07 ノエムを巡って
ノエムは今、人間不信に陥っているのだと思う。
唐突に与えられたスキルによって、それまで築き上げていたあらゆる人間関係が崩壊した。
人の信頼が、簡単なきっかけによって様変わりする。
それを間近で見せられたことによるショックは相当なものだろう。まして十代半ばの少女にとっては。
誰もが牙を剥くかもしれない。
優しげな笑顔で近づいてみせて、気を許したところでいきなり噛みついてくるかもしれない。
あの奴隷商……そしてヤツらを引き入れた誰かのように。
誰もがノエムでなくノエムの持っているスキルを目当てに近づいてきて、ノエム自身を見ていない。
誰も信じられなくなった彼女が唯一信じられるものがあるとしたら、危機から救ってくれた俺だけなのだろう。
それ自体は買い被りでもあるがな。
「ロンドァイトさん……」
俺からも縋るように彼女を見た。
ロンドァイトさんは深く長い溜息をついて……。
「仕方ないねえ。まあ別に、錬金術師が冒険者やっちゃいけないなんて決まりもないし……」
「それじゃあ」
「その代わりリューヤ、アンタがしっかりとこの子を守るんだよ。信頼されてるんだからね。その信頼に応えなかったらアタシがアンタをぶっ飛ばすからね」
「ありがとうございます!」
ロンドァイトさんの人情の厚さによって事なきを得た俺たちだった。
「とはいえ、まだ冒険者としての実績が何もない二人だ。当面は最低ランクの<F>から始めて研修なり初心者クエストなりを受けてもらうよ。そうやってじっくりと実績を積んでベテランになっていくんだ。わかったね?」
「「はいッ!!」」
こうして晴れて冒険者となることができた俺……とノエム。
五年越しの回り道を経て、ようやくの段階だ。青龍が鍛え上げてくれたこの力で俺は一体どこまで行くことができるのだろう。
龍に応えるためにも精一杯駆け上がりたいものだ。
「ちょっと待ちな」
……と折角ヒトが決意をあらたとしている時に、何やら物騒な声が投げ込まれた。
「そんなにいいスキルの嬢ちゃんならオレのパーティに入れてやるよ。<スキルなし>は邪魔だ。失せな」
というのは年若い男性冒険者だった。
その背後で、同じような年格好の男らが数人、ニヤニヤしながらこっちを見ている。
仲間か。
それを見返したロンドァイトさんが『チッ』と舌打ちし……。
「お呼びじゃないよ失せな。お前らだってまだまだ新人に毛が生えたようなもんだろう。ズブの新人の指導なんて任せられないよ!」
「何言ってんだよオレたちはもう充分に一人前だぜ? そっちの能無し無能<スキルなし>と違ってよ」
どうやら俺たちの会話が聞かれてしまっていたらしい。
それもそうだここは冒険者ギルドで、俺たちの他にも多くの冒険者たちが屯っていた。
そんな中でロンドァイトさんが大声でスキル説明するから……。
よからぬ輩の耳にまで入ってしまったってことか。
「あーやだやだ<スキルなし>ってのは。どこにでも出てきて視界を汚していきやがる。お前らはさ、神様に選ばれなかった失敗作なの。ありていに言うとゴミよ。どうしてご立派に生きていけると思ってんの?」
また向こうでゲラゲラ笑い声が聞こえてくる。
「まして、そっちのレアスキル持ちのお嬢ちゃんをオレから盗み取っていくなんて、どう考えても罪でしょ? 断罪しないとなあ? 死刑でいいか? ああ?」
「横から割り込んできたのは明らかにそっちの方だが?」
「いいスキルを持ってる女はオレのパーティに入るのが法律だろうが! そんなこともわからねえのかバカが!!」
わかりませんな。
アホが変な理屈つけてゴネ回っているというぐらいしか。
「お、よく見たら、その嬢ちゃんいいスキル持ってるだけじゃなくて顔も可愛いじゃねえか。だったらなおさらオレのものにしてやるよ。便利に使えて性処理もできる。まったくいい拾い物をしたぜ」
「ひッ!?」
ノエムが顔を青くしてたじろいだ。
よっぽど卑しい視線を遠慮なしに送られたのだろう。
「帰ってくれ」
「んだと?」
「誰が誰とパーティを組むかは、当人同士の同意を得て成立するものだ。彼女は俺と組むことを望んだ。キミの出る幕はない。以上だ」
「……本当バカは困るよなあ」
俺へと向けられる侮蔑的な視線に、殺気が交じり出す。
「正義のヒーロー気取りか? ナイト様か? クソ弱ぇ<スキルなし>が身の程知らずによ。可哀想にお前、死んだぞ」
「何故かな?」
「Bランクのスキルを持ったオレ様に逆らったからだよ! オレを舐めたからにはぶっ殺す! テメエの冒険者人生始まった途端に終わりってわけよ!」
と若い冒険者、ナイフを引き抜く。
両手に握った二刀流。
「このバカ、やめな!」
慌ててロンドァイトさんが止めに入る。
「ギルド内での私闘はご法度だよ! やれば双方、ランク降格ぐらいの罰で済むなんて思わないことだね」
「ロンドァイトさん」
静かに言う俺。
「やらせてください」
「……」
俺の誠意が彼女に通じたのか……。
「チッ、わかったよ。じゃあこういうことにしよう。この若僧はバカでアホだ。ギルドマスターのアタシとしてはこんな舐めたガキを修正する義務がある」
え?
