40 ノエム動く
「アナタは無礼です。リューヤさんに謝ってください」
テーブルを挟んで会談する相手に向かい、水をぶっかける。
それは話し合いの場で怒りを表明するに、割と最上級の手段のはず。
そしてそれは同時に相手も怒らせる。
事実ぶっかけられた脂ぎったマスター、水浸しの髪の毛を振り乱して激怒した。
「ぬがあああああッ!? 何をするか小娘がああッ! オレはギルドマスターだぞおおおおッ!!」
「どんな立場の人だろうと、礼儀を知らない人に礼儀を払う気はありません。無駄な気を使ったこっちがバカになるじゃないですか」
「な、何をおおおおッ!?」
ノエムの鮮やかなる先制攻撃で、俺の振り上げかけていた拳もすっかり勢いを失ってテーブルの下へ沈む。
……うむ?
もしノエムが先走らなかったら俺、今頃この脂マスターを殴りつけて叩き潰していた?
ノエムのおかげで流血を回避できた?
俺と同様、A級冒険者となるために現地マスターを訪ね、応接間のソファに並んで座っていた彼女。
ここに来て激烈な働きを見せる。
「何だお前は!? この男の付き添いか!? 全員揃って無法者の集まりか!?」
「私もA級昇格試験に参加するために来ました。書類を見ればわかるというのに、どこに目をつけてるんですかアナタは?」
ノエムは、段々と辛らつな語彙を取り揃えるようになって……。
誰の影響!?
「受験希望者? んん……、あッ!?」
脂マスター、提出された書類を改めて閲覧し、驚きの声を上げる。
「所持スキル<錬金王>ッ!? スキルランクSSSッ!?」
との声を上げた途端、脂マスターはすぐさま態度を改めて……。
「キミこそ真にA級冒険者に相応しい者! よく来た! 早速、試験参加の手続きを始めよう!」
「リューヤさんの手続きも始めてください」
ノエムの冷徹かつ鋭い声音にたじろぐ脂。
「私はリューヤさんと一緒に試験を受けにきたんです。リューヤさんが受けられないなら私も受けません。このまま帰ります」
「何を言う! キミのような優れた才覚にこそA級は相応しい! そんなゴミなど放っておいて試験を受けなさい。キミなら必ず合格できる!」
「リューヤさんの何がいけないというんです? 私はこれまで直にリューヤさんの凄さを目の当たりにしてきました。凶悪なモンスターも魔族も、リューヤさんの前ではいくらももたずに滅ぼされていきました。勇者もです」
「え? 勇者?」
高位スキル持ちだと知った脂は、何としてもノエムを引き込もうと手を揉み声を撫でつける。
「リューヤさんぐらい強ければ、スキルがあってもなくても些細なことじゃないですか。それなのに<スキルなし>なんかを理由に、試験が始まってもいないのに不合格だなんて酷すぎます!」
「そうは言ってもなあ……!? この判断は冒険者ギルドとして至極真っ当なものなのだよ。オレ以外の誰かが判断を任されたとしても五人中三人は同じ決断を下すと思うがな?」
逆に言えば五人に二人は<スキルなし>を受け入れてくれるってことでは?
「<スキルなし>を認めるなんてのは変わり者の少数派よ。さあ、わかったらお嬢さんは受験手続を行ってくれ。オレの監督した試験で、将来有望なA級冒険者が生まれたとなれば誇らしい」
「いいえ手続きしません。アナタは資格のある人を受け入れなかった大バカ野郎として後世に名を遺すんです」
本当ノエムが容赦ない。
「アナタはどうしてもリューヤさんの凄さを認めようとしないんですね。だったらこういうのはどうです? リューヤさんがどれだけ凄いか、アナタがこの目で見る機会を作ってあげますよ」
「どういうことだ?」
「この辺りにもモンスターはたくさんいるでしょう? その全部をリューヤさんが一人で倒せたなら、この人が強いって認めますよね?」
そんな風にノエムが切り出すと、いまだに頭から被った水を滴らせる脂マスターは鼻で笑って……。
「そんなことできるわけがないだろう!? もちろんできるんだったら認めてやってもいいが、できたらな!」
「言いましたね? 吐いたツバ飲まないでくださいよ?」
本当誰だ!? ノエムに荒い言葉遣いを教え込んでいるのは!?
