続解体する友
「ジャックさん!」
「キュ?」
耳が、なにか音を拾うけど、意味あるものとして理解できない。
そんな情報を処理する余裕が現在、ボクの脳にはない。
脳の隅々まで、暴れまわる痛みという情報で占拠されている。
何度も、何度も、何度も、右足が太ももから爪先まで、熱せられた剃刀で焼かれながら細かく切り刻まれている。
…………ありえない。
両手で押さえつけた右の太ももの切断面からは湧き水のように、血が流れ続けている。
横倒しの視界のなかには、体から切り離された右足が置物のように存在している。
冷静に考えれば、すでに体に存在しない部位が痛みを主張するわけがない。
幻肢痛やファントムペインと呼ばれる失われた部位が痛むという現象だろうか?
けど、切断されてすぐに発生するものなのか?
わからない。
飽和している痛みのせいで、冷静な思考が上手く構築できない。
五感から入力される情報も理解できない。
右足を切断されたというショックで、妄想するようにありえない痛みを創造しているのかもしれない。
あるいは、心のメーターが振り切れて、狂気の世界へと没入してしまったのかもしれない。
「シノビフォックス? ラビ、見失わないように気をつけて」
「キュ」
緊迫したスナオとラビのやり取りも、思考がまるで動かない現状のボクにとって無意味なノイズと大差がない。
刻々と流血と共に、体から熱が失われていく。
熱が失われていくごとに、じわりじわりと白くて静かな冷気に全身が侵食されていく気がする。
まるで、生命の火が消えてしまうかのようだ。
命の危機。
人生の終焉。
だけど、それに恐怖することもない。
幸か、不幸か、痛みが強すぎて、そんな当たり前の結論すら導き出せない。
合理的に考えれば、傷口を押さえるよりも、ローヒールポーションを飲んだほうが、状況は改善されるだろう。
けど、死に直面しているというのに、そんな有効で合理的な当たり前の思考と行動を実行することが、現状のボクには難しい。
視界のなかでラビが、二足歩行のキツネと戦っている。
ラビは鎌のようになっているキツネの両手を警戒しているか、慎重に攻めているけど終始優勢だ。
これなら数分とかからずに、ラビがキツネを仕留めるだろう。
「うっ」
右足の切断面が刺激される。
スナオが切り落とされた右足を拾って、切断面を合わせている。
「ジャックさん、飲んで」
強引に口のなかへ、優しさを感じるような薄い甘味が広がっていく。
波が引くように、痛みのレベルが耐えられる程度のものにまで落ち着いてくる。
右の太ももの切断面が、微妙にズレていたのか、自然と正しい位置に戻ろうとしている。
不思議と追加の痛みはなかったけど、接着している骨と血肉がグニグニと動く感覚は、なかなかに気持ち悪くて不気味だ。
希望としては二度と体験したくない。
停滞するように凍てついていた体へ、徐々に熱が戻ってきた気がする。
体を起こして、スナオが差し出してくれた二本目のポーションを口にする。
ポーションが体に染み渡ると同時に、駆逐するように痛みや倦怠感などが消えていく。
かなりの出血をしたはずなのに、貧血による体の違和感を感じない。
「スナオ、ボクがいま飲んだポーションは?」
事実を確認するように口にした。
ローヒールポーションとは、味と効果が違いすぎる。
オーガに巨剣の残骸を投げつけられて、負ったダメージの後遺症のように胴体にあった痛みと違和感すらなくなっている。
「ヒールポーションですけど?」
「……すまない、ありがとう」
ローの付かないヒールポーションは、現在のボクらにとって金額的に、そこまでの貴重品じゃないけど、安易に浪費できる物でもない。
それなのに、ヒールポーションを躊躇せず仲間に使用できるスナオには感謝しかない。
ネットの情報だけど、ポーション関連の使用や取り扱いで探索者のパーティーがもめて、雰囲気が最悪になって、解散という流れも珍しくないらしい。
それも、資金的に厳しくてポーションの入手が難しいルーキーだけじゃなくて、ベテランの浅くなく信頼関係が構築されている探索者のパーティーでも、一本のポーションの使用を躊躇ったせいで、関係が崩壊してパーティーが解散することがある。
まあ、でも、高難度のダンジョンの深部まで探索していて、ポーションの残りが少ない状況で、帰りの道程のリスクを考えて使用を躊躇う気持ちもわからないでもない。
もしかしたら、ベテランの探索者ならダンジョンのリスクを心得ているから、なおさらかもしれない。
そういう意味でも、いざという時に仲間に対して、ポーションの使用を躊躇わない仲間は貴重だ。
「キュ、キュー」
ラビが自慢するように、死んだキツネのようなモンスターの首を握って掲げている。
大きさは一一〇センチぐらいで、現在のラビやコボルトと同じくらい。
まだ、安っぽい夕日のような薄暗い赤色の光のせい正確な色はわからないけど、おそらく毛並みは黒色。
なによりも、特徴的なのはまるで昆虫のカマキリのように、前足というか、両腕の肘から先が内側に反った鎌のような薄い刃物になっている。
どこまでの攻撃力があるかはわからないけど、少なくともそれなりに強化されているオークの革で守られた、ボクの太ももを一撃で両断することは可能なようだ。
胸当てがボロボロになっていたから、狙われたのが太ももじゃなくて胴体だったら、ボクの探索者としての歩みは終了していたかもしれない。
言い訳じゃないけど、今回の事態はボクの油断に起因するものじゃない。
まあ、まったく油断がなかったとは言わない。
