85 ゼタの過去
「『選択を迫られた』とは言っても……」
ゼタの一人語りは続く。
「……実際には選択肢なんかない。そんな甘いことを教会はしないわ。『クズはクズなりに役に立て』それが教会のモットーよ」
出世レースから脱落した者たちに待っているのは、奴隷に等しい待遇。
教会のために命を捨てて戦う下級兵、ボロ雑巾のように魔力を搾り取られる回復役。
あるいは教会上位幹部を愉しませる娼婦の役割を否応なく強制させられる。
ゼタに迫られた選択とは、その境遇を受け入れるか、逃げるかの選択肢だったらしい。
彼女は逃げることを選んだ。
「とはいえ教会も簡単に逃がしてくれないから……。普通に走って逃げたんじゃ必ず捕まる。だから追尾スキル持ちの目や鼻を眩ませるために下水の中を潜って逃げたわ」
「……!?」
「糞尿やネズミの死骸を掻き分けながら。あの時の光景は今も夢に見る。無事教会の探索域から逃れて、体を何度も洗ったけれど……今でもどこかに下水の臭いが残っている気がする……!」
当時のことを思い出してか、ゼタの体が細かく震えた。
「それからも色々あってね……、フフ、結局のところ教会以外の世間を知らない私だから、何をやっても長く続かなかった。あちこちフラフラした挙句、ここに戻ってくるしかなかったの」
俺やリベル……それに彼女も最初の時期を共に過ごしたこの孤児院。
「マザーは何も言わず私を受け入れてくれて……、孤児たちの世話係として雇ってくれた。それを何とかやれるようになって今に至るというわけ……」
「…………」
「フフ、いい気味でしょう? あの日、アナタを心底見下しながら栄光の階段を登って行ったはずのヤツが、それから何ヶ月もしないうちに壁にぶつかって、乗り越えられず、転落していったってことよ」
自嘲的に笑うゼタ。
あの日のことは俺も覚えている。
教会の用意した豪華な馬車に乗せられて去っていく仲間たち。
ただ一人取り残される俺。
「そんなことを言われて俺が喜ぶと思ったのか?」
「教会の連中なら皆喜ぶわ。あそこはそういう場所。スキルの優劣だけが人間の価値。自分より上か下かだけが他人への評価基準で、上ならばへりくだり、下ならば踏みにじる。ただそれだけの人間関係……」
およそ健全とは言い難いコミュニティの中でゼタは虐げられ、壊されかけたということか。
リベルの人格が歪んでしまったのも、その話を聞いて幾分納得できた。
「……アナタがいつかここに来るってわかってたわ。すっかり有名人だから、アナタ」
「うッ?」
「魔族からこの国を守った英雄、史上最速のS級に昇格した冒険者。あの日私たちが夢見た存在に、見捨てられたアナタがなるなんて。運命って皮肉よね」
「あ、ああ……!?」
知られてた!?
仕方ないか……かなり大騒ぎになっていたからな。それが、このスラムの片隅にある孤児院まで届いて……!?
「勘違いしないでね。アナタのことを嘲っているわけじゃないの。むしろ嘲っているのは私自身。スキルを得たぐらいで自分が選ばれた人間だと勘違いして有頂天になっていた昔の自分が、心底バカだわ」
「……」
「それに比べてリューヤは、スキルがないのに頑張って英雄まで上り詰めた。私たちの違いって何なのかしら? 単純な努力の差? それとも……!?」
俺にはゼタに懸けてやれる言葉が何も思い浮かばなかった。
言葉を探すあまり……。
「クリドロードは……?」
絶対今ここで関係ないだろうということを聞いてしまった。
俺を残して教会へと召し上げられていった三人の仲間の、最後の一人。
「クリドロード?……さあ、教会へ入ったその日に適性に応じて振り分けられたから。彼ともリベルともその日以来会ってないわ」
その情報は、かつてリベルからも聞いた。
「でも彼は魔法適性のスキルだったから……、そういう人は魔法院に出向させられるって聞いたことがあるわ。いかに教会でも魔導士を充分に育て上げることはできないからその道のスペシャリストである魔法院に任せるしかないって」
「へえ……!?」
「教会と提携しているとはいえ魔法院も一種の独立した組織だから、教会ほど酷い扱いは受けていないでしょうね。教会より酷いところがあるとも思えないけれど……」
そう言ってゼタが浮かべる微笑みは、実に厭世的なものだった。
俺と同世代だからまだ二十前後に過ぎない年齢だろうに。その表情は人生の悲哀を悟りきってしまった老婆のようだった。
「それにしても、リューヤも酷いわね」
