6.羞恥心との戦い
「あぁ、消えてなくなりたい……」
自室のベッドに顔を埋めて嘆くリゼットは、己の羞恥心と戦っていた。
なぜ自分はあんなことをしてしまったのか。
婚約者に対して柄にもないことを訊いてしまった。何が「このドレス似合っていますか?」だ。あんなの恋人としてアピールしているようなものである。
『いやぁ、めちゃくちゃ可愛かった!』
この声のせいだ。ホクホクとした様子で絶賛しているコイツ。
あの時、セオドアの言葉に対して、リゼットよりもこの男の方が激昂していた。
ひとつの嫌味に十返さないと気が収まらないのか、お前に嫌味言われるために着飾ったんじゃねぇんだぞ。など、ありとあらゆる語彙で彼を罵っていた。
言われた本人ではないのにリゼットより怒る様が面白くなってしまい、笑いを堪えられなくなった。
つい笑い声が漏れてしまった。なぜかその流れで「言いたいことがあるのか」などと的外れな質問が飛んできたから、さあ大変だ。
水を得た魚の様に、あれだけ怒っていた声が手のひらを反して『ドレスについて訊け!』と捲し立てたのだ。絶対に嫌だと無視したのだが、駄々をこねだしてしまったのでとうとう観念した次第である。
でも訊き方を間違えた。
リゼットがセオドアに褒めてもらおうとしたことなど一度もない。それどころか親や兄弟にでさえ、あんな質問をしたのは幼少期以来である。
口にしようとした瞬間、羞恥が襲ってきてなかなか言葉が出なかった。パクパクと声にならない中、必死に絞り出した結果があれだったのだ。
『ちょっと上目使いなところも、めっちゃ良かった!』
一番痛いところを言われてしまい、ますます項垂れる。
意図せず上目使いになっていた。あとで指摘されて気づいたのだ。
そんなあざとい行為など一生しないと思っていたリゼット。顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
『いいじゃん、似合ってるって言ってもらえたんだし。まぁ、それしか言わないのはどうかと思うけど』
確かに言われた。なんだか照れた様子で。
セオドアが無言のまま固まってしまったときは、やらかしたと思って慌てて言い訳の準備をした。しかしすぐにハッとし、ひとつ咳払いをしてから「とても似合っている」と言ったのだ。
女性を褒めることなど貴族としてのマナーだから言い慣れているはずなのに、セオドアの頬は少し赤かった。
『それだけ?』と、声はもっと褒めてほしかったらしく不満を垂れていたが、リゼットはそれで十分だった。その不器用な言葉がとても嬉しかった。
いや、喜んでいる場合か。
リゼットはすぐに考え直す。変な誤解を植え付けた可能性がある。
結婚する上で愛情はある方がいいだろうが、今のリゼットには愛情をはぐくむ気がないのだ。あんな簡単な褒め言葉や照れ顔ひとつで、セオドアを見る目は変えられない。嫌味をいう婚約者という印象のままだ。
「うわー!」とヤケになりながら頭を掻き毟るリゼット。さっさとこの事件を忘れてしまいたかった。
――コンコン
ドアを叩く音がした。リゼットが元気なく返事をすると、すぐに扉が開けれた。
「お姉様、入りますよ――って、どうしたの? そんな姿で……」
現れたのはリゼットの弟、メリルだった。
いつだって澄ました顔しかみせない姉が、かなり取り乱している。目を丸くしている弟を見て、リゼットは慌てて髪を整えながらベッドから降りた。
「な、なんでもない……ところで何か用事?」
「明日、一緒に画廊へ行きたいんでしょ? その確認しにきたんだ」
そういえば、明日はメリルが贔屓にしている画廊へついて行く予定だった。
メリルの趣味は芸術家を発掘することだ。
有名画家たちが出品する展示もあるのだが、それは貴族が家に飾る品を買い付ける場所だ。
