5.お茶会にて
『ちょっと、何、あの男! 全然褒めないじゃん!』
リゼットの目の前で優雅にお茶を飲むセオドア。声はずっと彼に憤っていた。
先ほど玄関で会ったとき彼が見惚れた様子だったから、リゼットも少しは期待した。ちなみに声は大いに期待していた。だが全く触れられず、いつも通りの会話をして終わった。今だって、無言でお茶を飲んでいるだけである。暖かい日差しのせいで眠ってしまいそうなぐらい暇だ。
『ちょっとリゼット、聞いてみな? 今日の姿どうですか? って』
そんな恥ずかしい真似できるわけがない。想い合っているカップルならまだしも、そんな浮ついたこと、一度たりともしたことがなかった。
セオドアがカチャリとカップを置いた音で意識を戻される。顔を見ると彼は何か言いたげな顔で口を開いた。
まさか、褒め言葉が飛び出すのか。
「……体調は大丈夫なのか?」
全くちがうセリフにガッカリした。いや、勝手に期待した自分が悪い。そう自分を改め、体調が悪いなど伝えたことがあったかな、と考え込む。
リゼットは少し頭を悩ませてから、そういえば先日ドローレンス夫人主催のお茶会を欠席したことを思い出した。
その時、ちょうど変な声が聞こえ出した。そのせいで、お茶会に参加している場合ではなくなり、申し訳ないがキャンセルしたのだ。
「えぇ、ご心配おかけいたしました。もう平気ですわ」
全然、改善はされていないけど。
そう心の中で付け足しながら、リゼットはすました顔でお茶を飲んだ。
「君でも体調不良になるのだな」
「……どういう意味ですか?」
「いや、いつも元気そうな印象だったからな。他意はない」
聞き流せない言葉につい反応してしまった。セオドアがマズイという顔をしたのをリゼットは見逃さなかった。
『他意はない、って言われた方が勘ぐるでしょ』
その通りだ、とリゼットは内心頷く。
この人はどうしてこういう棘のある言葉しか言えないのか。いつもそうだ。口を開けば嫌味ばかり。二言目には、「他意はない」。
セオドアが自分のことをよく思っていないことは知っているし、リゼットだって同じ気持ちだ。ただ、どうせ結婚してしまうのだから、もう少し柔和な態度をとってくれればいいじゃないかと思う。そう伝えても、あまり伝わってないのか改善する意思がないのか、態度は全く変わらない。
セオドアのリゼットに向ける気持ちが変わらない限り、ずっと険悪な関係のままだろう。
「私もやることが多いんですの。たまには忙しさで体調も崩しますわ」
「フッ……忙しい、か」
リゼットの発言に対し、セオドアはそれを鼻で笑った。
さすがに見過ごせない反応をされて、リゼットは無視出来なかった。
「その笑みはどういう意味ですか?」
「いや、毎日金を使うことで忙しいんだろうな、と」
これは明らかに嫌味だ。誰がどう聞いてもそう受け取るだろう。
こちらの事情も知らずに、金遣いを咎める。いつものことだ。リゼットも我慢すればいいのだろうが、性格的に文句を言わないと収まらない性質である。
リゼットが反論しようとした瞬間だった。
『なんだテメェ、その言い方は』
声の方がいつもより低く唸った。今まで聞いたことのない口調だ。
リゼットはこんな静かに怒る男性の声を耳にするのは初めてだったので、驚きを隠せなかった。
『ねぇ、リゼット。今のは完全に嫌味じゃない? 嫌味だよね!?』
先ほどの低い声は消え、今度はいつも通りの調子でリゼットに話しかけてくる。
あんな声も出せるのか、という方に気をとられてしまい、セオドアの嫌味に構う気持ちを失った。
一方セオドアは、いつもならすぐに金切り声を上げて怒る婚約者が、全く微動だにしないことを不思議に思っていた。
いつもみたいに嫌味を言えば喧嘩が始まり、お茶会はお開きになる。さっさとこの場を立ち去りたいセオドアがよく使う方法だ。別に意図していないときもつい口を滑らせてそうなってしまうこともあるが。
婚約者としていかがなものかと後から反省するもするのだが、今から恋愛ごっこなどするつもりもないため、あまり気に留めないようにしていた。
「……フフッ」
リゼットが唐突に笑った。その表情を見て目を見開くセオドア。それに気づいたのか、彼女は軽く咳払いをすると「……失礼しました」と謝った。
セオドアは突然のことに動揺した。
怒るどころか急に笑う理由が理解できないし、あのリゼットが謝るなどありえない話だ。それに、愛想笑い以外で素直に笑う彼女を見たのはかなり久しぶりだ。
そして市場の泥いたのは、もう一度笑った顔が見たい、と考えてしまう自分がいることだった。
いや、相手はリゼット・フェレーラだ。騙されるな。必ず何か裏があるに違いない。
そう疑えば、色々とつじつまが合う。自分の瞳と同色ドレスを着てきたのも、笑って見せたのも、何か頼みごとか後ろめたいものがあるからだ。間違いない。
「なにか私に言いたいことがあるのか?」
切り出さないのならこちらから炙り出してやろう。
セオドアは自信満々に彼女に訊ねた。しかしリゼットから帰ってきた返事は――
「いえ? 特になにも」
不思議そうに首を傾げている彼女の目は嘘をついているように見えなかった。むしろ何を言っているのか分からないといった視線である。
そんなはずがない。だったらこの一連の出来事は何なんだ!
セオドアは声を荒げてしまいそうになるのをぐっと飲みこんで、もう一度彼女に訊ねた。
「本当に何もないのか?」
「あ……でしたら、ひとつだけ」
ほらやっぱり。何かあるのだ。
大体のことは金で解決出来るはずだから、セオドアに頼むとなると公爵家の力が必要な願いか。もしくは恋人が出来たから認めてほしいとかそういう話か。
内容によっては考えてやらないこともない。
公爵家という地位を使うものは現当主である父親の許可がいるから叶えられることは限られている。恋人に関しても、外部にバレなければ好きにしてくれいい。
ここで貸しをつくっておくのも悪くないだろう。
リゼットは言い辛そうに若干目線を落として自身の爪をいじっている。口に出そうか迷っているらしく、何度か口をパクパクしていた。
そんなに後ろめたい事なのか、と思うのと同時にこんな可愛らしい仕草をして、ずいぶんと計算している女だ、と鼻で笑い飛ばしそうになるのを堪える。
やっと決意したのか、セオドアの顔をチラリと見てリゼットはこう訊ねた。
「このドレス似合っていますか……?」
全く予期していなかった質問に、セオドアは頭を殴られたような衝撃を受けた。椅子から転げ落ちなかった自分を褒めてやりたいほどだった。
本当にこの女はリゼット・フェレーラ侯爵令嬢か?
自分の知っている彼女は、こんな甘えるような台詞は吐かないし、媚びるような仕草もしない。
もしくは夢を見ているのか。
考えれば考える程、彼女に対して失礼なことばかり想像してしまった。