7.目利きの自信
画廊は街中の大通から少し入った場所にあった。
用が無ければ訪れない道のため、都心部だというのに外からの音があまり聞こえず、室内は静かだった。
売れない画家の作品を買いに来るのはよっぽどの物好きしかいない。
リゼットとメリルが連れてきた使用人たちと一緒に画廊へ入ると、ここのオーナーと他の貴族が一人いるだけだった。その貴族も入れ違いで出て行ってしまったので、貸切状態となった。
「結構、作品があるのね」
『本当だねぇ』
もっと閑散としているかと思いきや、想像以上にたくさんの作品が展示してあった。
「展示してくれと頼む画家が多くてですね。これも全てメリル様のおかげです」
「いや、オーナーが力を入れているからですよ」
ハハハッと笑い合いながらお互いを褒める二人。
メリルが初めてパトロンになろうとしたときからの付き合いである二人は、爵位や年齢は異なるが同じ志を持つ仲間だった。
このオーナーはこの国からたくさんの画家を輩出しようと、身銭を切りつつこの画廊を経営していた。しかしなかなか金銭的に苦しく、辞めようかと思ったとき、ちょうど現れたのがメリルだった。同じく優秀な芸術家を育てたいと考えているメリルが出資をし、この画廊を支えているのだ。
もちろん支援しているのはこの画廊だけではないが、ここのオーナーは売れない画家にも目をかけているためメリルは特に贔屓にしていた。
フェレーラ家が支援していることが噂になると、自分も援助してもらおうと画家たちがこぞって作品を持ち込んだ。特にパトロンがいない作家たちが我こそはと売り込む。
その結果が今回の画廊の作品数だ。
お互いの作品が邪魔にならない程度の距離はとりつつも、壁に飾れる限界まで展示してある。
さて、どれがいいのかしら。
リゼットはコツコツとヒールを鳴らしながらゆっくりと作品を見て回った。
あまり多くの人に手を出しても目が届かないし、もう失敗するのは嫌だから今回は一人に絞ろう。
そう考えながら、ひとつひとつ目を通すが、何が良いのかリゼットにはさっぱり分からなかった。
『へぇ、人物画とか風景画が多いんだね』
そんな彼女とは裏腹に、声は興味深そうに鑑賞している。
『油絵が主流っぽいな。写実的に描いてる作品ばっかりだね』
詳しいと豪語していただけあり、次々と感想が述べられる。リゼットは専門的な言葉はひとつも分からないので、ほとんど聞き流していた。
「これとか良さそう」
パッとリゼットの目に留まったのは、鮮やかな色で花を描いた作品だった。大きなキャンバスで大胆に描かれている。昔からリゼットが気に入るものは、彩りが綺麗な絵が多い。
いつもならすぐに決めてしまうところだった。しかし声が異議を申し立てた。
『そうかなぁ。いろんな色使っていて綺麗だけど、端の方とか塗り残しがない? ほら、花びらの先端部分』
確かに言われてみれば、白い百合の花弁の先が背景と同色であった。明らかな塗り残しである。この程度ただのミスだから粗探ししなくても、と思ったが声は言葉を続ける。
『なんか、展示に間に合うように急いで仕上げたっぽくない? 本気で描いてるならこんな作品持ってこないでしょ。妥協したもので満足する画家ってことじゃないの?』
『いや、素人評価だからわかんないけど』と付け加えたが、リゼットはぐうの音も出なかった。彼が指摘した通りである。少し考えれば行き着く結論だが、そんなに深く鑑賞したことなど一度もなかった。今までもそういう画家にばかり目をつけていたのかもしれない。
リゼットは自分の過去の行動を反省しながら鑑賞を続けた。
『あ! これ、良くない?』
声の目に留まったのは、小さめのキャンバスに描かれた作品である。
え、これなの? と、リゼットは驚愕した。彼女の目には、無造作に絵の具を垂らした子どもの落書きのようにしか見えなかったからだ。
『これ、抽象画だね。写実主義が主流の中でこれを持ってきたのはすごいよ! 抽象主義というのは――』
声はうんちくの様なものを語り出した。知らない作家の名前を出してペラペラと喋っている。
この作品がそんなにすごいのか。リゼットには理解できない。あまりに絶賛するのでリゼットは思わず訊ねた。
「これ、何を表現してるのかしら?」
『それは俺にも分かんない』
驚きの返答に力が抜けそうになる。あんなに評価していたのに。
『でも抽象画ってのはそういうもんだからね。何を表現したかは作者しか分からないことが多いんだよ。タイトルとか見て判断することもあるけど、タイトルも抽象的な作品もあるし』
芸術というものは奥が深いらしい。
リゼットが理解できる日が来るのはいつになるのか。もしかしたら来ないかもしれない。
『良くない? 家にある絵画ってさ、ほとんど似たようなものだったじゃん。ちょっとこういう作品があると、いいアクセントになると思うよ』
そう言われても全くピンと来ない。
だが、自分で選んでもどうせ失敗する。それなら、これに賭けてみるのも悪くなかった。
よし、と踏ん切りをつけてオーナーに声をかけた。
「この作家、紹介してもらえる?」
「あ、はい。かしこまりま――――え、この作品ですか……?」
オーナーは怪訝そうな顔をしてリゼットを見た。強い意志を感じる彼女の目にオーナーはたじろぐ。
「いや、挑戦的で良い画家ではあるんですよ。ただ、ちょっと……ねぇ」
オーナーはチラリと作品を見た。
彼が言いたいことはよく分かっている。リゼット自身も同意見だからだ。ただ、これが良いと言われたのだ。下手に断るとまたこの声は駄々をこねてしまう。
「以前はもっとマシな絵を描いていたんですが、最近は迷走しているのかこういった不可解な作品ばかりでして」
リゼットが今までパトロンとして失敗していることを知っているオーナーは、何とかして引き止めようとしていた。
その気持ちが伝わってきてしまい、リゼットは何とも心苦しかった。
「お姉様、今回は独創的なのを選んだね」
「えぇ、どうかしら?」
二人のやりとりが気になったのか、メリルやってきて選んだ作品をまじまじと観る。そして「ふぅん」と意味深な声を上げてからリゼットに微笑んだ。
「いいんじゃない? この作品が良作かは分からないけど、新しい風を吹かそうとするのは悪くない。挑戦的な作家ほど、僕らが支援してあげるべきじゃないかな」
『そうだよな! メリルくん分かってるぅ!』
本当に自分より年下なのか、と思う弟の感想にリゼットは眩暈がした。この作品を選んだ張本人は、人の弟を馴れ馴れしく呼んでいるし。
メリルが後押しするならば、とオーナーも納得した様子で、今回の作家の一覧が載っている冊子から作家名を探した。
「作者はテリシエという庶民の者です。連絡をとりましょうか?」
「えぇ、お願いね」
「かしこまりました。こちらの作品はいかがいたしますか?」
「買い取らせてちょうだい」
作品を買うのは、パトロンとしての意思表示だ。自分は本気で支援しますよ、と作家に伝えるためである。
「次は逃げられないようにね、お姉様」
「が、頑張るわ……」
過去のリゼットの醜態を知っているのでメリルは、ニッコリと笑いながら肩を叩いた。弟からのその圧力に、作者に対面する前から心が折れそうになったのだった。




