第十一話「見知った顔」
それまで緊張に包まれていた教室は一気に明るい雰囲気へと換気され、机の上に置かれていた数学の教科書は鞄へと逆戻りすることになった。
「僕は島巳学人と申します。上級生からはシマみんとかマナみんって呼ばれています。廊下とかで先生のことを見かけたら気軽に声かけてね。」
島巳は着任時より、その個性的な立ち振る舞いから生徒たちに宇宙人と評され、いつしかこの学園の中でも一二を争うほど人気の先生となっていたのだ。
その慕われ具合はあだ名からもうかがえ、休み時間はご飯を食べる時間もないほどに生徒たちが押し寄せてくるのだそう。
「はーい!」
「質問はまだ受け付けてないぞ。」
ここで紗由美は新島先生に質問してみる。
何気なく、周りのざわつきに乗じるような感じで。
「先生の出身大学はどこですかー?」
意地悪な質問というと、当てはまるかもしれない。
紗由美はこの先生に対して全くと言っていいほど知性を感じておらず、今のところ一切の敬いの念を抱いていないのだ。
故に遅刻をする、忘れ物をするような奴には、一度その底辺ぶりを晒されてもらわなければならない。そう思っていた。
「話を聞かない奴は嫌いじゃない。むしろ好きだ。いいでしょう特別に教えてあげます。」
さぁ晒せ。今、晒せ。すぐ晒せ。
つい数秒前まで眠りに身を投じようとしていた涼夜であったが、ふと紗由美の横顔を見てしまった時は旋律した。
「(ひょえぇ......あっち向いて寝よっと)」
何を考えているのか、顔を見ればわかるのだ。
その下衆な顔は、まるで加害者を自らの手で裁かんとする被害者のような、同僚の粗を探して上司にチクる会社員のような、鬱憤をこれでもかと発散させる寸前の顔であった。
「二和大学理科学部数理科学科卒の17歳独身です。」
明らかな年齢詐称は無視するとして、二和大学とは一体どういった大学なのかを説明しておこう。
二和大学とは都内でも最高峰の頭脳とされる十世大学の一つに数えられ、尚且つその頂点に君臨する超難関大学である。雑に言うと、クソ頭がいい大学ということ。
島巳は、偏差値73の上位1%の選ばれし頭脳のみが入学を許可される、狭き門をくぐった正真正銘の頭のいい奴なのである。
底辺なんてとんでもない。
二和大学に進学さえしてしまえば都内で就職できない訳がなく、就職率は驚異の100%。
しかも、そのほとんどが官僚級というのだから、それだけ社会からの信頼があるのかも一目瞭然である。
「あ、ありがとうございます......」
その時、紗由美の頭の中で島巳に対する憎悪や嫌悪は全て音を立てて崩れ去った。
まさにニチャァという擬音語が似合う顔が、二和の言葉を聞いた瞬間に顔の部品全て元ある姿へと戻って真顔になったのだ。
悔しいというか、鬱陶しいというか、なにより敗北感がえげつなく、二和大学理科学部数理科学科卒という事実を一切誇らず、さも当たり前であるかのような態度に紗由美は島巳との差をヒシヒシと感じたのであった。
「他に何か質問はあるか?」
島巳は返答を終えるとすぐさま次の質疑応答へ移り、納まることを知らない七組の生徒諸君は次々と順番を待たずして質問をバンバン投げかける
「はい!」
「はいはーい!」
「独身ってほんとですか!?」
これも、余裕の表れなのだろうか。そう感じてしまう。
また、授業終了のチャイムが鳴り終わるまで島巳への質問は続いたという事実から、七組の生徒の殆どが既に島巳を慕っているということが証明された。
「人を素行で判断するのはやめるわ。」
「へぇ。何かあったの?」
紗由美は授業初日に、その価値観を捨てたのであった。
それから5分ほど経った9時45分。一限目と二限目の休み時間がちょうど半分になる時間。
「今日って雨降る?」
「天気予報では降るって言ってたわ。午前中だけ。」
紗由美もこの時には島巳に感じていた劣等感もどこ吹く風で、先ほどの先生に対する意地悪な質問は、いかにも中坊らしい一時の反骨精神からくる瞬間的な逆張りそのものであった。
そのため、未だ教卓前で七組の生徒に囲まれている島巳を横目に、太陽を隠し始めた空模様についての会話だってできるのである。
「じゃあ傘は要らなかったか。」
「私は一応折り畳み傘は持ってきた。」
12歳の反抗なんて一時の気まぐれなのだ。
「えぇ、ズルいな。帰るときも降ってたら半分貸して下さい。」
「嫌よ。濡れて帰りなさい。」
何も考えず中身のない会話をしていた涼夜と紗由美の視線の先では、教室を出ようとした島巳とすりガラス越しの何者かが同時に教室前方のドアを開け、そこで鉢合わせをした。
「はひぃ!?うっ......」
「おっと......」
もう少し詳しく言うと、まるで鴨親子の大移動のように七組の生徒から追跡され、後ろを確認するような形で目線を後ろにやっていた島巳が教室を出るためにドアを開け、一歩踏み出した瞬間、すりガラスの向こう側でドアに手をかけようとしていた何者かと優しく衝突したといった感じ。衝突の効果音は、「ぽふ」が一番正しいだろう。
その何者かは一瞬にして廊下反対側の壁まで下がり、首が取れそうな勢いで何度も頭を下げて謝罪をした。
