74 敵は……
「あぎゃあああああッ!? ぐぎゃあああああッッ!?」
何事かと振り返れば……。
悲鳴を上げているのは評議員のレコリスだ。
汚く濁ったヘドロを全身に浴びている……いやヘドロに巻きつかれている。
「へぎゃごッ!?」
一瞬のことだった。
粘った液体にすぎないはずのヘドロが、まるで大蛇のごとき締め付けの強さでレコリスを捉え、そして締め潰すのを俺たちは目撃した。
あまりの速やかさに止める暇もなかった。
ゴギッ、というたしかな鈍い音が鳴った。
レコリスの首の骨がへし折れた音だろう。
「お前ッ!?」
『ぶべべべべべべべッ!? 殺した殺したああああッ! 魔神様の言われた人間を命令通りに殺したああああッ!!』
あのヘドロの塊は、三人いた魔族のうちの一人ではないか。
恐らく自分の体を液状に変化させる異能の持ち主。
俺たちに恐れをなして逃げたと思ったのに。
「この野郎!」
『ぶべっしッ!?』
こちらも一瞬のうちに距離を詰め、一撃にてヤツの体を四散させて消滅させた。
体が液状だろうと関係ない。
俺のパンチは八百万のレベルそのものを乗せた存在の力。
相手が液状だろうと気体だろうと、幻影だろうと関係なく作用する。
『魔神様ああああああッ! おではッ!? おでは見事に成し遂げましたああああッ! アナタの御命令を! 褒めて褒めてッ! そして助けてええええええッッ!!』
身も心もヘドロのように濁り粘った魔族は、みずからを支配する超越者を呼びながら消滅していった。
「……くそッ、失態だ!」
不注意でむざむざレコリスを死なせてしまった。
あのヘドロ魔族は、逃げ去ったふりをして液状のまま地下に潜み、俺たちの注意が離れてレコリスを殺す機会をずっと窺っていたんだ。
『仏心など余計だったな! やはり敵は見つけ次第殺しておくに限るのだ! ハハハハハハハハッ!!』
勝ち誇ったように笑うのは、魔の霧に拘束された最後の魔族セニアタンサだった。
『たしかに貴様らの推理通り、我らに特定の人間を抹殺するよう命じてきたのは魔神だ! 特にそのレコリスとやらは絶対に、我らの命に代えても始末せよとな!』
「そのために本当に……自分の命を引き換えにしてでも……!?」
『当然だ……! 我ら魔族にとって、魔神こそ神にも等しい存在、絶対なのだ! そのご意思に逆らっても、力及ばず失敗しても、我らの命はない! だから死に物狂いで遂行するしかないのだあああああッ!』
やけっぱちともとれるセニアタンサの口調。
超越者を気取る彼らだが、それをさらに超える存在の前に自分の矮小さを哀れなほど自覚していた。
『任務は完遂された! 二つの標的のうち一方のレコリスだけは何があっても殺せというご指示だったのでなあ! よくやったぞデブデドリザ! 我らに御神託をくださった魔神様もさぞや喜ばれるであろう!』
俺やアビニオンの圧倒的な力に囲まれ、戦うことも逃げることすらできないセニアタンサは死を待つばかり。
その中で目的を果たしたことだけに救いを求める彼の目は狂気走っていた。
『さあ、殺すがいい! 目的を果たした今、我々の存在する意義など欠片もない! 死んだ我々の魂は魔神様が拾い上げ、より強力な魔族として転生させていただくことだろう! はーっはっははははははッ!!』
『魔神にそんな能力はないがのう。おもっくそ騙されておる』
俺はバカだ。
彼らを遥かに超えるレベルを持っているのにこんな簡単に出し抜かれるなんて。
どれだけ強くともそれを結果に繋げられなかったら、それは何の力も持っていないのと同じだ。
『……まあ、そんなに悔いずともよかろう? こんなハゲ、主様が守る価値もないハゲじゃ。だからこそ意識の外に置かれていただけ。もし狙われたのがノエムあたりであったらそれこそ電光の速さで反応し、阻止できたことじゃろう』
「でも、レコリスにはまだ聞きたいことがあった……!」
ルブルム王国を存亡の危機に追い込んだ魔神霊オケアノスの襲来。
そのきっかけとなるネレウスの幼生をソーエイデスに渡したのは間違いなくレコリスだ。
しかしコイツが災いの根源でないこともたしか。
魔神霊を出し抜き、大事な娘をさらいだす能力がそもそもコイツにはない。
であればさらに後ろに陰謀を起草した大元がいるはずだ。
レコリスは陰謀を実行するための中継役に過ぎなかった。
その大元を探り出す唯一の手掛かりがレコリスだったのに……!
『状況を鑑みても、このハゲを殺した目的は口封じじゃな。不用意に喋られては困ることをハゲは知っておった。その秘密を漏らさぬために魔族まで駆り出して消されたわけじゃハゲは』
あんまりハゲハゲ言わないで上げてください。
たしかにアビニオンの言う通りかもしれない。
いかに冒険者ギルド評議員だとしても、人類を遥か格下だとみなす魔族から名指しで狙われるような理由は他に思い当たらない。
しかし今、まんまと抹殺を成し遂げられて死人に口なしとなって、重大な情報を聞き出す機会は永遠に失われた。
すべては俺の不甲斐なさから……!?
