66 急転を告げる猫
冒険者ギルド評議員レコリス、大ピンチ。
もはや破滅が確定しているなら、それはもうピンチとはいわないけれど。
しかし魔神霊アビニオンに目を付けられたからには人間がもう抗いようはない。
既に霧状のエクトプラズムが、禿げ頭を囲い込むように広がっている。あれはアイツを縄で拘束しているようなものだろう。
もちろん荒縄などより遥かに強固で絶望的な拘束ではあるが。
「何だコレは!? 動けぬ!? なんでモヤ程度に囲まれて指一本も動かせぬのだああああッ!?」
『それが、ぬしら人間と我ら魔神霊との差よ。言っておくがこれでも最大限に加減しておるのじゃから無駄に抵抗するでないぞ? ここから少しでも力を入れたら脆弱な人間など呼吸が止まり、あるいは全身ひしゃげて死んでしまうのじゃからな』
「ひぃいいいいいいいッッ!?」
超越者、魔神霊の恐ろしさを改めて実感する。
彼女らにとって人間など本当に虫程度の取るに足らない存在なのだ。いや下手したら虫以下の。
そんな魔神霊の意識に捉えられた時点で、人間などすべての意思を放棄させられ呼吸すら許可なしに行えない人形へとなり下がってしまう。
今のレコリスのように。
『ではまず? オケアネスの娘をどこから手に入れたか歌ってもらうとするかのう? もしくは誰から授かったか、じゃな? 何でもいいからサクサク吐くがよいぞ、苦しゅうない』
「助けて、助けてえええええッ!!」
レコリスが泣きながら助けを求めるが、ゴメン無理。
ここに居合わせる全員、俺以外の誰もアビニオンを止める能力など持ち合わせていないし、止めたいとも思わない。
だって圧倒的に嫌われ、絶対的悪役と認識されているのはレコリスなんだから。
だが、もう少し絶望感を味わってもらってもいいかもな。
「アンタに選択肢をやる」
アビニオンの霊体に拘束されたままのレコリスに言う。
「アビニオンの尋問を受けて吐くか、アビニオンの尋問を受けずに吐くかだ」
『どっちにしろ洗いざらい喋らせることに変わりないか! 主様も面白い問いかけをするのう!!』
ケタケタと笑うアビニオン。
その表情は、人間にはとても浮かべられないほどの濃厚な残忍さがあった。
「いや、けっこう重要な二択だぜ。何しろアビニオンの尋問には精神浸食系の異能とか、幻惑とか。とにかくヤバいものを使うだろう?」
『そこまでヤバくもないぞえ? 嗜み程度のものじゃあ』
「お前から見ればな。しかし超越者クラスの精神浸食なんて人間がくらえば一瞬で心が崩壊するぞ。以後は廃人となって永遠に生ける屍だ。そんな風になって喋らされるのとどっちがいい? って話だ」
それを聞いてレコリスはますます蒼褪める。
きっと気軽にこの場にやってきたのを、充分に悔いていることだろう。
「俺は優しいから、ゲスにも選択の自由を与えてやろうってわけだ。どうせ尋問されて洗いざらい喋らされるにしてもな。……ノエム」
「はい!」
名前を呼ばれて嬉しそうに答えるノエム。
子犬のごとき可愛げだ。
「キミの薬でなんか使えそうなのある?」
「尋問用のですか? もちろんあります! 自白剤です!」
これまたドストライクなのが来た。
<錬金王>スキルを持つノエムは、普段から思いつく限りの薬や錬金アイテムを用途度外視で作り続けているようだ。
「なんか作れそうだから作ってみました!」
「倫理の範囲内で頼むね」
「はい! ……で、この私特製・錬金自白剤は。通常のものより千倍効き目がある優れモノです!」
聞くからに副作用がヤバそう。
「飲んだら一定時間、半睡眠というべき酩酊状態となり、聞かれたことに抵抗なく答えるようになります! 効き目がきれたら完全な覚醒状態に戻り、しかも服用時の記憶はしっかり残っているので再度の尋問も可能です!」
ほうほう。
聞くからに使えそうな薬だが、やっぱり副作用はあるんでしょう?
