3.ファッションとは
この謎の男の声、ひとつ性格に問題があった。
『リゼットにはピンクより赤の方が似合うって!』
鏡の前でリゼットにドレスを合わせる侍女たちへ男の声は文句をつける。本日着用するドレス選び始めてから、ずっとこの調子だ。
この男、ファッションに関して、ものすごくうるさい。
先日購入したドレスは予定通り届き、今日のお茶会にはどれを着ようかと選ぶ。侍女はどれを着てもいつものように絶賛したのだが、声が文句を言い出したのだ。
『さっきから言ってるでしょ! リゼットは顔立ちがキリッとしてるんだから、変にメルヘンな色より濃い色のほうが似合うんだって』
「……別のものを用意して」
先ほどからこの声に気圧されて、ドレスを取っ替え引っ替えしている。
いつもはドレスに無関心なお嬢様が、いつもの何十倍もドレスにこだわるので、侍女たちは全員訝しげな顔をしていた。
だが、そんなこと気にも留めない様子で、謎の男の声は楽しそうに話しかけている。
『今日、せっかく婚約者に会うんでしょ? だったら可愛いって言われたいじゃん!』
セオドアとの関係性をまだ訂正出来ていないので、間違った解釈をされているのがリゼットの癪に障った。
あの人に可愛いなど一度も言われたことなどないのに。そう考えて、なんだが悲しくなった。
「こちらはどうですか?」
「そうねぇ……」
『いや、それも薄いピンクじゃん! 同じ色ばっかり何着買ってんの!』
「……ちがうものにして」
「お嬢様、今日はずいぶんと迷われますね」
「あ、はは……」
侍女の言葉に、リゼットは苦笑いを浮かべるしかなかった。
リゼットはオシャレに関してもセンスがない。だから声が否定する理由がピンと来ておらず、ずっと興味のない服選びに付き合わされている気分だった。
『可愛い色じゃないやつないの!?』
「もっと濃い色のものは?」
「濃い色ですか……」
『そうそう! これだけあるんだからひとつぐらいあるでしょ』
頭を悩ませながら侍女たちがドレスの山を漁る。
今回買った品は、ほとんどが淡い色や可愛らしい色ばかりだった。仕立て屋が言うには、今の流行なんだそうだ。
リゼットの目的はお金を使うことのため、同じ色が被っていようとカラーバリエーションが偏っていようと関係なく言われるがまま購入したのだ。
「濃い色となると、このふたつなのですが」
『お、いいのあるじゃん!』
やっと探し出した侍女が見せたのは、真紅のドレスと深い青色のドレスであった。
「ただ、赤い方はお茶会に派手すぎますので、こちらの青の方になりまして……」
侍女は申し訳なさそうな顔でこちらを窺っている。なぜこんな表情なのか。理由は簡単だ。リゼットは青色を避けているのだ。
『じゃあ青だね! いいじゃん、絶対似合うよ!』
そんな事情を知らないから、あっけらかんとした声でそう言った。
「やっぱり、ひとつ前のやつに……」
『は? 絶対ないわ。それぐらいなら裸で会った方がマシ』
つい「そこまでダメなの?」と言いそうになった。
だが、この男がここまで圧をかけるのだから、そうなのだろう。今日、似合わないと指摘されたドレスたちはもう着る機会もなさそうだし、処分した方がいいのか。
いや、それよりも今考えるべきは、この青のドレスを着るかどうかだ。
今日だけは絶対に着たくないリゼットは、下着姿のまま頭を悩ませた。
男の声はどんどん声量が大きくなり、『見たい! リゼットが青いドレス着てるとこ絶対に見たい!』などと子どものような駄々をこね始める始末だ。
「お嬢様、お時間が迫っております」
侍女に急かされたリゼットが時刻を確認すると、間もなくセオドアがやってくる時間であった。
――もう腹を括るしかなさそうだ。
「あ、青のドレスにするわ……」
「え、本当によろしいんですか!?」
『やったー!! 絶対良いよ! 俺が保証する!』
メイドは驚き、声は大喜びしている。
色々と言いたいことはあるのだが、そんな暇すらない。