『何そう気を落とすでない。主様にはわらわがついておるであろう』
「えッ?」
『主様の助けになってこそ下僕たるわらわの存在意義ぞえ? そもそも魔神霊たるわらわが魔族ずれの行動を把握できぬと思ったか? ヤツらの不意打ち程度わらわがその気になれば阻止することなど造作もない』
でも結局魔族に出し抜かれてレコリスを殺されてしまったじゃないか。
何を偉そうに……?
『このハゲの重要な価値は、その脳内に刻まれた情報のみ。心も体も値打ちはない。だから殺されても問題ないということじゃ。死してなお情報を引き出す手段さえあればのう』
アビニオンは、その白魚のように細い指をパチンと鳴らした。
それに呼応するように、レコリスの物言わぬ死体から煙のようなものが立ち昇る。
煙は空気に散らされることなく集合して形を成していき……。
半透明な人の姿を現した。
より詳しく言えばレコリスの生前の姿……!?
「レコリスの……霊体!?」
『死霊じゃ。我が異能<霊体操作>を持ってすれば死にたての者をゴースト化し、知ることすべてを聞きだすことも造作ない』
つまり、コイツの知っていることを自由に聞き出すことも?
死人に口なしなんかじゃなかった!?
『むしろゴースト化したものはわらわに絶対服従するゆえ生前よりも歌わせやすいかものう。さて哀れなハゲ霊よ。安らかに眠りたければわらわたちの知りたいことを明かしてからにせよ』
魔族たちも、魔族に指示を与えた魔神も、標的が死んでまで情報を引き出されるなど思いもしなかったのだろう。
彼らの目的は達成されたが、その意味はまったくなかった。
『ネレウスの幼生は、どこから手に入れた? いや、誰から手渡された? 陰謀の主体がぬしでないことはわかっておるのじゃ』
『あの瓶は……』
死霊と化したレコリスは、生前とまったく同じ声で喋りだした。
しかし生気は感じられない。まるで自分が生きていた頃の情報を音声にするだけの装置のような存在だった。
『あの瓶は……』
「瓶……。たしかにネレウスの幼生はガラス瓶に閉じ込められていたが……!?」
『教会の……アガマンデス枢機卿から……』
!?
思わぬ名が出たことに、この場に集った全員が凍り付いた。
「教会って……まさか……!?」
今までもたびたび出てきた人間社会の組織。
スキルを人々に与え、勇者という対魔族用の切り札まで所有する教会の権威は、人間社会では特に大きい。
「枢機卿って……教会の偉い人なんですか?」
「教皇に次ぐ権力者じゃ。実質的に教会のナンバーツー。現職の教皇が退任した時、その後継者は枢機卿の中から選ばれる……!」
そう解説してくれたのはビステマリオ評議員。
俺が救いたくてここまで駆けつけた、名実共に偉い人だ。
「かような大物の名前が出てくるとは……たしかにレコリス評議員は教会に知己が多く、太いパイプを持っておった。それと同時に教会が振りかざすスキル至上主義に影響を受け、冒険者ギルドの運営にまでその主義を持ち込んでいるゆえ評判が悪かった」
レコリス評議員は。
たしかにセンタキリアン王様への謁見でも『教会へ口利きしてやってもいいぞ』などと恩着せがましく言っていたが。
「しかし、これが本当だとしたら……!」
「すべての災いの元凶が、教会だということに……!?」
勇者をもって魔族と対抗する、世界の守り部みたいな組織が、逆に世界を脅かそうとしていた?
『それだけではないぞえ』
アビニオンが言う。
その美貌には、他者を心底から見下すような酷薄さが浮かんでいた。
『よく考えるのじゃ。そんな情報を、魔族らを駆り出してまで隠匿したいヤツらの意図を。さっきわかったことじゃぞ? 魔族どもの裏におったのは魔神じゃ』
魔族すら超えた超絶存在が、レコリスの口封じを望んだ。
正確には、レコリスの知る教会との繋がりを。
つまり魔族は、この一件に教会が裏で糸を引いていることを公に知られたくなかった?
何故?
「考えられるのは……」
『教会とやらと魔神どもが、繋がっているということじゃ』
その事実に再び場が戦慄した。
教会と、魔神が、繋がっている!?
勇者を擁し、魔族と先頭切って戦う立場にいる教会。
そして魔族の大親玉みたいな存在の魔神。
それらは本来宿敵みたいな間柄であるべきなのに、その二つが繋がっている!?
『これはまた絵に描いたような醜聞じゃのう。当人らとしては何としてでも隠し通したくなりそうなものじゃ』
邪悪な笑みを浮かべるアビニオン。
『わらわら魔神霊は、即興的というか今が楽しければ他などどうでもいい……という気分が共通してあってのう。魔神どものように遠大な計画を立てようなどという事柄には向いておらぬ。……ま、魔神どもがわらわたちより遥かに劣っているからこそ、そうしたせせこましい手に頼るんじゃろうがのう』