「飲んだら脳の老化が十年分ほど進みます」
ほらやっぱり。
「放せええええええッ!! 助けてええええええッ!! 私は! 私は冒険者ギルド評議員なるぞおおおおおおッッ!!」
「そんな偉い人が、国家崩壊級の犯罪に絡んでるかもしれないから徹底調査が必要なんでしょう?」
じゃあ自白剤飲ませてから精神浸食をかますか、と思っていたところにさらなる混乱が飛び込んでくる。
「侵入者! 侵入者だああああッ!!」
謁見の間の外が何やら騒がしい。
「何事じゃ?」
まず城の主である王様が警戒する。
すぐさま報告の兵が駆け寄って傅き……。
「城内に賊が侵入いたしました! ただ今警備兵が全力にて動いておりますが今だ捕縛できておりません! 陛下もお傍固めを!」
「うむ。……レスレーザよ、そなたも騎士として兵を率い、賊討伐に加われ。リューヤはすまぬがここに留まり、余を守ってくれぬか? イザベレーラとルーセルシェも動くでないぞ。警護対象がまとまっている方が手間が少ない!」
テキパキと指示を出す王様。
こういうところさすがだなと思うが、今回は侵入者の迅速さが上回った。
俺たちが動くより早く謁見の間への到達を果たす。
「ここかにゃーッ!?」
「あッ、あれは……!」
反応するノエム。
一体どうした?
「あの子は……! 間違いないです、私の知り合いです! 攻撃を、攻撃をやめてください!!」
「あー! ノエムちゃんにゃー! やっと見つけたにゃー!!」
ニャーニャーうるさい侵入者、ノエムの姿を確認するなり、その胸に飛び込む。
「何でアナタがここに? シーガルちゃん!」
シーガル!?
なんかその名前にも、あのやけに獣っぽいしなやかな女体にも覚えが……。
……あッ?
「ルブルム国にいた試験の監督官?」
A級昇格試験で、受験者を審査するのは既にA級となった現役冒険者だった。
その役目を持つ者が全部で四人いたが、その中で唯一の女性冒険者が彼女……。
A級冒険者シーガルだ。
「わーシーガルちゃん久しぶりー! って言っても何日かぶりだけど。どーしたのー!?」
「ノエムちゃんとまた会えて嬉しいにゃーん! 匂いを擦り付けてやるにゃ。グリグリ」
「やーん、頬ずりしないでー! いや頬ずりしてー!」
…………。
なんだ?
仲いいねキミたち?
「いつからそんな仲よしに? キミら友だちだったっけ?」
いやむしろ、シーガルとノエムの関係は因縁だったはずだ。
A級昇格試験で、ノエムは他でもないあの女A級冒険者を叩きのめして一次試験突破を決めたはず。
「タイマンはったらダチにゃーん! 拳を交えたら相手のすべてがわかるものにゃー!!」
「互いを認め合って、友情が芽生えたんです!」
…………ああそう。
こんなに可愛い二人なのに友情の育み方がバンカラだね?
「シーガルちゃん、こんなところまでどうしたの? いつかお茶しようって約束をもう果たしに来たの? でもダメだよここ王様のいる場所だから失礼したら大罪だよ?」
「ハッ、そうだったにゃん! ノエムちゃんと再会できたのは嬉しいけれど、それどころじゃなかったにゃー!」
どうやら彼女の目的は友だちに会うことではないらしい。
そんな目的で王城侵入されても後始末に困るが。
「アタシはA級冒険者として、冒険者ギルドを代表してご訪問してるんだったにゃ! 王様! 王様はいずこですにゃ!? 緊急のお知らせがあるにゃー!」
「シーガルちゃん落ち着いて。今アナタが土下座してる相手は王様じゃなくてただの兵士さんだよ」
猫娘がよほど慌てているのか、それとも生来が粗忽なのか。
あの大混乱の理由はどちらかわからぬし、その両方かもしれない。
「ええい落ち着くがよい。余がセンタキリアン国王レオンハルト以下略である」
「王様ぁー! 本日は御日柄もよくにゃー!」
「だから落ち着け」
初めて会う相手の匂いをめっちゃ嗅ぐな。
人としての分別を取り戻せ。
「して何用かA級冒険者よ。S級に及ばぬとて最高峰の冒険者、王族から格別の扱いを受けるべき者だということは承知しておる。用件次第では王城侵入の無礼を不問にしてやってもよい」
「ありがとうございますにゃー! 本日アタクシ、火急の用件をギルド評議会より預かってまいりましたにゃー! もう大変なんですにゃー! おおごとにゃー!」
「だからなんだよ?」
いまだ要領を得ないシーガルの訴えに、王様は年長者の忍耐で根気強く聞き出す。
すると、たしかにとんでもない事態を告げられた。
「冒険者ギルド本部が魔族の襲撃を受けてますにゃ! 至急来援を乞いますにゃ!!」