走れ道灌(1476年、豊島家討伐前夜)
文明八年(1476年)三月。武蔵の国。石神井城。夜。
豊島泰経は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の太田道灌を除かなければならぬと決意した。泰経には上方の事情はわからぬ。泰経は、武蔵の殿原である。関東管領の被官となり、古河公方との戦に奉公して暮らしてきた。けれども一族の面子に対しては、人一倍に敏感であった。
「アニキ。道灌のヤツを許すわけにはいかんぞ」
豊島泰明が小太りな体を揺らして吼える。
泰明は泰経の再従弟だ。南武蔵の殿原のひとりとして、練馬一帯を差配している。
「もちろんだ。必ずワビをいれさせる」
「あいつは熊野権現への信心がない。ヘタクソな歌ばかりひねりおって。何が蓑だ。掛け言葉のつもりか。浅ましい」
「おうよ。夢よりもはかなき身のにしてやろうぞ」
武蔵七頭の分家筋にあたる豊島氏は、祖をたどればアフリカ出身である。彼の地で狩猟の技を磨いたあと、思うところあってか、数万年前にユーラシア大陸に進出した。それからは血族集団単位で放浪を続けて東アジアへ到達。海を渡り、日本列島へとたどり着いた。
その後も紆余曲折あり、田堵に率いられた開拓集団が稲作と共に水の豊富な関東へ移住してきたのが、豊島氏の母系血統的に直系の先祖である。およそ千年近く前のことだ。
米には神が宿る。
粟や稗、蕎麦といった他の穀類と比較しても、米の持つ血糖値上昇指数は際立っている。米を食べれば元気になるのだ。常に空きっ腹を抱えて生きてきた古代の日本人は、米に神を見出し、米を愛し、神仏の加護を米に託して団結した。
豊島氏も例外ではない。荒川水系の石神井川流域は、水が豊富であるがゆえに、水害もまた多い。治水技術が未発達な古代から中世にかけては、神仏の加護に頼るしかなかった。
そして知った。神仏は、新しいのに限ると。
土を盛った古墳で祀った土着神は悪くないが、加護が足りない。かといって、大陸渡来の国際的な仏神に頼っては、ヘソを曲げた国津神が荒御魂に転神していかなる呪詛をもたらすかしれたものではなかった。
間を取って選ばれたのが、日本の固有神と大陸の渡来仏を習合して本地垂迹した熊野権現だった。
豊島氏は熊野権現を勧請して各地に神社を建て、信仰を足がかりに一帯を統治してきた。
災害列島である日本において、統治の正当性は災害支援に拠る。
権力は常に下から上へ捧げるものだ。困っている時に助けてくれない統治者に権力を差し出す者はいない。面従腹背。頭は下げても舌をだす。
豊島氏は、水害対策として、物流に力を尽くした。
各地の高台に建設した神社を足がかりに、舟運と馬借を駆使して、年貢や奉納で蓄えた米を被災地へ運ぶのだ。
コンテナもフォークリフトもない時代の物流である。担送は肉体労働だ。
豊島氏は、物流に力を尽くすことで、一帯の人足たちの元締めとなり、荒くれ者どもの親分の役割を求められた。
親分は、子分を守るものだ。
「溜井組の仇をとらんとな」
「おうよ!」
災害時の配送が主目的であった熊野権現だったが、近年になって、新たな仕事が増えた。古河公方との戦のため、五十子陣へ物資を届ける仕事である。
小遣い稼ぎになるが、戦に近づくわけだから危険もある。戦での手傷や討ち死には、武士にとっては立派な奉公であるが、物資を運ぶ人足には損しかない。
これまで、豊島氏は、武士と人足の間に立って、調整役をこなしてきた。
その権益を、横から侵食してきたものがいる。
関東管領山内上杉家の分家筋である、扇谷上杉家の家宰、太田六佐資長。今は出家して道灌を名乗っている。
道灌は、古河公方との戦を有利に進める名目で、豊島氏が握る物流に関わる権益を横から掻っ攫いにきたのだ。
あの手この手で物流の邪魔をし、人足から相談を持ちかけられた豊島氏が抗議しても頑として聞く耳をもたない。それでいて困り果てた人足が豊島氏の頭ごしに道灌を頼れば、下にも置かぬもてなしをして許認可を発行する。
