第二話「能力測定」
《天野上越学園:校庭》
3025年、四月二日。午前8時50分。
半袖でも長袖でも、どちらでも良い季節。
白い半袖の体操服だけの者、その上に真紅の上着を着る者。校庭に疎らに散らかる白と真紅の集団は、一体何をしているのか。
涼夜と紗由美のいる七組は現在、天野上越学園に設けられた校庭にて50m走を行うために整列していた。
校庭の大きさは一周400mのトラックが丸々一個すんなり収まるくらい。
その400mトラックの内側に、仮設された50m走用のレーンがあるというような形。
また他の組はというと、それぞれの然るべき場所で能力測定を行うための説明を受けており、例えば四組は隣で3000m走を行うための説明を受けている最中である。
隣と言っても距離は少しあり、普段の話し声の大きさなら会話が成立しない程度には離れている。
まぁ、ここで四組を引き合いに出した意味はなく、ただ隣にいたのが四組だったというだけの話。
「はっ、はい......いまから測定を行いたいと、おっ、思います......」
この気弱な先生は七組の担任、応西七恵。
応西はこんな性格なので、よく生徒に助けて貰う方の立場に回りやすいのだが、本当はすごい人。
都内にいる能力者の中で、上位5%の実力者だけが入学を許される『七大学園』。
七大学園と、それ以外の学園で大きく違うのは首席『刻』と次席『玄』の二席が設けられているか否かであろう。
刻になるには七大学園に入学する事はもちろん、その学園の中であらゆる面において最優秀でなければならない。
学力は勿論、能力面に関しては本当にこの上ない強さを誇っており、この時代における学園生の中でも絶対的な能力を有するのが8人の『刻』なのだ。
何を言っているのか分からない?
なら具体的に説明しよう。
刻一人に対して、学園生全員が本気で挑んだとしても勝ち目はないくらいに強い。
その気になれば、一区画を一瞬で荒廃させる事もできるであろう。
そう。何を隠そう応西は七大学園の一つ、『真門科学園』の元『刻』なのだ。
が、しかし気弱な性格も相まってかどうしてもすごい人には見えない。
「そっ、それじゃぁ......50m走から!やります!」
しかし、生徒たちもコレにつけ込もうとはしない。何度も言うようだが、成績優秀者が集まる学園に於いてそういった教員への反発はほとんどないのである。
しかし、ごく稀に変則的な奴も存在する。
今はまだ大人しくても、いずれ周りとのズレに不安と怒りを募らせ徐々に本性を表してくるであろう。
話が逸れてしまったが、50m走では男女それぞれ二列になって名前の順で並び、合計四人の測定を一気に行う。
「よーい、どん!」
応西の掛け声と共に手旗が振り下ろされ、その瞬間から50m先にいる副担任の新島泰斗と、たまたま暇だった社会科の紀藤朱里によって、ストップウォッチが四つ同時に計測を開始するという形である。
何故ピストルを使わないのかというと、運動場のすぐ横の射撃場で射撃の技能測定を行っているからに他ならない。
100m以上離れているとはいえ発砲音は凄まじく、射撃音とピストルの音を聞き間違えて何度も測定し直すよりは、声で合図を出した方が効率がいいのだ。
ちなみに、学園では射撃も重要な技能である。
特に後方支援型の能力を扱う人にとって射撃の技能は必須で、前衛に出て攻撃できない分、後ろからの援護射撃が求められるのだ。
まぁ、余計な話はここまでにしておこう。
七組が計測を開始してから、二分くらい経過しただろうか。涼夜と紗由美の番が回ってきたようだ。
「これ、勝ったら何くれる?」
「じゃあ今夜のご飯、好きなの作ってあげる。」
4レーンある内の2と3にそれぞれ並んだ二人は、何やら賭けをしている様子。
「よーい......」
応西の合図で横一列に並んだ四人は、スタートの姿勢に入る。
「逆に私が勝ったら?」
「それは......」
いくら優秀な学園生とはいえ、まだ年齢としては中学生そのもののため、こういった勝負も時にはあってもいいのではないだろうか。
「有り得ないねッ!」
「どん!」
勝つ気マンマンの涼夜。
勝てるからこそ勝負を仕掛けるのである。
勝てる自信があるからご褒美を欲するのである。
「フフっ」
しかし、勝負を挑むには軽率すぎた。
あまりに紗由美を知らなかったのだ。
