92 二人だけの行軍
「リューヤさん! 私も行きます!」
単独で乗り込むことになった俺へ、そう訴えかけてきたのはノエムだった。
こうなることは予想していたが。
「リューヤさんが行くなら私も一緒に行かせてください! リューヤさんの助けになりたいんです!」
「……今回ばかりは気が進まない」
今度の旅の目的は、今までのものとはまったく異質。
俺は戦争しに行くのだ。
今までも戦うことを目的として旅立ったことはあったが、それは例えば魔族とか……強力ではあったがあくまで個体との闘争だった。
今回は違う。
国家という得体の知れないものを相手にした戦争。
ましてや奴隷国家という飛び切り怪しい相手に、どんな戦いが展開されるか俺にも想像がつかない。
そんな戦場に、可愛い女の子であるノエムを連れて行っていいのかどうか、さすがに戸惑う。
そうでなくても奴隷商などと言う存在はノエムにとって人一倍嫌な過去を思い起こさせるはずなのだ。
「……リューヤさん。私の過去のことは気にしないでください」
そんな俺の心を見透かしてかノエムが言った。
「わかってます。私は一度奴隷商にさらわれたことがあります。リューヤさんが助けてくれなかったら、それこそ奴隷として何もかも奪われた一生を過ごすことになっていたかもしれません」
その時のトラウマがあったのか、出会ったすぐのころのノエムはとにかく気が小さくて臆病な性格だった。
周囲の顔色を窺ってビクビクしていたのは、たとえ一時でも奴隷の扱いを受け、自分の人格を全否定された結果だろう。
物として扱われ、自分の意思を持つことすらも許されず口答えしようものなら殴られ蹴られて矯正される。
そんなことをされたら人の心など簡単に砕けてしまうに違いない。
「きっとこれから行く場所はノエムに嫌なことを思い出させる。キミはここで待っていた方がいい」
「私のことを気遣ってくれてありがとうございます。私が奴隷にならずに済んで、こんなにも自信をもって生きられるようになったのはリューヤさんのお陰です」
でも……、とノエムは言う。
「だからこそ私も行きたいんです。奴隷がたくさんいる国には、リューヤさんに助けてもらわなかった私がたくさんいると思うんです。人さらいに捕まって、自分の意思を奪われた人たちが。……その人たちを助けたいんです!」
『これはこちらが折れるしかないのう、主様や』
揺らめき立つ霊体。
魔神霊アビニオンが冷やかし顔で言う。
『ノエムもすっかり我が強くなりおった。この娘がこうと決めたからには梃でも動くまいよ。主様は言いなりになってこやつを連れていく外ないのじゃ』
「気楽に言いやがって……!?」
『何、無敵で最強であることしか能のない主様にはわらわとノエムのサポートが必要不可欠じゃからのう。いつも通り千変万化の術をもって面倒なことを引き受けてやるわい』
「ぬぐ……!?」
それを言われると弱いんだが。
たしかに、どんなにレベルが高かろうとスキルのない俺にできるのは、とにかく前にいるヤツを殴り倒すこと。
単純明快にそれしかできない男だ、俺は。
しかし暴力がすべてを解決するなんてことはなく、これまでも殴る蹴るではどうにもならない問題を解決してくれたのは常に、一緒にいてくれたノエムやアビニオンの助力だった。
ノエムは錬金術で。
アビニオンは超越者としての大異能で。
様々に厄介な問題を解決してくれた。
きっと今回も彼女らの手を借りることになるんだろうなあ。
そう思うと観念するしかないのであった。
「リューヤ殿、私は……!」
次に言葉を交わしたのは、騎士にして未来の女王レスレーザだった。
彼女は心から申し訳なさそうな顔をして……。
「今度こそアナタのお力になりたいと思っていましたのに、私は一緒に行くことができません」
「仕方ない、俺が言いだしたことなんだから」
奴隷国家へは、国家vs国家の戦争ではなく俺個人として殴り込むということは既に王様との話で取り決められている。
であれば、正式に王国の騎士であり、まして次期女王でもあるレスレーザは尚更かかわってはいけなかった。
彼女が関われば、その瞬間結局センタキリアン王国の戦争になってしまう。
「キミにはまた留守を頼む。何があろうと俺の帰ってくる場所はここだから。レスレーザが守ってくれるなら安心して戦いに行ける」
