124 魔を究める
「魔法など所詮スキルの代替技術……少なくともこの世界ではな」
そう言ったクリドロードの表情が、煤けたように見えた。
まだ俺と同年齢で若く、見目だって麗しいはずのアイツが、疲れ果てた老人であるかのように一瞬見えた。
「どれだけスキルで特性強化されようと。それによって修得できる魔法は、所詮スキルの劣化版。炎も雷も、同タイプのスキルの足元にも及ばない。スキル全盛のこの世界では、魔法を極める価値などそもそもなかった」
「クリドロード……」
「そのことに気が付いたのは、魔法院にあるすべての蔵書を隅々まで読み込んだあとだったがな。まったく神はいいスキルを与えてくれた。魔法最適性スキル<大賢者の資質>でわかりえたことは、自分の得た才能が何の役にも立たないということだ」
コイツもまた、自分の面前に立ちはだかる壁にぶつかって立ち止まるしかなかったのか。
思えば、あの日一緒に生きた仲間たちで誰もが真っ直ぐに道を進むことができなかった。
壁の前で絶望を余儀なくされた。
たまたま俺がもっとも最初に壁に当たっただけで、一時才能に恵まれたと喜んでいたコイツらだって上のステージに上がれば壁にぶつかり、無条件の幸福など幻想でしかなかったと思い知らされる。
人間誰しも壁にぶつかるのだ。
そこに才能の多寡は関係ない。
そのことを若く幼い俺たちはまだ知らなかった。
「魔法院とは教会にとって、そうした希少ではあるが実益のないスキル持ちを保存しておく物置のようなもの。教会は、スキルを重要視している。外のヤツらが思っているより遥かに。一見役立たずなスキルでも、それが珍しかったり僅かな可能性を秘めていたら捨て置くことはできないんだ」
それはスキルという存在が秘めた真の役割に深く関わりがある。
スキルを生み出し、人に与えたモノの真なる目的。
それは一旦に与えたスキルを人の元で磨き、少しでも大きくした上で、神の元へと返すということ。
そうして神々は僅かながらも差し引きの余剰分を得て、力を増していく。
ほんの……ほんの僅かではあるが。
「その理由も今になってやっとわかった。この私が大賢者の英知をもって解き明かせなかった答えを<スキルなし>のお前が得るとはな」
「俺一人の力じゃない。多くの仲間たちと一緒に辿りついた事実さ」
「そうか」
クリドロードは気の抜けた返事をすると、瞳の色を失い……。
「私は、常に一人で突き進んできた。<大賢者の資質>という最希少のスキルを得て、そのことに必ず意味があるはずだ、大いなる意味が、と。魔法院に敷き詰められた蔵書と資料だけが友だった」
「それで意味は見つかったのか?」
「いいや。知識を得て、研究を進めるほど、魔法を究めるためのこのスキルに何の意味もないことがわかった。そもそも魔法は魔族にこそ適性のある技術。適性でも種の強さでも劣る人間が修めたところで何の益もない」
スキルは、魔族への対抗手段という側面もあるからな。
そもそもスキルの作り主としては、人間が授かったスキルを磨き上げるために魔族と戦うことすら計画の一部だったのだが。
その役割をスキルからもぎ取ろうというには、魔法はあまりに力が足りな過ぎた。
「フフフ……、いい気味だと思うだろう? あの日、お前を見下して嘲笑った仲間が、今や価値を完全になくして物置の死蔵品となっている。対するお前は時代の寵児。完全に立場が逆転した。見下してきた相手を見下し返すのはさぞや気分がいいだろう」
「リベルやゼタにも言ったが……俺にはそんな気持ちはないよ」
自分でも驚くほど不思議なことに、憎悪や復讐心といったものは一切ないのだ。
<スキルなし>と言われたその時にはたしかにあった。自分を見捨て、嬉々として栄光の道を駆け登っていった恨みもないとは言えない。
しかし時を経てそうした感情は一切消え去っていた。
きっと感情もまた、時の風化には抗えないのだろう。
「リベルは死んだよ。あいつは最後まで教会の愚かしさに翻弄されて、みずからを救うチャンスを見逃してしまった。あの後味の悪さったらないよ」
だから俺はせめて残った二人の友とはあのような決裂の仕方はしたくないのだ。
今はただ、友と数年ぶりの再会を果たせたことが嬉しい。
「リューヤ、お前は何年経っても能天気なバカのままなんだな。そんなお前が私よりも真理に近づこうとしている。そのことが悔しくてたまらない」
「クリドロード……!?」
「私が、魔法院の制止を振り切って教会を守るのは、そうすればお前と戦えると思ったからだ。<スキルなし>でありながら大賢者の私を差し置いて、世界の真理に到達できた。お前と戦えばその一端でも解き明かすことができるかもしれぬ!」
クリドロードの両腕から、凄まじい勢いの火炎と雷電が巻き起こった。
あまりに激流すぎて、教会に攻め込まんとする兵士の誰も近づけないほどだった。
A級冒険者か、あるいは上位騎士クラスのスキル持ちならなんとかできるかもしれないが……。
「さあリューヤ私と戦え! 落ちぶれたかつての友人を哀れと思うなら、その手で屠ってみせろ! お前に、かつて見下された報復の機会を与えてやる! この大賢者クリドロードの……お前へ贈る最後の友情の証だ」
「勝手放題ぬかしやがって……」
俺は進み出る。
その様子に慌てたレスレーザが背後から呼びかけた。
「お待ちくださいリューヤ殿! あの程度の障害、除くだけの戦力は当方にいくらでも……!?」
「すまないが、誰も邪魔しないでくれ。俺にやらせてくれ」
戦力的な理由ではない。
極めて個人的な感情的理由で、俺はこのケンカを買わなければいけない。
「クリドロード、人は誰でも宿命を背負っている」
「だから何だ? 私がお前に負ける宿命だといいたいのか?」
そういうことじゃなくてー……。
どう言えばいいかな?
