8.気になる噂話
画廊を出たリゼットは、せっかく街に出たのだからと散策して帰ることにした。
行きつけのパティスリーに弟を連れて行きたかったのだが、「予定があるから」と断られてしまった。仕方ないので、侍女と護衛を引き連れての街歩きだ。
『すげぇ、映画のセットみたい!』
そういえば声が聞こえるようになってから街に来たのは初めてだった。言っている意味は分からないが、楽しんでいるようだ。
「貴族のお嬢さん、新鮮な果物はどうだい?」
「また今度ね」
露天のおじさんからの勧誘を慣れた様子でかわすリゼット。
大通りには店舗だけではなく、露天も数多く出店している。購入してもいいのだが、ひとつ買うと次々と声をかけられるので、なかなか目的地にたどり着けなくなるのだ。
「ここね。寄って行きましょう」
侍女と護衛に声をかけ、馴染みのパティスリーへ入店した。
帯刀して店に入ると迷惑になるかもしれないので、護衛は外で待機していることになった。
甘いにおいが立ち込めるこの店は、販売だけではなく店内での飲食も可能である。
特に二階の席は貴族御用達で、各席に仕切りがしてありプライベートが守られているのだ。完全個室ではないため聞き耳を立てれば会話が聞こえてくるものの、貴族同士の面倒くさい挨拶をしなくていいと評判なのである。
『めっちゃ美味そう! あぁ、俺もケーキ食べたくなってきた』
適当に頼んだお菓子が運ばれてくると、声は羨ましそうにしていた。リゼットはふふんと鼻を鳴らす。自分が贔屓にしている店が褒められるのは嬉しい。ただこの店を見つけたのはリゼットではなく彼女の母親であり、教えてもらっただけの立場であるが。
「さぁ、好きに食べて」
「ありがとうございます!」
対面に座る侍女のメイリーに勧めると、彼女は目を輝かせた。
メイリーは辺境に住む子爵家の三女で、出稼ぎのためフェレーラ家に勤めている。長年、リゼットの専属侍女として働いており、歳も近いため、よく一緒に出かけるのだ。
「お嬢様、お身体は大丈夫ですか?」
ケーキをつつきながら、彼女は主人の体調を気遣った。
先日、声が聞こえると騒いだのは記憶に新しい。メイリーもとても心配していたのだ。
「えぇ。あの時はごめんね、心配かけて」
「いえ、万全なら何よりです!」
リゼットが回復したのが嬉しいのか、彼女はニコニコと笑っている。
メイリーには申し訳ないが、声は未だに聞こえている。ただ健康に被害はない。たまにひとり言を呟くぐらいは見逃してもらおう。
「ですがお嬢様、あの日以来少し変わりましたよね」
「そうかしら?」
「今日もいつもなら選ばなさそうな作品を購入していましたし、青いドレスを着たのもビックリしました」
一番そばにいるからか、リゼットの変化によく気づいている。自分でもいつもと違う行動をしているという自覚があるのだから、侍女も気づいて当然である。
しかし変に説明する訳にはいかないので、「そう?」などと優雅に笑って誤魔化した。
「そうですよ。婚約者として仲良くすることにしたんですか?」
侍女長が聞けば怒られそうな言い方だが、リゼットとメイリーの二人だから許される会話だ。
「別に喧嘩したくてしているわけじゃないし、仲良くするつもりはあるわよ」
「あ、そうでしたね」
リゼットの言葉に、メイリーはあっけらかんとして笑っていた。
仕事の時はミスなく真面目な顔で取り組むメイリーだが、二人きりになると年相応の表情になる。リゼットはそんな彼女の顔を見られるこの時間が大好きだった。
『メイリー、可愛いねぇ』
声も彼女の事が気に入ったようだった。
「――――ところで、セオドア様が入れ込んでいる令嬢がいるって噂、本当なの?」
遠くの席から知った名前と気になる内容の話が聞こえてきて、思わず聞き耳を立てた。チラリと仕切りの隙間から見ると、貴族の令嬢たちがお茶を楽しんでいるようだった。
「……止めますか?」
「いえ、せっかくだし聞いてみましょう」
メイリーが立ち上がろうとしたのを制す。
貴族の噂は貴重な情報だ。それが自分の婚約者のことなら尚更聞いておくべきである。
