93 奇襲
宿屋では、俺とノエムは同じ部屋で就寝した。
男女の間柄なら別の部屋をとるのが紳士的であろうが、一応ノエムもレスレーザ同様、俺の妻という立場にある。
一夫多妻制万歳だ。
なので改めて俺たちが同衾することには何の問題もなく、なおかつこれから敵地に乗り込むのに就寝時とはいえ単独になるのはマズいだろうと判断された。
……いや、就寝時なればこそか。
もっとも無防備な瞬間の一つだからな。
かくして、その用心は功を奏する。
皮肉なことに。
◆
ぎしり。
踏まれた床板のきしむ音がした。
続いてハッと息をのむ気配。
俺の眠るベッドへ、何者かが抜き足差し足で接近してくる。
「……バカ野郎もっと注意して歩け。今ので標的が起きちまったら不意打ちにならねえじゃねえか……!」
「ごめんよアニキィ。……でも大丈夫さ、アイツあんな大きな音がしたのにのんきに寝てやがるぜ? 鈍いヤツだなプププ……!」
いや、しっかり起きてますが。
とはいえ鍵をかけたはずの室内へ普通に忍び込んでいるコイツら。様子を見るためにしばらく寝たふりを続ける。
「まあいい抜かるな。相手は他国に潜入していた『仕入れ係』を全滅させたって猛者だ。正面きってじゃ絶対敵わねえ。オレたちも殺されるぜ?」
「大丈夫だよアニキィ。だからこうして寝込みを襲うんだろう。……プププ、あのバカども、まだブルーバールムの国外だからって安全だと思い込んでやがる。オレらの勢力圏はずっと広くまで及んでるのにな……!」
「無駄口はもういい。とにかく寝ているうちに鎖でふんじばって国内へ運ぶぜ。そうして『奴隷印』さえ押してもらえばコイツらもオレたちのいいなりよ」
「『仕入れ係』を全滅させたってことはそれだけいいスキルの持ち主だろうからねえ……!? 精々いい儲けになって支店一つ潰された損失を補填してもらわないとねアニキィ……!」
隠密行動してる割にヒソヒソ話の多いヤツらだ。
しかしこうして狸寝入りしながら聞き耳立てているお陰で、なかなか興味深い情報が入ってきた。
・ヤツらはもう既に、センタキリアンの奴隷商一味の悲劇的末路を把握している。
・ヤツらの活動は、本拠地であるブルーバールム奴隷国家の外にまで及んでいる。
・『奴隷印』……てなんだ?
どうやらヤツらの対応能力は、俺の想像の一枚上手をいっているようだ。
ただ枕元に忍び寄っている刺客はマヌケそうだが。
しかしこれ以上、無害な就寝者を装っていても得るものはなさそうだ。
そろそろ起き上がって不埒な侵入者どもを叩きのめした。
「ほごッ!?」
「ぐべぇッ!?」
もう少し聞きたいことがあったので殺さない程度に手加減する。
いや、殺してもアビニオンにゴースト化してもらえば情報すべて聞き出せるんだけどさ。
常に彼女らに頼ることを前提にしても何というか、男の甲斐性的なものが虚しいじゃないか。
というわけで今は時間的余裕もあることなので独力での尋問にチャレンジしてみます。
それはそれとしてノエムはまだ寝ていた。
ここまで騒いでも目覚めないなんて、昼間の移動でよっぽど疲れていたんだな。
「そんな彼女の安眠を妨げようとは許せん。夜のしじまを乱さぬよう心拍までキチッと途絶えさせてやろう」
「ひぎぃいいいいッ!? 何で起きてるんだあああッ!? ちゃんと真夜中を狙ったのにいいいッ!?」
だから煩い。
真夜中だろうと寝てるか起きてるかは俺の勝手だ。
「さて、お前たちにいくつか聞きたいことがある。せっかく夜分に訪問してくれたんだから、何もなく帰るのも味気ないだろう?」
国外からもう襲ってくるのはまだ想定内だが、遠く離れたセンタキリアン王国での俺たちの行動が、ヤツらに筒抜けなのはあまりにも意外だった。
距離の問題も鑑みて、この時期に俺たちの動向を察知されるはずがないと思っていた。
一番速い情報伝達の速度として思い浮かぶのは、伝書鳩の類だろうか?
しかし俺は鷹よりも速くここまで駆けてきたつもりだった。
それでもなお相手の情報察知の方が速かったということは……また何かのスキルか?