「宿命とは心に宿るものだ。誰かが心から願えば、その人のやりたいことがやるべきことに変わる。それが宿命だと言われたことがあるよ」
「誰に?」
「俺に力を与えてくれた人……ヤツ? が」
俺が心から力を得たいと望んだから、ソイツは力を与えてくれた。
この世界に、望むことなくして本当に自分のものになるものなど一つもないのだろう。
「だからお前も自分の宿命を、改めて見つめ直すといい。お前が何を望んで、何をやるべきなのか。お前の宿命はお前が決めろ。その助けになるならば、そのケンカ買ってやる」
「何をわけのわからないことをおおおおおおッ!!」
クリドロードから噴き出す火炎と雷電が、交じり合うほどに大きくなって実際に交じり合う。
もはや火とも光とも呼び難いエネルギーの塊となった。
下級魔族となら互角となれそうな強さじゃないか?
やはりアイツの魔法の才は半端なものではない。
「雷火複合魔法<ベルファイスト>!! 我が最高威力の魔法を受けてみろリューヤ!」
目が眩むほどの閃光が渦を巻きながら俺を襲う。
光の余波だけでも凄まじいんだから、激流の本体はなお凶悪で触れただけでも吹き飛ばされよう。
普通の人間なら。
「何ッ!?」
俺は、防ぐことすらしなかった。
あるがままに受け入れ、雷火の奔流は俺にそのままぶつかる。
この大光流に対処するには、様々な手段があるのだろう。
どんな現象だろうと元が魔法なのだから、魔法のシステムとして解除する方法があるのかもしれない。
火と雷で超高熱なのだから、逆に急激に冷やして相殺することも可能だろう。
しかしそれらの手段はいずれも俺には実行不可能だった。
俺にはそのような器用なことはできない。ただ有り余る力で受け止めることしかできないんだから、そうするに限る。
「んなッ!?」
驚愕を浮かべるばかりのクリドロード。
激烈の雷火は俺の全身で抑えられ、もみ消された。
あとには小さな火花も残らない。
「そんな……バカな……!? 我が最強魔法をディスペルするどころか力任せに……?」
「それだけが俺のできることだ……いや、違うな」
俺はたった今、クリドロードの放った魔法に触れた。それで感覚が体に残っている。
その感覚を逆に手繰り寄せて……。
「炎」
おおッ、出た。
これが魔法か。
「ば、バカな!?」
それを目の当たりにして、クリドロードが驚愕した。
目蓋から眼球が零れ落ちそうなほど見開いて。
「なるほどこれが魔法か。面白い仕組みだ」
魔力を発すれば現象を引きこせる。
理に適っていて、何よりスキルと何の関係もないから<スキルなし>の俺でも使うのに何の問題もない。
「リューヤ……、お前も魔法が使えるのか……!? どうして今まで黙って……!?」
「『使える』んじゃない。たった今、使えるように『なった』んだ」
「はぁ!?」
「お前の実技で学ばせてもらった」
彼の<大賢者の資質>は、あくまで魔法を覚え、使いこなせる適性を高めるスキル。
魔法そのものはスキルとは関係のないシステムなのだから<スキルなし>だろうと覚えて使うことができる。
「そんなバカな! 魔法を使うためには魔力が必要なんだ! 普通の人間ではどれだけレベルを上げても、実戦に通用する魔法を賄えるだけの魔力を持ちえない! だから魔力量を底上げするようなスキルが必要になって、結果選ばれた者しか魔法は扱えない!」
「そういう事情なのかー、でも俺には問題ない」
俺には人並み外れたレベルがあるから、それに伴って魔力だって人並み外れてある。
俺の魔力は二六四一万ある。
今まで意味もなく死蔵してきた力を、やっと活用する時が来た。
「それ、今度はこっちのターンだ、返すぞ」
「へッ!? うぎゃあああああああッ!?」
俺の放った火炎に飲まれ、クリドロードは一瞬も耐え切れずに吹き飛ばされた。
焼死しないように手加減はしたが……、大丈夫か?