ロンドァイトさんギルドマスターだったの。
「その実行をリューヤ、アンタに代行させるよ。やるからには徹底的にやりなよ」
「ありがとうございます」
こうしてギルドマスターの許可の下、俺と彼の決闘がギルド内で始まった。
既に周囲には野次馬たちの人だかりができている。
「リューヤさん……」
「大丈夫だ」
心配そうな声を上げるノエムをなだめ、俺は敵へと向かい合う。
「本当に心底バカなヤツだぜ。命が助かる最後のチャンスを自分から不意にしやがった」
「リューヤを舐めるんじゃないよ。<スキルなし>でもレベルは<17>。アンタのレベル<5>より遥かに大きい。スキルだけが勝敗の決め手じゃないってことを思い知ることになるだろうよ」
俺の代わりに啖呵を返すロンドァイトさん。
なるほど彼女がこの戦いを許可した理由はそこか。
「バカ言ってんじゃねえよ! どれだけレベルを上げようと、強力なスキルを超えることは能無しには不可能なんだよ! このオレのスペシャルスキル<ファントムハンド>にはな!!」
一瞬目の錯覚かと思った。
若い男冒険者の腕がいきなり増えたのだ。
二本から四本に。
幻のように茫洋としたもう二本の腕にもナイフが握られて、計四つの切っ先が俺へと向けられる。
「見たか! これがオレのスキル<ファントムハンド>! 幻のもう一対の腕はしかし実体と同じで、武器を持つこともできれば攻撃もできる! 純粋に倍の手数、テメエのような<スキルなし>に受け止めきれるかな!?」
なるほど地味に有用なスキルだな。
本来腕が二本しかない人間に、さらにもう二本加わって計四本。
それが一斉に襲い掛かってくるなら、それは二人がかりとほぼ同じ。
「めった刺しにしてやるぜ! そしてそっちのレアスキル女はオレのものだああ!!」
四つの切っ先を向けて襲い掛かってくる冒険者。
俺はまず二本の手を、俺自身の手で止めた。右手と左手で相手の手首を掴む。
これで二本。
しかし、それ以上の腕がない俺には、残りもう二本の腕への対処がない。
「思った通りの展開になったな! 死ねやああああッ!!」
残り二本の手が、俺目掛けてナイフを突き立てようとした。
その寸前……!
「ぐぎゃああああああッ!?」
苦悶の叫び声をあげたのは、俺ではなく相手の方だった。
左右二つずつ、計四つの拳を粉々に砕かれて。
「数が多いなら、手早く処理すればいいだけのことだ」
同時に襲ってくる四つの拳を……一、二、三、四の連撃で打ち砕く。
上手いことナイフの刃を避けながら。
砕かれた拳は、もう攻撃手段として用をなさないのだから気にする必要もないということ。
防御に回ろうとするから手数が足りなくなるのだ。
攻撃は最大の防御ってね。
「ぎゃあああああッ!? いてえ! 痛えええええええええッ!?」
のたうち回る若い冒険者。
そりゃそうか。拳を完全に粉砕されて、指の骨もぐしゃぐしゃになっている。
幻影の腕だけ打ち砕けばよかったんだろうが……と今になって気づいた。
気配りが足らずに申し訳ない。
「あぎゃあああああッ!? オレの手が! 手があああああああッ!?」
「自業自得だよ。自分のスキル性能に酔って誰彼かまわずケンカを売るからそんな末路になる。<スキルなし>だって人間なんだ。本気で立ち向かえば格上だって殺せるんだよ」
ロンドァイトさんの若手冒険者への同情心は一切なかった。
しかもその足元には、多くの若者たちが倒れている。顔から血を流しながら。
さっき幻影腕スキルの冒険者と共にあざ笑っていた取り巻きたちか。
俺が戦っている間に、彼女もしっかり粛清完了させていたらしい。
「しかしリューヤ、アンタ大人しい顔に似合わずエグイことするねえ。こんなに関節がバキバキになったら冒険者として再起不能じゃないか」
「すみません、やりすぎました!!」
「益々惚れ直したってことだよ。でもおかしいねえ? いくら何でもレベル<17>にここまでやれる腕力ってあったっけ? 強化系スキルなんてないんだろう?」
「たははははは……!」
笑って誤魔化した。