短編に感想を頂いて思ったこと。歴史教育に隔世の感あり。日本って大丈夫なんでしょうか?
最近、短編を公開したところ、こんな感想を頂いた。
『有力貴族にこんな無茶な強行策がとれるわけないだろ、しかも第二王子て…』
その瞬間に思った。
(あれ? 大化の改新って、小学校6年だったか? 中学校1年だったか? それとも教科書からなくなったのかな?)
私が子どもの頃は、むしごろし、とか、むしごはん、とかで覚えた645年の出来事。
当時、天皇家(その頃から天皇家と呼んでいたかどうかはこの際、触れない)よりも力を持っていた、つまり有力だった蘇我氏のトップを、まさに皇子が強行策で排除した。皇子は蘇我氏から妻を娶っていたし、そっちの蘇我氏は残るのだけれど、蘇我氏全体としては権勢を失う。
いや、大化の改新だけではない。
高校日本史なら、藤原氏の権力の掌握で、山ほど有力貴族たちが強行策によって排除されていく。応天門とか、まさに、である。
蘇我氏、藤原氏だけでなく、平氏は源氏によって、源氏は北条氏によって、有力者は有力者であるからこそ、政争から逃げることができず、それに敗れたら力を奪われ、失っていく。まさに、「盛者必衰のことわり」である。北条氏なんて、藤原氏どころではないくらい、山ほど有力御家人を滅ぼしている。
日本史だけでなく、中国史でも、イスラム史でも、ヨーロッパ史でも、有力貴族が無茶な強行策によって蹴落とされる例はたくさんある。三国志で呂布が董卓を殺したのも、そういう例ではないだろうか。
ヨーロッパ史なら、宗教勢力が強かった頃は、カノッサの屈辱のような、王でさえも蹴落とされる時代だし、ハプスブルク家は貴族家の自主独立が強い時代に婚姻政策でヨーロッパを広く支配し、各地方の権力者から力を奪って支配を広げた。その後の絶対王政の時代など、イギリスのエリザベス、フランスのルイ、ロシアのエカテリーナなど、無茶な強行策の例は言うまでもない。
時代と立場が変わっても、無茶な強行策はいくつも存在する。
フランス革命では、平民たちが王や王妃をギロチンで処刑するという無茶な強行策がまかり通っている。この王妃はあのハプスブルク家のお姫様なのに、である。
つまり、権力を握っている側ならば、無茶な強行策は不可能ではない。
社会契約論と基本的人権が先進国で浸透している現代において、権力の分立が政治システムとして成立している。だからこそ、無茶な強行策は少なくなっているだけではないだろうか。
現代でも、権力の分立がうまくいっていない国は、独裁的な指導者が独自の口実で隣国に攻め込んでいくという無茶な強行策を推し進めている。
さて。
『とれるわけないだろ』
いったい、何を根拠に?
とても不思議だけれど、これはもう、日本の歴史教育の敗北なんじゃないかな、とか。
そんなことを思ってしまった。
とれるわけないだろ、という感覚で平和主義のこの国がずっと平和でいられるのだろうか。
世界は未だに、「無茶な強行策」が横行していると思うのは、私だけなのかもしれない。