不気味な紗由美の笑い声は、応西が手旗を振り下ろしてから約0.44秒後の出来事であった。
「(は、速いッ!?)」
去年まで小学六年生だった涼夜は、走ることに関しては負け無しだった。
小学校に入ってから六年間、50m走のタイムは常にぶっちぎりの一位というのが、涼夜のポリシーでありプライドだったのだ。
「(嘘だろ......!?)」
しかし、そんなモノは一瞬、時間にして6.98秒という短時間の内に打ちのめされてしまったのである。
紗由美の背中は常に前にあり、彼女はこちらを一切見ない。
相手にもされていないような屈辱と味わったことの無い敗北という感覚は、涼夜に対抗心という感情を生む要因となった。
「ふぅ......」
「ハァ......ハァ......」
更に、紗由美はそれほど息切れしていないのに対し、涼夜は大きく息切れする始末。涼夜と紗由美の差は歴然であった。
最近、受験で全然動いていなかったという言い訳も、ここでは一切通じない。何故なら、それは全員一緒だから。
「記録言っていくぞー?しっかり覚えておけよー。唯波6.9、柊7.0、田中9.4、深谷8.2だ。後で記録用紙に記入するようにな。」
新島は紀藤からストップウォッチを受け取ると、淡々と記録と注意をその口から伝えていく。
しかし、そんなこと涼夜には関係ない。
「ハァ......サ、サユミ......」
「なぁにー?」
いかにも勝ち誇った顔と声で呼び掛けに答える紗由美に若干の可愛さと、それ以上の悔しさを滲ませ、こう告げる。
「フゥ......ッハ......全種目で勝負しない?」
一種目で既に黒星を喫した涼夜だが、まだ完全敗北ではないのだ。
「ほぉ、いいよぉ?」
ここで急遽対抗種目に変更を加え、全種目で勝負する事になった。
涼夜にはこの選択肢が残っており、50m走は既に叩きのめされてしまったので、残る種目は握力、長座体前屈、1500m走、立ち幅跳び、射撃、能力別測定の計六つである。
流石に六種目もあれば、紗由美にだって半分くらい不得意なものがあるはず。勝機は十分にある。
涼夜はそれ程までにカレーライスを食べたいのだ。
「柊、自分のタイム言ってみろ。」
「えぇっと......5秒?」
しかし、自らの記録が分からないのであれば、それは勝負以前の問題。
「7秒ピッタリだ。しっかり人の話は聞こうな。」
「......すみません」
つまり、人の話はしっかり聞こうという事だ。
目先の事ばかりに気を取られていると、ろくな目にあわないのである。
その後もクラスの残り半分は50mを走るのだが、如何にも女子という走り方をする女子や、やる気無さそうに走る男子など、七組の面々は様々であった。
「あれ?どうして四人なんだ?」
「何かおかしいの?」
涼夜は残りの面々が走り終わるのを待っている時、ふと不思議に思った。
一番最後の列が四人だったのだ。
「うちのクラス25人だから、四人ずつ走ったら絶対に一人余るはずなんだよ」
「あぁ、確かに。」
そう。1クラスは必ず25人。
今後減ることはあっても、まさか入学した翌日に1人減るなんてことはないであろう。
「あ、そういえば。1番後ろの席の大垣って人が休んでたわよ。」
「なるほど、そういうことか。」
はい、解決。原因は欠席であった。
それはそうと、入学した次の日に休むとはなかなか肝の据わった奴である。
《校庭:砂場》
50m走を終えた七組は四組の1500m走が終わるタイミングを見計らって、トラックの内から外へと移動した。
そして、この砂場では立ち幅跳びを計測する。
「で、では、ここでは立ち幅跳びを、したいと、思います......計測する人と、その、跳ぶ人にうまく分かれてください......」
「俺が先でいい?」
「いいわよ。見ててあげる。」
ここで1つ小話として、なぜ一日がかりで測定をやるのか、その意味について話そうと思う。
学園は一般の中学・高校とは成績の付け方が違い、一定のラインを下回れば成績不振、一定のラインを上回れば成績優秀の評価を受ける仕組みになっている。いわばマルかバツかの二択なのだ。
首席だろうが底辺だろうが六年後に生きている方が本当の優秀者であり、言い方は悪くなるが、残念な奴は自然と消えていくのである。
学園側としては各個人の能力を測るというより、突出した存在の発見が第一目的なのだ。
