117 魔王の告白
魔王ジルミアース。
彼女の登場に衝撃を受けない人間などいなかった。
何しろ魔族は数百年……いや数千年の間、人間を脅かしたまさしく天敵なのだから。
自分らを食物としかみなさない、どんなに死力を尽くしても勝つことのできない相手を前に、どんな生物でも平静でいられるだろうか。
まして魔族は、人間を食物とも見ていまい。
それが多くの人間の持つ印象だった。
『どうした黙りこくって? 恐怖で言葉も忘れたか?』
魔王級の魔族であるジルミアースは、自分のために用意された椅子へと座る。
その仕草が妖艶にして威風堂々であったため、数多くの王が集うこの場でなお最高の女王という風格が強い。
『さっきまでの威勢のよさがウソのようだな。ドア越しに話を聞いていたが、「滅ぼせ」と息巻く者も、「利用せよ」賢しらぶる者も、私の前では等しく吐息一つも漏らせぬか。所詮それが人間。このような者どものために何故我ら魔族が振り回されるのか……?』
「ジルミアース」
俺が少し声を厳しくして言う。
すると途端に彼女は椅子から転げ落ち……。
『差し出口でございました……!』
「俺だって人間だ。人間を侮辱するということは俺を侮辱するという理解でOK?」
『とんでもございません! リューヤ様はいかなる集団の中でも特別! その辺の凡百人間どもと一くくりにすることも恐れ多い!……いえ!?』
俺からさらに睨まれて身をすくめるジルミアース。
「俺に従うならすべての人間と仲よくしてほしい。無論悪人は別だが」
『心得ます。申し訳ありません』
魔族である彼女が俺の言葉に従う。
それを見てまた周囲に衝撃が走った。
「S級冒険者は魔族までも意のままに従えるのか?」
「これが英雄……!?」
同じ超越種でも魔神霊のアビニオンが苦も無く人間社会に溶け込めたというのに、レベル差的にはより人間に近いはずの魔族がギクシャクするのはなんでだろう?
アビニオンは、たしかに偉そうなところはあったけど、言うほど人に対して居丈高にはならなかったからなー。
人徳の差?
「ともかく」
話が逸れた。仕切り直そう。
「キミに毒づかせるために連れてきたわけじゃないんだよな俺は。キミの口から喋ることで意味のある話をしてほしいんだけども?」
『は、承知でございます!』
本当に承知しているのかなあ?
ジルミアースは改めてサミット出席者の面々に向き直り……。
『者ども、先ほど私たち魔族の話が出てきていたようだが……』
「う、うむ……!?」
『そもそもお前たちは知っているのか? 何故我ら魔族が人を襲うのか? 何の得があってお前たちを殺戮し、その領土を侵すのか? 考えたことがあるのか?』
その口調が余りにも挑発的なので、また会議室に険悪な空気が流れる。
「言うに事欠いて、何を不遜な……!? そんなもの、こっちが聞きたいわ!!」
「何故我ら人間を害するかだと!? そんなもの貴様ら魔族の気まぐれとしか言いようがないではないか!!」
「そうだ! 唐突に現れ、暴れるだけ暴れたら理由もなく去っていく! それが気紛れ以外のなんだ!?」
「他に理由があるなら言ってみろ! 魔族本人が目の前にいらっしゃるのだ! 是非とも答えて長年の疑問を解消したいところよ!!」
さすがに出席者の皆さん、大した胆力で魔族相手にも言い返す。
なんかあったら俺が抑えてくれる……っていう保証がついて安心できたこともあろうけれど。
『気紛れか……。そのように思われていたとは』
対してジルミアースは相変わらずの女王然とした態度で言う。
『しかし人間どもの理解力ではそう思うのが限界か。たしかに我ら魔族は嬲るように、お前たち人間を痛めつけてきた。生かさず、殺さず。ギリギリの裁量でお前たちを苦しめてきた。何のために?』
「だからそれを……!?」
『簡単だ。そうするように命じられてきたからだ。我ら魔族をも超える、さらなる超越者から』
その話を聞き、周囲にまた緊張が走る。
「魔族以上の……!? そんなものがいるはず……!?」
『信じる信じないはお前たちの自由。その我らを支配するものの名は……魔神』
ここまでは俺も聞いた話だ。
その上で彼女はさらに何を明かしてくれるのか。
『魔神は私たちに命じた。人間を襲えと。ただし根絶やしにしてはいけない。必ず生き残りがあるように加減して殺しまくれ、と』
「なんだそれはッ!?」
あまりにもバカにしたように聞こえたのだろう。
出席者の一人が憤慨し、立ち上がった。
「我らを何だと思っているのだ!? 殺せだと? しかし殺し尽くすなだと? 一体何のためにそんなことをさせる!? 魔神の目的とは一体何なのだ!?」
『それはわからん』
ジルミアースは気だるげに言う。
『理由は一切明かされなかった。かつて一度だけ尋ねた者がいた。しかし魔神は何も答えなかった。「貴様らごときが知る必要はない」と言って。そして尋ねた魔族は不遜ということでその場で殺された。私と同じ魔王級であったにもかかわらずな』
ゴクリと息を飲む気配が伝わってくる。
周囲から複数。
脅威の存在である魔族すら、そのように簡単に殺せてしまう存在を、想像すらできないのだろう。
『そのように理由も知らされず諸君らを虐殺してきた魔族だが……。しかし理由を推測することはできる』
「推測? どのような?」
『お前たち人間は、ノウギョウをするだろう? 土を掘り返し、決まった種を撒き、そして芽吹き、実が成るまで育てる』
いきなりなんだ?
