98 自由な意思
『奴隷印』破れる。
ウチの可愛いノエムと、ウチの頼れるアビニオンの共同作業によって。
一人でもほぼ万能なそれぞれが二人力を合わせたら、不可能なことなどそれなりにないのだ。
一人目の成功を皮切りに、同じように貴族男が引き連れていた女奴隷たちの『奴隷印』をことごとく剥がしていく。
「ああッ!? そんな私のコレクションたちが!?」
その様子を見守るしかなかったのは、彼女らの主(を自称する)貴族男。
俺への恐怖で腰を抜かしているため、こちらの行動を邪魔することも逃げ出すこともできなかった。
「……いいやッ! 私は彼女らを大事にしてきた! 奴隷だからといって粗末に扱わず衣食を与え、その辺の庶民よりずっと豊かな生活をさせてきたんだ! 彼女たちもそのことをきっと感謝しているはず!『奴隷印』がなくなったところで私と彼女たちの絆は失われないはずだ!」
と希望を失わずにいる彼。
彼の希望は果たしてどのような形で報われるのだろうか……?
◆
「ぐぼッ!? おべッ!? ぐべああああああッ!?」
ついさっきまで奴隷として絶対服従していた少女三人から袋叩きにされる貴族男。
ああいう形になりましたが。
「待て!? 蹴らないで踏まないで!? どうして!? 私はお前たちに最高の衣服や生活を……!?」
「黙りなさいよ人さらい! アタシたちの考えなんて無視して無理やり連れてきておいて、主人面してんじゃないわよ厚かましい!!」
奴隷だった少女が、その呪縛から解かれて涙ながらに言う。
「アタシは……結婚式を翌日に控えてたのよ! そんなときにさらわれて、奴隷にされて……! 返してよ! 夫と過ごすはずだった日々を返してよ!」
「パパとママのところに帰りたい! なんでアンタなんかの傍にいなきゃならなかったのよ! 気持ち悪いッ!!」
「私が働かないと弟たちが食べていけない! もしかしたらもう……! 殺してやる! せめて弟たちの仇を討ってやる!」
先ほどまで身を挺して守ろうとしていた元主人を、逆に袋叩きにして息の根を止めようとしていた。
たとえ衣食を保証してペットのように可愛がったとしても、人間には尊厳がある。
自由意志を奪い、人格を否定し、尊厳を踏みにじった時点で、そんな人間と絆を結びあえるはずがないのだ。
あの貴族男のしたことは、所詮自己満足の人形遊びに過ぎなかった。
それに付き合わされた彼女らは堪ったものではなかったが。
たとえ彼女ら自身が無事だったとしても、彼女たちの故郷でそれぞれ彼女を愛していた者たちにとって、どれほどの苦痛、絶望だろうか。
愛する人が突然姿を消し、その理由すら知らされないというのは。
改めて奴隷商という存在の邪悪さを確認したのだった。
『主様、浸っておらんで作業はまだ途中じゃぞ』
「そうです、他の奴隷さんたちが『奴隷印』の効力で帰って行ってしまいます! 早く追いかけて解除してあげないと!」
そうだったそうだった。
所詮徒歩のスピードなのでそこまで遠くには行ってないのだ、俺がノエムを抱えて全力で走るとあっという間に追いつける。
で、俺が何とかして押し返して歩みを止めている間に、ノエムとアビニオンで一人ずつ順番に『奴隷印』解除を行っていく。
『一人ずつの作業は面倒じゃのう』
「でも集団対象の解除手段は確立されていないので地道にやるしかありません! 幸い解呪薬はたくさんたくさん用意してあります。ここにいる全員に投与してもまだまだ残るぐらいに!」
そうしてノエムたちが全力を挙げてくれた結果、とりあえず今いるだけの奴隷全員から『奴隷印』を剥ぎ取り、どこにでもいる真っ当な人々に戻すことができた。
人として当たり前の、自分の意思すら奪われて久方ぶりにそれを取り戻した彼ら。
その反応は様々で、喜ぶ者もいれば安堵する者もいて、中には泣いて悲嘆にくれる者もいた。
自分が自分でなくなっている間に、二度と取り返せぬものを失ったことに気づいてしまったのだろう。
どちらにしろ泣くことも笑うことも奴隷である間は許されなかった。
彼らは人間として持っていて当り前のものをやっと取り戻した。
「あああ……ッ!? そんな『奴隷印』がッ? ブルーバールム共和国を支える唯一無二の最良システムが破られちまうなんて……!?」
その一方で倒れる奴隷商が、状況をありのままに見て戦慄していた。
俺に殴られたダメージがまだ回復していないのか、起き上がることもせず地面にへばりついている。
「こんなの、奴隷国家存続の危機じゃねえか!? 大変だ、大変だ……!?」
「いいじゃないか別に」
俺たちの目的はブルーバールム奴隷国家を滅亡させることなんだから。
