55 最後の抵抗
『はーん、主様はやることなすこと本当にエグいのう。「神託」の類まではね返すとは』
「いや、コイツがヘッポコだっただけでしょう?」
アビニオンから呆れられたので一応反論しておく。
「いくら強力なスキルだからって、こんな甘ったれた子どもが使えば何の威力もないよ」
『使用者がどんなにヘボであろうと「神託」は人間であれば大抵誰でも逆らえない呪詛じゃ。それが効かん主様はやはり人間などとっくの昔に超越しておるということなんじゃなあ』
そういうものか。
しかしルブルム王国に入って起こった一連の騒動は、これで終結したと言っていいのだろう。
首謀者どもがここでぶっ倒れているのだからな。
あとはアビニオンが<念縛>している手下の皆さんをひとまとめにし、どっかに摘み出せば一件落着か。
それはそれであとに一波乱起きそうだけどそこまでは知らん。
とにかくもうトラブルに巻き込まれるのはたくさんだな。
「ま、まだだ……!」
ガシャンと、ガラスか何かが割れる音。
振り返ってみると、音の発生源のところには現役A級冒険者のソーエイデスが倒れていた。
「何をした?」
とはいえアイツは両肩の骨を砕かれて両手を動かすこともままならず、完全に行動不能なはずだ。
今さら何かできるとも思えない。
「で、何をしたんだ?」
俺の意識を向けたガラスの破砕音が気になった。
何を砕いて出した音だ。
よく見れば、たしかにソーエイデスの周囲に砕け散ったガラス片が散らばっていた。
さらにヤツの周りの地面が水浸しになっている。
「本当に何をしたんだ?」
状況から察するに、水の入ったガラス容器的な何かを叩き割ったものと思われる。
何故そんなことを?
「レコリス評議員……、出発前にアナタが言われたこと意味がようやくわかりました……!」
「れこりす、ひょーぎいん?」
誰?
昼間会ったビステマリオ評議員さんじゃなくて?
「今回の試験……、我らの理解を超える者がいるかもしれないと。我らの信じるものすべてを否定する者がいるかもしれないと……! その者が敵に回り、どうにもならない苦境に陥ったとしたなら、使えとおっしゃりましたな……!」
使えって、このバラバラに砕け散ったガラス容器と、ぶちまけられた水のことか?
だから何なんだよこれは?
「<スキルなし>の分際で、いまや冒険者ギルドの主流思想に歯向かう悪魔め……! 時代は逆行してはいかんのだ! 強いスキルを持つ者が優れた冒険者であるという真理は覆されてはならない! そのためにもお前は死ね! この魔獣によって!」
「魔獣!?」
「さあ、封印から解き放たれし魔獣よ! 思うままに暴れ回れ! あの愚かな<スキルなし>を食い尽くしてしまえ!」
ソーエイデスの視線の作を追うと、地面にぶちまけられた水溜り……細かいガラス片と共に一点だけ何か特異なものがプカプカと浮いていた。
あれは……半透明で、触手のようなものがあって……!?
なんだかわからん!?
俺は海の生き物には詳しくないんだ!
『あのクラゲは……まさか……!?』
アビニオン知っているのか!?
ちょうどよかった解説してくれ!
「さあいけ伝説の魔獣よ! どうした行け! 動かんかああッ!?」
しかし水たまりに浮かぶ小さなクラゲは弱々しく、外気に触れて暴れるどころか今にも死んでしまいそうだ。
フルフルと震えて、今のところはかろうじて生きているのがわかるが……。
なんか様子がおかしい?
「何故動かない!? コイツは敵対するものすべて食らい尽くす凶悪な魔獣ではないのか!? レコリス評議員は私にウソを言ったのか!?」
どうやらソーエイデスは、アレを切り札として誰かから持たされたらしい。
しかし、いざ使ってみるとまったく思ったようにならずに困惑している様子。
『ある意味ウソではないのう……』
お、アビニオン?
ついに解説してくれるのか?
『そのクラゲのように見えるものはネレイスの幼生じゃ』
「そもそも俺、クラゲってものが何か知らないんだけど?」
『ネレイスとは、わらわと同格の魔神霊オケアネスの眷属。オケアネスは海を根城とする魔神霊で、海そのものと言っていい存在じゃ』
魔神霊。
アビニオンもそのうちの一体で、地上の頂点に君臨する超越者の一種。その中でもトップにいるのが魔神霊で、レベル上限は99,999……。
『海の魔神霊オケアネス。あやつは自分の生んだネレイスたちを我が娘のように慈しんでおる。何千匹とおるネレイスたちじゃがその一匹でも攫われればオケアネスは怒り狂い、何をしてでも取り返そうとするじゃろう。もし地上にいることが知れたら、大陸すべてを海に飲み込むことも躊躇うまいの』
そう言ってアビニオンはしゃがみ込み、地面にばら撒かれたガラス片を拾い上げる。
『特殊な魔術処理が施されておる。恐らく砕け散る前の容器であった時は、瓶か水槽かであったんじゃろう。そして内部にある者の気配を遮断する機能があった。この中に閉じ込めてあるうちは、たとえわらわらにでも探知することは不可能。しかし今、容器は割られ、中の水諸共ネレイスは外に出た……』
……ん?
