タコの処理とナイチンゲール
永禄2年5月5日夕方
戻って我縁様に挨拶をして成果物を見せたら、さっそく処理開始だ。うわぁお。まだ生きてるぞ。
まず、タコの頭を切り開く。そしてワタ(内臓)と目玉を取ってしまう。10匹全てだ。ワタはひとまず横にはねてと。
「おい、怠惰者。」
こっからが重労働になるぞ。まずはタコを一匹ずつ塩もみする。タコのぬめりを取るためだ。結構力を使うんだ。ごしごしごし。
「川崎こゆず!」
なんだ。名前呼べるんじゃん。なんだいナイチンゲール。
「あなた何やっているの?」
見てわからないかな。タコの干物を作って売るための下準備だよ。タコのぬめりを取ってるのさ。おれは振り返らずにそういった。こちらの意図はたちどころに伝わって、たちまちにナイチンゲールは怒った。
「あなたは!怠惰者の上に馬鹿者だったの?タコの処理なんかよりもやることがあるでしょう!」
あるかもね。ないかもね。君が言いたいのは例えば衛生観念の周知とかかい?それとも医療施設の建設?
「そ、そうよ!少なくてもあなたが!」
はい、考え無し。おれはそうつぶやいた。
「…私が考え無しですって?」
明らかに彼女の雰囲気が変わった。おれは全身全霊を持って気づかないふりをした。
「訂正しなさい。少なくともあなたに指摘されなくてはならないほどの考え無しではないわ。」
そうかなぁ?おれはゆっくりとふりかえった。今俺の状況は完全な居候。味方は気の良い漁師さんに、気の良いお坊さん。気の良いお侍さんってとこ?え、完全に人の善意に縋りついて生きていますけど…?こんな状態で何が出来るの?
「俺」はちょっとかっこを付けてみることにした。
「あのね、ナイチンゲール。まず必要なのは信頼だよ。それからお金。皆が一定以上の教育を受けられて、今が不便で不潔で不快であるって自分たちが自覚できるまで衛生観念なんて身につかないよ。だって菌なんて、ウイルスなんて彼らにはわからないんだから。」
「俺はただの看護師さ。『医者』が絶対に必要さ。それもこんな時代のレベルに合わせてやるんじゃなくて、現代の俺の知識をぶち込んで、その上でなお進化させてくれる人たちが必要だ。」
「例えばタコのぬめりを取るための塩、蜂蜜酒を造るための蜂蜜。どちらも抗菌効果がこの時代にとってはぐんばつに高い。」
おれは、肩の力を抜いた。だからね。力が必要なんだよ。金とちょっとの権力。それから付いて来てくれる支援者。人間一人にできることなんか限られてるんだからさ。
「それは、そうだけど…。私に頼る心算は無いの?」
は?おれはひたすらたまげた。え?ナイチンゲールに頼るのありなの?
「なしよりのありだわ。」
なしよりではあるんだ。
「私は金策なんかはまっぴらごめん。医療と看護、治療と福祉。それ以外の事は限りなくやりたくありません。」そういって耳まで真っ赤にしたナイチンゲールは掻き消えた。人外ぃ。
でも、手伝わないとは言っていないんだね。これはデカいぞ。ナイチンゲールがどれだけ現在医学に通じているか。これは実は大きな問題ではない。ナイチンゲールが戦場に立って、みんなが知っているような蝋燭を持って夜の巡回をしていたような期間は実はたったの二年しかないのだ。
ナイチンゲールの凄まじさは、その分析力と理論力。そして当代随一の統計学だ。もちろん小陸軍省とまで言われた苛烈なる交渉力もあってのことだ。それが協力してくれるなら計画は…おっと計画は秘密だけどかなり前倒しになる。やるしかないよね。ありがとうナイチンゲール。きみはおれのやる気を出させるのがとてもうまいね。ぺろりと舌なめずりするその男の顔はどう考えても正義の味方サイドの笑顔ではなかった。
おっと、塩もみしたタコを洗い流してから干さなきゃ。形を整えるために串で形を整えてっと。最後に塩をじよんばらり。あとは仕上げを御覧じろ。
現在の主人公の持ち物と財産
・蜂蜜酒(4升=6リットル)(発酵中)
・たこの10匹分のタコの干し物(干し中)
・塩残り2升=3Kg
・ナイチンゲールの協力の口約束