回りだす歯車2
見慣れない天井……ではなく、雲一つない青空。
「起きたか」
すぐ傍で少年の声がする。
空麗そらは彼に眠らされたのだが、そんなことは記憶にない。
「君は……?」
「今は虚うつろ司つかさと名乗っている。好きなように呼んでくれ。落ち着いて会話ができるよう、場所を移させてもらった。」
容姿からして、歳はそんなに変わらないと思われる。灰色の髪と瞳が特徴的で、少し親近感が湧く。
「初めに聞くが、何があったか覚えているか?」
おそらく、雅久が死んだことを指しているのだろう。これ以上ないくらい鮮明に記憶に残っている。悲しみが込み上げるがどうにか抑えて、首を縦に振り、虚司と名乗る少年の問いに答える。
「君のことは概ね知っているつもりだ。聞きたいのはこれからどうするか。人として生きるのか、神として生きるのか」
「……どちらでもない、と思います。神だった頃の記憶と力を持っていたとしても、この肉体がある限りヒトであることに変わりはありません。だからといってただのヒトでもいられませんから」
「敬語は使わないくていい。ここでのルールみたいなものだ。それで、これからどう生きていくかは決まっているのか?」
今の僕にはこれと言ってやることが無い……訳ではなく、神界しんかいで請け負っていた仕事の続きをしなければならない。
審判と断罪、またそれに類することを行ってきた。その対称に際限は無く、神もそこに含まれる。
不用意に神を滅ぼせば秩序の崩壊を招くため、禁忌とされている。それを行ったあのカラス面の人間に、処罰を下すのも仕事だ。
堕ちた僕にその役目があるかと聞かれたら、はっきりと答えることはできない。それでも、そうしたいと思っていた。癒咲姉の仇を討つために。
「もし良ければ、だが、俺たちと組まないか?」
唐突にかけられた言葉に戸惑いを隠せない。
何かがあるからこそ誘っているのだろうが、それがわからない。そして、司は「俺たち」と言った。他にも仲間がいると考えていいだろう。
「仲間がもう直ここにくる。詳しいことはそれから話すつもりだ」
僕の思考を見透かしたように、補足をしてくれる。
司は蒼天を見上げ、「噂をすれば」と付け加えるように呟いた。
その言葉につられて、周囲を気にすると、少年と少女の話し声が微かに聞こえてくる。おそらく、司の言っていた仲間だろう。
「収穫は?」
「残念ながら。いくつかあたり付けてきたから、次はそっち行ってみる」
司は歩いてきた二人のうち、片方の少年と言葉を交わす。身長は少し高く、短く整えられた若葉色の髪は周りの自然よりも一際明るい。
「ねぇ、司。この子が例の?」
いつの間にか背後に少女が立っていて、なぜかはわからないが目を輝かせていた。
髪も瞳も赤く染まっているが、どこまでも明るく、太陽よりも眩く感じられた。
司は無言で頷いているのを見るに、少女が背後にいることに気づいていたようだ。
「さっきから思ってたけど髪チョー白くて綺麗じゃん! しかもチョーサラサラなんだけど」
テンションについていけず、引き気味になってしまう。
「とりあえず、紹介しよう。コイツは成瀬なるせ華射かい」
「好きなように呼んでくれ。よろしくな」
司に指を向けられた少年、改め成瀬が軽く挨拶をしてくる。気さくな喋り方で、嫌悪感は一切しない。
「髪の毛ではしゃいでたソイツは……」
「透突とおつき亜香李あかりだよ。よろしくね」
ハキハキとしたよく通る声から、彼女の元気の良さが伝わってくる。
「二人とも神の力を宿した神核しんかく持ち、ベルセルクと言われる人間だ」
耳慣れない言葉に首を傾げる。
ありとあらゆる情報が詰まった神の記憶を取り戻した空麗にとって、知らない言葉があるのは不思議で仕方がなかった。
「本題と関わりがあることだ。まずそっちから話そう。二〇九九年十一月十八日、世界は混沌に包まれた。空麗はこの一文を知っているか?」
首を横に振って、聞き覚えがないことを示す。
それにしても、なぜこんな厨二病感溢れたことを言うのだろう。
「これは小中高の歴史教材全てに載っている文章だ。あまりにも特徴的な内容で、学生からはネタにされることも多い。だが、間違った内容ではなく、こう表現するしかなかった。事実、その日を境に魔法が使えるようになり、魔獣と呼ばれる未知の生物が発生した」
「じゃあ雅久を……僕の親友を殺したのも、その魔獣なの?」
「あぁ。詳しいことはいずれ話そう。話を戻すが、魔法や魔獣と同時期に、異能力を持つ者が増えた。彼らがベルセルクなのだが、その力は極めて強力で、神・の・力・を扱える。その力は抽出し、結晶にすることができるが、それが持つエネルギー量は計り知れない」