なんか遠くから音がしないか?
ドドドドドドドドド……、と地鳴りのような……?
『オケアネスも察知したようじゃのう。地上に囚われた我が娘を救い出すためにやってくるぞえ』
ドドドドドド……!
地鳴りの音は大きくなり、その騒ぎに驚いた住民たちが夜だが飛び起き、窓やらドアから顔を出す。
「この地鳴りは……?」
『地鳴りではない、海鳴りじゃ。オケアネスが迫ってくる音じゃ』
「マジですか?」
『娘をさらわれた母の怒りが、大海嘯となってこの地を覆い尽くすぞ。そういえばこの地は港町じゃったのう。さすれば被害が最小限で済むのは不幸中の幸いじゃ』
「それ幸いと言っていいの!?」
『もし娘の所在が内陸であったら、オケアネスはそれこそ大陸全土を津波に飲み込んで娘を救いに来たであろうの。ここなら海に近い分、飲み込まれるのは沿岸部だけで済むぞ』
そういう問題か!?
すると何か? このクラゲを瓶詰にした何者かの意図というのは……。
海の魔神霊オケアネスの下から攫ってきたネレイスを地上で発見させ……。
オケアネスが可愛い娘を取り戻そうと地上へ上がってくる。
その巻き添えで、周囲一帯を海水で押し流してしまおうと!?
「どんだけ大味なんだよオケアネスっていうのは!? もっと穏便に来ていただくことはできないの!?」
『そもそも魔神霊は、現世におるうちの超越者では最強じゃからのう。何でも大スケールになるんじゃ。わらわのように色々器用にやる方が珍しいのよ』
本当に色々できて頼りになりますもんねアビニオンさんは!
いつもありがとう!
でも今はそれどころじゃない!
『おい、そこのアホ人間。ソーエイデスとか言ったな?』
「ひぃッ!?」
アビニオンに一睨みされて、両肩を砕かれたソーエイデスはビクつくばかり。
『このネレイスを誰から与えられたか知らんが、お前もまんまとハメられたようじゃのう。これは魔神霊オケアネスを利用した大量殲滅装置じゃ。あやつの娘を慈しむ気持ちを利用し、娘に害なすものを周囲諸共海水で押し流す。無論、容器を叩き割ったお前も確実に巻き添えじゃ』
「そんな、何とか逃げることは……!?」
『できるわけがなかろう。お前が走って逃げられる範囲の百倍以上が海水に沈むぞ。お前のスキルで窒息まで解決できればよいがのう』
そうして誰かにとっての邪魔者を……街ごと、国ごと、命令を与えた部下ごとすべて海の藻屑にしてしまう策略。
体のいい捨て駒にされたことを理解し、苦渋に表情を歪めるソーエイデス。
しかし今は、本当にヤツのことなんかどうでもいい。
「おい、どうすればいいんだ!? この国、海に沈めるわけにはいかないぞ!?」
さすがに俺も慌てます。
「そうだ、このクラゲを海に持って行ってオケアネスさんにお返しすれば、目的を果たして帰ってくれるんじゃ?」
『それは無理じゃのう』
「なんで!?」
『成体ならいざ知らず、このネレイスは幼生じゃ。本当なら海の奥底で、純粋な海水に抱かれておる年頃。この時期は空気に触れるどころか、深層海水と異なる塩分濃度だったり不純物の混じったりした水に触れるだけでも命に関わる』
そんな!
じゃあ今は!
『外気に触れて急速に弱っておる。このままでは五十も数えぬうちに死んでしまおう。手に掬って海岸まで運んでいく余裕などとてもない。仮に運べたとしても浅層の、海底とは質の違う海水ではやはりこやつは生きられん』
「デリケートすぎる!?」
しかし赤ちゃんというのは皆そんなものか。
「もし……、このまま死んでしまったら?」
『その時こそオケアネスの怒りは取り返しのつかない域にまで達し、地上を大海流で押し流し尽くすことじゃろうのう』
どっちにしろ破滅的未来しかない!
どうすればいいんだこんな時は!?
『慌てるでないぞ主様、もう助っ人は呼んである』
「助っ人?」
『それ来たぞ』
宿屋の扉がバンと開いて、内から飛び出してくるのはノエム。
両手に大荷物を抱えて……!?
「アビニオンさんからテレパシーを貰って駆けつけました! 状況もわかっています!」
そう言ってノエム、大きなガラス瓶に綺麗な水と塩をぶち込んで、シャカシャカ掻き混ぜる。
そうしてできた塩水に、もはやぐったりとした感じのクラゲをつまみ上げ、放り込む。
「何か元気になった……!?」
クラゲは塩水の中に入って一度ブワリと浮かび上がって、人心地ついた感じだ。
「ここの海で取れた塩を水と混ぜて、疑似的な海水を作りました。塩分濃度も海水とピッタリ同じはずです!」
それ目分量でやってのけたの?
ノエムやっぱりすげえ!