心配する友
ダメ人間。
まあ、ダメ人間かな。
トウヤの言葉はなにも間違っていない。
本質的に、ボクという人間はダンジョンで活動する以前と、現在で他人に誇れるような大きな変化や成長はない。
片手でクマを持ち上げられる身体能力や億を超えるお金を稼いでも、力持ちで金持ちなダメ人間がいるように、ボクが人間として劇的に成長しているとは思えない。
以前との違いなんて、生活の場が離れからダンジョンのなかになったことくらいのものだ。
だから、トウヤの言葉を肯定してしまうことに恐怖はないんだけど、それでも心がチクチクと白い冷気にさらされたように痛む。
久しぶりに顔を合わせた近親者にダメ人間と言われると、事実であると認めてしまえる言葉でも、黒い奈落のような隔たりと拒絶を感じてしまう。
自分の積み重ねた愚行を忘れていないし、あの家族からどう思われているかわかるけど、根底でどこかボクは家族に浅ましくて愚かしくも儚い幻想を抱き続けているのかも知れない。
でも、まあ、そこまで、トウヤの言葉が致命的に心の深部まで刺さったわけじゃない。
アンナのゴミを見る眼差しで無感動に紡がれる心を凍てつかせて、心を砕くような言葉に比べれば、トウヤの感情むき出しの言葉は暖かな木漏れ日のように感じられる。
まあ、それでも、ダメ人間と言われれば、少しだけ痛みはする。
あるいは怒りでも、感情をあの家族から向けられれば、自分に興味があるんじゃないかと思ってしまうのかもしれない。
しかし、億を超えるお金を稼げるのに、それを少し稼げると評するのはどうなのだろうか?
一般的にかなりの大金だと思うのだけど。
でも、億を超えたのは今日だから、トウヤが知らないのはしょうがない。
だから、トウヤの言葉を修正すべきだろうか?
……まあ、ないな。
絶対に、色々な方面で面倒なことになる。
というか、そもそも流暢にトウヤへ説明なんてボクにできるとは思えない。
それにボクが調子に乗っているとトウヤは言うけど、どうなんだろう。
なにをもって調子に乗っていると判断すればいいんだろうか。
などと、無意味な思考を繰り広げて、全力で現実逃避をしてみる。
だけど、その間に、外的要因などで突然に状況が好転したりしてくれない。
「あーっと、久しぶりだね、トウヤ。元気……そうでもないけど、無事なにより。トウヤも色々と忙しいだろうから、これで失礼するよ」
仕方ないので少しだけ早口になりながら、疲労した様子のトウヤに言葉をかけて、ダンジョンへ戦略撤退を試みるけど、
「なんだよ、逃げんのかよ」
挑発的なトウヤの言葉に撤退が阻まれてしまう。
建設的で愉快な時間が形成できるわけもないから、トウヤの言葉通り逃げるつもりなんだけど、正直にそれを言ってしまうと色々と角がたつから、その表現はさけて応じる。
「いや、逃げるというか……ボクはダンジョンですることがあるし、トウヤも受験勉強があるだろうということなんだけど」
「……見下してんのかよ、ダメ人間。オレは大丈夫。大丈夫なんだよ。受かるんだよ。受かるんだよ、オレは」
まるで呪詛でも紡ぐように、自分に言い聞かせるかのように言葉を口にしながら、トウヤが血走った目を向けてくる。
うかつ。
地雷を踏んでしまった。
追いつめられた受験生に、安易に受験勉強のことを口にすべきじゃないのに、不用意にその単語を口にしてしまった。
「あ、ああ、そうだね、トウヤなら、大丈夫だ」
「オレのこと……オレのことなにも知らねぇ奴が、軽々しく大丈夫とか言ってんじゃねぇよ」
叫ぶでもなく、絞り出すように淡々とした口調で言ったトウヤの言葉が胸に鋭く響いて痛い。
本日、二つ目の地雷を踏みました。
受験生や余裕のない人間に、外野が無責任に大丈夫だなんて言っても、相手の神経を逆なでするだけだって、ボクは自分の経験から体感して知っていたのに、学習することなく言ってしまう。
こんなことを深く考えずに言ってしまうから、ボクはダメ人間なのかもしれない。
「……ああ、トウヤのことを良く知らないのに、決め付けてすまない」
「そうだよ、大丈夫なんだよ、オレは。高校に受かったら探索者になって、お前なんかすぐに追い抜いてやるからな」
トウヤの感情が落ち着くまで黙っているつもりだったけど、気になるワードがあったので自然と聞き返していた。