「あ!あの、す、す、す、すみません......!わ、私前見てなくて......その......す、すみません......」
「そ、そんなに謝らなくても大丈夫ですよ、応西先生。僕も前を見てなくて、申し訳ないです。お怪我はありませんか?」
そう。何を隠そう相手は応西である。
突然のことで動揺に動揺を重ねて状況を理解できていない応西に、島巳も少々焦って両手を前に優しく出し、とりあえず宥めるような仕草を交えながら自らも謝った。
この騒動に教室の中にいた女子は黄色い悲鳴をあげる。
「応西先生うらやましいー!」
「私もぶつかってみたいー!」
「先生優しいー!」
しかし、応西はそれどころではない。
この瞬間、コミュ障には受け入れがたい、ありとあらゆる情報が一気に脳内に流れ込んだため、応西の脳は処理落ち寸前だったのだ。
「あぁ、あの......あわわわ」
この言葉を発すると、応西は貧血の眩暈でも起こしたかのようにフラッと倒れかけた。
「おぉ!?危ない!」
応西が倒れるのを黙って見ている事もできず、島巳は反射的に肩を貸して何とか再び彼女を立てなおす。
「ちょ、七組!次の授業は自習だ!静かに教室で勉強しておいて!」
なんだなんだと三階の他の教室からも生徒が顔を出す中、身長差から少々腰を曲げて応西に肩を貸す島巳は、何故か居酒屋帰りのように見えた。
ここまで約3分。
嘘のように聞こえるかもしれないが、応西は元とはいえ学園の最高戦力である。
嘘のように聞こえるかもしれないが、実話である。
騒然の出来事。否、ここまでくると笑い話で、全く持って一大事という訳でもなく笑い話としてこの出来事を読んでほしい。
ぽつぽつと空は雨を降らせはじめ、地面の色を変えていく。
そんな空模様の10時03分頃、
「雨、降ってきた。」
ぽつりと涼夜が窓の外を眺めながら言うと、暇なのか紗由美もそれに反応した。
「私、雨の降り始めが一番嫌なのよ。独特のにおいというか、雰囲気が。」
談笑、読書、勉強、各々がこの暇な時間を潰し、教室内は程よい耳触りの話し声が聞こえる程度に賑わう。
実に居心地がいい。雨の音を不快に思わないほどの話し声、しかし、隣りの教室までは響かないちょうどいい声量。
そんな穏やかな雰囲気の中、実に18分ぶりに前扉が音もなく開いた。
「あ、あの、すみません......迷惑かけちゃって......」
その影を誰も認知できないほどに静かな登場は瞬間的な静寂を生み、そして安堵を皆に感じさせるものであった。
応西は少々鼻のつまったような声で幾度か謝罪をし、足早に教壇の上に立つのだが、先ほどの静寂が応西の声を聴いて途切れないわけがなく、すぐさま教室内がざわつき始めた。
「先生!そういうことですか!?」
「まじか......」
「気になるー!」
止まることを知らない七組。
女子が先ほどの出来事を見て暴走機関車並みの反応を見せるのはおおむね納得ができるのだが、男子もそれに負けない反応というか、女子の反応の真逆で、この世の果てを見たかのような反応をしていた。
応西は男子人気がすごいのである。
内気な性格、容姿端麗、独身。言い換えれば守ってあげたい美人な”独身”。
悪口ではない。事実を述べただけだ。
「あ、えぇと、ちがいます......」
しかし、ここは応西らしからぬはっきりとした否定をして見せる。
この反応には、なんというかマジ感がヒシヒシとねじ込まれているようで、それ以上深掘りするのも何か引けるような気がした。
これには涼夜と紗由美も雨の話は一度止めて応西の話に耳を傾けていたのだが、なにせあの応西であるため、さほど驚くようなこともなかった。
「あの応西先生がねぇ。」
「んな訳ないでしょ。」
失礼な奴らである。先ほど人を素行で判断しないといったのは何処のどいつだ。
そんな蚊帳の外の二人とは別に、七組の中では男女で真逆の反応を見せていた。
「そっかぁー」
「本当にないのー?」
暴走機関車に引けを取らないほど応西に質問を投げかけていた女子はいきなり急停止し、あり得ない速度でその態度を平常に戻した。
「よし。」
「助かったぁー」
一方男子は先ほどまで居た谷底から一気に這い上がり、平常に戻るどころか山の頂点に迫る勢いで気分を向上させていた。
ここまでの反応を見るに、応西が七組の生徒にどれだけ慕われているかがわかるであろう。
島巳とはまた違った、担任ならではの距離感。
少し話がずれたため軌道修正しよう。
彼女こそが国語担当教員、応西七恵である。
実に見知った顔であり、担任の先生の授業ならではの雰囲気が1‐7の教室に流れていた。
《島巳学人》
短髪、眼鏡、ポロシャツ、身長は170cm後半と、いかにも爽やか青年の風貌をしており、二和大学理科学部数理科学科卒の27歳で、天野上越学園で学園教諭として働いてる。(6年前に二和大学を卒業した後、学園教諭として天野上越学園に配属。)
次回予告
国語担当の応西。教壇の上に立って人に教えるなんて、彼女にできるのだろうか。
昔はあんな性格じゃなかったみたいだが、人の性格というのは不思議なものだ。
というか、この学園には個性的な先生が多すぎる。
次回「わたしは先生」
お楽しみに!!!




