第十話「これが日常となる」
授業と聞くと、それとなく全てが憂鬱な気分になる。休日と聞くと、その瞬間から全てが爽快に感じる。ごく当たり前の感覚である。
それは昨日、束の間の日曜日を過ごした涼夜と紗由美にも当てはまることであった。
《学園特急:経六行き》
四月四日、月曜日。時刻は午前7時37分。
既に学園寮がある三高駅から10分ほど進んだ頃。
まだまだ休み足りないこの二人は、殆ど揺れない車体の中で爆速で流れる外の景色を見ながら無心で座席に座っていた。この三高発・経六行きの学園特急は停車駅がわずか6駅とかなり少なく、ましてや天野上越学園の最寄り駅である和摂駅までの停車駅は大舘駅のみであるため、通学に関してはかなり快適である。
しかし、人が少ないとはいえ、周りの全員が学園生。しかも今日は始業式のため、上級生も一緒に登校しているのだ。
見慣れない一年生に上級生達は、多少のワクワクとソワソワに駆られているのがすぐに分かった。
「はぁ、全く休んだ気がしないわ。」
「週始めからため息つかないの。」
しかし、そんな目も気にせず、この二人は座席に座ってため息をつく。
何故、一年生が座席に座れるのか。それはこいつらの登校が周りより一足早いからに他ならず、利用者の8割が天野上越学園生の区間なのだが、混むときはそれなりに混む。
周りに誰か立っている学園生、もしくは一般利用客がいれば、もちろんこの二人は座っている席を立ってその人に席を譲るであろう。
「一限目ってなんだっけ?」
「数学よ。」
しかし、月曜日に限っては譲らないかもしれない。
一限目が数学という事実に、立っていては目がくらみそうになるから。
《天野上越学園:教室1-7》
午前8時02分。
三階の奥のほうにあるこの教室。
徒歩や自転車で登校することは基本出来ないため殆どの生徒が電車通学なのだが、そのせいなのかほとんど集団登校のような形になり、今この教室にいるのは涼夜たち二人を含めて5人しかいない。
他の教室の前を通ってくる時も、その人の少なさに寂しさを感じたほどである。
涼夜は自分の席に通学鞄をおくと、真っ先に紗由美の席まで駆け寄った。
この空間で一度黙ってしまうと、次の一言が発せられるまでどれだけ時間がたつかわからない。故に教室に入ってすぐに紗由美の元へ駆け寄ったのだ。
「人少ないなー」
「私たちが早すぎたのよ。」
しかし涼夜の考えとは裏腹に、会話がブツブツ切れる。
周りの男女もおそらく相部屋同士なのだろうが、この様子だと寮でもどのような空気なのか手に取るようにわかる。それほどに、この教室というか階全体が静かだった。
「数学のノート、寮に帰ったら見せて。」
「始まる前に言える勇気だけは褒めてあげるわ。」
コイツ、初っ端の授業から寝る気である。
話は変わるが、朝の教室というのは不思議なもので8時30分まで残り10分になっても教室には未だ8人程度しかいなかったのだが、残り5分になると遅刻寸前組が押し寄せてくるため、教室にはいつの間にか25人が顔をそろえていた。
冬場、あまりに人が来ずに学級閉鎖を期待したことのある諸君なら想像に難くない風景であるだろう。
そして迎えた8時30分。
「お、おはよう、ご、ございますー......」
自信なさげに1-7の教室の前扉が開いた。それも気配を忍ばせるように、それはもうゆっくりと。
応西は8時30分ちょうどに教室に訪れ、朝礼を開始した。朝礼と言っても出席確認と簡単な連絡のみで10分もかからない簡易的なものである。
しかし、奴は少し違う。
「あ。そ、それと、東条くんと姫さんはお昼休みに職員室へ、あの、来てください。では、皆さん、初めての授業で緊張しているでしょうが、気を引き締めて、あの、授業を受けてくださいね」
応西は目をキョロキョロさせながら、明確に問題児二人の名前を呼んだ。
あの二人が普通に学校に、しかも遅刻せずに来ているという事実。
その事実に涼夜と紗由美、それに加えて奴等の素行を知る数人は少々の驚きを見せながら、一瞬の静寂を享受した。
「......」
姫は机に肘をつき、周りに何か誇るかのようにして少し笑みをこぼした。これが問題児の余裕というものか。
「チッ。」
しかし、東条はその空気に一石を投じるかのように舌打ちを一発放った。
その一発で再び教室は賑わいを取り戻し、応西は静かに教室を後にした。
ちなみに問題児二人の服装は意外にもきちんと着こなされており、決して服装確認で引っかかるような見た目ではなかった。強いて言うなら姫のスカートが少々短いくらい。
それも、あの静寂が生まれた要因の一つであった。
人は見かけによらないということはよく耳にするが、これは流石に見かけによらなすぎたのである。
教室の雰囲気は和やかなものになり、慣れない人との会話を楽しむ者や、静かに読書を楽しむ者、他の教室に出張に行く者など様々であった。
これが、日常。毎日変わることのない学園生活となるのである。
「二限目の国語さぁ......」
「俺と相部屋の子、朝が弱くて......」
絶えることのない会話、止むことのない笑い。
「お弁当は交代で作ることにした......」
「そうそう。最初は復習だけだって......」
この時間が休み時間いっぱいに続く。なんと青春の1ページであろうか。
何気ない記憶ほど、後々思い返すと懐かしさを感じるものである。特に学生だった時の記憶なんて、それはもう戻れないものなのだから。
「教科書ってこれでいいんだよな。」
「はぁ......スズヤ、それは問題集よ。」