人をさらって奴隷にしてしまう国なんか、なくなっても悪人以外は困らんだろう。
ということで改めて奴隷国家崩しにまい進しようと思うのだが……。
「この状況、どうしようか……!?」
目の前には、救い出されたばかりの元奴隷が百人以上。
彼らを放置してそのまま進むというのも良心が痛む。
ただ解放しただけでハイサヨナラでは、彼らを奴隷にしたゲス商人並みに無責任ではないか。
「なんとか彼らの安全を保障して……、可能ならさらわれる前の所在地に戻してあげることはできないだろうか?」
「完遂するとなると物凄い時間がかかりますよ? その間に奴隷国家さんが迎撃態勢を整えたら……!?」
俺とノエムで額を寄せ合い悩んでいると……。
「あの、よろしいでしょうか?」
元奴隷の男性が一人、話かけてきた。
体つきがガッシリしていて、奴隷としては労働力が目当てと推測される。
「皆さんが気にされる必要はありません。私たちの身は私たちでなんとかします」
「えッ、でも……!?」
「こう見えても私は、とある国に仕えていた兵士でした。戦争中に捕虜となり、売り飛ばされて奴隷の身分となりここまで流れてきました」
男性は言う。
波乱万丈の人生であった。
「それゆえ腕に覚えはあり、武器さえあれば野盗ごときに引けは取りません。アナタ方に助けていただいた元奴隷には、私同様に戦闘経験がある者が何人もいます。それらの者たちで力なき女性たちを守りつつ、国境を越えようと思います」
「おお……!?」
「そうして、どこかの集落を見つけ次第事情を話して保護してもらおうと思います。幸いこのあたりはブルーバールム奴隷国家の外縁辺りかと見受けられますので距離的にも、そう難しくない道のりかと思います」
武器や食料などは奴隷商どものを分捕ればいいか。
そうしてくれるなら、逆に奴隷国家の中心を目指す俺たちはこの上なく有り難いが……!?
『奴隷印』から解放されて、自分の考えで行動できるようになってすぐ、このように大胆なことを言い出せるなんて。
本当に人の意思とは自由闊達なのだなあと思った。
◆
奴隷から解放された人たちと互いの無事を祈り、まったく逆方向へと歩き出す。
自由を取り戻した人々は、とりあえず奴隷国家の外へ。そして最終的にはそれぞれの故郷を目指していくのだろう。
俺たちは引き続き奴隷国家の奥へ奥へと分け入っていく。
幸い元奴隷だった人たちからの証言でブルーバールム奴隷国家の首都情報を入手することができた。
首都キング・オブ・ワールドは、ここからさらに東へ行ったところにあるそうな。
奴隷国家に囚われた人々も大半はそこにおり、奴隷としての不当な生活を強いられている。
奴隷商の幹部や、より高位の奴隷商たちを統括する元締め……元老院と、さらにその頂点に立つ総督もいるらしい。
『奴隷印』で自由意思を奪われながら、よくぞそこまでの情報を集めたものだと感嘆したが、どうも本人たちの証言によると『奴隷印』によって意識までは奪われないらしい。
意識もハッキリして、記憶も前後の流れがキッチリ続いているのである、極めて正気な状態ではあるものの、何故か主と呼ばれた者の命令には逆らうことができず、むしろ『喜んで従わなくては』という気持ちが奥底から湧いてくるんだそうな。
記憶も思考も操らずに服従状態にしてしまうので、例えば剣の達人が修行の末に身に着けた剣技も問題なく使えるし、学者や文官などを奴隷化したら機密事項をペラペラ喋ってしまうことだろう。
改めて『奴隷印』の恐ろしさを感じさせられた。
『……ううむ、釈然とせんのう』
道行きを急ぎながら、アビニオンが言う。
「一体どうした?」
『この「奴隷印」とやら、知れば知るほど恐ろしい効力を持ったものじゃ。果たしてここまで強い効果を人間ごときのスキルでなせるものかのう?』
え?
スキル?
この『奴隷印』ってスキルの効果なのか?
『それ以外に、この不可思議を引き起こせる原因に心当たりがあるかの? しかしこれだけの規模、これだけの悪辣な効果を生み出すものが個人レベルのスキルで賄えるとは到底思えん。ひとたびとはいえ魔神霊であるわらわの干渉も受け付けなんだのじゃぞ!?』
アビニオン、結局それが一番気に入らないだけでは?
気を落とすなよ。超越者だってつまずく時はあるよ。
それにノエムと力を合わせて無事解決できたじゃないか。
『いいや! 仮にも魔神霊たるわらわの力が人ごときのスキルに後れを取ったなどありえぬ! きっとこれには重大な秘密があるはずじゃ! 壮大かつスペクタクルな!』
「はいはい」
アビニオンの負けず嫌いを軽く流したが、のちにそれこそが今回の戦いにおける核心であるのだと気づくのだった。