「……うん? 探索者になるのは止められているんじゃないの?」
応じるトウヤは勝ち誇るような暗い笑みを浮かべている。
「なんだよ、聞いてないのかよ。高校に受かって、成績を落とさない条件で探索者になることを認めてもらったんだ。だから、そこのダンジョンの専属の探索者は春からオレだ。来年になったら、ダンジョンだけじゃなくて、離れからも追い出してやるからな、ダメ人間」
なかなか衝撃的な言葉がトウヤから出てきて、風車のようにクルクルと思考が空回りして、深く冷静に無音の凪のように落ち着いて考えられない。
「そう……なのか。いや、でも、トウヤがそこのダンジョンの専属の探索者になっても、ボクがダンジョンと離れから追い出される理由にならないんじゃないかな?」
「なに、言ってんだ。オレが専属になったら、ダンジョンの探索中にお前みたいなダメ人間に邪魔されたくないからな、お前のそこのダンジョンへの立ち入りはオヤジに禁止してもらう。なにしろ、ダンジョンの所有者には、その権限があるんだから文句なんかねぇよな」
トウヤの言葉に間違いはない。
確かに、ダンジョンというか、ダンジョンのある土地の所有者には、望まない人間をダンジョンに入れない権限がある。
「文句……文句はないけど」
文句はない。
文句を言うような立場じゃない。
立場じゃないけど……ダンジョンから追い出されるのは嫌だ。
どうしよう。
どうすべきか?
大音響の焦燥がボクを追い立てるけど、五里霧中を迷走するように意味ある解を見出せない。
「言い返さないのかよ、情けねぇな。……って、誰だ、その人」
トウヤがボクの背中に隠れるスナオに目を見開いて驚愕の視線を向ける。
「ああ、友人のスナオだ。ダンジョンの探索を手伝ってもらっている」
「ダンジョンの探索を……美少女と一緒に、だと。クソ、美少女を連れているからって、調子に乗るなよダメ人間」
頬を赤くするトウヤの言葉を、どう訂正するか迷っていると、アンナの声が横から入ってきた。
「なにしてんの、トウヤ」
「……別に、オレがどこで、なにしてようと、お前に関係ないだろ」
トウヤはアンナが苦手なのか、視線をそらして見ようともしない。
「そーね、関係ないね。こんなところで勉強もしないで、ジャックさんとじゃれてるんだから、よゆーなんだよね、トウヤ」
叱るでも、からかうでもなく、アンナは淡々と紡ぐ。
けど、不思議とアンナの言葉には追いつめるような圧迫感がある。
「誰だよ、ジャックって。つーか、じゃれてねぇ。ただ、久しぶりに珍獣みたいなのに、会ったから少しからかっただけだ。勝手に、勘違いすんな」
トウヤはうつむきなが不貞腐れたようにつぶやいて家の方へ、なかなかの早足でまるで逃げるように去っていく。
「トウヤは平常通り、よゆーないな」
アンナが実弟を容赦なく評する。
余裕がないと思うなら、もう少し気づかってやればと思わないでもないけど、やぶ蛇になりそうなので口にしない。
「あの、アンナ。聞きたいことが、あるんだけど」
「なに?」
首を傾げるアンナに、さっきトウヤに聞かされた話を説明する。
「ああ、それはホント。ジャックさん、ここの近所で散財したでしょ」
アンナが少しだけあきれたような表情を浮かべているような気もするけど、いまは気にしない。
「散財? いや、必要な物を買っただけで、散財と呼べるような派手な買い物は、公的な買取所以外だとないと……思う」
公的な買取所で億を超える買い物をしたけど、あれだって不必要な物じゃない。
まあ、早急に必要な物かと言うと議論の余地はあるかもしれない。
「ベッドだの、風呂だの、トイレだの、一気に買ったのは、ジャックさんじゃないと?」
アンナの言葉で自分の勘違いに気づく。
アンナが指摘していた散財は、買取所での高額の買い物じゃなくて、近所で買ったダンジョンで使う家具とかのことだった。
気づかないうちに金銭感覚が壊れているのかもしれない。
自然とダンジョンで使う家具くらいの買い物を、高い物じゃなくて安い買い物と無意識に認識してしまっている気がする。
家具をそろえたときは、それなりに高額だって認識していた気がするんだけど、少しずつ金銭感覚が狂ってきているのかもしれない。
「それは……ボクです。でも、それはダンジョンの探索に必要な物で、無駄な散財じゃないよ」