メリルは売れない作家たちが出品する展示へ赴き、そこで目をつけた画家を支援する。メリルには見る目があるらしく、彼がパトロンになったことで有名になった画家も多くいた。
リゼットも何度か真似をしていたが、全く上手くいかなかった。それでも諦めずにメリルにお願いして画廊へ連れて行ってもらう約束を取り付けたのだ。
「お姉様には無理なんですって。もうやめたら?」
「そんなこと言わないでよぉ……」
実の弟にまで、この言われようである。それでも一人ぐらいは自分もお抱えの画家を育ててみたかった。そしてリゼットの肖像画を描いてもらうのだ。
『だったら俺が見てあげよう!』
急に声が名乗りを上げた。
『よくテレビで絵画の特集とか見てるし、美術館の企画展示とか好きでよく行くよ。美術関連の本も読むしね。まぁ、この世界にその常識が通用するかは分からないけど』
リゼットは彼の喋る言葉の半分ぐらいは理解できなかったが、どうやら知識はあるということだけは何となく分かった。
自分が見定めるよりいいのかもしれない。どうせ自分が見ても失敗するのなら、この声に賭けてみるのも悪くない。
「次こそ頑張るから!」
「う、うん。そこまで言うなら……」
落ち込んでいたはずの姉が急に笑顔になったのでメリルは驚く。そして、なぜそんなに自信あり気なのか訳が分からなかった。
薄々感じていたが、今日の姉は変だ。そう思ったときあることを思い出した。
「あ、そうだ。そういえばセオドア様と何かあった?」
メリル突然そんなことを訊いた。
せっかく忘れていたはずの出来事が出されて、リゼットは冷や汗を流す。
「な、なんで?」
「帰り際のセオドア様とすれ違ったから挨拶したんだけど、いつもより何か落ち着かない様子だったから。また喧嘩でもしたのかな、とも思ったんだけど、それはいつも通りだから違うだろうし。あと怒ってもなかったから」
この二人が喧嘩ばかりするのは、この家の人間全員が知っている。メリルも、セオドアが怒った顔で屋敷を後にする姿を何度も見ていた。
ただ今日のセオドアはいつもと違っていた。メリルが何度も声をかけなければこちらに気づかなかったし、話をしていてもどこか上の空だったのだ。
「馬車に乗るときに足を踏み外す姿なんて初めて見たよ」
その後ろ姿を見たメリルは「美形が台無しになる動きってあるんだ」と思った。
「お姉様、何したの?」
「な、なにも?」
「本当に?」
弟に問い詰められてうろたえるリゼット。ジッと見つめる眼差しに耐えられなくなったのか観念したように口を開いた。
「……青いドレス着た、だけ」
「あ、本当だ」
リゼットのドレスに気づいたメリルは、その姿を見て「お姉様に似合っていますね」とサラリと褒めた。
声は『えぇ、すごい! この子、いい子だねぇ』と感心している。
「でもそれだけであんなことになるかな? まぁ、いっか。じゃあ明日、遅れないよう準備してね」
「わ、分かった」
なぜ青を着たのかと質問されるとリゼットは身構えたが、メリルは興味が無いらしくあっさりと話を切り上げて部屋を出て行った。
メリルも婚約者の瞳の色のドレスを着ることが何を意味するのかは知っていたが、リゼットが青色を避けていたという話は知らなかったのだ。それに身内の色恋沙汰などどうでもいいらしい。
解放された安心感で胸をなでおろすと、ふとニヤニヤした声が聞こえた。
『セオドアの動揺する姿、見たかったなぁ!』
セオドアに会う前まで浮き足立っていたくせに、今はもうこの態度である。
もう彼に対して変な提案はしてこないだろうな、と安堵した。が、再び自分の今日の行動を思い出してしまい、リゼットはまた頭を掻き毟った。
次、どんな顔をしてセオドアに会えばいいか、全く分からなかった。