109 鎖を断ち切れ
『リューヤ様には目下、わからぬことがあるのではないのですか』
「そりゃあたくさんあるよ?」
どうしてお腹が減るのかな?
空は何故青い?
人は何のために生きて何をして生きるのか?
え? 違う?
『何故ミジュラケジュアミァが死んだあとも「奴隷印」が残り続けるのか?』
「そう、それだね」
『人間のスキルであれば、他者に継続的に作用するものはそう長く効果持続されません。死ねば尚更、スキル効果は原動力を失いすぐさま消え去ります。魔族の異能もおおよそ同じ。基本的には使用主に存在を保証されるのです』
その理屈ならば『奴隷印』はすべて、ミジュラケジュアミァの死と共に消え去っていなければおかしい。
しかし実際そうはなっていない。
この奴隷国家に点在していた中小拠点を制圧した時も、救出された奴隷は皆『奴隷印』付きのままだった。
お陰でノエムとアビニオンの仕事が増えたんだが……。
『魔族は、人間より遥かに優れた生命です。これは自慢ではなく事実なので、そのまま受け止めいただきたい』
「は、はい……!」
『だから人間にはとれない手段を数多く備えている。それもまた魔族の優なる一因なのです。自分の死後も、自分の異能を継続させる手を打つのも……』
そう言えばアビニオンもそんなこと言ってたなあ。
というと?
『奴隷国家の運営は、魔神たちが特に注意を向けている重要セクションでした。我ら魔族に管理を丸投げしていても、絶対に手違いがないよう念を押されたものです。だからこそミジュラケジュアミァも、自分亡きあとも奴隷国家が続くように手を尽くしたのでしょう』
ジルミアースは説明する。
『そのために魔王ミジュラケジュアミァは、ある安全装置を用意しました。自分の異能の管理権を他者に移譲する魔導具です』
「それが……魔族の取れる手段の一つ」
『左様です。その魔道具を持っているのは私です。ミジュラケジュアミァの死の瞬間から魔導具は作動を始め、私の魔力生命力を糧に「奴隷印」を維持し続けています』
それが、奴隷国家が滅びてもなお奴隷が消え去らない原因。
『これがその魔道具です』
「うえッ!?」
取り出して見せられた瞬間、衝撃が走ってしまった。
何だコレは?
魔導具とは言いながら……何かの生き物であるようにも見えた。
携帯を意識してか、鎖を通されペンダントめいた誂えにしてあるものの、その本体は肉の塊としか言いようがない不気味なものだ。
赤くてブヨブヨとした質感で、目や歯らしき器官が無秩序に表面に浮かんでいて、しかも呼吸というか鼓動というか、そういうのを連想させる一定のリズムで脈動している……!?
『ミジュラケジュアミァが生きていた時に託されたものです。というより私にはこれを受け取る以外の選択肢はなかった。奴隷国家の機能が失われることは、魔神の怒りを買うことと同じ。そしてそれは現状の魔族が皆殺しにされることと同意だからです』
だからこそ彼女は、奴隷国家の維持に一役買うしかなかった。
魔神への絶対服従を示すために。
『<隷属刻印>はミジュラケジュアミァだけの異能ですが、とりあえず私がこの魔導具に魔力を込め続ける限り、今ある「奴隷印」は消えずに残り続けるでしょう。……新たに「奴隷印」を押すことはできませんが、魔神が<隷属刻印>を使う魔族を生み出せばすぐに元通りになります』
しかし。
『その前にこの魔導具が消滅したらどうなることでしょうね? これは異能使用主以外と「奴隷印」を繋げる唯一のパス。それを失えば今度こそ呪印維持のための魔力供給は途絶える』
「ちょっと待て!」
切羽詰まった声で割り込むのは、司教。
その顔は蒼白となり、顔中に無数の斑点が浮かんでいると思ったらそれは玉のような脂汗だった。
「待て……! 待て! まさかそれを破壊しようというのではあるまいな!? 待て、待つのだ! そんなことをしてはならない!!」
『何故お前が慌てる?「奴隷印」が消え去ることとお前たちは何の関係もないだろう? なあ?』
背筋が凍えるほどの冷たい声で言う。
恐らくはこれがジルミアースの魔王としての本来の在りようなのだろう。