道灌の狙いは明らかだった。調整役としての豊島氏の面子を潰すことで、舟運や馬借の利権を奪おうというのだ。
特に今回は川湊での諍いで、豊島氏に近い溜井組の人足に死者まででている。豊島氏の代表として、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「それで相談がある。泰明よ。道灌と戦となれば、練馬の兵をいかほど集められる」
「む」
泰経の問いに、泰明は、居心地悪そうに、熊のような体を縮こまらせた。
「ヤツがこちらに攻めてくれば、百や二百はすぐにでも。前日に触れを回せば三百は集められる。だが、こちらがヤツのいる江戸城に攻めかかるとなると……」
「難しいか」
「いかに道灌が佞臣といえど、主筋の家宰だからな……」
「わかってる。こちらから江戸城へ攻め込むつもりはない。筋が立たんからな」
豊島氏は、平安の昔からこの地を治める地方領主、国人として関東管領に所領安堵された身だ。これまでの古河公方との戦いでも、関東管領側に与力して奉公してきた。
道灌と戦うことになれば、家臣同士の争いとなる。
「そうか。それなら三百だ」
泰明は、露骨に安堵した顔になる。
「だが、どうやって道灌を動かす?」
「これを使う」
泰経は、一枚の書状を広げてみせた。
記された花押をみて、泰明が瞠目する。
花押は、ふたりもよく知る長尾孫四郎景春のものだった。少し前には、五十子陣で共に戦ったこともある猛将だ。
内容は、関東管領の威を借りて恣をする叔父の長尾忠景の非を鳴らし、志あるものは自分に合力せよ、というものだった。
「これは……孫四郎殿の決起文ではないか。アニキ、この話にのるのか?」
「のらん。それこそスジが通らん。だが、利用はさせてもらう」
泰経は、豊島氏が景春側についたかのような噂を広げることで、道灌を釣り出せると考えていた。
攻める戦ならともかく、守る戦なら地の利がある豊島氏が優位だ。あとは時間を稼いでいる間に、景春の書状にもある長尾忠景へ働きかけ、忠景から関東管領を通して扇谷上杉家と話をつけ、道灌を止めればよい。
扇谷の家中でも、身勝手な道灌の動きは嫌われている。それを利用するのだ。
「泰明。お前は練馬城で守りに徹すればよい。その間に、わしが各所に働きかけて、上から道灌を止める」
「わかった。任せてくれ、アニキ」
泰明は太い腕で、どん、と胸を叩いた。
泰経は頷いた。豊島氏が守るべきは、この地を治める殿原としての権益であり、道灌の首級ではない。
戦って勝つばかりが、戦ではないのだ。
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同時刻。江戸城。
僧形の男が出陣の支度を整えていた。
男の名は、太田道灌。この江戸城の主でもある。
「……ま、そのくらいのことは考えてるだろうなあ」
「は?」
皮肉げな道灌の呟きに、世話役の小者が反応する。
「気にするな。独白だ」
「はあ」
猛烈に頭の回転が早い道灌の言葉は、身近なものですら意味不明なことが多い。小者は理解するのを諦めて支度を手伝う。
──甘いぞ豊島泰経。そこまで策をめぐらせておきながら、なぜ、それがしの真の狙いがわからぬ。
道灌は歌会人脈を通して、周囲の動きを常に探っている。その中には豊島氏の動きも、そして山内上杉家の動きも含まれる。
──今の世の乱れは、鎌倉府体制そのものが矛盾を内包しているせいだ。これで安定稼働するはずがない。
本家と分家。
嫡男と庶子。
兄と弟。叔父と甥。
長尾景春の決起も、家宰職をめぐる叔父(忠景)と甥(孫四郎)の対立が発端である。
──それがしが調停した今川家の争いも同じであったな。ひとまずは分家の小鹿範満に継がせたが、本家の竜王丸とてこのまま引き下がりはすまい。何しろあちらは将軍側近の伊勢家が支援している。五年、十年先にまた乱れることとなろう。