未知の領域に踏み入って、感動して心にわずかなりとも、間隙が生まれたかもしれない。
けど、太ももを切られたのは、ボクの過失というよりも、相手が悪すぎる。
ボクの太ももを切断して、ラビに仕留められたキツネのようなモンスターの名は、シノビフォックス。
別名、ベテラン殺し。
日常的に、オーガやミノタウロスを余裕で狩れるベテランの探索者が、何例も、このシノビフォックスに殺されている。
ただ、このシノビフォックス、単純な戦闘能力はオークと同程度らしい。
でも、シノビフォックスはベテラン探索者の索敵や魔力感知をことごとくかいくぐり、無音で近づいて鎌で体を切り裂く。
決して姿が透明になるわけじゃないけど、逆に言えば目視で捉えられなければベテランの探索者でも、このキツネの接近を阻むことが難しい。
国としても、基本的にシノビフォックスの存在が確認されたら、無理に狩ろうとしないで、交戦を避けることを推奨してる。
だから、この階層に、こんな暗殺特化のモンスターが存在していることを知らないうちに、無傷で対処するなんて無理なのだ。
そんなもっともらしい自己弁護を積み上げて、落ち込みそうになる心を維持させる。
シノビフォックスの死体はスナオが収納して、これからどうするか協議した。
まあ、結論は撤退しかないので、モメることもなくすぐに決まった。
階段を戻ってオーガが再出現していたら、なかなか面倒なことになるけど、シノビフォックスとそれ以外のモンスターが徘徊するエリアを突き進んで、第四層のセーフエリアを目指すことに比べればはるかに現実的だ。
運の良いことに、オーガはまだ階段付近に出現していなかったので、第三層のセーフエリアになにごともなく帰還することができた。
精神的な疲労が鉛の重りのようにのしかかるから休みたいけど、オーガの皮やオリハルコンを調べられると、気持ちを盛り上げて作業にとりかかる。
けど、先に損傷した防具の修理を終わらせる。
ボクが解体するよりもポーション系のアイテムが出てきそうなので、スナオにはゴブリンキング、オーガ、シノビフォックスの解体をお願いする。
ゴブリンキングの攻撃を受けて、曲がってしまった全属性の双魔の杖を修理する過程で、今回の狩りで入手したブラックホーンの角と、ストックしておいたキラーハウンドの犬歯を使用して強化する。
ゴブリンキングやオーガの角でも、性能はブラックホーンの角と同じくらいだけど、今回の強化の素材には数も多くて、予備のあるブラックホーンの角を使用する。
かなりの数のゴブリンウィザードを狩ったので、なんとか籠手や脛当てにビー玉ぐらいの大きさのマギエメラルドを使用できる。
自分の籠手と脛当てを強化したら、スナオの脛当てを強化して、次にラビを呼び寄せる。
ラビが人型に近いゴールドラビットに進化したことで、足環じゃなくて籠手や脛当て型の双魔の杖を装備できるようになった。
普通の杖の形状の物には劣るけど、籠手や脛当て型の方が足環よりも、魔術の発動体としてかなりましになる。
スナオやラビと協議して、ラビ用の新しい籠手と脛当ては威力特化型ということになった。
何度かボクとスナオでラビの無謀な選択を変えるように、説得を試みてみたけどダメでした。
妥協的にバランス型を提案したけど、ラビは威力特化型を望んで、スナオも苦笑しながら了承した。
だから、
「キィイイイ」
ラビには威嚇しないでもらいたい。
四肢にフィットする籠手や脛当てを作る上で、実際にラビの四肢の触れるのは必要な行為だ。
特に、ラビはアンゴラウサギのように毛がモフモフだから、実際の四肢の太さが目視だけだとわかりにくいから、必須になる。
まあ、毛先に向かって光りが溶けていくような輝く黄金の毛並みでありながら、シルバーラビットのときよりも柔らかそうで、しかもボリュームのあるモフモフを見て、触ってみたいという欲求が少しもなかったとは言わない。
なかなかラビがボクへの警戒を解いてくれないので、モフモフへ最低限の接触で我慢しました。
違和感がないか、ラビに確認して籠手と脛当ての微調整を終える。
完成するとラビはスナオの元に駆けて行ったから、子供が親に自慢するように新しい籠手と脛当てを見せに行ったのかと思ったら、シャドージャケットに触れてなにかをアピールしている。
ダンジョンの不思議な強化の一種であるサイズ調整が利いて、シルバーラビットのときよりも大きくて骨格の違うゴールドラビットになっても、伸縮性と柔軟性の高いオークの革で作られたシャドージャケットは壊れることなく装備できている。
でも、厚みや形状など最適な状態とは言えない。
「ラビ、シャドージャケットはボクが……」
「キィー」
ラビに威嚇されました。
ボクがラビに嫌われすぎているように感じるのは、気のせいだろうか?
「ちょっと、ラビ」
スナオが叱るけど、
「キュー」
ラビは横を向いて不満そうだ。
結局、ラビのジャケットはスナオが作り直すことになった。
いっそのことツナギのようなシャドースーツにしたらどうかと思ったけど、ラビはシャドージャケットの形状を気に入ってるようのなので、変更しない。
スナオも錬金術や革加工のスキルを獲得しているから、ラビのシャドージャケットを問題なく作り直せるけど、ボクならもっとスムーズにできるのにと、少し拗ねた気持ちになる。
そんな下がり気味の気持ちは未知なるオリハルコンになぐさめてもらう。
コンテナブレスレットから、オリハルコン製の装飾過剰な落ち着いた金色の短剣を取り出す。
次回の投稿は九月一〇日一八時を予定しています。




