125 道化なる者
「ポーションもってきてー、ポーション。そうそう、それそれ。あッこれはダメだよノエムが作ったヤツじゃん。効きすぎる」
連合軍は、軍事行動なので輜重も衛生も整っている。
薬も求めればポンと出てくるから助かった。
「ノエム製ポーションじゃ、負った傷全回復するだけに留まらず絶好調にするからな。それで元気になってまた挑戦されても困るので、ギリギリ動きを封じる程度の回復量だと有り難い」
そんな難しい注文をするのは、倒れたクリドロードの介護をするため。
俺が人生初で放った魔法の直撃を受けたコイツは、全身焼けただれて酷いことになっていた。
「教会を制圧し終わるまでは大人しくしていてほしいからな。ことが済んだらもっといいポーションで全回復させてやるから、今は我慢してくれ」
「……気づかい無用。私はお前との戦いで見出したかっただけだ。教会が滅ぼうと根絶やしになろうとどうでもいい」
「そうか」
既製ポーションでほんの少しだけ回復したクリドロード。
多少の火傷は負っても、減らず口は治らない。
「お前って……、そんな僻みっぽいヤツだったっけ?」
「変わったのさ、この数年で。カビの生えた魔法院でカビ臭い空気を吸いながら、湿気った本と向き合っているんだ。性格までジメッとするさ」
「たまには天日干しでもしろよ……」
「必要ないさ。こうしてカラッと丸焼きにしてくれたからには湿気も飛んでいくだろう」
「もしかして怒ってる?」
「黒焦げにされかけて怒っていないとでも?」
たしかにそうですよね?
結局お前は何がしたかったんだよ? 挑まれればこっちも受けて立たざるを得んのだが。
「……『祝福の儀』でスキルを貰って、私は有頂天になった」
「うん、なってたね」
「『特別なスキルだ』と言われたままのことを信じて、自分は特別な人間だ、選ばれたのだと思った。今思えば愚かなことだ。スキルの優劣など人の価値を決めるのに何の関係もないと」
クリドロードが、自分のスキルがそれほど有用でもないことに気づくのは、それほど時間はかからなかった。
元々賢いヤツだからな。孤児時代から計算や読み書きを好んでいたのはコイツぐらいのものだった。
「それでも私が授かったスキルに意味があると、研究に打ち込むばかりだった。それでも心のどこかでわかっていたのだ。スキル全盛の今の世で魔法など特に意味はないと」
「その時代ももうすぐ終わるよ」
「そうらしいな、そのことを実感できたのがお前と戦って得た数少ない成果だ」
全身火傷の代償としては軽すぎる実感であった。
そんな風に旧交を温めていると、建物奥からぎゃあぎゃあと耳障りな喚き声が聞こえてきた。
「放せ! 放せ無礼者! 余を何と心得る、教皇アレクサンデーラなるぞ!」
などと喚き散らすのは、見たまんま醜悪な形相の老人であった。
年の割にはでっぷり太って、享楽一筋の人生であることが一目からしてわかる。
着ている服は純白で上等なものだが、その清純さが中身にまったく伴ってないのが哀れであった。
「……もう教会内を制圧したのか」
「門番倒したら、他はもう抵抗らしい抵抗もなかったようだからなあ」
クリドロードをほんのり炙り焼きにしたあと、早速連合軍は教会本部へと雪崩れ込んで、速やかに内部を制圧した。
今日は多数の高位スキル持ちを擁しているらしいのだからけっこうな激戦になるかと見込んでいたのに拍子抜けだった。
教会本部にいた勇者なりの高位スキル持ちも大部分が『奴隷印』による洗脳被害者だったのか。
それとも誰もが自分のことしか考えず、団結できずに自壊してしまったか。
「本作戦の最優先目標である教皇を連行いたしました!」
「ご苦労」
報告を受け、総大将としてレスレーザは真面目に答えた。
「枢機卿以下の教会幹部も、見つけ次第連行する手筈となっております。使用人などの下級関係者は?」
「その者らも一ヶ所に集めおいて監視を怠るな、どんな罪人が紛れ込んでいるかわからん。ここは教会、未曽有の伏魔殿と心得よ!」
「ははッ!」
レスレーザのテキパキとした指示に従って、兵たちはキビキビ動く。
既に制圧は、事後処理の段階に入っていた。すんなりと進むことだ。
それはそれとして、罪人然として引き立てられた教皇……教会でもっとも偉いヤツは……。
「異端者どもめ! 神罰を受けよ!」
……それでも偉そうだった。
本拠は落城を受け、もはや敗残の憂き目にあっているというのに何故そこまで偉そうにしていられるのか?
