108 魔の王の懇願
『魔族は強者、地上最強の生物。魔族なら誰もが皆それを誇り、みずからの存在意義とする……!』
魔王ジルミアース。
魔族の中でも最強として魔王と名乗る、究極不動の存在であるはずの彼女がしかし、その語り口調は見捨てられた幼子のようであった。
『しかし真実は変わらぬ。我ら魔族も、この地上のいかなる最弱生物と変わらない。更なる強者に虐げられ、踏みにじられるのみ』
「その強者とは……?」
『魔神』
魔族のさらに上にいるという超越者……。
『ヤツらは真実、この世界の神というべき存在。その能力は全知全能であり、我ら魔族といえど魔神の前ではまったくの無力。ヤツらが我らを支配するというなら逆らうことはできない……!』
その口調は、心の底から悔しさがにじみ出るかのようだった。
『長い間戦い続けた……! 自分たちの意思でなく強制されて。……そう我ら魔族がお前たち人間を襲撃するのは自分たちから望んでのことではない。魔神の命にて、遂行しなければ殺されるからだ!』
魔族の王から告げられる意外過ぎる事実。
その言葉に集う誰もが衝撃を受け、次いで困惑した。
「で……、では本当に人間に敵意を持ち、害ある存在なのは魔族ではなく魔神というヤツらなのか?」
レスレーザが戸惑いがちに訪ねる。
「何百年も前から、魔族が時折気紛れのように現れては人間の領域に攻め込み、暴れるだけ暴れて去っていくのは、魔族が私たち人間を嘲り、嬲っているのだといわれていた」
そうなのか?
しかしそんな意味不明な行動採られたら、他に解釈のしようがないよなあ。
「でも違うのか? そんな嬲っているとしか思えない行動の裏には……、別の者の意図が介入していたと? それが魔神だというのか!?」
『そうだ』
人間であるレスレーザの問いかけにも、魔王ジルミアースは素直に答える。
その態度にはたしかに、これまで魔族から感じられた人間への軽侮は窺えなかった。
『無論、すべての魔族が善良だなどと言うつもりはない。中には心から人間を見下し、魔神からの命に嬉々として従って人間の殺戮を行う者もいた。しかしそれはお前たち人間とて変わるまい?』
「それは……!?」
『スキルなどというくだらない能力の強弱……あるいは有無で、人間同士は簡単に差別を行い、貶め合う。それが人間のサガ。違うなどとはまさか言うまい?』
鋭い指摘に息を飲むレスレーザ。
そう、人間にだってクズいヤツらはいる。
『魔族も同様、善も悪も等しくない交ぜになってある。種族自体が善であるか、もしくは悪であるかなどありえない。だからこそ魔族というだけで滅ぼされたり、苦しめられるなどあってはならぬと思っている』
だからこそ、と女魔王は続けた。
『人間リューヤ……いやリューヤ様。私はアナタに下りに来た』
「下る?」
『私と志を等しくする魔族二十一名を引き連れて』
膝を屈し地につけて、こうべを垂れて跪く魔王。
下げた頭の先には俺がいる。
つまり、俺に対して傅いている!?
『ほうほうほうほう……!?』
その様子を見て面白そうに鼻息を吹くアビニオン。
しかしこれといった明確な口出しはしない。
そうこうしている間に、女魔王の後ろに控えるセニアタンサも同様に跪き、さらにはいまだ空中に留まっていた他の魔族らも次々と舞い降りて拝跪した。
俺へと向かって。
『我々はこれより、アナタを主と仰ぎ絶対の忠誠を捧げ、服従を誓います。アナタが示す先にならばどこにでも向かい、アナタが立ち向かう戦いには先兵となって駆け抜けましょう』
その代わり……。
『我らをお守りください。魔神の脅威より。アナタにはそれだけのお力があると見受けました。ミジュラケジュアミァを容易く屠ったその力を用いれば、魔神の理不尽極まる強制力すら押しのけること叶うと……!』
『リューヤよ、お前は約束してくれたではないか。我々魔族の守護者になってくれると』
追いすがるように魔族セニアタンサが言う。
『魔神が魔族を害するなら、みずからが魔神の敵となって立ち向かうと。ここにいる魔族は、それを信じ魔神へ反旗を翻したのだ!』
他の魔族たちも口々に恭順の言葉を放つ。
『もはや叛意は示された! 魔神は我々を許しはしない! 反逆者は地獄の苦しみを味わわされてから殺されるのみ!』
『だから汝に受け入れられないなら我らは死ぬしかないのだ!』
『セニアタンサ公爵に語った言葉をジルミアース様が信じたからこそ我らはここへと馳せ参じた!』
『どうか我らを見捨てないでくれ! 魔神の脅威から我らをお守りあれ!』
『そうすれば我らは人間を二度と襲わない!』
『アナタ様の手足となって存分に働くであろう!』
それはもはや懇願とか哀願のような響きだった。
ここで俺に受け入れられなくては、死ぬしかない。
反逆者として、魔神の手によって。
もう駆けだしてしまった。止まることはできないし引き返すこともできない。