『お前には礼を言わなくてはならない。お前が、お前の神様に要請してくれたからこそ我々はここまで来れた。下手に大挙して行動をとればヤツらの察知は免れない。ミジュラケジュアミァ……魔王を倒すほどの難敵に抗するという名目で、これだけの人数を動かしても一向に怪しまれることがなかった』
そう言ってジルミアースは、そのグロテスクなペンダントを指で挟み込む。
親指と人差し指の間で。
ギチギチと音が鳴る。
『我らがこうして無事リューヤ様の下に馳せ参じることができたのも、お前たちがマヌケで、慌て者で、何かあるとすぐ他人を頼る、自分では何もできないクズであったお陰だ。ありがとう。お前たちがバカでいてくれて本当にありがとう。……そのお礼に』
ビチュッ、と。
おぞましい音を立てて魔導具は砕け散った。
いや、それ器具の壊れ方とは到底思えない。
ジルミアースの指で潰された肉塊は皮膚破れてなんか液体が漏れ出して、ひたすらグロい。
『……ふう』
さらに指を放し、地面に落とした魔導具へ足を踏み降ろし、グシャグシャに擦り潰した。
『しんどかったのだぞ。自分自身のものでもない異能の維持は余計に魔力が消費される。その上、異能の持ち主が魔王級ともなれば、私以外の魔族が肩代わりしたら数日そこらで吸い尽くされて骨皮になるところだ』
しかし魔導具は破壊された。
お陰で……。
『やっと解放された……! これもリューヤ様の庇護に入ることができたゆえ、もし何の準備もなくこのような暴挙に及んでいたら私は即座に魔神に殺されていたでしょう』
「まあ……」
キミの助けになったというなら俺も嬉しいけれども?
『そして、これはリューヤ様にとっても益あることのはず。アナタの傘下に入ることでまず最初の貢献と思し召しください。気に入っていただけるとよいのですが……』
いやー……。
気に入るか気に入らないかでいれば……、その判断材料はすぐさま目の前に現れた。
俺の目の前に。
あの司教が引き連れてきた二人の勇者。
そのうちの一人がワナワナと震え出したのだ。
「オレは……オレは今まで一体何を……!?」
まるで悪夢から醒めたかのような様子で。
「オレはどうしてお前たちに従ってたんだ!? 妹を! 家族を殺したお前たちに! ふざけるな! ふざけるなよおおおおおおッ!!」
「ど、どうしたのです勇者モルガナ!? アナタは栄えある教会の尖兵なのですよ! 心を落ち着け正気に戻りなさい!」
「今が正気だ! 許さねえ教会め! 今こそ皆殺しにしてやるうううううッ!!」
司教に対して剣を振り上げるのを、慌ててもう一人の勇者が止める。
すぐさま大乱闘へと発展してしまった。
「彼もまさか『奴隷印』に……!?」
『奴隷印』は人から自由意思を奪い、どんな言うことでも聞かせられる魔呪。
勇者の一人がいきなり、それまでとはまったく逆の行動を起こしたその理由があるとしたら。
そんな意思剥奪の呪いから解放されたということ。
『教会には、「奴隷印」を押された者が多くいます』
「やっぱり!?」
そして自分の意思に関係なく教会のために働かされていた。
奴隷国家と教会の繋がりを示す証拠が、図らずも思い切り出てしまった!?
「いやでもこれ証拠どころじゃないなあ……!?」
目の前で繰り広げられる、自分の意思を取り戻した勇者が報復の刃を振り上げるのを、もう一人の勇者が必死に抑え、それを目の当たりにして腰の抜けた司教がオロオロ右へ左へ這いずっている。
もしかして、これと同じ光景が教会のあちらこちらで発生しているのでは?
だとしたらそれはもはや地獄絵図……!
「容疑を追求するどころの騒ぎじゃないダメージが教会へ……!?」
『いかがでしょうリューヤ様、お気に入りいただけましたか?』
そう言って再び俺に跪く魔王ジルミアース。
『もちろん、これだけに留まらないさらなる貢献をリューヤ様にさし上げる所存です。私を始めとした魔族一派。これよりリューヤ様の手足となって存分に働きたく存じます』
そう言ってニッコリとほほ笑む彼女に、むしろゾクリとしたものを感じる俺だった。
彼女……間違いなく魔王だ。
その可憐な笑みと表裏一体になっている冷酷さに、俺は戦慄を感じざるを得なかった。
こういう人外美女はアビニオンで充分足りているというのに!!