「えッ?」
「五年ぶりに再会したのに。私のことを気に掛ける間もなく別の子の心配なんて……。私って、そんなにアナタにとってどうでもいい存在なのかしら?」
「いえいえいえいえいえいえいえッ!?」
「いいの、そう思われるだけのことを私はアナタにしたんだから。……でもね私、いずれはアナタたち三人のうちの誰かと結婚するものと思っていたのよ。あの日一緒に過ごしていた三人のうちの誰かと……」
結婚……。
そんなフレーズを聞いたのと同時に、俺の喉がゴクリと鳴った。
あの日、何でもない友だちとして彼女と一緒に過ごしてきた。
リベル。
クリドロード。
そして俺……。
「でも幼いころの夢は所詮夢に過ぎないのね。そんな素敵な未来があったとしても、私は自分から投げ捨ててしまった」
「ゼタ……」
「聞いてるわ。結婚するんですってね、しかもこの国の女王様と……」
やはり噂の広がるのは速い。
一見無関係と思えたこんな場所にまで既に伝わっていたのだから。
「おめでとう。結局、あの中で一番出世したのはアナタだったわね。スキルがないからって脱落したと勝手に思い込んでいた。それは私たちの勝手な思い過ごしだった。ただ純粋に自分の努力でのし上がったアナタは本当に凄いわ……。だから……」
お願いがある。
彼女はそう言った。
「もうここには来ないで。私は、これ以上アナタの人生に出てきてはいけない女よ」
「ゼタ……」
「アナタを見下し、アナタを傷つけた私は、アナタの傍にいる資格なんかない。この世間の隅っこでアナタの活躍を伝え聞くのがお似合いの女よ……」
「俺に近寄られると、辛いのか?」
「!?」
その指摘は彼女の心の内側を言い当てたようだった。
「あの日から、俺とキミの立場は逆転した。今度は俺がキミを見下して、侮蔑する番だ。それが辛いと、耐えられないと?」
「そうね、昔自分がしたことをそのまま返されて、それが『酷い』なんてムシのいい話よね……」
「バカにするなよ、俺を」
少し声に感情がこもった。
「たとえどんな立場になったとしても、神様より偉くなったとしてもゴミより無価値になったとしても、俺はそんなことするか」
俺自身が知っている。
俺はレベルが飛び抜けて高い以外は何の取り柄もない不器用男なのだと。
ここまでだってノエムやアビニオン、レスレーザにロンドァイトさん、様々な人に助けてもらってここまで来れた。
そのことを何より痛感しているんだ。
ヒトに助けてもらわないと何もできない俺が、ヒトを侮り見下す。
それが自分自身の否定にしかならないことを俺は知っている。
「俺は人を見下したりしない。見下すのは人の心を失った、もう人とは言えないクズだけだ」
「私もクズだわ」
「今は違うだろう」
こうして、身寄りのない孤児の世話に心血を注いでいる。
自分のことばかりしか考えていなかったあの頃とは違う。
「それに、心だけじゃなく……」
「え?」
「綺麗になった。あ、いや昔はブスだったとかいう意味じゃなくて……」
言葉選びにしどろもどろになる俺。
「大人の女になった、っていうか……」
清楚なシスター服に抑えきれない張りに張った胸、丸みを帯びた尻。
五年前のまだ少女だった頃のゼタは、もっと全体的になめらかだった気がするが……。
「……リューヤに口説かれる日が来るなんて思ってもみなかったわ」
「いや、そんなんじゃなくてね?」
一人の仲間との別離が、また違う仲間との再会を呼んだ。
これを運命とでも言うのだろうか。
◆
それから数日経って。
俺はその間毎日孤児院に通い詰めた。
今ではノエムまで一緒に来るようになっている。
「はい、今日は皆さんにー、ポーションの作り方を教えまーす」
「「「「「わーい!!」」」」」
ノエムが孤児たち複数人を相手にお遊戯的なことを始めているが、あれって見ようによっては立派な職業訓練じゃない?
ノエムの的確な指導によって子どもたちがどんどん迅速なポーション作りを会得していっている……!?
あのまとまった数、生産ギルドに納めたらけっこうな額になるんでは?
「オバケー、遊ぼうぜ?」
「鬼ごっこしようぜ?」
向こうではアビニオンに絡むクソ度胸な子どももいる。
『はぁー? ガキどもの身の程知らずが、このわらわに追われて逃げ切れると思うなよー』
「わー、逃げろー!」「ガチのオバケごっこだー!」「ソレが見えたら終わるー!」
中々子どもの扱いが様になっている魔神霊だった。
そんな中で、ゼタは……。