75 魔族セニアタンサの帰還
「……アビニオン、その魔神っていうのはどんなヤツらなんだ?」
この際できるだけのことをアビニオンに聞いてみる。
冒険者ギルド本部は、もはや魔族の脅威から救われたというのに依然緊迫に包まれていた。
『身の丈に過ぎた欲望を持った連中……じゃな』
アビニオンによる答えは、何とも要領を得ないが、明確に吐き捨てるような語調だった。
『あやつらはどうやら、天上の超越者に並び立とうと考えているようじゃ』
「天上の超越者?」
『主様を認めた八龍のようなモノらのことじゃ』
森で出会い、五年間にわたって俺に修行をつけてくれた青龍オオモノヌシ。
それは八龍と呼ばれる、魔神霊すら凌駕するこの世界の外に君臨する超越者だと聞いたことがある。
天上の超越者と地上の超越者。
同じ呼び名でも二つの超越者には隔絶した違いがあって、けっして同じように語れるシロモノではなかった。
『哀れなものよ……、わらわたち魔神霊は、地上最強の能力を持っているがゆえにわかるのじゃ。どんなにもがき足掻こうと八龍の領域に踏み込むことなどできぬと』
実感のこもった物言いだった。
『しかしわらわらに劣る魔神どもにはその事実が飲み込めんらしい。なんらかの手段を用いればわらわら魔神霊を乗り越え、八龍の域にまで至れると夢想しておるようじゃ。妄想にすぎぬがな』
人間だって、自分よりあまりにも大きいものを完全に測りきることはできない。
山の高さ、海の広さ。
想像も至らず自分の尺度でしか理解の及ばない者は、海すら渡れると勘違いして泳ぎだし、途中で力尽きて沈む。
『魔族ほどに弱ければ、自分に最強となれる資格がないことを即座に悟り、身を引くこともできるようじゃがの。魔神霊より弱いから事実を推し量ることもできず、魔族より強いから自分に見切りをつけることもできぬ。中途半端から発する苦しみを体現したような存在が、魔神という連中じゃ』
アビニオンの魔神評は実に辛辣で、魔神の在り方を全否定するようなものだった。
「そんなヤツが教会と繋がって……何か企んでいるのはたしかなのか?」
『あやつらが何も企んでない時など存在せぬよ。ほんにわらわたちより遥かに勤勉な連中よ。超越者のくせにのう。惜しむらくは、その勤勉さが世界によい影響を与えたことが一度もないということじゃ』
アビニオンがパチンと指を鳴らすと、それに呼応してゆらゆら立ち尽くすだけのレコリスの死霊が塵と解け消滅した。
聞くべきことを聞き出して用なしということなんだろう。
ここにすべてにおいて俺たちはやるべきことをやり終え、冒険者ギルド本部襲撃騒動は平和裏に収束した。
『殺せ! 殺せ!』
いやまだ一点残っていた。
襲撃してきた魔族の最後の一人、セニアタンサの始末を。
『闇に葬るべき事実を明るみに出され、魔神様より賜った神託を果たすこともできなかった! この上は死しておのれの不始末に決着をつけるのみ! さあ殺せ殺せ!』
完全に自暴自棄だった。
相手は人間に仇なす怪物で、ついさっきまで生死を懸けて争った。
ヤツの同類は、俺たち人間を何百人と殺し、俺だって直近ヤツが率いてきた仲間を二人殺した。
人間と魔族の関係は、もはや引き返すことのできない血塗られた関係なのだろう。
どちらかが滅ぶまで止まらない。
しかし……。
「アビニオン」
『なんじゃ?』
「彼の戒めを解いてやってくれ」
『はいさー』
セニアタンサを囲んでいた霧が晴れた。
あの霧の正体はアビニオンの体の一部、霊体エクトプラズムだ。
セニアタンサはアレに体内まで侵されて体の自由を封じられていたが、それが引けば動きは戻る。
『……何のつもりだ?』
「勝負はついた。これ以上の犠牲は必要ないはずだ、お互いにな」
『……ッ!?』
魔族どもの目的は、上位種・魔神から命じられたレコリス評議員の抹殺。
それはもう果たされた。
俺たちはレコリスを守ることはできなかったが必要な情報は聞き出せたし、そうなればあんな嫌なヤツは死んでしまってもかまわない。
何よりギルド本部にいる無辜の住民は一人も失わず守られた。
「だから躍起になってアンタを殺す必要なんかない。これ以上……いや、もう二度と人間に危害を加えないと約束するなら生かして帰してもいい」
『ふざけるな! 公爵級魔族たる私に生き恥を晒せというのか!!』
激昂するセニアタンサ。
『どうせ、ここから生還しても、真の意味で神託を果たせなかった私は魔神様によって処刑される運命だ!! よしんば生き延びたとしても、これからも人間を殺し続ける未来に変更はない! それもまた魔神様が我らに課した務めなのだから!』
