伯爵はすでにこの世にいなかった
「どうされました?殿下」
「うん・・・ティナのことを考えていた・・・」
昨日の市場襲撃事件でティナが見せた勇気ある行動と貴族令嬢とは思えないほどの発言は、高位貴族の令嬢とばかり接していたハーベストにとって衝撃だった。
そして今朝早くには男装で出掛けて行き、襲撃された食堂の片付けをしているという。
「レディティナロアの仕事については既に全員に知れ渡っていますからね・・・今日の片付けも非番の奴らが数人手伝いに行きましたよ」
「ああ、それは良かった。手伝った者たちは仕事扱いにしてやれ。そうだ、俺も行こう!」
言うが早いか立ち上がったハーベストを苦笑いを浮かべたキリウスが追った。
途中で医療部隊に立ち寄り食堂店主の状況を女将に聞いた。
「右足の一番太い筋が切られているそうです。ゆっくりなら歩けなくはないらしいですが、今までの仕事は無理だと言われました・・・」
女将はエプロンを握りしめて泣いた。
怪我をした店主が慰めるように言う。
「俺たちは故郷に帰ることになりそうです。まあ多少は貯えもありますので何とかなるでしょう・・・店を手放せば少しは金にもなりますし」
「ああ、あの店はお前たちの持ち家なのか」
「はい。借家ではじめたのですがなんとか購入することができたので。二階に住んでいますよ」
「そうか・・・もしも私が購入したいといったら?」
「へっ!貴族様がですか?そりゃもう願ったりですが・・・どうなさるので?」
「ああ、知り合いが欲しがるのではないかと思ってな」
店主夫婦は顔を見合わせた。
恐る恐る女将が口を開いた。
「あの・・・私たちのこれからを考えたら有難いお話しですが・・・私はロアにやらせたいと思っていました。あの子はきっと良いところの娘です。何か事情があるのでしょうが文句ひとつ言わず力仕事も引き受けるような子で・・・あの店が無くなったらロアが困るんじゃないかと思うのです」
「そうだな。彼女の生活が安定するのが一番だ。しかしそうなるとお前たちが家主になるという事か?ご主人がそんな体になったのだ。纏まった金が必要なのではないか?」
また二人が顔を見合わせ溜め息を吐いた。
「仰る通りで・・・」
「だから私が購入しようと言っているのだ。私があの店を任せたいのはティナ・・・いや、ロアだったか?その者だ」
「そういう事なら願ったりかなったりでございます」
二人は手を取り合って喜んだ。
ハーベストが満足そうにその様子を眺めている。
後でキリウスが横を向いてしれっとした顔をした。
店主夫婦に何度も頭を下げられながら二人はテントを出た。
「なあ、いい考えだろう?キリウス」
「さあどうでしょうか。あのレディが喜んで受け入れますかね?それに彼女には・・・」
「・・・‥‥‥残金が父親に渡るまでは夜逃げもできずか?何か方法は無いものか・・・」
「そういえば昨日本国からの回答が来ましたよ。レディティナロアの父親、ランバーツ伯爵ですが亡くなっていました」
「何だと!」
「我が国に入国して間もなくの事だと思われます。なぜか病弱な伯爵だけが医者に向かう途中、落馬して亡くなったとかなんとか・・・笑えますよね」
「バカバカしいな・・・明らかに殺人だろう?捜査はしていないのか?」
「ええ、捜査無しです。よくある事故ってことでした」
「その件はティナには伝わっていない様子だな」
「そりゃそうでしょう。バレたら金が入って来なくなる」
「えげつないババアだなぁ・・・」
「遠いとはいえご親戚です」
「それを言うな!自分の血が汚れた気分になる!まあそのお陰でティナと出会えたのだが・・・問題は山積みだな」
「何かレディティナロアを助ける方法を考えないと・・・このままではレディティナがヒヒじじいに穢され娼婦にされて、それに耐えられない繊細な隣国の王子が闇落ち決定ですものね」
「ああ、もしそうなったらそれだけでもこの国に攻め入る理由になるな」
「まあその時は立派な表向き事由を捏造しますよ」
物騒な会話をしているうちに市場に着いた。
「みんなご苦労だな」
「あっ!殿下。お疲れ様です」




