94 『奴隷印』の噂
村を襲撃した暴漢たちは、アビニオンによって皆殺しにされた。
……いや、『殺す』という表現が的確かどうかもわからないほど圧倒的な消し去り方だった。
人体が泡になって消えた。
皮膚の表面がブクブクと泡立ち始めたと思ったら、その分だけ暴漢どもは体の体積を失い、最後には塵も残さず消滅したのだった。
『本当はもっと苦しめたかったんじゃがのう。だがあまりにエグすぎて傍で眺める子どもらを怯えさせてはいかん』
何の気なしに言うアビニオン。
まるで『今日の夕食は、肉がいいと思ったがやっぱり魚にしよう』ぐらいの気軽な物言いだった。
『ま、苦しめるのなら霊魂になってからでもいくらでもできるからのう。やることも立て込んでいるようじゃし、処理自体はパパッと済ませたかったのじゃ』
「お疲れ様ですアビニオンさん」
また彼女の世話になってしまった。
アイツらもまさか狙った獲物に不可視の守護霊が憑いてるなんて夢にも思ってなかったろうよ。
結果、迂闊な人質作戦に出て彼女の怒りに触れ、却って凄惨な最期を迎えてしまった。
いや彼女の怒りに触れたがために最期が始まりになってしまったのだが。
『早速ヤツらのゴーストを呼び出して情報を引き出してみるが、大して役立ちそうにないのう。所詮下っ端の捨て駒じゃ。しかしまあ、できる限りは掻き集めてみるかのう』
「よろしくお願いします!」
そのゴースト尋問が恐ろしい絵面であると悟ってか、アビニオンは一旦姿を消した。
つまり解放されたばかりの村の子どもたちの視界から。
すべてはこの子らに怖い思いをさせまいという配慮であろうが、去り際かすかに手を振った彼女に、子どもらも応えるように手を振った。
子どもたちはどこまで状況を飲み込んでいるかわからぬが、それをたしかに確認して瞳を輝かせたアビニオンだった。
「……さて」
俺は俺でやるべきことをせねばな。
まだ夜明け前の暗い村には、それなのに住民全員が覚醒して外に集まっていた。
突如襲来したブルーバールム奴隷国家の暴漢たちに引き出され、拘束されていた。
まず俺へ対抗するための人質として利用され無事目的を達成された暁には奴隷としてブルーバールム奴隷国家へ連れていかれるところであったらしい。
アビニオンが暴漢どもを泡沫にしてくれたからこそ難を逃れることはできたが、元をただせば俺が村に立ち寄ったがために巻き込まれてしまったわけで……。
……。
まず俺のすることは決まった。
「大変申し訳ありませんでしたッ!」
ダイビング気味に土下座して謝罪の意を表す。
だってこの人たちは、たまたま俺たちが村に立ち寄ったがために災難に見舞われたようなものだ。
無論一番悪いのは襲ってきた奴隷国家の連中ではあるものの、俺自身も責任を感じて彼らに詫びつつ、諸悪の根源であるブルーバールム奴隷国家を滅ぼす決意を益々固めねば!
「顔をお上げください……!」
というのは村人の中から進み出る一際年配そうなおじいさん。
その様子はまさしく村の長老といった風情であった。
「詳しい事情は存じませぬが、ワシらにとってはアナタ様に感謝しかありませぬ。何しろブルームバールムのケダモノどもからお守りくださったのですから」
「いえ、ヤツらが襲ってきたのはそもそも俺たちの……!」
黙っときゃいいのに馬鹿正直に言う俺。
いやいいんだ。自分の落ち度で自分が得することなんてあってはならない。
しかし村の長老はますます首を振り……。
「アナタ様にも事情があることはわかります。しかしながらアナタ様が立ち寄ろうと、立ち寄るまいと、あのケダモノどもが村にやってくるのは時間の問題だったのですから……」
「と、言うと……?」
「昔は、もっとたくさん村がありましたじゃ。この村より向こう、ケダモノ奴隷国との国境に近いところに。しかし一つ、また一つと村は消えていき、いつしかワシらの村が国境近くの村になってしまいましたじゃ……」
「それって……?」
まさか……。
ブルーバールム奴隷国家が村々を襲って滅ぼしていったということか?
国境に近い村から?
「何のためにそんなことを……、いや……、そうか」
疑問に思うまでもない。
奴隷の売り買いを主要産業とする奴隷国家が目論むことなど一つではないか。
奴隷狩り。
人を拉致して奴隷にし、商品として売りさばくためだ。
「そのために国外まで出てきて、いくつもの村を襲って根こそぎ奪い去っていくんですか?」
「ここより一つ手前の村が滅ぼされた時、次の標的は我が村だと決まっておりましたじゃ。助かるためには村を捨て、国境からできる限り離れるほかありません。しかし住み慣れた故郷を捨て、見知らぬ土地にて滞りなく生計を立て直せるのかどうか……?」
くよくよ悩んでいるうち、ついに奴隷国家が襲い掛かってきた。
彼らの認識はそういうものらしい。
ということならば危難に合うのは遅いか早いかの問題でしかなかった……、ということになるが……?