故に、一つ一つ丁寧に記録を見ていくというよりは、1日動き回っても平気であるかどうかという総合的な生存能力を見ているのである。その為、このように一日がかりで測定を行うのだ。
「は、はぁい、では、決まった人達から、どんどん跳んじゃって下さい!」
まぁ、そんなこと生徒たちに伝えられるはずもなく、その事実を知らない先生もいるくらいの些細な事である。
さて七組の立ち幅跳びはというと、奥に5mほどある砂場を越えるものは未だおらず、一人、また一人と自身の記録を着実に出しているところ。
言い直せば、まだ序盤。
「よし。こっちは準備できたから、思う存分跳んじゃって!」
「わかった」
立ち幅跳びは二回計測して、良い方を自身の記録とするのだが、如何せん50m走の後ということもあり、足の張りが立ち幅跳びの全ての動作の邪魔をするのだ。
「見とけよサユミ。俺の幅跳びをッ!」
屈伸をするように膝を動かし、腕を振り、踏ん張るその瞬間。
「ッ......!?」
筋肉は伸縮を行う際、その部位の筋肉が一斉に動くのだが、一部分しか動かなかった場合はその部分が過剰に伸縮して痙攣を起こす。これを"こむら返り"または"足をつる"と言う。
まぁ、何が起こったかはお察しの通り。
「え?どうしたのスズヤ」
「......」
地面を思い切り踏み込んだ瞬間にこむら返りが発生し、振っていた手はピンと挙げられ、Yの字になって顔から砂場に飛び込んだのだ。
涼夜は砂から顔すら上げず、痛みと静かに闘っていた。
「つった?」
紗由美の問に、涼夜は砂に埋もれた顔を一度頷かせ、その壮絶な痛みを一秒でも早く落ち着かせようと努力してみる。
痛みが引かないことには、自分で動くことすら出来ないのだ。
「おーい、大丈夫かー?」
「柊くん、大丈夫?」
遂には現場を見ていた後続のクラスメイト達に心配され始め、見兼ねた紗由美は涼夜を砂場の外へ運び出したのであった。
「柊、俺はお前の将来が心配だ。」
新島先生に呆れられる涼夜と、笑いを必死に我慢する紗由美。
しかし、これは一人目では無い。
砂場の横には、こむら返りの被害者がもう一人おり、そいつは相方の女子に脹脛を伸ばしてもらっていた。
「来斗、大丈夫?」
「まだクソ痛てぇよ!」
体格は殆ど涼夜と同じだが、いかにもヤンチャそうなパツキンヘアと口調が彼の性格を物語っていた。
また、それとは裏腹に顔面砂まみれで寝転がりながら脹脛を伸ばされる姿はマヌケそのものであり、この時、砂場の横には顔面砂まみれのマヌケが二人も寝転んでいたのであった。
まぁ、同じ境遇ならば目が合うのは当然であり、その気まずさもまた別格なのである。
「あ、どうも。」
「......チッ」
ただ、いくら間抜け面でも性格は見た目通りであった。
「スズヤ。人にちょっかい掛けてる暇ないでしょ。いい?伸ばすよ?」
「あぁ......痛てぇ......」
こむら返りを起こした時、人に足を伸ばしてもらうという経験をした事があるであろうか。
寝転がり、つった足を挙げ、真上からつま先を押してもらうというアレである。
確かにアレをすることで、脹脛はマシになるのだが、完全に回復するかと言われればそういうことでは無い。
「マシになった?」
「まぁ、若干。」
「来斗?もう大丈夫?」
「まぁ、多少。」
更にその体勢というのがまた乙なもので、痙攣した筋肉を伸ばすために、つま先にはかなりの力を加えなければならない。
女子なら尚更、体重でも掛けない限り効果は見込めないのである。
ならばどういう体勢になるか。
そこは想像におまかせするとしよう。
ただ、これだけは言える。
「(無くても十分だな。)」
そういう事である。
今更だが、涼夜の記録は痙攣時にチョンと跳ねた24cmであった。
何故ここで涼夜の記録を出したのか。
それは、彼女の番が回ってきたからに他ならない。
《天野上越学園》
上縁区:和摂にある科立の学園。
2609年に第三附属学園として創立し、2953年に天野上越学園に改名した416年の歴史を誇る由緒ある学園である。
どデカい校庭や三階建ての校舎は歴史を感じるが、古臭い。
次回予告
このままでは、以降の種目も黒星確定の涼夜。
今夜のご飯がかかった勝負に、涼夜は復活できるのか!?
次回「未だ序盤」
お楽しみに!!!