第七話「その背中、捕らえる」
持久走に住む魔物はご存じだろうか。
その魔物は対を許さず、群れることも許さない。
故に持久走で群れを作ろうとする奴等には、別れをもってその罪を認識させるという恐ろしい魔物である。
と、語ってみたは良いものの、実際はどういった原因で、どういった経緯で突然の別れが生じるのか皆目見当もつかず、ただただ魔物のせいにしてしまうというのが人間の性というもの。
では、ここからは本題を話そう。
確かに一緒に走れば辛くないのだが、それは一緒に走る人がいたら成り立つ話であって、こういった計測のお決まりとして、必ずと言っていいほど突然の別れが起こるのだ。
「サユミ......最初はゆっくりな?」
「私も馬鹿じゃないわ。ペース配分くらい分かってるもん!」
計測開始前に『一緒に走ろうな』と言っていた友達の姿を、計測中に見たものは誰もいない状態である。
何故か逸れるのである。そこに意図的な引きはがし行為はなく、気が付けば全く違う場所にいるのだ。
そして、この意図しない乖離を更に悪質にしているのが、乖離したとしても一周回って追い抜くことがないという点である。織姫と彦星でさえ一年に一度出会うというのに、この持久走における乖離というのは、すなわち永遠の別れを意味する。
「(ちょ、サユミ、速くない......?)」
「(こんなの、サッサと済ませたほうがいいに決まってるわ!)」
乖離するといっても所詮はどんぐりの背比べに過ぎず、”遅いやつ”を”ちょっと遅いやつ”が置いていくという構図なので、必ずと言っていいほど二人が巡り合うことはなく、一定の距離を保ったままに走り続けることになるのだ。
「(まだ、一周目ね。あと二周半......)」
紗由美の現在の位置は、ちょうど開始線へ初めて帰ってきたくらいで、ラップタイムはまさかの1分08秒。
先頭集団に混じって走る紗由美は、このペースだと4分15秒で完走できるほどである。
しかし、まだまだ距離は残っており、やっとの思いで一周したのだろうが、まだ二周半も残っているという事実が重くのしかかる。
「もう、息、しづらい......」
ただ、更にまずいのはコイツ。
一緒に行こう詐欺に引っかかった哀れな被害者、涼夜だ。
涼夜の現在の位置は紗由美の20m後方、時間にして10秒ほど遅れた位置にいる。
「(スズヤ、どこ......?)」
「(アイツ!自分で一緒に行こうって言ったくせに!!)」
動的運動にことごとく恵まれている紗由美にとって、400m走など余裕で学園記録を塗り替えられるくらいに速い。
故に、涼夜は記録更新級の走りに片足突っ込んだ状態となり、一周目でバテてしまったのだ。
紗由美、一周目1分08秒
涼夜、一周目1分18秒
しかし、先頭集団と一緒に走っていた紗由美にも異変が起こる。
一周目を超えた瞬間、足がいきなり減速を始めたのだ。
脳はまだ走れると思い込んでいるのに対し、足は既に限界を察しており、400mを皮切りに役割を放棄し始めた。
「(足、動かない......ッ!)」
「(サユミ、遅く......なってね......?)」
思考でさえ息切れを始める500m地点。
体力的にはまだ余裕があるのだが、体がそれについてこないという、すなわち一回目の頭打状態である。
この状態に陥ると、激しい息切れや喉の違和感、横腹の痛み、足が重くなるといった症状などが現れ始める。
そして何よりつらいのが、ここで止まれば酸欠になるのは避けることのできない確定的な事実であり、そうなれば先ほどの症状に上乗せされる形で吐き気にも襲われてしまうのだ。
「やべ......苦しく.....ハァ、なってきた......」
「横腹ぁー......いてぇ......」
それは避けたいというか、涼夜にとっては二回目の保健室になるため、そうなった場合に新島先生から何を言われるかわからない。
さすがに怖い。怖すぎる。