「早く準備してちょうだい」
「か、かしこまりました」
リゼットの指示に侍女たちは素早く動いた。あっという間に着せられた。
結論、ドレスはとても似合っていた。今まで青色を避けていたのがもったいないと思う程に。
『俺の見る目すごくない? めちゃくちゃキレイ! このまま街中歩けば、男から声かけられまくって、選り取り見取りじゃん!』
はしたない意見も聞こえてきたが、確かに彼の見立ては間違っていなかった。
いつも適当に選んでいたドレスは、リゼットにはアンバランスで、顔の少し強そうな印象ばかり目立っていた。しかし色と調和することによって、彼女の美しさを引き立てている。ドレスの形もスタイルがよく見えるタイプのため、尚更美しく仕上がっていた。
なるほど、こうすればいいのか。
完璧なる出来栄えに、リゼットはまじまじと鏡に映った自身を見つめて勉強する。
侍女たちが選ぶものも悪くはなかった。だがそれは及第点程度の完成度。今日は満点である。
「ただ、青色なのよね……」
満足感ですっかり忘れていたが、ドレスの色で我に返る。だがもう着てしまった。着替える時間はない。もう後戻りは出来ないのだ。
「さて、お嬢様。アクセサリーはいかがいたしましょう」
「適当に見繕って……」
『先に靴を選ばせて! アクセサリーは最後でいいから!』
「や、やっぱり先に靴を決めようかしら!」
いつもより肉体的にも精神的にも疲れたため、侍女に任せようと思った。しかし喝を入れられ、慌てて姿勢を正した。
靴を履いては脱がされを繰り返し、アクセサリーも合せては下げ着けては外しを繰り返し、着せ替え人形のように扱われ結果、ようやく着替えが終わった。
これからが本番だというのに、リゼットの体力はもう残っていない。振り回された侍女たちも同じように疲れている。
彼女たちを振り回した人物は、こちらの疲労など気にすることなく、『今日のリゼットは世界一キレイ!』と絶賛していた。
しかし過度な賛辞には聞こえなかった。
元々美人のリゼットだが、今日はさらに美しさが増している。
いつもの高すぎて歩くたびに音が響くヒールをやめて、一番足が綺麗に見える高さの靴を選んだ。ゴテゴテとしたアクセサリーはすべて却下され、リゼットとドレスを引き立てる洗練されたものを着けた。ヘアスタイルもいつもの下した状態ではなく、ハーフアップの編み込みだ。
リゼットはその姿に嬉しくなって、鏡の前で何度も確認する。つい笑みがこぼれてしまう。
そんなことをしていると、部屋の扉がノックされた。
「ドローレンス様が到着されました」
執事の報告を聞くと、リゼットはキリッと顔を引き締めて気合を入れた。
「分かったわ。先に案内しておいて」
「かしこまりました」
『は? 出迎えに行かないの?』
いつも婚約者が来ようと迎えにいかない。この家の使用人たち全員知っているから、平然とした態度だ。しかし声だけは意義を唱えた。
『せっかく婚約者に会えるのに。一秒でも早く会いに行って、今日の格好を褒めてもらおうよ!』
リゼットにはその言葉が理解出来なかった。あの婚約者が褒めるはずがないと知っているからだ。そしてこの声はそのことを知らない。
これから見せつけられる現実にガッカリするんだろうな。まぁ、そうすれば少しは大人しくなるか。
そう考えたリゼットはまだ扉の前にいた執事を呼び止めた。
「やっぱり出迎えに行くわ」
「えっ?」
『よし、そうこなくっちゃ!』
その発言に驚いたのは執事だけではない。部屋にいる侍女たちもだ。リゼットだって自分がおかしいことを言っている自覚はある。声だけは楽しそうだ。
「彼は今どこ?」
「えぇっと、馬車から降りたところです」
「わかったわ」
『今すぐ行こう! 走って行こう!』
「走らないわよ!」と叫びたい気持ちをぐっと抑え、毅然とした表情で玄関へと向かう。
彼女を見送る執事とメイドは、不思議そうに首を傾げていたのだった。