「人を神格化させるエネルギー塊、それが神核?」
「その認識で間違いない。まさしく力の根源、神の核だ。俺たちはこの力を使って世界の調停者となり、自由な世界を作り出す。無駄な死を生まず、誰もが幸福を享受し、笑顔でいられる世界。その理想を叶えるための人手も物資も足りない。空麗、俺たちに手を貸してくれないか?」
鋭く冷ややかな司の目には、執念に似た何かが宿っていた。それだけで嘘偽りでないことは確信できた。
過去の出来事が深く関わっているのだろうが、デリケートな話題はあまり詮索してはいけない。
「無駄な死を生まないためにと言ったが、その過程で誰かを殺さなければならない場面もあるだろう。誘った人がいうことではないが、覚悟が無いのならば断ってくれ」
少しの間沈黙が流れる。
断る理由がある訳じゃない。
僕は神界へと侵入し、神を滅ぼした人間を殺さなければならない。それとの兼ね合いを考えていた。
彼らは自分が知らない知識を持っている。それだけでも魅力的だが、何よりカラス面の人間に関わることを知っているかもしれない。
何より、僕はまだまだ弱い。僕が模擬戦で一度も勝てたことのない癒咲姉に、あいつは勝ったのだ。今のままで挑んでも勝てる見込みはない。
一人でいるよりは、彼らと行動する方が得策だろう。
それに、司の誘いが純粋に嬉しかった。その願いに応えたかった。
「僕でよければ、協力させて欲しい。それと、僕はある人間を殺さなければならない。その手伝いをしてもらいたいんだ」
「その人間というのは?」
「覚えているのは百八十から百九十くらいの身長で、ボロボロのフード付きローブとカラスの面を身に着けてたこと。あとは特徴的な波動、かな」
「……わかった。交渉成立だ」
そう言って司は右手を差し出してきたので、それに応えて握手を交わす。
手を通して伝わってくる司の秘められた力に違和感を感じ、首を傾げる。
「どうかしたか?」
「司の波動は複雑だと思って」
「俺の力はかなり特殊だからそのせいだろう」
「確かに司のは変わってるよねー」
「司のはチートだよ、チート」
脇でずっと話を聞いていた華射と亜香李が茶化す。ただ、その口ぶりからは、司への信頼が感じられる。
チートと言われるほどの力に興味はあるが、今はこれ以上新しいことを知りたくなくて、追求するのはやめておいた。
「具体的には、これからどうすればいい?」
「今日はもう帰って休んだ方がいい。詳しいことはまた明日」
***
空麗が帰ったあと、司たち三人の表情は暗かった。
「ボロい羽織り物にカラス面……間違いないよな?」
「あぁ。しかし、想定よりも深刻な事態だ」
元より彼らは“鴉からす”と戦うことを想定していた。“鴉”の活動が広い地域で行われているのを確認し、司たちは自分たちの行動理念と相反していると判断した。
その段階で既に困難な問題ではあったが、認識を改めざるを得ない。それ程、空麗の言葉が重くのしかかる。
「でも、司なら何とかなるよね……?」
司任せな発言をする亜香李だが、怠けているわけではない。ただ、司がなんでもできてしまうため、自分にできないことは全て任せるようにしていた。チャレンジ精神が無い訳ではないが、無駄な危険は背負わないようにしていた。
「いや、俺でもかなり厳しい。空麗は数時間前までは普通の人間として暮らしていた。それなのに鴉の存在を知っていた」
険しい顔で淡々と状況を整理し、説明する司。
それによって認識が変わったのか、亜香李の顔が青ざめていく。
「空麗は神の世界で鴉を目撃した、と考える方が自然だろう。数多の神と戦闘になったとしても勝てる、そうでなくとも生き残れる自信が無ければ、神の世界を歩けない。そもそも、神の世界へ渡れるだけの力がある時点で、十分に脅威だ。神器じんぎを扱う神々に対抗する術を持っているのも確かだろう。そいつと戦うならば、少なくとも霊装れいそう級の装備が必要だ」
確実性を好む司にとって不確定な勝利は負けと同義であり、戦備強化が最善手だった。現状ではリスクが大きすぎるため、現実的では無いというのが三人の共通認識となった。
「人手もそうだが、俺たち個人の戦力増強は急務だ。空麗がどの程度戦えるのかも確認しなければならない」
幼い外見にそぐわない会話を繰り広げる三人。普通ならば小学生の虚言に過ぎないが、彼らが授かった力はそれを可能としうるものだった。
彼らが進む茨の道は幾重にも枝分かれし、どんな未来が待っているかはまだ誰にもわからない。が、司だけは明確なビジョンを描いていた。それが実現するかどうかは別の話だが。