こういった忘れ物をしたときも、全て自分で何とかしなければならないような時がくると、それはもう青春が終わった証拠である。
午前8時50分。これが、学園生活でこれから何度も耳にする授業開始の鐘である。
鐘の音を聞くのは初めてではない。確かにこの前の土曜日にもこの鐘の音を聞いたのだが、その時とはまた違うものを感じる。緊張、期待、重圧、すべてが当てはまるようで、当てはまらない独特の静かな始まりであった。
しかし七組生徒が授業を始めようとしてもなかなか始まらず、そのうち教室は少々のざわつきを見せ始めた。
「先生、来ないな。」
そう。肝心の前に立って喋るべき人物がまだ教室に訪れていないのだ。
初っ端の授業から遅れてくる先生に、見込みがあると感じるのか、無責任だと感じるのかは、その人がどれだけまともに授業を受けようとしているかの指標にもなる。
「俺わかるわ。この授業担当の顔見たことないけど、絶対いい人だわ。」
もちろん涼夜は前者。授業に対して一切のやる気がない。
昨日の夜、紗由美と一緒に時間割を確認しながら準備をしたのにもかかわらず、教科書と問題集を間違えて持ってくるような奴である。
逆に、これでやる気があるという方が無理な話。
「何言ってんのよ。授業の時間が減ると後ろの方にしわ寄せが行くのよ?ほんと勘弁してほしいわ。」
紗由美はと言うと、後者であった。
案外真面目な彼女は、ちゃんと相部屋になった奴の面倒は最低限見るし、なんなら少々面倒見すぎかもしれない。普段の素行に反して、意外にも真面目ちゃんなのだ。
そんな会話を5分程度していると、何やら廊下の方からドタドタと走る音が聞こえてき、その音は階段の方から段々と近づいて、やがて七組の教室の前で静かになった。
すりガラス越しの影はやがて静かに教室のドアに手をかけ、これまた静かに横へと滑らせた。
「いやー、皆さん遅れてしまって申し訳ないです。」
そう。この男こそが数学担当教諭、島巳学人である。
短髪、眼鏡、ポロシャツ、身長は170cm後半であろうか。特徴と言えばそれくらいの、何処にでもいそうな一般男性といった印象を受ける。
「あら、みんな押し黙っちゃってどうしたんですか?これから楽しい数学の時間ですよ?」
先ほど島巳のことを一般男性と表現したが、見た目上はそうなだけで、中身は超が付くほどの変人である。
「あぁ、遅れた理由ですか?良い質問ですね。私が遅れた理由は、教科書を借りていたからです。」
とにかく喋る。聞いてもいないことをバンバン喋るのだ。
独りだけで会話が完成され、他人がその会話に入る余地もなく次の会話というか、次の独り言に移行してしまうのだ。
「なぜ他の先生に教科書を借りていたのかと言うと、私が教科書を忘れたからです。皆さんは優秀なので、無いとは思いますが、念のため今日忘れ物をしてしまった人の減点はしません。次からは気を付けてねとだけ言っておきます。」
どの口がと言いたくなる気持ちは置いておいて、この数十秒でこの先生の印象は最悪のものになっていた。遅刻、忘れ物、自己中などなど、負の点しか見つからないのである。
良い点を挙げるとするならば、授業はおそらく賑やかだということくらい。
「はい。ということでね、初っ端から授業をやるのかって思っでしょ?」
島巳は実際に、一番前の席に着いていた女子に質問した。
「えぇっと......はい......」
女子は少し困惑した様子で、その質問に「はい」と答えた。
最初の授業は大抵先生の自己紹介と相場は決まっており、初っ端から授業を進行しようものなら、生徒たちから冷ややかな目で見られるのは確かである。
しかし、島巳はそんな目線を一切気にしない鋼の精神を持ち合わせているのだ。
故に彼女へ問う。
「授業がいい?先生の自己紹介がいい?」
続けて島巳は質問を投げかけた。
この質問、悪魔的である。
教科書を借りてまで皆のために授業をしようという先生の味方なのか、最初の授業くらい自己紹介で楽しみたい生徒の味方なのか、君はどっちなの?という質問と同義なのだ。
「えぇっと......」
女子はあり得ないほどの何かを背中に感じていた。視線、圧、念、全てに当てはまる何かだ。これは教室にいる全ての生徒から向けられているものであり、今この教室中の注目は彼女に向けられている。
怖かった。彼女は恐れたのだ。
授業がしたいといって、この教室中からの反感を一身に受けることを心から心配したのだ。
目が泳ぐとはまさにこの事で、5秒ほどの思慮に身を投じた彼女の目は、その目が動く範囲すべてに視線を合わせていた。
「まぁ、せっかく教科書借りたし......」
彼女はこの言葉にいち早く反応した。マズイと。
泳いでいた目は一瞬にして島巳の目、その一点を見つめた。
「自己紹介が......いいです。」
彼女は勇者になった。
「よく言った。じゃあ先生の自己紹介します。」
『よっしゃー!』
《学園特急:経六行き》
午前7時25分:三高 発
午前7時55分:和摂 発
午前9時10分:経六 着
天野上越学園寮と天野上越学園を結ぶ学園特急経六行き
この時間の経六号は涼夜と紗由美がいつも乗っている号車である。
天野上越学園の学生でごった返す午前7時35分、三高発より10分早いことで混雑を回避している。
次回予告
個性濃いめの島巳学人とはいったいどういった人物なのか。
1時限目からこの調子だと、2限目以降が少し心配なところではある。
2限目は国語。いったいどんな人物が教壇に立つのか楽しみだ。
次回「見知った顔」
お楽しみに!!!




