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知らない声がうるさすぎる!  作者: ヒロヤス
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9.新進気鋭の画家

『本当にここに住んでるの?』


声が怪訝そうにするのも仕方がない。リゼットだって同じことを思っている。


画廊のオーナーから教えてもらった場所は、街はずれの住宅街。入り組んだ路地を入ったさらにその先で、やっとたどり着いたところは、用が無ければリゼットが絶対に訪ねない家であった。

足場の悪い階段を上がった集合住宅の二階。男性であれば蹴破れそうな立てつけの悪いドア。その横の窓は一部が割れていて、風が入らないように紙で覆っている。


芸術家には貧乏人が多いが、リゼットが出会ってきた中でもトップクラスの貧乏さだということは、会う前から分かった。


隣に立つメイリーと護衛はずっと警戒しっぱなしだ。


「お嬢様、私が戸を叩きます」


護衛はリゼットとメイリーに一歩下がるよう告げた。下がろうにも踊り場にそんなスペースはないが。

意を決して、護衛がドアをノックする。


「すみません、テリシエ様はいらっしゃいますか?」

「は、はい……――ヒッ!」


ひ弱そうな返事と共に扉が開くと、まず剣を携える護衛が目に飛び込んだらしく、怯えた声を上げた。


「ごめんなさい、驚かす気はなかったの。あなたがテリシエ様?」

「は、はい……」


護衛の横からヒョイッと顔を覗かせたリゼットは、安心させるために微笑んでみせた。それでもまだ警戒しているのか不安そうにこちらの様子を窺っている。


「私はリゼット・フェレーラ。画廊のオーナーから話は聞いていますよね?」

「あっ、はい……」

「詳しい話もしたいし、もしよければ中に入れてくださりませんか?」

「あ、す、すみません! どうぞ……」


リゼットの言葉で、テリシエは慌てて部屋に通した。


『“THE・貧乏画家の自宅”って感じするわぁ。ていうか、俺の部屋より汚いじゃん』


部屋はとても狭く、ところどころ床が軋んでいる。いたる所に画材が散乱しており、絵の具特有の匂いもした。


全員が入るのは無理そうだったので、護衛は外で待たせておく。



「あの、椅子は一個しかないんですが……」


テリシエは、普段自身が使っているであろう、ところどころ絵の具のついた丸椅子を差し出す。するとメイリーは「私は立っておりますのでお気遣いなく」と断り、ポケットからハンカチを出すと椅子の上に掛け、リゼットに座るよう促した。


立ったままの相手との会話はしづらいが仕方がない。

リゼットはその椅子に座ると、目の前に立つテリシエに話しかけた。


「改めまして、テリシエ様。私、フェレーラ侯爵家のリゼットと申します。こちらは侍女のメイリーですわ。あなたの活動を支援させていただくために参りましたの。これから、よろしくお願いいたしますわね」


そう説明すると、テリシエはオドオドした様子で口を開いた。


「ぼ、僕は庶民ですし、敬称や敬語は必要ありません。気軽に話してください……」


貴族に畏まった態度をとられることなどないからか、恐縮しきっている。リゼットは彼を落ち着かせるためにも「わかったわ。テリシエと呼ばせてもらうわね」とすぐに受け入れた。


「あ、あの……なぜ僕なんですか?」

「と、言うと?」

「あの画廊にはもっと上手い画家がいっぱいいましたよね? どうして僕みたいな訳の分からない作品を描くやつを選んだんですか?」


自分を卑下するテリシエ。

どうしてと言われても、声が選んだからなんて馬鹿正直に言えるはずもなく。リゼットはどう返事をしようか頭を悩ました。するとすぐにお叱りの声が飛んできた。


『めちゃくちゃ良い作品だったからに決まってるじゃん! 自信持てよ!』


その通りだ。だが、そのままストレートに伝えたところで、信じてもらえなさそうなほど自尊心が低い相手だ。

ここはリゼットが貴族として培った会話術の出番だった。


「もしかしてパトロンがつくのは迷惑でした?」

「い、いえ!」

「あなたのあの作品は、適当に描いたものだったの?」

「いえ、そんなことはありません」

「でしたら、自身の生み出したものを“訳の分からないもの”と評するのはお止めなさい。他人から何を言われたのかは知りませんが、私はあの作風が良いと思ったからあなたを選んだの。下手に卑下するのは、あの作品を評価した私や一生懸命描きあげたあなた自身にも失礼よ」


堂々とした物言いに、『おぉ、リゼットかっこいい!』と声が拍手している。

しかし、それでもテシリエは「で、でも……」と食い下がった。


「支援したところで、売れるかどうか分かりませんよ?」

「安心して。あなたが売れなくても見返りは求めないわ。私はあなたが、不要な苦労をすることなくのびのびと絵を描いて欲しいだけなの。もちろん売れるようにサポートもするけれどね」

『まぁ、売れるかどうかは運が味方するかってとこもあるもんなぁ。死後評価された作家だっているし』


幸先の悪そうな言葉は聞こえなかったことにしよう。


リゼットの自信満々の振る舞いに圧倒されそうなテシリエは、もう一度彼女に訊ねた。


「ど、どうして僕にそこまでしてくださるんですか……?」

「決まっているじゃない。あなたの作品に惚れたからよ」


惚れたのは私ではないが、とリゼットは心の中で呟く。

そんなことを知らないテシリエは、その言葉に感動し、リゼットの前に跪くと両手を合わせて目を潤ませた。


「あ、ありがとうございます! 僕、リゼット様のために頑張ります!」


先ほどまでの怯えた表情とは打って変わり、信仰心に目覚めたかのような姿勢をとられてリゼットは怯んだ。


「わ、私のためじゃなくて、あなた自身のために頑張りなさいね?」

「はい!」

「と、とりあえず、契約書を持ってきたから説明するわ」


威勢のいい返事に、今度はリゼットの方が圧倒されてしまった。それに気をとられないようにしながら、メイリーから書類を受け取る。

リゼットはひとつひとつ丁寧に読み上げながら説明した。

月々渡す金額、そのために定期的に手紙で報告するか作品を見せに来るという条件、契約を破棄するときの注意事項……そのような細々した話だ。


今までの失敗を踏まえ、弟のメリルに相談しながら昨晩作成した契約書である。


もちろんテリシエに不都合があるところは変更出来るのだが、リゼットが説明している間、彼はずっと首を縦に振っていた。そして二つ返事で契約書にサインしたのだ。その軽率さは、リゼットの方が不安になってしまうほどだった。



「さて、とりあえず今月分を渡しておくわね。それとこれは食費にでも当ててちょうだい」


お金の入った袋とは別に、銀貨を数枚手渡しする。するとテシリエは慌てた。


「えっ!? そ、そんな、受け取れません!」

「そんなやせ細った姿だとすぐ病気になるわよ」


生活費のほとんどを画材に回しているのだろう。成人男性だというのに、風が吹けば倒れそうなほど細く、せっかくのブロンドヘアも栄養が行き届いていないせいかパサパサである。

彼の姿を見た声も『健康的な見た目になったら絶対イケメンだと思うんだよなぁ』と言っているほどだ。


「次会う時までに、もう少しマシな見た目になっておきなさい。これは命令よ」

「わ、わかりました」


テシリエは受け取った銀貨をぎゅっと握り締めた。


「困ったことがあったら気軽に連絡してちょうだい。新作、楽しみにしているわ」

「はい!」


リゼットの言葉に大きな声で返事をする姿は、まるで手なずけた犬のようであった。


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