「余は教皇であるぞ! この世界に欠かせぬ最重要機関、教会の長にして教会そのもの! 皆誰のお陰でのうのうと生きていられると思うのじゃ! 教会を指揮する余のお陰であろう! 敬意を払わんか! 人としての最低限の礼節もないのか!?」
「黙れブタ」
思わず率直な声が出てしまった。
まあ肥満の極まったその体は間違いなくブタだしな。これまで各国から吸い出しまくった寄付で贅沢三昧していることが一目でわかる。
だからこそ同情など一片も湧かない。
「教皇アレクサンデーラだな」
レスレーザが総司令の厳かさで呼びかける。
周囲からの視線や送られてくる敬意も、彼女がこの場の中心であることを雄弁に語っているのに、教皇は鈍いのか愚かなのか、そういった機微をまったく感じ取らない。
「なんじゃこの小娘が! 教皇である余に直言など恐れ多いぞ! ……それとも、教皇たる余の聖気に当てられたか? まあ見目もよいことだし一晩ぐらい伽を許してやってもいいぞ?」
と好色に頬を垂れ下げるヒヒジジイ。
レスレーザに対して何たる下卑た物言いか、許せねえ! と思ったが俺が乗りだすより早く、教皇のたるんだ頬に鉄拳が叩き込まれえた。
「ぷぎぃほッ!?」
絞められるブタみたいな哀れな悲鳴。
殴ったのは、ヤツを両脇で拘束している兵士の一人だった。
「レスレーザ総司令官に何たる無礼な口を! 身を恥じろブタッ!」
「ぶひッ、ぶひぃいいいい……ッ!?」
捕虜に無闇に手を上げるのは、戦場の習いとして好ましくはない。
しかし今は、その場にいた誰もが兵士の行動を認め、深く頷いた。
既にレスレーザは、国籍すら違う連合軍の将兵を見事にまとめ上げ、尊敬すら勝ち取っていた。
「このレスレーザ様は大国センタキリアンの第二王女にして、次期国王として指名された御方。さらにはこの教会討伐連合軍の総司令官にも抜擢された御方である。そなたこそ気安く声をかけるでない」
傍らに控える老将軍が言う。
それ以外にもレスレーザの周囲には老練の将兵が多く顔を並べ、未来の女王将軍を奉るように並んでいた。
彼らが、主君への侮辱を許すはずがない。
彼らの表情には既に怒りのしわがにじみ、殺気すら放っているというのに教皇はどこまで鈍いのか、一向に勘付かず気楽な表情だ。
「センタキリアンの王女!? ならばすぐさま余を解放し、教会の権威を取り戻すために悪を討て! 教会を助けることこそ王者の務めであるぞ! 正義の行いであるぞ!」
「王家の務めにそんなものはない。正義もまた教会と同義ではない。今は、教会を討ち滅ぼすことこそが正義なのだ」
レスレーザからの毅然とした言葉に、教皇は息を飲む。
どこまでも楽観的で愚鈍な彼の脳が、やっと危機に気づき始めたようだった。
「何を言う……!? 教会は正義……! 教会が、どれほどの恩恵を世界中に与えてきたと思っているのだ……!?」
「それもまた、お前たちの崇める紛い物の神が与えた紛い物の恩恵であると暴かれたのだ。お前たちの偽証に世界中から怒りが噴き出している」
「違う! 教会はすべて真実だ! 教会の命令に従うことだけが真実なのだ!!」
「我ら人間は、常にどこからか襲ってくる魔族の脅威にさらされてきた。そしてそのために教会の援助が必要だった。だから国民からの血税を割き、祈る思いで寄進してきたというのに、魔族の侵攻自体がお前たちの差し金だったとは!」
正確には教会の裏にいる魔神たちの差し金だが。
これは、世界全体から教会への糾弾の場だった。その鋭くも克明な言いぶりにレスレーザの父親のセンタキリアン王様の姿が重なる。
対する教皇は必死に弁明の言葉を繰るが、それがまるでブタの鳴き声のようだった。
「違う……! 違うのです姫よ……! そなたらは騙されている! 世界を破壊せんとする悪魔の誘惑に乗せられているのです! 惑わされてはいけません! 今こそ閉じられた目を開き、真なる善と悪を見極めるのです……!」
「真の悪なら目の前にいる。お前だ、教皇。お前のその場しのぎの戯言よりも、リューヤ殿の行動の伴った言葉の方がよっぽど真実味がある」
「リューヤ……、リューヤだと……!?」
教皇のたるんだ頬がブルリと震えた、グルリと首を回す動作に合わせて。
そこでブタ教皇と初めて目が合った。
それまで黙っていた俺のことをよく見つけ出せたなと思ったが、周囲の人たちが名前が出たことに反応して俺へ視線を集中させてたんで、その視線を追ったんだろう。
「貴様……! 貴様がリューヤか! 神敵リューヤ! 邪悪の化身! 悪魔!」
また罵詈雑言を並べてくるなあ。
「皆の者あの悪魔を討ち果たせ! それこそが神の望み、神の命である! あの悪魔の胸に剣を突き立て、神への手柄を立てよ!」
……。
誰も応えない。
教皇の大仰な物言いに、誰も何の反応もしなかった。
「何故だ!? 何故誰も動かぬ!? 教皇である余が命じているのだぞおおおおッッ!?」
「ここにいる人たちはお前を討つために進軍してきたんだ。そんな人たちが何故、お前の命令を聞くと思う?」
もう少し考えて喋れと言いたいところだが、権威の上に長く君臨して、誰でも自分の言うことを聞くと信じて疑わないのだろう。
子どもが陥りそうな勘違いであるが、それを老境に入って拗らせてしまうとは、いっそ哀れであった。
「誰でもいい! あの悪魔を討ち取れ! 神のご意思であるぞ! 余に従え! 教皇である余に従ええええ!!」
どれだけ喚き散らそうと、その声に従う者は誰もいない。
教会の権威は、既に瓦解して消え去ったのだから。
この虚しい喚き散らしが、教会の断絶をより克明に表しているかのようだった。