ニート、死闘する
第一層のゴブリンの領域を索敵と遠見で先に発見することによって極力遭遇を回避して、それでも接近する相手は隠行でやりすごす。可能な限り交戦を回避して消耗を避ける。
けど、このステルスミッション、普通に狩りをするより神経を使うから、交戦は避けられたけど、精神的にけっこう消耗している。
必要以上に、交戦を避けることに、ここまで神経質にならなくても良かったんじゃないかと、途中で思ってしまった。だけど、意地でホブゴブリンのもとに、一度も交戦せずにたどり着いた。
精神的に、普通にゴブリンの集団と交戦するよりも、疲弊してしまったような気もするけど…………多分、気のせいだ。
うん、大丈夫、併用したスキルのシビアな使用で疲れているなんて幻想にすぎない。
ボクは心身ともに十全で、ホブゴブリン狩りも万全だ。
だから、地面に大剣を突き立てて、柄頭に両手を置いて静かに待ち構える、一四〇センチぐらいのゴブリンを見て、口のなかが乾いて手足が微かに震えるのも、気のせい…………のはずだ。
ホブゴブリン。
少し大柄なだけで、角もゴブリンと一緒で一本だから、ホブゴブリンにゴブリンとの違いを示すような目に付くような特徴はない。けど、こいつをゴブリンだと勘違いする愚者はいない。
闇の広がるモノクロの世界だから、緑色の肌がゴブリンと違うのかわからないけど、着ている貫頭衣が騎士のサーコートであるかのように幻視してしまうくらい、気迫を感じさせる堂々とした姿をしている。
でも、絶対に勝てないとは感じない。
見ただけで、強いのはわかる。
単独でゴブリンやコボルトの集団が比較にならないような強さだろう。
それでも、強敵だけど、届かない相手じゃない。
だから、退かない。
勇気とか臆病とか、そんな主観的、客観的な評価なんてどうでもいい。
ここで、挑まないと手に入れたレーゾンデートルが消えて、ようやく定まってきた生き様がブレる。
スプレーガンにデュオシックル、戦う手段は用意されている。
まだ、それが通用しないって否定されたわけじゃない。
うまく使えればレーゾンデートルをもっと確認できて、使えなければ無価値な骸がダンジョンに食われるだけだ。
状況はシンプルで、決断はずっと前に下してる。
百戦百勝の状況を目指さなければ怠惰だな蛮勇だと他人は言うかもしれない。ボクの心の奥底でも灰色の声が静かかに囁いているけど、そんなものは過去の離れに漂っていた腐色塗れの諦観の沼に捨てておけばいい。
突貫。
心が萎縮してしまう前に、一気に間合いを詰める。
エアガンを発砲。
「グギャ」
ホブゴブリンの顔面にBB弾が命中して、動きが一瞬硬直する。
エアガンはホブゴブリンにも通用する。
そんな安直な安堵をボクは覚えてしまった。
一閃。
首を狩るべく振られたデュオシックルは、しかしホブゴブリンの大剣に止められた。
一瞬遅れたけど、ホブゴブリンは大剣を引き寄せてギリギリでデュオシックルによる絶死の一撃を防いでみせた。
衝撃。
ホブゴブリンの角による頭突き。
ポリカーボネイトの胸当ては貫通を許さなかったけど、衝撃までは殺しきれなかった。
息が詰まって、一瞬、ボクの動きが鈍くなった。
迎撃。
迫る大剣を、不自然な姿勢で振るったデュオシックルでなんとか防ぐ。
発砲。
ホブゴブリンのむき出しの手足を無数のBB弾が襲う。けど、一瞬たりとも静止しない。
エアガンの弱点が露呈した。
まあ、弱点というかエアガンは殺傷を目的とした武器じゃないから、BB弾が命中しても皮膚を貫通することも、死ぬこともない。目に当たれば重傷になるかもしれないけど、逆に言えば、それ以外のところに当たっても痛いだけだ。
当然、痛みに鈍かったり、殺傷能力の低さを理解して当たっても我慢する知恵のある相手には通用しなくなる。
例えば、このホブゴブリンみたいに。
迎撃。
頭に振り下ろされる大剣をデュオシックルで弾く。
衝撃。
足を蹴られた。
初動が遅れて、デュオシックルで迎撃できない。
振り下ろされる大剣を、なんとか飛ぶように大きく避けながら、ホブゴブリンの顔面を強引に照準。
発砲。
首を少し傾けるだけで避けられた。
迎撃。
迎撃。
迎撃。
迎撃。
迎撃。
ホブゴブリンを狩るために作ったデュオシックルを、ひたすら防御のために振るわされる。
なんとか、きっかけを作って、流れを変えたいけど、エアガンじゃ無理だ。けど、悠長にスプレーガンに持ちかえている時間なんてない。
なんというか…………このホブゴブリン、強いというより上手い。
もちろん、こいつが弱いってわけじゃないけど、一撃の速度と鋭さならボクのほうが上だし、身体能力でもボクの方が上だ。
だけど、勝てない。