一応、無駄な散財じゃないと説明を試みるけど、応じるアンナは盛大にため息をする。
「はぁ、無駄とかそういうことじゃないの。近所の認識で無職のジャックさんが高額の買い物をしたら、目立つに決まってるでしょ。田舎のコミュニティ舐めてない」
「舐めてないけど、個人情報保護法とかあるでしょう」
「田舎のコミュニティにそんなの期待するだけ、むーだ。聞いてもいないのに、パパに報告してくるヒマな連中が何人いたことか」
聞かれてもいないのに密告って、独裁国家の秘密警察かと思ってしまう。
というか、別に、ニートの買い物は密告されるような犯罪でも、悪いことでもないと思う。
「マジか」
「マジよ。それで、パパはジャックさんがかなりダンジョンで稼いでると知って、ジャックさんからダンジョンを取り上げる気になったみたい」
「……別に、ダンジョンからボクを追い出さなくても、離れの家賃を上げるなり、これまでの生活費として請求すればいいんじゃないかな?」
そっちの方が利益を得るには簡単だと思う。
「パパの考えには共感できないけど、面倒ごとだと思ったダンジョンでジャックさんが大金を稼いだと知って、自分の資産が不当に横取りされている気分になっているみたい」
「不当って、ボクをそこのダンジョンの専属の探索者にしたのは、兄なんだけど?」
ダンジョンでの暮らしに不満はない。
離れでの諦観と停滞に彩られた鉛色の生活に比べれば、福音であったとさえ言える。
でも、そもそも、ダンジョンの専属の探索者にボクがなりたいと願ったんじゃなくて、面倒ごとを押し付けるように兄に指名されてのことだ。
「あれはね、昔話で正直爺さんが地道に頑張って大金を手にして、それに対して自分勝手に嫉妬する意地悪爺さんみたいな感じじゃない。それに、パパは見栄っ張りだから、いまさらダンジョンから得た利益をジャックさんにわけろなんて言えないから、探索者になるって言っているトウヤに、ダンジョンを任せる形で自分の家の資産を守りたいんじゃない」
「うーん、でも、それだと、トウヤが探索者として成功するかどうかはともかく、ダンジョンの利益が兄にいかないんじゃないかな」
使用料とかの名目でダンジョンの利益を徴収できるかもしれないけど、相当効率が悪い。
「パパ的に、トウヤがダンジョンの利益を得るなら問題ないんじゃない」
「どうして?」
ボクにダンジョンの利益を横取りされる話が、探索者として成功するかどうかはともかく、トウヤの利益になるだけの気がする。
「だって、トウヤは家族でしょ。それなら、パパに利益がいかなくても、家の資産は守られてるって、思ったんじゃない」
気負うことなく紡がれたアンナの言葉が、深く深く心の底に突き刺さり、鋭くて鈍い痛みの仄暗い重奏が響く。
家族以外に、自分の資産で稼がれるのは不快だけど、家族が自分の資産で稼ぐのは問題ない。
うん、普通のことだ。
家族以外が自分の資産で儲けたら、不快なのはなんとなくわかる。
法的、手続き的に問題なくても、感情的に納得できないっていうのも理解できる。
そして、ボクがすでにあの家族にとって、他人だという認識だということも、当然だと思う。
頭で理解できるんだけど、心が無意味に抵抗する。
だから、灰色のまとわりつくような重苦しさと、青白い凍てつくような拒絶と孤独を感じてしまう。
いつの間にか、袖をつかんだスナオが心配するようにボクを見つめる。
「……そっか、そうだよね。大丈夫。ボクは大丈夫だよ、スナオ。アンナは大丈夫?」
精一杯の強がりで言葉を紡ぐ。
「別に、アタシは問題ない。けど、親のダサくて、カッコ悪いとこ見せられて、うんざりするかな」
「どう……したらいいかな?」
「はぁ、知らないし、好きにしたら? とりあえず、トウヤが受験で合格するまでの時間があるんだし、これからジャックさんがどうしたいのか、よく考えたらいいんじゃない」
「そう、だね。ありがとう、アンナ」
まだ、ダンジョンを追い出されるまで時間はある。
しかし、ダンジョンというか、ダンジョンのある土地を正当な価格の二倍の値段で買い取ろうと思っても、それくらい簡単に稼げると邪推されて拒絶されてしまいそう。
これからどうするか、色々と考えないといけない。
次回の投稿は七月一六日一八時を予定しています。




