86 子どもたちとの日々
「まったく、もう来ないでって言ったのに……」
子どもたちの相手をノエムやアビニオンが務める一方で、ゼタは食事の準備に余念がない。
複数人の子どものお腹を満たすためにどでかい鍋に色々ぶち込んでぐつぐつ煮込んでいる。
その姿がまた様になっていて、どこにでもいる母親のようだった。
これも、かつて少女だったゼタの面影もない。
「でも子どもたちを見てくれているのは助かるわ。そうでないと、あの子たちの気が済むまで付き合わされてからごはんの支度でヘロヘロだったから……」
「ゼタ一人で子どもたちの世話を……?」
「そうね、去年まではマザーがいたけど……」
俺も覚えている。
今のゼタのようにシスター服で俺たちの世話をしてくれた眼鏡をかけたおばあさん。
「あの人は……?」
「去年亡くなったわ、唐突にポックリと」
そう告げられると心臓が鷲掴みにされたようにキュッとなる。
「教会から逃げ帰った私を受け入れてくれたのもマザーだった。あの人を手伝いながら何とか孤児院の仕事を覚えていったけれど。私が使い物になりそうだから安心して気が緩んだのかしらね? 元々の持病が高ぶって、そのまま……」
「去年か……」
「もう少し戻るのが早ければアナタも会えたのに。そういうところシックリこないわよねリューヤは」
王都に戻ってもしばらく孤児院に顔出さなかったしな。
結局自分のすることに夢中でお世話になった人を顧みれなかった。偉そうなことを言える立場じゃないな俺も。
「それで今は、ゼタがマザーに?」
「おかしいでしょう? 私だってまだまだ若いつもりなのにお母さん扱いなんて勘弁だわ」
迷惑そうな言いぶりだが、しかし心底ではまんざらでもなさそうな気配を感じられた。
あの頃の自己の栄達欲しかなかったゼタは、たしかにもういないらしい。
「アナタこそこんなところに長居してないで、もっと大きなことをしたら? S級冒険者なんでしょう? さらなる英雄的活躍を皆が期待してるんでしょう?」
「けっこうたくさんしてきたから、そろそろ一休みしてもいいくらいだよ」
悪霊に占拠されていた薬草の群生地を開放し、センタキリアン王国に侵攻する魔族を撃退。
ルブルム国を飲み込まんとする大津波を止め、冒険者ギルド本部にて再び魔族を撃退した。
「色々起こりすぎてゲップが出てきたところだからな。ここらで一つ羽を伸ばすのもいいさ」
「バカンスにしてももっと素敵な場所があるでしょうに」
「休暇を田舎で過ごすのは一般的だろ」
ここは間違いなく、俺が幼い日を過ごした場所なのだから。
そんな故郷を今の今まで忘れてたのも、一人で育った男にありがちなこと。
「今のアナタならもっと色気のある場所へ自由に出入りできるんじゃないの? 救国の英雄様なら?」
「ここも充分色気があると思うが?」
芋の皮を剥きながら、料理するゼタの後ろ姿に見入る。
本当にアレがかつてのおてんば娘かと思うほどに、料理に勤しむ後ろ姿は色っぽい。
「もう、ダメでしょう女王様と婚約成立したばかりで浮気なんて。下手すれば毒飲まされるわよ?」
『その点については問題なしじゃー』
外で子どもらと遊んでいたはずのアビニオンがドロンと現れる。
いつも通り神出鬼没なヤツだ。
「お前鬼ごっこはどうした?」
『はー、あんなガキどもわらわにかかれば一秒で制圧できるわ。圧倒的な差でつくゲームほどつまらんものはないのう』
言いやがって……!?
『それよりもこのデカ尻女のことはしっかりわらわからノエムに伝えて、ノエムとレスレーザで相談して決めたそうじゃぞ。『側室は二十人まで許す』と!』
「多い!」
一ダースどころじゃねえじゃねえか。
そんだけ寛容ならいっそ無制限にしたら?
『それ以上は無秩序になりすぎて記録も追いつかんから限界なんじゃと』
「意外に冷静な理由だった……!?」
『だから、そこのデカ尻女も希望があれば挙手していいんじゃないかの? 現に王女の姉貴の方も全力で側室の座に収まろうとしているしの』
「さっきから言ってる『デカ尻女』って私のこと?」
眉をぴくぴくさせるゼタ。
尻が大きいのを気にしてるんだろうか?