仕切りがあるためか、リゼットたちには気づいていないらしく、彼女たちは会話を続けた。
「入れ込んでいるまでは分からないんだけど、いい感じの仲だって聞いたわ」
「本当に? その令嬢って誰?」
「カレン・ウェスカー伯爵令嬢よ」
リゼットもその人物は知っている。
ウェスカー家の一人娘で両親に溺愛されている子だ。見た目も可愛らしく、庇護感をくすぐられるような儚さもあった。気が強いリゼットは真逆である。
特別会話をしたことは無いが、彼女のことは印象に残っていた。
母親が強烈なのである。
偶然同じパーティへ参加した時、ウェスカー夫人に遠巻きからすごい形相で睨まれたのだ。目が合うとすぐに逸らされたが、隣にいた友人にも「何かしたのか?」と訊ねられるほど、その後も永遠と睨まれていたらしい。
カレン嬢は穏やかな表情で母親の隣に立っていたから、夫人の形相がより引き立っていた。
帰宅してから、何か仕事の恨みでも買ったのかと父親に訊ねたが、ウェスカー家とは仕事の付き合いもないらしい。だとしたら兄弟たちを自分の娘と結婚させようかと狙っていて、獲物を狩る目つきだったのかとも思ったが、家族全員あの一家とほとんど会話をしたことがないようだった。
人から恨みを買うような真似をした覚えがないリゼットは、出来るだけウェスカー家には近づかないでおこうと決めていた。
しかしここにきて、自分の婚約者と噂になるとは思ってもみなかった。
「でも、セオドア様にはリゼット令嬢がいらっしゃるじゃない」
「そうなんだけど、実は不仲らしいのよ」
「やっぱりそうなのね」
本来なら怒るところだが、図星だから何も言えない。
一緒にパーティへ参加してもほとんど会話もせず、談笑する姿すら人前で見せたことがない。不仲説は貴族みんな知っていた。
『え、そんなに有名なの?』
そんな中、声だけは驚いている。世間の噂になるほどとは予想していなかったようだ。だが『まぁアレなら仕方ないよなー』とすぐに納得していた。
「セオドア様がカレン嬢と親しくしているところなんて見たことないけど、どこからの噂なの?」
「分からない。でもこないだのお茶会でお母様たちが噂していたのよ」
又聞きの噂など当てにならないのが一般論だが、貴族の間ではそんなこと関係ない。彼女たちの母親が話していたということは、それなりに広まっている話だろう。
「でも確かお二人の婚約って王命でしょ? 仲を引き裂くのは無理よね」
「そこは分からないけど、セオドア様の愛妾にでもしてもらうんじゃない? 公爵家なんだからそれぐらいのゆとりはあるだろうし」
さすがのリゼットもその発言は見逃せない。
飲んでいたカップを置くと、メイリーに「行きましょうか」と声をかけて立ち上がった。
噂をしていた令嬢たちは、まさか奥の席に噂の張本人がいるとは思っておらず、リゼットの姿を捉えると、慌てて黙りこみ背中を丸めた。
一応ここでは、挨拶をしなくてもいいという暗黙のルールがある。リゼットが声をかけなければ、見逃してもらえるはずだ。
一階へと続く階段に向かう途中、リゼットは彼女たちの席の前でピタリと足を止めた。その視線に令嬢たちは緊張する。
するとリゼットは小声で忠告した。
「このような場で公爵家の名前を出した不用意な話は避けた方がよろしくてよ。不敬罪に問われますから」
予想外の言葉に令嬢たちは呆気にとられたが、すぐに我に返ると慌てて立ち上がり、「は、はい! 申し訳ございません!」と深く頭を下げた。
リゼットはその言葉に小さく頷くと、そのまま階段を降りて行った。
「よろしかったんですか?」
一階のカウンターでお土産用ケーキを吟味する主人に対し、メイリーは呆れた様子だった。
しかしリゼットは気にしていない。
「いいのよ。面白い話が聞けたし、不仲なのも事実だもの。ただ公爵家の悪評を広めたら彼女たちが捕まっちゃうから注意しとかないとね」
余裕そうに微笑んでみせるリゼット。その姿に、声は『リゼットかっこいい!!』と大絶賛するのであった。




