エリーは語る②
かの有名な『初恋のエリー』に呼びだされて再び書庫を訪れたのは、真夜中の日付が変わろうという頃。
扉を開けると、寝着の上にローブを羽織ったエリーこと皇太子妃エレーナが、月の光の元に立っていた。
「侯爵……1人で来てって言ったじゃない」
僕の後ろで頭を下げて控える侍女を見咎めて、エレーナは眉間に皺を寄せる。
「何もないとはいえ、こんな夜更けに男女が2人きりで会うなどと…万が一にでも誰かに誤解されエレーナ妃殿下の名に傷をつける訳にはいきませんからね」
「でも……」
「この者は事情を知っていますからご安心ください。僕は国王陛下の不利益になるようなことは致しません」
「………噂に違わぬ忠臣なのね」
「恐れ入ります」
「ーーでは、私の言いたいことも分かっているわね?」
険しい顔で威圧をしてくるエレーナを、僕はじっと見据えた。
自分がニセモノである事を世間にはくれぐれも黙っていろ、と釘を刺そうとしているのだろう。
「世間を巻き込んで…愚かなエリビアが自死までして、もう後戻りなんてできないわ。いい?帝国と揉めたら我が国は危機にさらされるのよ?ジュリアスはこれで初恋への執念から解き放たれて、私を愛するようになるはず。私がこのまま帝国の皇太子妃で居続ければ、すべてが穏便に済む話なの!」
「ーー我が国が危機に晒される前に、お姉様の首が危機に晒されるのではなくって?」
強い口調で声を上げたのは僕の後ろに控えていた侍女……
ではなく、侍女に扮していたリビーだった。
+++++++
「エリビア……生きていたのね……」
エレーナは別段驚くでもなく、暗い瞳で妹を見据えた。
ここまで来てしまったら、もう大抵のことでは驚きもしないのだろう。
僕の方こそ、事前に2人で決めた段取りを無視して早々にリビーが出てきたことに驚いている。
僕がリビーを守るように半歩前に進み出ると、エレーナは皮肉げに口の端を上げた。
「なあに?私がまるで悪者みたいじゃない」
「私にとってはじゅうぶん悪者よ。お姉様も、ジュリアスも」
「……悪者を退治するために、冥府から蘇ってきたとでもいうの?」
「相変わらず物言いが芝居がかっているわね、お姉さま。私は別に退治なんてしないわ。わざわざ私が退治するまでもないもの」
「………どういうことよ?」
不安そうに唇を噛み締めるエレーナに、リビーは怒りのこもった静かな声で告げた。
「………安心して、お姉様。私も侯爵も『初恋のエリー』の真実を世間にバラしたりはしないわ」
「本当に?本当にバラさないって約束するわね………?」
「約束するわ。お姉様が私の言う約束を守ってくれたら……」
「…………何よ?聞いてあげないでもないけど?」
「ーーこれから先…何があってもジュリアスの妻の座を手放さないこと。それだけ約束してほしいの」
「……なによ…そんなこと?言われるまでもなく手放したりなんかしないわ」
「約束を守らなかったらその時は……」
「守る守る!守るわよ!偉そうに私に指図しないで!」
この後に及んで自分が優位に立っているかのような態度のエレーナを見て(まったく分かってないな……)と呆れてしまう。
しかし、リビーがこれ以上何も言わなかったので僕から何かを言うことはない。
ーー久しぶりの、或いは最後の姉妹の邂逅は、あっという間に終わった。
リビーと2人で屋敷に帰る馬車に乗り込んだ僕は、おもむろに口を開いた。
「……がんばったね、リビー。エレーナと対峙するのは怖かっただろうに」
リビーは硬い表情で頷くと、ポツリと呟いた。
「これですべてが済んだのよ…決別も…復讐も………」
エレーナは理解していない。
皇太子ジュリアスの本質を。彼の気性を。
真相が明らかになった後の、彼のエレーナを見る冷たい眼差しは無かった事にしたのだろうか?
(ついでに執拗に僕を見る熱のこもった眼差しも)
彼は…今はまだ世間体を気にして表面だけでも取り繕うとしているが、数日も経たないうちに本心を抑えられなくなってくるはずだ。
そうして『初恋のエリー』を取り上げられた皇太子は失意の中で妄想を膨らませ、すべての災いの原因はエレーナだと考えるようになるだろう。
リビーのことがあったから、これみよがしな事はしないかもしれない。
しかし、皇太子は絶対にエレーナを追い詰めようとする。
彼がやらなくても、彼の意を汲んだ母親…皇后が手を出してくるだろう。
皇后は帝国の権力争いを勝ち抜いて愛息子を皇統の後継者に押し上げた人物だ。
エレーナのような小悪党が太刀打ちできる相手ではない。
仮に命は助かったとしても、これから先エレーナは愛されもせずゴミのように扱われながら生きていくのだ。
かつてのエリビアがそうだったように。
ーーその地獄から逃げようとするならば、秘密を世間に晒して逃げ道すら失くしてやる。
リビーが提示した『約束』は、そういうものだった。
「許すことも…許さないことも……どちらも辛いことなのね………」
僕は嗚咽するリビーの背中を撫でながら言った。
「君の悲しみなんてお構いなしに、あの人たちはやりたいようにやるさ。それが例え地獄だろうとね。だから君がそんなに心を痛めることはないよ」
「…………それは…確かにそうなんだろうけど」
「また1曲、歌を作ったらいいよ。そうして吐き出して心に余裕ができたら……その時は少しでいいから僕をそこに入れてくれたら嬉しいな」
「…………考えておくわ」
僕の初恋は照れくさそうにそう言うと、自らの手で涙を拭って顔を上げた。
そうだね。
それがいい。
やるべき事はやったんだ。
あとは前を見てゆっくりでいいから進んでいこう。
他人の不確かな過去の記憶より、自分の今と未来が大切だ。
「僕は、『今のリビー』を愛しているよ。それから『未来のリビー』もね」
何度目かの愛の告白に顔を背けたリビーの耳が、みるみる赤く染まっていく。
僕はそんなリビーの後ろ姿を、微笑みながら見つめ続けた。
これで物語はおしまいです。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
皇太子への復讐は、彼から『理想の初恋のエリー』を取り上げた時点で完了しているという認識です。
ちなみにですが、私は子供の頃の初恋相手のフルネームも顔も思い出せません。
襟足の形とか変な部分だけ覚えているくせに。
記憶なんてそんなもんやで…と思いながら書き始めた物語でした。