「仕方ありませんね……。夫の留守を預かるのは妻の役目ですから」
納得してくれたレスレーザ。
こうして様々な打ち合わせのあと、結局いつもの面子で俺たちは奴隷国家へと乗り込むのであった。
◆
俺、ノエム、そしてアビニオンの三人。
センタキリアン王都を発して五日ほどして俺たちは、奴隷国家ブルーバールムの国境近くへとやってきた。
念のために断っておくが尋常の移動速度ではない。
今回は目的から迅速な行動が求められたため、俺のレベル八百万の脚力でもって野獣の速度で駆けた。
ノエムを抱えて。
それによってかなり時間を縮めたはずだ。
そもそも俺たちの住むセンタキリアン王国は奴隷国家ブルーバールムと国境を接しているわけではなく、辿りつくならば途中いくつかの国を通過しないといけないほど距離がある。
普通の旅路なら数週間はかかるところを五日で済ませたのだから、充分神速と言えるだろう。
「ノエム……、大丈夫か……?」
「大丈夫です……! うぇっぷ……!?」
問題はその速度に付き合わされたノエムが口を押えながら言う。
さすがに数週間を五日に縮める速度は、標準的な肉体の子にはしんどいらしく、風圧やら重圧やら激しい揺れに苛まれて疲労困憊となるノエムであった。
「今日はここまでにして宿をとろう。これ以上はノエムが限界だろう」
「すみません……! 私が音を上げなければもっと早く進めたのに……!」
たしかにここまでの五日間、一時停止するきっかけはノエムの体力が限界になって吐く寸前になったことだが……。
「仕方ないさ。ノエムは頼りになるって知ってるからね。現地では俺が迷惑かけるかもしれないけど許してね」
「とんでもないです! 私、リューヤさんのためなら何でもしますから!」
女の子が『何でもします』とか軽はずみに言わないで。
むしろこんな強行軍にノエムを付き合わせて俺が申し訳ないと感じているのだから。
これから争うブルーバールム奴隷国家は、その有り様からどんな卑劣な手段を使ってくるかわからない。
そんな連中を制するには、卑劣な手段を企む前に最速で制圧してしまうことだ。
だからこそできる限りの最高速度で目的地までやってきた。
仮にヤツらがセンタキリアン王国で起こったことを知るにしても、遠く離れた場所だから情報が届くにもそれなりに時間がかかる。
ここまで来るのに五日かかったとしても、充分ヤツらの情報網を出し抜けたはずだ。
この分ならブルーバールム奴隷国家に奇襲をかけることは容易だろう。
だからノエムに限界以上の無理をさせる必要もなく、今日はこの辺で終了としてもいいはずだった。
「それに別の意味でも、ここで一旦休憩するべきだろうしな」
「?」
ブルーバールム奴隷国家を襲撃するにあたり、必要な情報は事前に叩き込んでおいた。
俺たちの現在位置は、サヴェテラ王国の外れ、ブルーバールム奴隷国家との国境付近だ。
つまり目的地はもう目の前。
ここで焦って敵地突入するよりも、一旦休んで英気を養うべきだろう。
「ここで宿を取り、充分に休養を取って、ブルーバールムを叩き潰す準備を万端にするべきだろう。明日がヤツらの命日だ」
「わかりました! じゃあ宿屋を探して……うぷッ!?」
「わあああ、まだ無理しないで! 宿屋探しは俺がやるから!」
あらかじめ調べておいた地理から、ここがブルーバールム国境へ入る手前にもっとも近い村だということはわかっていた。
事実上、ここがポイントオブノーリターンだろう。
ここから先はいよいよ戦いだ。
「……なんだかさびれた村ですね?」
「そうだな。国境沿いの集落ならもうちょい栄えていてもいいと思うんだが……!?」
何せ二国の人が行きかうんだから。
しかしそれも相手国との関係次第ってことか。奴隷を商うブルーバールム共和国は、今いるこの国にとっては有り難くない隣人なんだろう。
ともかくここは俺たちにとって通過点に過ぎない。
観光は別の機会に……、とっとと宿を取り、明日に備えて就寝することにした。
しかし俺たちはまだ気づいていなかった。
人の尊厳を踏みにじることを何とも思わない奴隷国家が、俺たちの想像を遥かに上回る狡猾さで、既に俺たちを囲い始めていたことに……!