第四話「伸びる記録」
《天野上越学園:体育館》
ここはヨの字型に建てられた校舎、波棟のさらに奥にある二階建ての体育館。
大きさとしては一階は37m・24m・7m、二階は37m・24m・17mの一般的な規模で大抵の球技ならここでもできるし、天井も高いため、恒例の天井に挟まった球や羽もほとんどない。
二階は入学式を行った翌日ということもあり、もうフロアシートは敷かれていないものの椅子や音響装置が前の舞台下に置かれていて、余韻というものを感じられるような空間であった。
そんな体育館の隅のほうに、乱雑に集まる七組の生徒と応西、新島の姿。
「で、では!次は場所を移して......えぇ、長座体前屈をしたいと、おもいます......」
相変わらず、大勢を前にするとどんどん声が小さくなっていく応西。
まぁそんな事はどうでもよくて、大事なのは皆さんも気になっているであろう長座体前屈の測定方法である。
「はぁ、測るときはこれを使ってください。」
応西はそう言うと新島からお馴染みの”あの装置”を受け取り、そして七組のみんなに見えるよう胸の高さまで持ち上げた。
「体側の、だ、段ボールの端を物差しのゼロにあわせて、お尻が壁から離れないように押して下さい......」
この装置は長座体前屈測定器といい、そのまんまの名前なのだが、見た目はというと手作り感がどうしても否めず耐久性も見た目通りといった感じ。
そのため、丁寧に扱わねばすぐに壊れてしまう。
「あ、あと、扱うときは丁寧に......ね?お願いします......」
実際、今日も一個お陀仏になったらしい。
その残骸が舞台下の椅子や音響装置に混ざって静かに置かれているのを、涼夜と紗由美は確認した。
「じゃあ......は、測っていきましょう!」
場所は舞台から見て降りたすぐ右の壁で、五個の測定器を使って測っていく。
ちなみに反対側の壁際では3組が反復横跳びを測っており、体育館入り口前では4組が握力計測をする予定だったのだが、さすがに4組は1500m走の後のために少し予定がずれ込んでいるようで、4組の姿はそこにはなかった。
「一番奥、空いてるしあそこで測ろう。」
「え、えぇ。」
涼夜は開始の言葉の後、すぐさま計測するべく一番奥に紗由美を連れて行く。
まぁ、そんなに急がなくても人数は休みを除いて24人しかいないため、待ち時間を気にする必要はないとは思うのだが、どうしても早く計測してしまいたいらしい。
それほどまでに追い詰められていたというか、ほんの少しの待ち時間も涼夜にとっては邪魔だったのだ。
「先に測ってもいい?」
「いいわよ。まぁ、どちらにせよ私には敵わないと思うけどね!」
まるで負ける気のない紗由美。
確かにこれまでの二種目に接戦になった試しが無く、幅跳びに関しては圧倒的な差を見せつけたほどで、そんな自信が紗由美の顔に出ている最中だが、涼夜は着々と準備を整えていくのであった。
爪を研ぐように、刀を研ぐように、虎視眈々と着実にこの瞬間を狙っていたのだ。
そして涼夜は静かに背中を壁につけ、測定器を指で挟み、息を整えた。
「ふぅ、見てろよサユミッ!」
「ちゃんとこの目でぇぇええ!?」
涼夜、反撃の狼煙を上げる。
その体は静かに前へ前へと折り曲げられていき、一定のラインを超えると勢いは落ちたものの、まだまだ伸びを見せているのだ。
現時点でもゆうに50cmは超えており、55cmを目前に奮闘しているといった感じ。
「ふんーッ!!」
「すご......」
数字で見るとピンとこないかもしれないが、実際に見てみるとすごいと感じるというよりかは困惑が第一の感想になるだろう。形で言えばホッチキスを閉じたときのようである。
しかし、ホッチキスというのは閉じきったら最後、それ以上奥を綴じる事はできない。
「ぬあぁぁあ!無理!」
「えっと?ゴジュウ、6センチ......56センチ!」
涼夜の記録は56cmであった。
天野上越学園の歴代男子最高記録は61cmのため、あと5cm及ばなかったものの、その記録はすさまじいもので一年男子における歴代最高記録。
しかも何を隠そう、この日の測定においてこの記録を超える者は現れなかったのだ。
「ふぬぅぅぅぅうううう!!!」
「サユミ?準備できたから前屈......」
つまり、この女の初黒星である。
「やってるわよ!!早く測ってッ!!」