素振りが速くても、力が強くても、それだけで相手に勝てるわけじゃない。
このホブゴブリンはボクよりも剣のスキル熟練度が低くて、身体能力も下回っているのに、それらの要因を十全に理解して、限界まで活用してきたら、ここまでやっかいになる。
この戦巧者に比べて、ボクは喧嘩や武術の経験もろくにない、中年のニートだ。
その領域で勝負しようするのが、間違っている。
ボクのスタイルはエアガンやスプレーガンで相手の実力を封じて、一方的に狩るものだ。
なら、なんとかスプレーガンに持ちかえて、カプサイシンとお酢の混合液の洗礼をホブゴブリンに浴びせないといけない。
体力的にはまだまだ余裕だけど、デュオシックルによる迎撃が徐々に遅れている。ボクの速さと力に相手が慣れて、戦い方を修正してきている。体力に余裕があっても、首が落ちたら意味がない。
大剣を迎撃すると同時に、エアガンを投げつけて、スプレーガンに持ちかえる。
あとは、スプレーガンをホブゴブリンに放つだけで、
「クソ、しまった!」
スプレーガンを蹴り飛ばされた。
混合液の入ったボトルが吹き飛んで、スプレーガン本体も簡易スリングを引きちぎって手から離れる。
一瞬、意識と視線が離れるスプレーガンを追ってしまった。
一陣の風のように、閃光が下から上に眼前を駆け抜ける。
ポリカーボネイトのフェイスガードが二つに切れてゆっくりと木の葉のように落ちていく。ヘルメットが遅れて、フェイスガードを追うように頭から落ちる。
熱い!
速くて鋭い熱さが駆け抜けて、左目の視野が赤いもので塞がれてしまう。
…………ああ、切られたのか。
自分のことなのに、どこか他人のことのように感じている自分がいる。
自分のせいじゃないと、責任転嫁しているわけじゃない。
そうじゃなくて、色々な余計なものが削ぎ落とされたような感覚だ。
このままだと、死ぬ。
エアガン喪失、スプレーガン喪失。
左目は血のせいで見えない。
左目の上から右頬に存在している傷は、自己主張するように盛大に血を流出している。顔を切られて死んだという話は聞いたことがないけど、放置していい出血量でもない。
でも、敵前で悠長に止血するわけにもいかない。
それ以外のダメージは軽微。
デュオシックルは保持している。
状況は良くない。
動いても、動かなくても、死にそうだ。
でも、心は透明な無音が鳴り響いている。
生への未練?
そんなものは、すでに過ぎ去ったいつかに置き去りにしている。
死への渇望?
そんな妥協をボクの弱さは許してくれなかった。
ボクは刹那のときも自殺なんて望まなかった。自殺なんてしたら、あの家族に迷惑がかかってしまうから。だから、どんなに惨めでも、自殺なんて望まなかった。
だから死なんて、ただの結果でしかないものに、思い入れなんてない。
渇望するのは、実感できるレーゾンデートルのみ。
ボクがボクに存在に足る価値を見出せるかだけ。
ああ、そうだ。
なら、安易で無意味な死なんて選ばないで、死線に全身全霊で挑んで問いかけて、レーゾンデートルを楽しみながら見出そう。
索敵と魔力感知を左目の代わりに…………無理、でもない?
索敵は相手の位置がわかるだけだから、左目の代わりにはならない。
けど、魔力感知を限界まで感度を高めて、ホブゴブリン一体に集中したら、濃淡のある魔力のシルエットを感じられた。
左目の代用どころか、右目の視野がノイズにすら感じられる。
迎撃。
ホブゴブリンは驚いたように、慌てて距離をとる。
ホブゴブリンの大剣をボクが破壊しようとしたのが、意外だったようだ。他の要因はともかく、武具の性能はボクの方が圧倒的に上だ。いまも純粋に武具の性能を比べるように、意図的に刃と刃を強引に交差させたら、デュオシックルが大剣にわずかにめり込んだ。
ホブゴブリンは武器破壊を恐れるように、慎重で消極的な動きになる。ボクの攻撃を慎重にさばいて、防御のための迎撃の一撃にも丁寧に交差させる。
このホブゴブリンは気づいているだろうか?
戦闘が長くなるごとに、ボクの先読みの精度が上がっていることに。
魔力感知で感じられた濃淡は相手の体内の魔力の強弱。
足の魔力が強くなれば蹴り、腕の魔力が弱いのに大剣を振るったらフェイント。
荒かった強弱から動きを読む精度も、すでに十分なものに修正済み。
大剣をあえてデュオシックルの柄で受ける。
『スキルポイントを五消費して、体術のスキルを獲得しました』
体術のスキルに導かれるように、一歩踏み込んで左の拳を相手の脇腹に内臓を打ち抜くようにめり込ませる。
「グギャアァ」
ホブゴブリンは苦悶の表情を浮かべて身をよじる。
一閃。
「ギャアアアァ」
大剣ごと両腕を切り落とす。
一閃。
断末魔を許すことなく、ホブゴブリンの首を斬り飛ばす。