「(がんばれ俺、踏ん張れ......)」
《700m地点》
持久走における先生というのは、時に励ましをくれる応援者であり、距離を教えてくれる計測者であり、なにもしない傍観者でもあるのだ。
どういう意味なのか。それは実際に見てみればわかる。
「良いぞーヒイラギ!ようやくやる気を出したな!」
これは生徒に寄り添い、励ましの言葉をくれる応援者。新島先生である。
決して後ろ向きな言葉は言わず、言葉と行動で生徒のやる気を引き出し、そして稀に一緒に走ってくれるような頼れる存在。
《800m地点》
二周目である。
この時、涼夜と紗由美の距離は最大の100mほどにまで開いていた。
「(はぁ、はぁ、声、出せない......)」
「や、やめたい......」
しかし、これ以上の差が生まれることは無かった。
なぜなら、この時点で紗由美も涼夜も全く同じ速度で走っていたからに他ならず、まして紗由美に関してはガス欠寸前であったからだ。
紗由美、二周目3分05秒
涼夜、二周目3分44秒
そして、先頭集団がそわそわし始める《1000m地点》
「が、がんばってください皆さん!もう三分の二を切ってます!」
残り三分の二以下。
この言葉は、人生の中で最も聞きたいけど聞きたくない言葉上位100に選出されるくらいには、色々な意味で厄介な言葉である。
確かに応西の計測者としての役割は大きいが、ガス欠寸前の人の脳内は本当に真っ白そのものであり、唾の飲み方さえ分からなくなるほどなのに、今どれだけ走ったかなど覚えておけるはずがない。
故に、今どれだけ走ったか本能的に気になってしまうのだ。無駄な思考と分かっていながらも、もつれる足を必死に動かし、必死に走った距離を算出する。
「(さんぶん......?けいさんが、できない)」
しかし分からない。
どれだけ考えても、どれだけ数字を思い浮かべても、出ないものは出ない、分からないものは分からないのである。
紗由美は、今自分がどの地点にいるのかすらわからずに1000m地点を、確実にその足で通り過ぎて行った。
その30秒後、涼夜は紗由美と同じような足取りで1000m地点を通過した。
《1100m地点》
ちょうど新島先生が懸命な応援をしている地点であり、この長い長い長距離走の終わりの地でもある。
「.....」
「(あの先生、なにしてるの......ダメ、息に集中しなきゃ......)」
一周目、二週目、そして三週目。
最後の周の目前となると、なぜか先ほどまで前しか見えていなかった視界がいきなり広く、大きくなる。もう終わり、あともうちょっと、そんな無意識下で感じ取った希望が、体の奥底から大切に仕舞っていた体力を引きずり出してきたのであろう。
しかし、それによって一瞬前を向いた紗由美だったが、あるものに気を取られてしまった。
「......」
そう。何もしない傍観者に。
ただ突っ立ってるだけの社会科担当教員、紀藤朱里だ。
《1200m》
ちょうど三周目、見上げれば職員室という開始線を跨いだ瞬間、その視線を感じ取った紗由美は瞬間的な戸惑いを見せながらも、周りを見る事を完全に忘れていた。
しかし、紗由美にとってそれは逆に好都合だったのかもしれない。
周りの生徒たちも、最後だからという理由で殆どが息を吹き返していたため、開始線付近は先ほどまで散らばっていた中盤組によって混戦状態となっていたのだ。
もし周りに流され、ここでもう一度全力を出していれば仮初の体力はすぐさま底をつき、紗由美は第二の頭打ちの前に1500mを完走することなく、保健室の天井を眺めていたことであろう。
「ふぅ、息ができる......」
ただ、コイツは違った。
開始直後から紗由美の洗礼を受け、必死に悶えて走った三周が嘘のように足が軽くなったように感じたのだ。
その時、涼夜は前方50mにあった紗由美の背中をその目で捕らえた。
