エリビアは嘆く
「愛してる…エリビア……」
結婚式の夜。
ベッドの中で愛する夫が愛の言葉を囁く。
名実ともに夫婦となった私たちは、眠る時間さえ惜しむようにみつめ合う。
初夜の余韻はいつまでも冷めそうにない。
小さな王国の第二王女である私は、帝国の皇太子であるジュリアスに見染められ、3年の婚約期間を経て今日この日を迎えた。
王族同士といえ国力に歴然とした格差のある私たち。
結婚に反対もされたし、勢力争いに巻き込まれもした。
ここまでの道のりは、決して平坦ではなかった。
けれど、ジュリアスと2人で手を取り合い、乗り越えてきたのだ。
「愛しているわ…ジュリアス……」
私はこれまでの困難を思い出して涙ぐむ。
そんな私の亜麻色の髪にジュリアスが愛しそうに口づけをした。
「エリビア愛してるよ…言葉では伝えきれないほどに……」
ーーああ、大丈夫だわ。
不安はあるけれど、彼となら乗り越えていける。
何があろうとも……
「俺がこの日をどれだけ待ち焦がれていたか……」
「私もよ…ジュリアス……」
「リイシャ離宮で出逢い、恋に落ちたあの時から…ずっとオマエと結婚することを夢見ていた……」
「リイシャ離宮?」
リイシャ離宮というのは、私の国の海辺の領地にある小さな離宮である。
主に王族の保養目的で使われている離宮。
何度か行ったことはあるけれど、そこでジュリアスと会った記憶なんて……無い。
いったいジュリアスは何の話をしているのだろう?
「エリビア……」
ジュリアスはその美しくも熱のこもった瞳で私をみつめる。
「9年前、夏のリイシャ離宮でオマエが出逢った少年カルロは…実は俺だったんだっ……!!!」
…………どうしよう。
すっごく満を持した感じで告白してくれたけど、まったく心当たりがない。
私たちが初めて会ったのは、ジュリアスが私を見染めたと言っていた3年前の晩餐会ではなかったの?
9年前…9年前の夏……私が10歳の時の夏………
必死で記憶をたぐってみるけれど、それらしき記憶は無い。
9年前の夏と言ったら、お母様が病に倒れて遊んでる場合じゃなかったはずだもの。
「眩しい夏の日差しの中で、俺たちは浜辺で水遊びをし、花畑で花冠を作って戯れたな……」
「ええっと……???」
「あの頃の俺は後ろ盾だった母の実家の没落によって窮地に陥り、身分を偽りリイシャ離宮に匿われていたんだ。そんな俺にひと時の安らぎを与えてくれたオマエのことを…俺はずっと……」
「あー…う〜ん???」
「晴れて夫婦になったら真実を明かそうと決めていたんだ……!」
「えぇ〜???」
「エリー、愛している。もう離さない……!!」
感極まるジュリアスの腕の中で、私は目を大きく見開いたまま固まった。
「……エリーですって?」
「どうしたんだ?エリーは子どもの頃のオマエの愛称だろう?離宮の皆からもエリー王女と呼ばれ慕われていたじゃないか」
「ジュリアス……」
疑惑が確信に変わった私はたちまち青ざめ、絞り出した弱々しい声でジュリアスに告げる。
「…………エリーは、私の姉エレーナの子どもの頃の愛称です……」
「え?」
「私の子どもの頃の愛称は…リビーです……」
「ええ?」
「………………」
「なにぃ!?」
ーー頭の中が真っ白になった私は、その直後の事をはっきりと覚えていない。
「俺を騙したのか!?」という叫び声。
そしてベットから跳ね起き、側仕えの名を呼びながら部屋を出ていくジュリアスの背中を覚えているくらい。
その後、帝国の使者が確認したところによると、腹違いの姉エレーナは9年前の夏にリイシャ離宮で出会った『少年カルロ』を覚えているらしい。
覚えているどころか、お姉様の初恋は『少年カルロ』なのだという。
お姉様はジュリアスが勘違いをしていることに気づいてはいたけれど、「母親の身分が低い自分に帝国の皇太子の傍にいる資格はない」と、「身を弁えたのです」と、涙を流して告白したそうだ。
使者から姉の話を聞いたジュリアスは「なんて健気なんだ!」と感激していた。
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私はあれよあれよという間に離縁を言い渡され、私と入れ替えに姉がジュリアスの元へ嫁いでくることが決まった。
大国との諍いを憂慮していた国王である父は、それで穏便に済むならばと胸を撫で下ろしているらしい。
ーーそうして王国へ帰る船へ押し込められた頃には、私は憔悴しきっていた。
あの夜から今日までの1ヶ月間。
あんなに私を愛していたジュリアスは、毎日のように私を「卑怯で薄汚い女め」「消えてしまえ」と罵倒し続けた。
帝国の民たちはロマンチックな『運命の初恋』に熱狂し、それを妨害した私を『悪女』と罵った。
稀代のゴシップのおかげで、帝都の新聞の売上は3倍にまで伸びたそうだ。
皇太子に熱望され、国民にあたたかな歓迎を受け、愛と希望を胸に嫁いできた私は、あっという間に『姉を虐げ皇太子を騙した悪女』になってしまった。
船上の私は、遠ざかっていく帝国の街を呆然とみつめる。
ジュリアスの初恋は私ではなかったけれど、だからってこんなにアッサリと切り捨てるなんて。
婚約が決まってからの3年間、私へ向けられた数えきれないほどの愛の言葉はなんだったのだろう。
試練を乗り越えてきた絆なんて、初恋の鮮烈な思い出に比べたらゴミのようなものだったんだ。
(………なんて愚かで惨めなの…………)
やがて帝国は遠くその姿を消して、私は曇り空のもと頼りなく揺れる船のデッキで打ちひしがれていた。
降り出した小雨の中で涙を流す私を、慰める者など誰もいない。
船上の帝国の者たちは白い目で遠巻きに私を見張っている。
帝国だけではない。
王国へ帰ったところで針のむしろだ。
お父様もお兄様も頼りにできない。
愛してくれたお母様はすでに亡くなっている。
可愛がってくれた母方の親戚たちは今回のことで私から距離を取り、一族のために保身に走らざるをえないだろう。
そして『帝国の皇太子の婚約者』として王宮に籠り勉学に励んできた私は、友人とも縁遠くなってしまっている。
『消えてしまえ』
私を蔑むジュリアスの罵声が頭の中に響き渡る。
「消えてしまいたい……」
私は小さな声で呟いた。
「エリビア王女、天候が乱れてきました。そろそろ船内へお戻りください」
近づいてきた帝国の使者の冷たい声に、私は振り向きもしなかった。
灰色の海は「おいでおいで」と手招きするように荒く波打つ。
雨と共に強さを増した風は、虚しさの中で今にも倒れそうな私の背中を押してくる。
……わかっているの。
今の自分が正常な精神状態でないことはわかっているの。
そんな中での選択が、まともなものでないこともわかっているの。
ーーけれど私は、未練もなく、躊躇うこともなく。
ただただ波が招くままに、風に背を押されるままに、灰色の海へとその身を投げた。
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