そんな悲愴感が魔族らに漂っていた。
こんな弱々しげで哀れな姿を魔族たちから見ることになるとは。
「……わかった」
「リューヤ殿」
俺の口から放たれた言葉にまずレスレーザが動揺的に反応した。
「キミたち魔族の……いや、魔王ジルミアース一派の恭順を受け入れよう。別にキミたちの行動が魔族の総意ってわけじゃないんだろう?」
『はッ……はいッ!!』
要望を受け入れられたことの嬉しさが、言葉に如実に浮かんでいた。
それでいて俺からの質問に速攻簡潔に答えようと、女魔王ジルミアースの言葉が震える。
『ごッ、ご賢察の通り、ここに駆け込んだ魔族は全体の三分の一にも満ちません……! 魔族の総数は七十二。仮にいずれかが滅び、代わりの魔族が生まれたとしてもこれより多くはならぬ仕組みとなっています!』
「そういうもんなの?」
『左様で。……恐らくは強力すぎる魔族が世界のバランスを崩さぬように強制力が働いているのかと……!』
はーなるほど。
でもその話は今はいいや。
「総数七十二で、今集まってくれてるのが二十何人だっけ? なるほどたしかに半分以下だなあ」
『さらにつけ加えれば、レベル<999>に達した魔王級も私の他にまだおります。現状では三人。そのうち一人が私で、もう一人のミジュラケジュアミァはアナタの手で屠られましたので、残りあと一人が健在です』
ほうほう。
『恐らくはその一人が残りの魔族を率いて魔神への隷属を貫き、人間への攻撃を続けることでしょう。リューヤ様が後ろ盾になってくださるならば、我ら同族とも一戦辞さぬ所存です』
それは助かる。
いかに最強でも俺一人じゃたかが知れていることは、今このタイミングで実感したからなー。
魔族に対抗できる味方の頭数が増えてくれることは歓迎しなければ。
「い、いけませぬぞ! なりませぬぞ!」
そんな俺の考えに即刻異を唱えるのは、教会から派遣されてきた司教の野郎だった。
コイツ、まだいたの?
「魔族は数百年と相争っていた人間の宿敵! それと手を結ぼうなど重大な裏切り行為に他なりませんぞ!」
といってジルミアースたちと手を結ぼうとするのへ執拗に反対する。
「もしここで魔族と和合するならば、諸共『神敵』と承認するしかありませんぞ教会の手で! そうなればアナタはお仕舞いです! すべての国家を敵に回し、S級冒険者の称号も剥奪されますぞ! それでもそんな悪魔どもを受け入れるのですかな!?」
なんか凄い慌ててるなー。
俺と魔族が手を組んだら困るみたいな?
でもなんでそんなに困るんだろう。
「そもそもなんで俺の決めることにお前なんかが口出ししてるのかって感じなんだが……」
でもここはあえて、アイツの抗議に乗ってやるか。
より完膚なきまでに打ちのめすために。
「こう言ってるんだけど、ジルミアースちゃんはどう思う? 彼の許可がないと仲よくしちゃダメなんだってさ」
『それは困りましたね』
拝跪の姿勢から立ち上がる魔王ジルミアース。
その表情は、慈悲を希う投降者から、冷酷な虐殺者の者へと変わる。
『そうなっては仕方ありません。リューヤ様のお味方に加えていただけないなら、我らは依然として人類の敵。魔神の意に従って人間を殺し続けるのみ』
「だよねー」
『しかし我らにも感情はあり、より恨みのある相手を徹底的にいたぶることもしましょう。この場合、我らの意図を挫いた連中こそ格好の報復対象……!』
ジルミアースの魔力のこもった視線に、すぐさま司教は『うひぃッ!?』と鳴いた。
「なッ!? 私に手を出すというのか!? そんなことをすれば神が黙っていませぬぞ!?」
『その神とは、誰のことだ?』
ジルミアース、凍えるような声の冷たさで言う。
『お前たちの崇める神と、私たちの恐れる神は同一だとでもいうつもりか』
「そ、それは……!?」
不思議なことに、司教は途端に身をすくめて黙りこくった。
この急な沈黙。
魔王の威圧に言葉を失っただけでなく、何か重要な核心を突かれたからか。
『リューヤ様、そもそもおかしいとは思いませんか?』
「ふぬ?」
『こんなに都合のいいタイミングで我々が現れたことを。このクズ人間は、我々の襲来に合わせて何かの要求をアナタに飲ませようとしていたのではないですか?』
「はい、そうです!」
でもなんでそんなことをジルミアースは知っているんだ?
まるで何かの打ち合わせが合ったように。
『我らは常に、コイツらの都合のいいように動いてきたのです。しかし今回はそれを逆手に取り、悟られずアナタの元へ駆け込むことができた。重要拠点を潰されて焦りが出たようだ』
ジルミアース、さらに追い詰めるように言う。
『私とて、自分だけの利益を考えて恭順したりはしない。リューヤ様、アナタに受け入れてもらいやすいよう、ある手土産を用意してきました。今こそそれをあなたに捧げましょう』