「せっかくだけど遠慮しておくわ。『今さらどの面下げて』ってのもあるし、それに私はここを離れたくないの」
ここへしばらく通ってすぐにわかった。
少なくとも彼女は、ここでこうして孤児たちを世話する生活に充実感を持っているようだ。
「私はこれくらいの幸せで収まる女だったってことよ。高望みは身を滅ぼすって言うのが教会で得た唯一の役立つ教訓だもの」
『若いくせに枯れた考えじゃのう』
「教会はどんな希望の花も枯れさせる。だから英雄の愛人って立場もまあ魅力的だけど。それに伴う閨房の争いなんて想像するだけで面倒だわ。私はここで子どもたちの世話をしているだけで充分」
『その幸せも、今窮地にあるんではないかえ?』
「え?」
アビニオンが横に流した視線を追う。
窓から見える外の光景に、不穏なドブ色が混ざり込んでいた。
◆
いかにもガラの悪そうな男たちが、子どもたちを威圧している。
なんと年甲斐のない行為であろうか。
「まだ引っ越しの準備ができてねえのかクソガキども?」
顔にいくつもの古傷を刻んで、凄みのある表情でねめつける。
大人が子どもにしていい態度ではなかった。
たまたま庭に居合わせていたノエムが、子ども全員を背に庇い対峙する。
「何ですかアナタたちは? 兵士さんに来てもらわなきゃいけないような状況ですかね?」
「メスガキが生意気な口きいてんじゃねえぞ? テメエも売り飛ばしてやろうか、あぁ?」
言動からしてロクでもないヤツであるというのがすぐにわかった。
それでも怯まないノエムは、これまでの冒険の数々で実によく成長した。
「コイツらだよ、お姉ちゃん!」
ノエムの腰にしがみつきながら(ドサクサに紛れて)子どもが言う。
初日に俺へ金的攻撃&カンチョーした男の子だ。
「コイツらが何日か前からやってきてマザーのことを脅すんだ! お兄ちゃんが来た時もコイツらの仲間だと思って攻撃したんだよ!」
「うるせぇぞガキが? ガキはガキらしく大人の言うことを聞けってんだよ。とっととここから出ていくってなあ?」
威圧的な気配を丸出しにして子どもたちに凄む男。
大人の態度とはとても思えない。そもそもの生業からして真っ当なヤツではないのだろう。
「それともオレたちでテメエらの行く先を世話してやろうか? ガキは買い手によっては高く売りつけられるからなあ。そこのメスも、ガキと思ったがそれなりに育ち始めてるじゃねえか。いい買い手が尽きそうだぜぇ?」
ノエムのことを言っているのか、下卑た表情で舌なめずりする。
「オレらが慈悲深くここまで待ったのに、自発的に出ていかねえお前らが悪いのさ。全員並べて新しいご主人様につかせてやるぜ。精々いい値で売ってやるから、その点安心しなよってなあ! ギャハハハハハハハ!」
「お前らも安心しろ」
背後から、下衆笑いを放つ男の肩を持ち、やや力任せに押さえつけた。
「げびゃッ!?」
「お前らを無事帰すつもりはない。二度と悪さができないようにバキバキにしてやるから安心しろ」
レベル八百万の俺が力任せに押さえつけると、人体は簡単なほどにアチコチへし折れ、九十九折れになる。
コツを掴むと簡単で、腰やら膝やらが本来曲がるべき方向とは逆に曲がり、ベキバキボキッと無惨な音を立てる。
当然、関節が砕け散る音だった。
集団を組んで乗り込んできた男たちであるが、全員同じように抑え潰し、へし折れた腰や膝の痛みに喘ぎ苦しんでいた。
「おげええええええええええッッ!? なんだ!? なんだあああああッッ!?」
「俺の視界の中で悪事を行ったのが運の尽きだ。俺は万能じゃないから世界中すべての悪事をあずかり知ることはできない」
あえてすべてを知ろうとすれば、独善になってしまうだろうからな。
「だからこそ目の前で起こった悪事を絶対に見逃すつもりはない。徹底的に捻り潰すぞ」
「なんだ、なんだよお前はああああッ!? オレのッ、オレの背中が変な風に曲がってるううううッ!? 膝も折れてるのに何も感じねええええッ!?」
背骨もへし折ったから神経が断裂したんだろう。
ノエムのポーションで回復したとしても神経までキレイに繋がるかな?
「見たところ地上げ屋のようだが……今時流行らないことするな? そんなせせこましい悪事で背骨粉砕とか割に合わないだろう?」
「地上げは、口実よ……」
ゼタが出てきた。
「そもそもこんな土地を地上げして儲けが出るわけないでしょう。スラムの片隅にある小さな孤児院。どう転がしたって地価が上がるわけないわ」
「たしかに……」
「コイツらがしようとしている犯罪は、もっと悪辣で邪悪よ。地上げすら隠れ蓑で通用してしまうような、ね」
そう語るゼタの瞳の色は、暗い闇の色になっていた。
かつて教会にいた頃の闇の部分を思い出すような……。
「コイツらは奴隷商よ」