「アンタたちは魔神からの命令で人を殺しているのか?」
『そうだ、魔神霊の言う通り、所詮我らは魔神様の意のままに動く手駒にすぎぬ。安い命しかもたぬ、貴様ら人間と同様の虫けらよ! そうさ最初からそんなことわかっていたわ!』
ぶっちゃけるセニアタンサ。
『だからこそ最後の誇りを護るためにも戦場で死にたいのだ! 屠殺場のブタのごとく処刑されるよりも戦場で散る方が、いくらか高貴さが違うだろうよ! だから私を殺せ! 貴様にはそれだけの力があるのだから!』
お前たちが、魔神とかいうヤツの命令で仕方なく人間を殺しているというなら……。
「……帰って魔神とやらに伝えろ、そんな理由で魔族を殺すことは俺が許さないと」
『ッ!?』
「これ以後、意図して魔族と人間を戦わせるようなことをすれば、俺は魔神の敵に回る。人間と魔族の戦いではなく、俺と魔神どもの戦いだ。どちらかが滅ぶまでその戦いは続くと知れ」
『ど、どういうことだ? お前が、我々魔族を魔神から守る守護者にでもなるというのか?』
「そうなるかもな」
もしお前たち魔族が、魔神から何かしら無理強いさせられるとしたら、俺に助けを求めるがいい。
お前たちの境遇が理不尽で同情の余地あれば、喜んで俺はその理不尽を打ち破ろう。
『主様の敵はわらわの敵でもあるのう』
こともなげに言うアビニオンは頼もしかった。
『愚かな魔神どもにこうも伝えるがいい。もし我が主様とぬしらが対立し、戦うことになればこのわらわとも戦うことになると心得よ。ヤツら魔神の十倍の強さを種族として持ち合わせる、この魔神霊アビニオンがのう』
「アビニオン?」
『何故意外な顔をするのじゃ? わらわは主様の下僕ゆえ、いくさともなれば主様の露払いをするが当然のことであろう? 八龍に匹敵するレベルを持った主様と、地上最強の超越者たるわらわ。その二人を向こうに回し、魔神どもどれほど見苦しくもがくか見ものよのう?』
そこまで言われてもセニアタンサは、どう受け止めていいのかわからず戸惑いの表情だった。
俺に砕かれた体半分が再生できず、人間だったら今にも死にそうな惨状だった。
その体に手の平を当てて、力を入れて押す。
「よッ!」
途端にセニアタンサの欠けた体が広がり、形を整えてまったく元の満足な五体へ完全回復した。
『うおおおおおおおおおおおおおッッ!? 再生した!? 魂の核を傷つけられてまともに機能しなかったのに!? 一体何故!?』
「ツボを押したって言うのかな? アンタの魂の活力が上がりそうな部分に力を加えてやったんだよ」
そのお陰で彼の体に力が戻ったというわけだ。
殴るしか能のない高レベル<スキルなし>でも、研究すれば色々できるものだな。
『………………………………』
魔族セニアタンサは、万全状態に戻りながらもしばらく呆然としていたが。
『……まだ俄かに信じがたい。人間と魔族の戦いは数千年と続いてきたのだから、その敵対関係が一朝一夕に変わるなどとはとても考えられない』
呆然というか、色々考えていたようだ。
『しかし、我ら魔族を圧倒するどころか魔神霊すら従える貴様の存在はもはや人間を越えた者ととらえてもいいのかもしれぬ。これから急ぎ立ち帰り魔王様にこの事実を告げよう。そして我ら魔族の命運にかかわるご決断を仰ぐ、この命が尽きるのはそれからでも遅くはない』
「魔王?」
『我ら魔族を統べる御方だ。魔族のレベル上限<999>に達した者だけが名乗ることを許される最強者の称号。同時に魔族を率いまとめる責任者でもある』
魔族セニアタンサは翼を広げ、地面から足を離す。
ここから去ろうというのだろうが、するがままに任せた。元々帰っていいよと言ったのは俺だ。
『今は貴様の言うようにしてみよう。どのように果てるかわからぬ命だが、せめて終わり方は魔族全体に貢献できるようにしたいものだ。ここからどのように世界が変わるかわからぬが、その皮切りとなった責任は果たしてもらうぞ人間。……いや人間を越えたモノよ』
「おたっしゃでー」
去り行く魔族をただ見送る。
彼らが俺たちの敵として現れることが二度とないことを祈って。
『おぉい待てぇー』
それを止めるアビニオン。
なんで?
ビクリとして振り返る魔族に向けて彼女が言うには……。
『逃げかえる前に何か言うことがあるんじゃないかのう? 礼儀知らずに生きる資格はないぞえー?』
『…………』
その言葉にすぐ思い当たるものがあったのか、魔族セニアタンサは真っ直ぐ俺の方を見て……。
『御助命、感謝申し上げる』
と言って、今度こそ東の空へ向けて去っていったのだった。