4.金持ちの侯爵家
セオドアはこの家が嫌いだった。
馬車から降りるとまず目に飛び込むのは、侯爵家にしては広すぎる庭。外国でしか手に入らない貴重な花々を惜しげもなく植え、来るたびに種類が変わっている。職人に作らせたという噴水はこれでもかと豪華な作りをし、ちょっとしたティーパーティが開催出来そうなほどの広い温室も建てられていた。
玄関には貴重な生地で作らせた絨毯が敷かれ、絵画や美術品が目に飛び込む。重厚な扉の装飾は有名な職人に作らせた特注品だと教えてもらったことがある。
家を訪ねただけで、これでもかというほどフェレーラ侯爵家の財力を見せつけられた。
公爵家もかなりのお金持ちだが、ここまで開けっ広げなことはしない。
貴族として恥じない程度で、公爵家らしさを演出させるものといえば王族関連の品をところどころに飾っているぐらいだ。
“公爵という肩書に溺れず、節度ある態度をとること”
これがセオドアの父親の教えだった。
傲慢な振る舞いをしていれば、いつ寝首をかかれるか分からない。自分たちを面白くないと思っている人間は、一瞬の油断を見逃さないからだ。
そのことを理解していたセオドアは幼い頃から次期当主として自分を律して生活していた。
欲しいものがあっても我慢するし、おこづかいは貯金する。プレゼントはオモチャではなく本をねだった。
だから自分では絶対に選ばない相手との結婚が決まったとき、セオドアは驚愕し落胆した。もうその頃には、フェレーラ家の長女は自身のために散財する、と貴族の間で有名だったからだ。
実際に、一度たりとも同じものを身に着けている姿は見たことなかったし、その身に纏う品々が全て高級品であることは一目でわかるほどだった。
それ以外にも本人から聞かなくても、「あの店でいくら使った」とか「あの品にはいくらつぎ込んだ」など、いくらでも噂が耳に届いた。
婚約したばかりの頃、「結婚すればそんな金の使い方は許せない」と指摘したことがある。するとリゼットは「言われなくてもそのつもりですわ」と憤怒した。その態度に「分かってない」とセオドアは反論し、そこから大喧嘩になった。
「実家から援助してもらうつもりなのか」と問えば「そんな公爵家に恥をかかすことなどしない」と反論し、「それならば今からでもお金の使い方を変えた方がいい」と指摘すれば「余計なお世話だ」と睨らんだ。
そこから二人の仲は急激に悪くなった。
定期的に行われる顔合わせと婚約者の義務として果たすパーティでのエスコート役、業務的な手紙のやりとり以外は距離を置いている。
最初から考えが合わないのだ。適任がいないせいで婚約者に抜擢されただけ。セオドアも王命でなければ関わらない相手だったはずだ。
そういえば、カレンという令嬢は慎ましかったな……。
ふと先日会った女性のことを思い出した。
母親が主催したお茶会で、ドローレンス家を訪れていた伯爵令嬢だ。
その会に顔を出す気はさらさらなかった。だが剣の練習から戻る途中、たまたま前を通り過ぎたとき、母親に声をかけられてしまったのだ。すぐに来賓者に囲まれてしまい、早く着替えたい気持ちを抑え、公爵子息として挨拶をして回った。
その際、ウェスカー伯爵夫人に娘のカレンを紹介されたのだ。
交わしたのは挨拶程度で、あとは母親たちが勝手に盛り上がっていた。セオドアとカレンは母親の横で待たされただけである。なんとなくカレンを一瞥したら、たまたま目が合ってしまった。彼女は男性慣れしていないのか、セオドアと目が合うと頬を赤らめて俯いた。
その態度にセオドアは目を丸くした。今まで会った女性は、地位や顔に釣られて自分を売り込んでくるギラついた者ばかりだったからだ。
こんな人もいるのだと、とても印象に残った。
結婚するならお淑やかで愛嬌のある女性がいい。セオドアはその令嬢に会ってから強くそう考えるようになっていた。
しかしもうセオドアの結婚相手は決まっている。理想とは真逆といっていい存在が。
今日もすぐに客室へ通されるんだろうな。きらびやかな飾りに囲まれながらセオドアはそう思った。
リゼットが出迎えたのは最初の頃だけ。あの大喧嘩以降、使用人が彼女を呼びに行くが、リゼットが顔を見せることなく移動を促される。
今さらセオドアも期待していない。むしろ顔を合わせる時間が減ってよかったとすら思っていた。
「……お待たせいたしました」
予想していなかった声に、セオドアはハッとして顔を上げた。そこには出迎えるのをやめたはずの婚約者が立っていた。
しかも青色のドレスを着て。
彼女がこの色を身に纏っている姿をセオドアが目にしたのは、ほとんどなかった。なぜなら青色はセオドアの瞳の色だからである。
この国では、パートナーのいる女性はパーティやお茶会など人目がある場所へ参加する際、パートナーの瞳の色や髪の毛の色のものを身につける。分かりやすいところだとドレス、ささやかなところだとネックレスやピアスについている宝石。
自分には決めた相手がいるという主張であり、寄って来る男性をけん制するために使う。あとは、自分たちは仲睦まじいカップルということを見せつける意味もあった。
ただ今日はリゼットの家で二人きりのお茶会。
この場合「私はあなたに染まっています」といった好意の表れになる。
リゼットは初めて二人で参加したパーティで青色の宝石を身に着けたきり、セオドアの色を身に着けることをしなかった。
だから社交界でも二人の不仲説は浸透していたし、令嬢たちも遠慮なくセオドアに近づいてきた。
それなのに、だ。
今日、彼女は青色のドレスを着ている。セオドアだってこの意味を知っている。
いや、今さら媚を売られたところで俺の気持ちは変わらない……!
騙されるものか、とセオドアは己に言い聞かせた。
色目を使われても自分の信念を変えるつもりはない。好意を向けられても散財癖のままだと困るのだ。
それにしても、こんなに美人だったか?
元から美しい顔立ちであることは分かっていたが、今日はいつにも増して綺麗に見える。
自分の色を纏っているからだろうか。いや、そういえばネックレスもいつもより落ち着いていた。いつもなら目障りなぐらい派手なのに。
「あの、セオドア様……?」
困惑した声をかけられ、セオドアは我に返った。リゼットが困惑するのも無理はない。無言のまま、ずっと彼女を見つめていたからだ。いくら婚約者とはいえ女性を凝視するなど失礼だ。
「あ、いや。すまない。……本日はお招きいただき感謝する」
「いえ、こちらこそお越しいただきありがとうございます。今日は天気もいいので庭で過ごそうとご用意致しました」
「あ、あぁ」
いつものお決まりのやり取りなのに、今日はその所作すら美しく見えた。
「ご案内いたしますわね」
ニコリと愛想笑いを浮かべると、リゼットはスタスタと歩き出した。その態度にセオドアは拍子抜けする。
てっきり横に並んで腕を絡めてくるかと思った。自分の気を引こう女たちは皆そうするからだ。自分たちの間にそんな熱い関係は築かれていない。
だが、その姿は何なのか。
まさか意味を知らないという訳はないだろう。腐っても侯爵令嬢である。マナーや教養はしっかりと学習しているはずだ。
リゼットの後ろをついて行きながら、彼女の行動の意図を探ろうとセオドアはずっと頭を悩ませるのだった。