「そんなバカな!? 他にもっとできることがあるはずでしょう!? この国の為政者は!? 騎士団なり冒険者なりを派遣して村を守ってはもらえないんですか!?」
何しろヤツらのしていることは明確な他国への侵略なのだから。
ここで国が動かずして何とする。
「ダメなのです。奴隷国のケダモノどもはアナタ様の考える以上に凶悪なのです」
「ヤツらの息のかかった者は王宮にまで入り込み、ヤツらの都合よくなるよう運動しているのだと言います。そのため王様も強く出ることはできず……」
「それだけじゃありません!」
村人たちは口々に言う。
「奴隷国の一番恐ろしいのは『奴隷印』です! ……アレのせいで捕まった人たちは死ぬまで逆らえない真の奴隷になっちまう!」
「『奴隷印』……!?」
さっきも聞いた単語だな。
部外者の俺には何のことやさっぱりだが……?
「最初の頃は騎士様もやる気で、国境付近まで出張って人狩り共も戦ってくれました! でも……!」
「戦いになれば、どうしても犠牲者が出ます。人狩り共を追い払えても、お国の騎士様の中にも必ず一人か二人、不覚を取ってヤツらに捉えられてしまう……」
するとどうなるか?
村人たちの語る内容は衝撃的だった。
次に奴隷国家の奴隷狩りが国境を侵してきた時、その陣頭に立つのが捕虜にされた騎士だという。
「『奴隷印』のせいだ……! 捕まった人は平民だろうと騎士様だろうと例外なく『奴隷印』を押されちまう。そうなったらもう服従するしかねえ!」
「かつての仲間だろうと『奴隷印』を押されちまったら敵となって戦うしかねえ。そうしたら大弱りなのはオレたちを守ってくださる騎士様だ!」
「かつての仲間と剣を交えたら、どうしても迷うし動揺する。なのに『奴隷印』を押された側は一切容赦なく斬りつけてくるから分が悪い!」
「そうやってまた一人捕虜にされ、『奴隷印』を押されて敵側に回り……。そうするうちにどんどん戦力差が逆転しちまう!」
村人たちは悔しさからか、語り口調に熱が帯びるがそのせいで却って内容が伝わりづらかった。
……結局奴隷印って何なの?
「酷い時には奴隷化された騎士を人質にされ、一団全員囚われたこともあったそうです」
「もちろん全員『奴隷印』を押されて敵側に回って……。こんなことが繰り返されるうちついにお国も対処を断念して……」
「『戦死する方がまだ救いがある』と王様だか将軍様だかがお嘆きになったと伝え聞いております……!」
この話に余程の悔しさが滲むのか、人々の語りは涙ながらであった。
要するにこの国は、奴隷国家ブルームバールムとの小競り合いに負けて撤退を余儀なくされたということか。
国境近くに住む自国民を見捨てて。
それを薄情と罵るのはたやすいが、そういう決断を下さざるを得なかった苦渋が村人の口吻から伝わってきた。
奴隷国家ブルームバールム共和国。
世界中から忌み嫌われる外道の国ではあるが、そうでありながらも今日まで存続し続けてきた裏にはやはり秘密があるようだ。
「『奴隷印』……。気を付けた方がよさそうだな」
それで、からくも危機を脱した村人たちはどうするつもりなのだろう?
「致し方ありません。即刻村を捨て国境から離れます。王都まで行けば、村を追われた者たちを保護する体制を整えてくださっているそうで……!」
「騎士様を派遣できぬ代わりのせめてものお力添えとのことで……!」
俺が今いる国……たしかサヴェテラ王国だったか。
センタキリアン王国と奴隷国家ブルームバールムとの間にいくつもある国の一つだが、どうにかして国を守ろうという涙ぐましい努力が窺えた。
「わかりました。ではここでお別れです。このまま俺たちはブルームバールムへ向かいます」
「おやめなされ。アナタ様も『奴隷印』を押されて奴隷にされてしまいますじゃ。誇りも自由も尊厳も奪われ、ヤツらに従うだけの人形にされてしまいますじゃ。ワシらと共に王都へ逃げましょうぞ」
長老さんは心配してくださるが、俺は奴隷国家を滅ぼすことを目的にここまで来たんだ。
意志を曲げるのは流儀に反する。
「俺が必ず奴隷国家を滅ぼすから逃げなくても大丈夫……だと軽はずみなことは言えません。確実を期すためにも王都へ向かった方がいいと思います」
その上で俺は全力を尽くし、アナタたちの帰る場所を取り戻したい。
奴隷国家は、俺が思っている以上に勢力を広げ、災厄を振りまいているようだ。
一刻も早く止めなくては。
……そこへノエムが起きてきた。
「ふぁあ……リューヤさん何かあったんですか?」
「今まで寝てたの!?」
やっぱり強行軍がよほど疲れを呼んだのか?