1.声が聞こえるんですが
「なぜ俺が用意したドレスを着ていない?」
『はぁ? お前のセンスが悪いんだろ!』
「それに待たずに先に行くなど……」
『だったら迎えに来い!』
華やかなパーティ会場の入り口。そのきらびやかさに似合わない醜い言い争いの怒声に、リゼットはこめかみを押さえた。いつもだったら「うるさい!」と怒鳴りつけるところだが、今日はそうはいかない。それは、ここがパーティ会場だからではない。
そんなことをすれば、自分は“婚約者に怒られてヒステリックに逆ギレする令嬢”になってしまうからだ。
「はぁ……」
リゼットの口から思わず漏れ出てしまったため息に、目の前の男はますます目くじらを立てた。
「あからさまに嫌そうにされるこっちに身にもなってくれ」
目の前で小言を言う男、セオドア・ドローレンス。
今は狭量な人間に見えるが、実はこの国の公爵子息である。見た目麗しく端正な顔立ち、次期当主としての教養もありながら剣も立つ。年頃の令嬢から引く手あまたのこの男は、リゼットに対してだけは無愛想だった。
しかしリゼットからしても、こんな男の指摘など慣れたものである。出会った頃からずっとこの態度だ。いい加減飽きもきている。
彼女は、いつもみたいに右から左へ聞き流した。
ただ問題は、もうひとりの方。
『お前がいちいち突っかかるからだろうが!』
リゼットが文句を言われているのに、まるで自分のことのように反論する男。
この男は今この場にいない。というより、今まで姿を見たことがない。聞こえるのは声だけ。しかもリゼットにしか聞こえない声なのだ。
時は数か月に遡る――――……
今日もフェレーラ侯爵家では、長女のリゼットがお気に入りの宝石商を自宅へ招いていた。
テーブルの上にこれでもかと並べた商品は、どれも光り輝いている。
「これが新作? まだどこにも卸してないわよね?」
「はい、もちろんです」
目の前に出されたネックレスを品定めするリゼット。商人はニコニコしながら解説を始めた。
「こちら、最近作られた形の品でして、大きな宝石をふんだんに使用しております。すぐにでも店頭に並べたいところなのですが、本日お嬢様にお見せするためにとっておきました!」
「ふーん」
真ん中の大きな赤い宝石がギラギラと光り、さらにそれを取り囲むように同色の宝石が配置されている。照明の反射で、ただでさえ派手な宝石はもっと輝いて見えた。
パーティに着けていけば目立つこと間違いなしだろう。
商人の熱量とは打って変わり、リゼットは興味無さそうに適当に相槌をうっている。だが、そんな彼女の態度などお構いなしで、商人は次の品を取り出した。
「合わせてピアスもいかがですか? こちらも同じ宝石で作られたものでして」
「いいわね」
そのピアスもかなり派手なものだった。
リゼットは商人の説明に無感情で返事をしながら購入を決める。
先ほどからこの繰り返しだ。
商人はそれを知っているため次々と高級な宝石を見せてきた。出されるもの全て買っているリゼット。それでもまだ、本日分の目標金額には達していなかった。
***
フェレーラ侯爵家は国内でもトップクラスのお金持ちとして有名である。
侯爵領地を治めて得られる利益は他の領地と同じくらいであるが、これとは別に貿易の仕事をしている。
昔の当主が趣味で始めた事業だった。最初はちょっとした取引程度であったが、年数が経つに連れ、どんどん大きな事業となり、今ではこの国になくてはならない貿易商と化した。
その財力は公爵家にも引けを取らないほどである。
この国では、稼げば稼ぐほど毎年税金として納めるとこになっている。毎年フェレーラ家の納める金は膨大だ。
リゼットの父親は「無駄に国にお金を取られたくない」と、できるだけ国に納める金額を減らすことを考えた。そこで思いついた税金対策が、子どもたちに年間予算を振り分けることだった。子どもへのおこづかいと言うには目が飛び出しそうな金額を毎年渡す。そして「その予算を毎年すべて使い切れ」というルールを決めたのだ。
そのため、フェレーラ家の子どもたちは毎年必死になってお金を使っている。定期的に帳簿を確認され、減りが悪いと父親に叱られることもあった。
リゼットも「おかしなことをさせる親だな」とは思っているが、ルールだから仕方ない。