「マジかよ......えぇっとナナ?......ハチ?8センチ。」
先ほどの威勢は何だったのか。
紗由美の上半身は開始前の角度とほとんど変わらず、直角が少々傾いた程度に落ち着いていて、確かに動くタイプの測定に関しては頂点級の実力を見せるものの、静止した状態だと並み以下の性能らしい。
「くッ、去年と変わってないわ......」
「もしかしてというか、絶対体硬いよな。」
しかしこれほど体が硬いのも珍しく、涼夜の56cmという記録もすごいが紗由美の8cmというのも前代未聞で、ガッチガチにも程がある。
最高記録は参考として毎年刻まれていくのだが、さすがに最低記録は残されていない。
そのため、はっきりとしたことは言えないが、紗由美が歴代最低記録筆頭候補者であることは間違いないのではなかろうか。
「硬くない。」
「(すごいな。この記録で否定するのか......)」
しかし、紗由美は頑なに認めようとしない。
8cmという記録に関してはそういうものだと理解しているのだが、8cmだからといって体が硬いというわけではないというのが紗由美の言い分というか、めんどくさい言い訳なのだ。
確かに記録は8cmだ。しかし、その記録が劣っていると言われれば、それは違うと真正面から否定する。
「硬くない。」
「聞こえてるよ」
負けず嫌いという訳ではない。
この時点で涼夜に一度勝ちを譲ったからと言って、まだこの一度だけ。色々な面で頭一つ抜けてるからといって、完璧主義ではないのだ。
ならば、何が気に食わないのか。
「硬くないッ!」
「悪かったって!」
そう。努力を否定されたことが何より気に食わなかった。
必死に、壁から背中を離さないと死んでしまうと自分に言い聞かせ、背骨を折る勢いで懸命に曲げたあの8cmを、たった”硬い”の一言だけで片づけられたのだ。
この8cmにどれほど命を削った事か。紗由美にしてみれば、大地をひっくり返してみせる事より難しい事なのである。
「でも俺の勝ちだから、無駄な抵抗は諦めるんだな。」
「うッ、もう一回やっていい?」
負けず嫌いという訳では......ない?
「良い訳ないだろ。」
「あぁああ!脹脛つった!これじゃ調子出なかったのも納得だなぁ......?」
清々しいほどに完璧な負けず嫌いであった。
「はぁ。じゃあ、もう一回測ってみるか?」
「ほんと!?言ったわね!これでスズヤの記録超えちゃっても文句言わないでよ!」
しかし、この抵抗の要因の全てが負けず嫌いによるものかといえば、そういうわけではない。
「ほんと、負けず嫌いというか。その姿勢は尊敬するわ。」
「へへ、褒めても何もないわよッ!」
もちろん努力を否定されたというのもあるが、何より単純に褒めてほしかったというのが正直な理由である。
「ふんぬぅッ!」
「......変わんねぇじゃねぇか!!」
まぁ、結局褒めてもらったところで何も変わりはしなかったのだが。
「はぁ。後ろ待たせちゃってるから、測定器もどして。」
「はーい。」
結果として、涼夜は紗由美に7倍差をつけ圧勝し、見事立ち幅跳びの雪辱を晴らすことに成功した。
対する紗由美としてはここで突き放して大差としたかったものの、初めて黒星を喫してしまい、2対1と攻寄られる形となった。
両者譲らぬ総力戦、記録が伸び始めた涼夜が追い抜くのか、このまま紗由美が逃げ切るのか。能力測定はいよいよ中盤である。
《天野上越学園:体育館》
体育館はヨの字型に建てられた校舎、仁棟のさらに奥にある。正門から二番目に遠い施設。
【大きさ】
一階:縦37m・横24m・高さ7m
二階:縦37m・横24m・高さ17m
【謎の球】
二階のコンクリート状の天井には、破裂して突き刺さった排球の球が今もなお残っている。
挟まってるとか埋まっているとかそういう次元ではなく、突き刺さって破裂したのだと思われる。
建設中に間違って排球をしていた生徒を巻き込んだとか、殺人サーブに殺された生徒の怨念が天井を突き破って出てきたとか。
過去にこの体育館で何があったのか、生徒の間で七不思議として幾多もの説がささやかれたが、真相らしき説は一切ない。
次回予告
勢いが出始めた涼夜と、初黒星を喫した紗由美。
抜きつ抜かれつの大接戦になるのか、涼夜が追い抜くのか、紗由美が逃げ切るのか。
能力測定は中盤に差し掛かる!!
次回「これより中盤」
お楽しみに!!!