12.すれちがい
王太子のパーティの日、当日。
リゼットは朝から準備に追われていた。
湯浴み、マッサージ、メイク、着替え……日が高く昇っても、やることは尽きない。
普通のパーティならここまでしないが、王太子殿下からの招待だ。国中の貴族たちが集まるはずだ。今日は侯爵令嬢としてではなく、次期公爵夫人として見られることになるだろう。
結婚する前から足元をすくわれないように、一瞬の隙なく仕上げなければならないのだ。
コルセットをいつもよりきつく絞ったリゼットは、深い紫色のマーメイドドレスに着替えた。
悩みに悩んだ末、決めたドレスだ。頭の先から爪の先まで、声によるトータルコーディネート。おかげで仕上がった姿は、今までにないほどの完成度だ。
手伝ってくれた侍女やメイドがみんな褒めてくれる。とてもいい気分だった。
あとはセオドアの迎えを待つだけ、だが――――
「……遅い」
リゼットは眉間にしわを寄せながら、ボソリと呟いた。
その表情はせっかく綺麗に着飾った姿が台無しなほどだ。侍女たちも怒りを露わにするリゼットにハラハラしている。
リゼットが怒っている理由はひとつ。婚約者が一向に来ないのである。
王城までの時間を逆算すると、もうそろそろ出発しなければ遅れてしまう。身分が高い二人だからゆっくりと後から入場するのが通例だから多少遅くても構わない。だが今回は自分たちより身分の高い人間が主催の場である。パーティが開始する前までには必ず行かなければならない。
共に参加してほしいと頼んでドレスまで贈ってきた人間が、遅れてくるなどありえない話だ。
メイドや執事たちが、家の前に公爵家の馬車がやってくるのを今か今かと待ちわびている。
両親や兄は先に王城に向かったので、いらない心配をかけずにすんでいるのがせめてもの救いだ。
ただ、今回は出席しない留守番役の弟が、姉に代わってそわそわと落ち着かない様子だったので、リゼットはとても申し訳ない気持ちになった。
今から公爵家まで何かあったのかと確認しに人を送る時間もないし、こちらから迎えに行って入れ違いになってもいけない。
身動きが取れずイライラが募るリゼットに対して、あっけらかんとした声が降ってきた。
『先、行っちゃえばよくない?』
当たり前のように言う声。
それが出来たら苦労してないんだけど、とリゼットは爆発しそうになったが、そんなことお構いなしに話を続けた。
『だって、手紙には迎えに行くって書いてなかったんでしょ? 遅刻するよりマシじゃない?』
確かに声の言う通りだ。
今まで届いた手紙にはどこにも迎えに行くと書いてなかった。それに遅れて王族に失礼があるよりも、先に行ってセオドアに咎められる方が傷は浅くて済む。彼は激怒しそうであるが、遅れて不安にさせた方が悪い。
「馬車を用意してちょうだい」
リゼットは吹っ切れた様子でそう言い放った。
侍女たちは驚いていたが、すぐに察してバタバタと動き始めた。
『もしセオドアに何か言われたら、「心配してたんですぅ」って言って、目潤ませながら上目づかいすればいいよ』
ろくでもないアドバイスが聞こえてきたが、聞き流しておくことにする。
姉の状況に心配しつつも見送りに来た弟のメリルに、「留守をよろしくね」と声をかけて馬車に乗り込む。すぐに馬車は走り出し、急いで王城へと向かった。
セオドアの乗った馬車がフェレーラ家に到着したのは、そのあとすぐだった。
「何!? もう先に行っただと?」
玄関先でフェレーラ家の執事にそう伝えられたセオドアは、イラついた様子をみせた。
本当はもっと早く侯爵家に迎えに来るはずだった。
ただ少しアクシデントがあったのだ。新人のメイドが、セオドアが着る衣装を汚してしまったのだ。
躓いた拍子に飲み物をこぼしてしまったメイド。その量は少量であったため、大事には至らなかった。しかし、シミを落として乾かして、となるとかなり時間を要したのだ。
いつもなら別の服に着替えるのだが、今日だけはそうはいかない。
リゼットにドレスを贈っているからだ。同じ黒色で、ペアになるよう作った。セオドアもこんなことをしたのは初めてだ。自分でも何を血迷って、と思ってしまうほどである。
だが先日、彼女の家でのお茶会で、自分の瞳と同じ色のドレスを着ていたリゼットが、可愛く思えてしまったのだ。……相手はあのリゼットなのに。
そしてあの日以来、青色のドレスを着たリゼットを度々思い出していた。
考えれば考えるほど、ある欲求が自分の中に生まれてきた。自分と揃いの色の彼女が見たくなったのだ。
だからどうしても今日は黒色の衣装を着る必要があった。
泣いて謝罪をするメイドをなだめつつシミを落とした服を着ると、急いで家を出た。
馬車のスピードを上げるよう指示し、やっとフェレーラ家に到着した時、彼女はもう出かけてしまっていた。
なぜ待っていてくれなかったのか、という気持ちと、自身の不甲斐なさにやり場のない怒りを覚えた。
仕方ない、と侯爵家を後にしようとしたとき、屋敷からリゼットの弟が顔を見せた。
「わざわざ足を運んできていただいたのに、申し訳ございません」
メリルは全く悪くないのに、頭を下げる。
フェレーラ家の者が全員出払っているので、弟であるメリルが誠意を見せているのだ。いつも思うが、年下だというのにしっかりした人間だと感心した。
ただ、いつも大人しいメリルだが今日は違っていた。
「ですが、姉もギリギリまでセオドア様を待っていたのです。ご配慮いただけると幸いです」
頭は下げたままだが、セオドアを見つめる目つきは鋭い。遠まわしに「姉は悪くない」と言っているのだ。
フェレーラ家の次男は、年齢にそぐわないほどの頭のキレがあると巷で噂されているが、セオドアは身を持って実感した。
「……分かった。迷惑をかけた」
「いえ、お気になさらず。セオドア様も急がないと遅れますよ」
そう微笑むメリルは年相応の顔つきに戻っていた。
そのギャップにセオドアは若干の恐怖を覚えたのだった。