「サユミ、背中見えたぜ。」
紗由美、二周目4分42秒
涼夜、二周目4分50秒
第二の追風をご存じだろうか。
頭打状態を超えて更に走り続けることで、体の各器官がそれに順応し、酸素の摂取量が安定する。よって横腹の痛みや足の重さが消え、体が軽くなることを第二追風と言う。
《1300m》
涼夜のすごいところは、普通15分以上走り続けなければその状態へ辿り着くのは困難であるにも関わらず、僅か5分程度でこの環境に適応し、安定して酸素を摂取し始めたというところである。
「あと200mくらい......ふぅ、ッ!?」
紗由美は背後に何かを感じた。
ものすごい執念、あり得ないほどの執着心、尽きることのない対抗心。そのすべてを背中で感じ取った。
「(うしろ、いるッ!?)」
ここからは1500m走ではない。200m走の始まりである。
紗由美は体力の限界をその身で感じ取りながら、冷や汗を流す。
「せ、先頭集団の人たち!あともうちょっとですよー!」
《1400m》
応西が先頭集団を応援した僅か10秒後、ものすごい勢いで中盤組を片っ端から追い抜かしていく2人組が1400m地点を通過した。
これまで短距離という世界で敵を見たことがない紗由美は、この時初めて恐怖し、後ろを一瞬振り返る。
「(やっぱりスズヤか!)」
「(捕らえた!)」
とても1400mを走った足とは思えないほどの速さで、二人は残りの100mを駆け抜けていく。その様子はまるで狩りのようで、本質的には違うもの。
なぜなら涼夜が見ているのは紗由美の背中ではなく、その先の1500m地点そのものなのだから。
「あぁぁ!足ぃぃいい!走りきってぇぇええ!!」
「追い抜いてやるッ!」
《1500m地点》
1500m線僅か手前で新島は既に走り切っていた生徒たちを労っていると、ものすごい勢いで迫ってくる二人組の気配を感じた。
「なんだアレ。って、ヒイラギとタダナミか!?」
ものすごい気迫に若干圧倒されながらも、新島はその瞬間を目撃する。
「あぁぁああ!」
「勝ったッ!!」
1495mと言おうか、とりあえず1500mまで残り僅かであったことは確かだが、その刹那、涼夜は紗由美を追い越したのだ。
再び会うなんてことはないと思われてたこの持久走で、二人は再会し、そして僅か0.7秒差で完走したのだ。
涼夜1500m、5分39秒
紗由美1500m、5分40秒
と、まぁこのように涼夜の根性勝ちで1500m走の決着が付いたわけだが、もちろん喜んでいる場合ではない。
短い間に全力を出し切ると、体を動かす体力と共に乳酸が大量分泌される。
それが溜まると、一体どうなるかご存じだろうか。
「ぬぁぁああ!!痛てぇぇええ!!ケツが割れるッ!!」
「痛い.....お尻が痛い......」
現在走り切った二人には、激しい酸欠による”えげつない吐き気”以上というか、その気持ち悪ささえ忘れてしまうような痛さがお尻を襲っていたのだ。
そう。いわゆるケツワレである。
1500m走の幕切れは、あまりにも締まらないものであった。
《登場人物:唯波 紗由美》
身長154cm、体重44kg、年齢13歳
誕生日:8月9日
卒:第一高新小学校
在:天野上越学園 一年生
能力等級:第三級
能力区分:第一能力
能力名:響音波
・見た目は容姿端麗、黒髪セミロングの清楚系女子
・中身は我が強くて、とにかく負けず嫌いな性格
・底抜けの自信と明るさを兼ね備えている
・学力は普通だが、変なところで頭がキレる
・面倒見のいい性格と明るい性格
・勉学以外なら割となんでもできる天才肌
・小学生ながら告白された回数13回、ふった回数13回を数える
次回予告
銃火器なんて持ったことの無い二人。
勝負以前に的に当たるかすら怪しいところはあるが、しかし、勝負は勝負。
白黒つけるまで、苦手だからと言って引く訳にはいかない。
次回「まぐれも実力」
お楽しみに!!!