「話はまとまりましたリューヤさん行きましょう! 無知蒙昧の輩たちにアナタの強さを見せつけてやるんです!」
「ちょちょちょ……ッ!?」
ノエムに手を引かれて、部屋から出ていく俺。
その背中を脂は呆然と見送った。結局水浸しの頭部はずっとそのままだった。
「……でもノエムに助けられたというべきなのかな俺は?」
ノエムが途中、強引に割って入らなければ、けっして話は思うように進まなかったろう。
あの脂マスターは頑として俺のことを認めず、ロンドァイトさんを侮辱した落とし前で俺はアイツを殴り飛ばし、大惨事になっていたかもしれない。
ノエムが最後まで断固たる態度を貫いたからこそ、あの脂マスターも俺を認める条件を出すところまで妥協させることができた。
「すまんなノエム、俺のために……」
「リューヤさんは私の恩人なんだから当然です! これぐらいでもまだまだリューヤさんに貰った恩の百分の一も返せてません!!」
そんな大袈裟な……。
「でもノエムが日に日にアグレッシブになっていくのは困惑するばかりだがな。……さすがに水をかけるのはやりすぎじゃないか?」
その寸前まで殴ろうとしていた俺が言うのもなんだけど。
「大丈夫です。かけたのは水じゃないので?」
「え?」
いやたしかに水だったでしょう?
透明だったし液体だったし。
いや待て? そもそも俺たち対談の席で飲み物出されたっけ? 出されてないよね? だったらノエムはどこからぶっかける水を用意した?
「アレは私が作成した錬金薬の一つで、こんなこともあろうかと常時携帯してたんです。早速役に立って嬉しいです」
「錬金薬?」
薬の水ってことは……液剤?
それをあの脂マスターに頭からぶっかけた?
「ちなみに……、どんな効能のある薬なのかな?」
もしやと思うが、数日後に体中から緑色の斑点が浮かんで悶え苦しみながら死ぬ薬とかじゃないよね?
ちょっと心配になってきた。
「そうですね……あえて名前を付けるとしたら……、『逆毛生え薬』」
「ん?」
「あるいは『毛根死滅薬』と名付けてもいいかもしれません」
頭から被ってたなあ、あの脂。
……。
ま、命に別条がないようでよかった。
◆
それで俺は、所持スキルでしか相手を値踏みしようとしない脂マスターに認めさせるため、自分の力を示すことになった。
でもどうやって?
そういえばノエムが啖呵気味に言い放っていたが……。
――『この町周辺にいるモンスターを全滅させる』
とか言ってたような?
「いや無理無理無理無理無理無理……!?」
いくら俺のレベルが<8,347,917>あったとしても、できることとできないことは明確に分かれてある。
そりゃルブルム国周辺にもモンスターは生息し、人々の生活を脅かしていることだろう。
しかしアイツらだって自分の生活圏があって、野に山に別れて暮らしている。
人みたいに町村にまとまって生きているわけじゃないんだ。
それを一体ずつ探しながら……、となったら一体何年かかることやら?
「心配していることはわかりますが、一切心配不要です」
ノエムが言った。
こんなに頼りがいのある子になって……!
「それで、こんなとこにやってきてどうしようというの?」
ここは街はずれ……と言うかほとんど街の外と言っていい場所だ。
街の内外を隔てるための城門を背に置き、外敵の接近を発見しやすくするためだろう。障害物のない平地が広がっている。
「広くて平坦……バトルフィールドとしては絶好の地形ですね!」
「今なんて言った?」
「ではあの薬の出番です。アビニオンさんお願いします!」
『はいよー!』
街にいる間ずっと姿を透過させていたアビニオンが現れる。
見えないだけでずっとそばにいた。
あの脂の発言を、彼女もずっとそばで聞いていたはずなので、ノエムが水をぶっかけなければアビニオンも何をもって怒りの表明としたかはわからない。
基本俺の強さに懐いているだけで人の命などハエ程度にも思っていない魔神霊だからな。
そんな彼女の怒りも鎮めてくれたであろうノエムの暴挙は、そういう意味でもファインプレーだった……!
『例の薬じゃな? 遠慮せず持っていけ』
「ありがとうございます!」
アビニオンのスカートの中に手を突っ込むノエム。
『何事!?』と困惑する俺そっちのけでスカートから引き抜いた手には、一本の瓶が握られていた。
「これも錬金術の研究用に作った薬品の一つです」
「一体何種類作ったの……!?」
しかもそれをすべてアビニオンの体内に貯蔵して、必要な時に取り出すことができると。
彼女のスカートはビックリ薬箱か!?
「モンスターを興奮させる臭気を放つ薬です。この瓶を開けたが最後、封じ込められた臭気が四方八方へと拡散し、一嗅ぎでもしたモンスターを虜にします。そしてより濃い臭いの方へ引き寄せます」
「より濃い臭いって……!?」
「臭いの発信源、ここですね」
わかってきたぞ……ノエムの意図せんところが。
つまりその薬品は、強力な魔物寄せ薬なのだ! 臭いに誘われてやってきたモンスターを片っ端から俺に倒させる気か!?
「ちなみに、この瓶一本分でどれくらいのモンスターが寄ってくる見込みなの?」
「効果範囲内にどの程度いるかによりますけど、この薬の臭気は、この街のギルドの担当区域を余裕でカバーすると思いますよ?」
「劇薬だ!?」
そんな危険な薬瓶を、ノエムは躊躇いもなく開けた。
デンジャラスな時間の幕開けだ。