「まずはどういう手段で俺たちのことを知ったのか教えてくれ。それからここで俺たちを待ち伏せできた理由。俺たちの寝込みを襲ってどうするつもりだったのか。……どうやら生け捕りにするつもりだったみたいだがな?」
「うう……ッ!?」
「それに折角だからキミらのお国自慢も聞かせてくれよ。ブルーバールム共和国の規模、兵力、それに指導者の名前や外見特徴」
彼の国を攻め滅ぼすのに指導者の情報は調べておいてしかるべきだが、センタキリアン王国にいた時点ではどう調べても何も出てこなかったのだ。
アビニオンにゴースト化させた奴隷商からすらも聞き出せなかった。
やはり他国から見れば犯罪組織も同然な奴隷国家。
その指導者も相当に用心深いのだろう。
「こんな使いっ走りが知っているとも思えないが、聞かせてくれるなら別の情報でも大歓迎だ。精々知っていることを洗いざらい吐き出してくれ」
「……けッ、ケケケッ! 勝ち誇った気になってんじゃねえぞアホがッ!!」
それまで怯え一色だった男の表情に一点、獰猛な笑みが浮かんだ。
なんだ居直ったか?
「不意打ちに気づけたぐらいで粋がってんじゃねえぞ! テメエはまだ何もわかってねえ! オレたちブルーバールム共和国を敵に回すことがよ! 丸々一つの国家だぜ、それをテメエ一人で戦えるわけねえだろうが!!」
「教会の後ろ盾がなきゃ自立もできない弱小国家なんでしょう?」
「へッ? 教会?」
やはり末端まで知れ渡っていない秘密の関係ということか。
「と、とにかく弱小だろがなんだろうが国は国だ! テメエは集団の力を舐めすぎなんだよ! テメエの寝首掻きに来たのがオレたち二人だけだと思ったかよ!?」
言われてみれば、充分な組織力を持った敵が刺客を送るのに、標的と同じ人数というのも寂しい話だな。
一騎当千の強者に任せるというならともかく、目の前のチンピラどもはとてもそんな風には見えない。
「……ということは……?」
「まだ気づかねえのか!? この宿はとっくに囲まれてんだよ! オレたちの仲間にな! いいや宿だけじゃねえ! こんなチンケな村一ついつでも制圧できる武力ぐらい持ってるんだよ俺たちは」
次の瞬間、刺客男は懐から細く小さい筒状のものを取り出した。
笛か?
ヤツは笛の先を口に含み、精一杯の肺活量で吹き鳴らそうとしたところ……。
「えいッ」
「あ……ッ!?」
その前に奪い取った。
…………。
……いや。
だって俺の反応速度をもってすれば、相手が何をしようと後出しで阻止できちゃうし。
「…………」
「……ッ!?……ッ!?」
なんかいたたまれない空気になってきた。
「……どうぞ」
「どうも」
男に笛を返すと、改めて大きく息を吸い、咥えた笛に吐息を送り込む。
ピィイイイイイッッ! とつんざく音が響き渡った。
同時に窓の外から突き抜けてくる明かり。
こんな真夜中に。
篝火か?
「おおッ? こんなにいたとは……!?」
燃え上がる篝火は一つや二つではない。無数の火にそれを掲げる荒くれ男たち。
本当に宿屋は暴漢の一団によって取り囲まれていた。
その中に一際偉そうな男がいて、吐き捨てるように言う。
「……チッ、ヘボどもがやっぱり失敗しやがったか」
ヘボどもというのは、俺が首根っこ掴んでいる二人の侵入者のことだろうか?
「だから一番トロくせえアイツらを行かせるのは反対だったんだ……! テメエらがチャチャっと行ってればよ!」
「ぼ、ボスだって行くの嫌がったじゃないですか! 押し付け合いになれば一番下っ端にお鉢が回るのは当然じゃないすか!」
なんか周囲と言い争っている?
「でもなあ、寝首掻くのが失敗したからって勝った気でいるんじゃねえぜ! これを見ろ!」
……暴漢どもの足元には、幼い子どもが震えながらへたり込んでいた。
しかも一人じゃない。
……五、六人?
「この村の連中は全部オレたちの支配下だ! テメエらのおまけで本国に連れ帰って皆奴隷にしてやるぜ!」
「ガキどもの命が惜しかったら抵抗せずに降りてこい! 少しでも逆らったらガキを一人ずつバラしてやるぜ!!」
「逆らえねえよなあ!? 奴隷反対の正義の味方様はいたいけなお子ちゃまを守らないとな? ギャハハハハハハ!!」
俺へ対抗するのへ真っ先に無関係な人間を巻き込むとは。
人質にとって脅す。
やはり見下げ果てた卑怯者どもだ。
「……わかった、抵抗はしない」
「いい判断だぜ! これから奴隷の従順な態度ってヤツをしっかり教え込んでやるぜ! テメエの連れの小娘にもなあ!!」
「抵抗しない、俺はな」
「え?」
そう、コイツらは決定的なことを見逃した。
標的が俺とノエムの二人だけだと思ったところが運の尽き。
その時にはもう、アビニオン霊体に絡めとられて指一歩動かせなくなっていたのだから。
「なんだ!? 体が動かない!? 体があああッ!?」
『わらわの目の前で子どもらを怯えさせるとはな。その所業しっかり後悔してもらうぞえ?』
アビニオンは孤児院に通って以来子ども好きになった風がある。
だから彼らの行為は魔神霊の怒りに触れた。
可哀想に楽には死ねんだろうな。