人が儚い存在である以上、継承者の予備は常に必要だ。
だが、予備の存在そのものが、新たな火種となるのが人の世である。
では、どうすればよいのか。
──火種が悪心を起こしても炎上せぬよう、権威と権力を切り離して再配置する。
鎌倉公方と関東管領。ふたつの権威が同じ関東にあるのが間違いなのだ。
道灌のみるところ、今の関東に公方という権威は邪魔になるだけで必要ない。
かといって……
「わしが公方様を消去することはできんからな」
「?!」
ポロリと漏れた道灌の独白に、世話役がビクリと背を震わせる。何も聞かなかったことにしているようだが、顔が強張っている。
──ふむ。
不用意な言葉をわざと漏らして相手の反応を探るのが道灌のやり口だ。嫌われる行為だと道灌自身わかってはいるのだが、便利なのでやめられない。
──それがしの手の届く範囲で、できることをやる。
道灌は目の前の目標に意識を切り替える。
大事なのは、未来の選択肢を増やすこと。
父道真と共に享徳の大乱を戦ってきた経験から、道灌はひとつの打ち筋を見つけてある。
──この乱世に求められているのは、権威と権力を一体化させることだ。権威の及ぶ範囲は小さくなるだろうが、外部の介入を防ぐ力を権威自らが握るのだ。
乱世における力とは、武力だ。
今の鎌倉府体制は権威と権力を分けている。公方にせよ関東管領にせよ、自分では武力を掌握していない。
武家政権の本質は、名前と裏腹に、軍縮思想である。日本は大陸のすぐ隣の海に浮かぶ海洋国家ならぬ湖上国家であるから、たとえ専守防衛であっても、律令軍団という予算ばかりバカ食いする常備軍と相性がよくない。
最小限の軍事力で国体を維持するため、平安時代には早くも軍団が解体され、地方の武士団が武力を担った。その思想は、元寇や南北朝の動乱を経ても変化していない──が、とうに限界だと道灌は見ている。
──いきなり銭がかかる常備軍を増やすのは難しい。その前段階として、城の形で兵糧を蓄え、非常時に兵を運用する策源地を充実させる。
策源を充実させるため、策源地につながる補給ルートを強化する。今回でいえば、それは道灌のいる江戸城だ。
──豊島泰経。そなたはよい殿原であったが、そなたがもつ物流の利権がいけないのだよ。
これまで策源としての五十子陣が機能していたのは、豊島氏ら関東の国人に物流を任せることができたからだ。
長尾景春。孫四郎もそのことをわかっている。だから、物流に楔を打ち込む鉢形に拠点を築いた。
──こちらの脆弱性が何か、わかっておる。さすが孫四郎よ。槍働きだけの猪武者ではないわ。
ここで景春を鉢形から追い払っても、物流を外部委託したままでは、何度でも同じことが起きる。そこに、道灌が手当てすべき穴がある。
江戸城への物流は、江戸城で握るのだ。
──ま、今回は勝てるな。
道灌の目標を見誤っている豊島氏なぞ、怖くない。話し合いで決着をつけるつもりだろうが、そうはいかない。蹂躙して、全部奪う。
怖いのは、扇谷上杉家内における、道灌への反発だ。
──家中の調整は五郎殿に骨を折っていただこう。そのくらいのことはできる方だし、そうでなくては困る。
かつて五十子陣で、孫四郎と共に肩を並べて戦ったこともある扇谷上杉五郎定正を、道灌は高く評価している。
道灌の高い評価とは、自分の目的のためこき使うという意味でもあるので、定正の眉間の皺が深くなるのだが。
──それがしの役目は、扇谷家を、公方や管領の後ろ盾なくとも独立して戦える守護にすることだ……ふむ。
今の室町幕府における守護職は、あくまで領国の治安維持を目的とした受け身の存在だ。
道灌が目指す、自立して戦う大名は受け身であってはよくない。
もっとふさわしい言葉がないか、道灌は頭を撫でる。
乱世に適応した、戦う大名。乱世大名。いや──
「戦国大名」
僧形の男は独白し、ニヤリと笑った。