三つ上の兄は頭が良いので、投資をしたり次に流行る商品を輸入して販売したり、と色んなことを試している。失敗しても金銭的な痛手がないので、次々と大胆な挑戦をしているようだ。
二つ下の弟は芸術面に興味があるので、売れない作家や画家へパトロンとして支援している。幼少から読書や絵画鑑賞を好んでいたため、見る目がある。彼のおかげで有名になった芸術家も多く存在していた。
リゼットも兄弟の真似をして、投資や支援をしてみた。
しかし困ったことに、彼女にはセンスがなかった。
投資した事業は全く軌道に乗れずとん挫。支援した芸術家たちは金を与えた途端、行方をくらました。
目的はお金を使うことなので失敗しても構わないのだが、全く成果が出ないと心も折れる。
兄弟たちに相談しても「見る目がない」と一蹴されるばかりだった。
そんなリゼットが手っ取り早くお金を使うには、女であることを活かすことであった。
パーティのためという名目でアクセサリーを大量買い。お茶会のためという名目で多くの有名ブランドでドレスをオーダーメイド。
美味しいパティスリーがあると聞けば、店ごと貸切り。美しい花があると聞けば、家の庭を丸ごと模様替え。
そんなことを繰り返せば、周りの見る目が変わってくる。
いつ会っても新しい宝石を身に着け、湯水のごとく浪費する令嬢。事情を知らない貴族たちは「あの娘は自分勝手に家のお金を使う」などと言い、事実無根な噂話も尾ひれをつけて広がった。
誰が呼んだか、ワガママ令嬢。
リゼットの評価はとんでもなく低かった。
それでもリゼットには結婚を約束された相手がいる。公爵家の長男、セオドア・ドローレンスだ。
別にリゼットが惚れこんで結婚を望んだわけではない。
フェレーラ侯爵家を野放しにしておくには財力があり過ぎる、と国が判断し、王族の親戚である公爵家へ嫁がせることになったのだ。いわゆる政略結婚である。
別に好きな人がいる訳でもなかったリゼットは、断る理由もないし家のためになるのならば、と承諾した。
だから、このお金を使い続ける日々は結婚すれば解放されるのだ。それまでの我慢だった。
***
「次にこちらですが――」
商人が見せたのは、オレンジ色の宝石がついたネックレス。リゼットからすれば、先ほどのネックレスとは色がちがうだけでデザイン自体は変わらないように見えた。
似たようなものを持っていたけど、あれは何て名前の宝石だっけ。……どうせすべて買うのだから、熱心に説明しなくてもいいのに。と、目の前で話し続ける商人を見ながら思う。
「じゃあ、それもちょうだい」
ひと通り話し終えた商人にそう告げた瞬間だった。
『え、それ買うの?』
急に知らない声が聞こえた。
「――えっ!?」
「どうされました?」
聞き慣れない声に驚き、辺りを見回すリゼット。突然の行動に、商人どころか部屋にいた使用人たちも不思議そうな顔をした。
「いや、だって今、声が……」
「声、ですか?」
「男の人の声がしなかった?」
「男の声ですか? この部屋に男は私しかいないようですが……」
商人が言う通り、この部屋に男性は彼しかおらず、あとは侍女やメイドなど女性ばかりだ。
「でも、さっき確かに……」
『だってさ、オレンジだよ? 似合わなくない?』
「ほら、また!」
「……私には聞こえませんね」
怪訝な顔をする商人。使用人たちもそれに同意するように首を横に振った。
『これなんて宝石だろ? オレンジってさ、合わせるの難しくない? これだけ主張激しいと、何着ればいいのか分からなそうだなぁ』
リゼットの困惑などお構いなしで、謎の男の声はずっと一人で喋っている。
この状況下が全く理解できず、リゼットはこめかみを押さえる。なんだか頭が痛くなってきた。
もうアクセサリーなど買える心情ではない。
「――疲れているみたい。今日はもういいわ。今出した商品まで全部買うから、計算してくれる?」
「か、かしこまりました」
一連の不可解な態度に戸惑いながらも、商人は慣れた手つきで伝票にペンを走らせた。
そばにいた侍女は「大丈夫ですか?」と心配そうな顔をしている。
大丈夫なはずないじゃない! と叫びたいところだが、そんなこと出来るはずもなく。
謎の男の声は『あのネックレス、パーティに着けて行ったら乱反射でミラーボールみたいになりそう』などと理解できないことを、ずっとペラペラ喋っていた。