
近づき、握り合う。
その間を、小魚が跳ね飛び越す。
終わり
参考資料
家紋事典 大熊三好 金園社
空の名前 高橋健司 光琳社
誕生日事典 ゲイリーオールド 牧人舎
シュタイナー
文様の事典 岡登貞治 東京堂
アイヌ民族 本多勝一 朝日新聞社
日本史人物事典 児玉幸多 講談社
新しい歴史