どうして話題がガラリと変わった?
という周囲の疑問もかまわずジルミアースは続ける。
『それは実ったものを食料とすることが目的なのだろう? また動物も育てたりするらしいな、食べるために』
「放牧のことか? それが何だというんだ?」
『魔神がなそうとしていることも同じ、ということだ。お前たちはノウギョウで作られる植物、ホウボクで育てられる動物、それと同じだ』
そう告げられて誰も何も言えなかった。
理解を越える事実が人々から言葉を奪った。
『お前たちは王族とか言うのだったな? ノウギョウやホウボクは身分の低い者にやらせて、ゼイとかいうシステムで下民から食物を取り上げて貪る、と聞いているが……』
「いや、現実的にはもっと複雑で、相互の利益がな……」
『魔族と魔神の関係は、それに当てはまると思うのだ。もっとも魔族と魔神の関係は、人間における貴族と農民よりも遥かに絶対的だが』
それはつまり……。
人の農夫が作物や家畜を育て、その一部を税として納めるように……。
『私たち魔族は人間を襲撃する。当然人間は抗うだろう? 弱い者は即座に殺され、強い者は耐え忍んで生き残る。そうして人間は淘汰されて強者に収斂される……』
「それが育てていると? 人が作物を育てるように」
『そして究極的に、なった果実を口にするのは上にいる者たちだ。我ら魔族の上に王侯のごとく君臨する魔神。彼らこそ成果を根こそぎ自分のものにしている』
「一体何のために? その魔神とやらには人間が美味しい果実のように見えているのか? 何故? まったくわけがわからんぞ!?」
『そのことを理解するにはもう少し情報を揃えておかなければならん。気づいている者も、もういるかもしれないが……』
ジルミアースは淡々と続ける。
『お前たち人間にはスキルがあるな? 我ら魔族の異能に比べれば取るに足らない弱いものだが……』
「そ、それがどうした?」
『そのスキルはどうやって得るものだ? 誰か私に教えてくれないかな?』
と質問する彼女に、周囲は困惑した。
仕方なく会議出席者の一人が代表して……。
「……スキルは、教会の者が与える。神の仲介者と称して……」
『なるほど、では人間は神によってスキルを与えられているというわけか』
「そうらしい。ただそれは教会の連中の言うことなので実際にはどうかわからん」
前々から言い聞かされている常識すら疑われるようになった。
教会の言っていることというだけで。
『いや、その話は正しいぞ。スキルはたしかに神が、お前たちに与えたものだ』
「何故そんなにハッキリ言いきれる?」
『ところで私たちを支配している魔神と、お前たち人間にスキルを与えるという神。どちらも神と呼ばれる存在だな? はたしてこれは偶然なのだろうか?』
「そ、それはまさか……!?」
『そう同じだ』
魔王ジルミアースは言った。
『魔神こそが、人間にスキルを与えているのだ。教会という自分たちの従僕を介して』
人間にスキルという形で自分の力を分け与え、その人間を魔族に襲わせる。
多大な困難の前に、人々はスキルに頼り、磨きをかけていくだろう。
生き残るために。
『人が崇めるもの、魔族を支配するもの。その二つは奇しくも同じ。人間と魔族の争い合う相克は、魔神によって作り出されたもの』
「それはキミの推測だよな?」
『いえ、少なくとも魔神たちが教会を介し、人どもにスキルを与えていることは確定した事実です』
俺の確認によどみなく答える彼女。
人にスキルを与え、魔族に襲わせる理由がジルミアースの立てた憶測。
しかしそれは、限りなく事実に近いように思える。
「では何故神は、そのような苦しみを人に課すというのだ!? 一体何が目的で?」
「理由などこの際どうでもいいと思うがな」
誰かが、救いを求めるように口走った問いを一言にて切り捨てたのは、俺だ。
「決まりきっていることは、そんな迷惑な企みに俺たち人類が付き合ってやるいわれなどまったくないってことだ。人は人の利益さえ求めればそれでいい」
神の先駆として、身勝手な困難を押し付けてくる教会など必要ない。
やはり欠片一つ残さず消滅させるべきだ。
「おお! 彼の言う通りだ!」
「教会、いよいよ存在許すべからず! 全人類の総意をもって叩き潰すべし!」
「我が国も兵を出しましょうぞ! 人類がみずからの生存を勝ち取るために、戦って勝たねば!」
人の総意が結集する。
今、人々による神への反攻作戦が決議された。