015 調査遠征 (1)
「しかし、ノルドは店長殿のことに詳しいな? ……あぁ、そういえば、レオノーラの紹介で来たんだったな」
「そういうことだね。――ところで、ボクとしてはそっちも気になっているんだけど?」
ノルドの視線が向いているのは、アイリスの肩口。
そこから顔を覗かせているのは、彼女が背負った袋にしがみついているクルミである。
家を出たときこそ、『やっと自分の番だ』とばかりに、嬉しげにクルミを抱きしめていたアイリスだったが、これから護衛をするというのに手が塞がった状態はマズいだろう、とケイトに説得され、しぶしぶ袋の上に移動させたのだ。
「それって、錬金生物だよね?」
「そうだ。よく判ったな? 店長殿が私たちを心配してつけてくれたんだ」
「これでも魔物の研究者だからね。錬金術師とかかわることも多いし、錬金生物ぐらいは判るよ。その形は初めて見たけど」
「猫とかが多いのよね?」
「人気があるのはそうだね。あとは鳥とか。この辺りは偵察用の錬金生物だけど、戦闘用だと狼を使っている人もいるかな? 珍しいけどね」
大型の錬金生物が珍しいのは、錬金術師が戦う機会なんてほとんどないことに加え、その作製難易度も影響している。
まずは培養槽。
必ずしも培養槽内で実際の大きさまで成長させる必要はないのだが、一度外に出してしまうと、その成長速度は普通の生物に近くなり、完成まで数十倍から数百倍の時間が掛かることになる。
クルミの場合はこれが完成形だが、普通の熊のサイズにまで大きくしようと思えば、頻繁に魔力を注ぎ続けて数年間。それだけの手間が必要だ。
だからといって、熊サイズの培養槽を用意するのが難しいことは、言うまでもないだろう。作るのはもちろん、置き場所だってとるのだから。
更に魔力。
錬金生物が大型になればなるだけ必要とされる魔力量は多くなり、その大きさに見合った魔力の供給ができなければ、錬金生物の身体は崩壊し、作製に失敗する。
もっとも魔力が必要なのは作製時だが、完成した後も定期的な魔力の補充は必要で、あまり大型の錬金生物を作ってしまえば、日々の錬成作業にも影響が出る。
そのようなこともあり、現在の主流は小鳥や鼠、魔力の多い錬金術師で猫あたりである。
「実のところ、大きさ以外もちょっとおかしいんだけどね」
「ん? 何がだ? 確かに珍しいタイプなのかもしれないが、可愛いだろう?」
手のひらにクルミを乗せて自慢げに見せるアイリスに、ノルドラッドは苦笑する。
「それは別に否定しないけど、そうじゃなく。それって、サラサ君が操っているわけじゃないよね? 普通は術者から離れた場所で、自立行動なんてさせないんだよ。というか、できない、かな?」
術者から離れれば離れただけ、感覚の共有や操作が難しく、魔力消費が増えるのはもちろんとして、錬金生物の維持に必要な魔力も増える。
このときに消費される魔力は錬金生物に蓄えられている魔力であり、これがなくなれば錬金生物は消滅することになる。
ノルドラッドの常識からすれば、下手をすれば数週間に亘って、それもかなりの距離、離れることが解っていながら、錬金生物を預けるというのはあり得ない。
途中で錬金生物が崩壊しても良いと考えているのか、それともそれだけの距離、期間であっても維持できると考えているのか。
「ということで、ちょっと調べてみたいけど――」
「ダ、ダメだぞ! クルミは渡さないぞ!」
どう見てもマッドな笑みを浮かべているノルドラッドから、クルミを守るように抱きしめ、アイリスは身を引き、ケイトもアイリスを守るように一歩前に出る。
「ノルドさん、クルミは店長さんが私たちを信じて預けてくれたの。さすがに研究対象として差し出すことはできないわ」
「だよね」
受け入れられるとは思っていなかったのだろう。
やや厳しい表情のケイトに、ノルドラッドはそう言って、あっさりと頷く。
「ま、帰ってから、サラサ君に相談するのが筋だよね。保険があるだけでもありがたいわけだし」
ノルドラッドはウムウムと頷き、にっこりと笑う。
「それじゃ、そろそろ出発しようか」
「……そうだな。それじゃ、ノルドは私たちの後についてきてくれ」
それでもアイリスは、やや警戒するようにクルミを背中に戻し、ノルドラッドをチラチラ見ながら歩き出した。
◇ ◇ ◇
森に足を踏み入れて一日目。
アイリスたちにとって、この道を辿るのは三度目。
往復を考えれば、五度目。
この辺りは、普段村の採集者が頻繁に足を踏み入れているエリアということもあって、特にトラブルもなく順調に進んだ。
二日目もほぼ同じだったのだが、三日目から変化が出てきていた。
魔物が出てくるわけでもないのに、予想以上に距離が伸びない。
それが何故かといえば――。
「おぉ! これはサケメキノコじゃないか! 珍しい! えっと、裂け目の幅が三センチ、木の種類はニュークライト、湿気が多めで、周囲に生えている苔は――」
「むっ! ここに生えているのはブレフキャリオだな。地下茎の太さは……かなり太いな。これは土が影響しているのか?」
「ややっ!? この水辺にはメオニディースが群生している! 水中花は……まだないな。時期的にはそろそろのはずだが、場所の影響か?」
そう、ノルドラッドが頻繁に立ち止まっては、調査を始めるからである。
一度足を止めると、下手をすればその場で一時間以上。
これでは距離が稼げるはずもない。
それでも最初の数日ほどは、アイリスたちも調査が終わるのを黙って待っていた。
立ち止まることで頻繁に魔物が襲いかかってくるわけでもなし、報酬はかかった日数分支払われるので、予定が遅れたところでアイリスたちに損はなかったから。
だが、それが三日ほども続き、進んだ距離が一日分にもならないとなれば、さすがに黙っていることはできなかった。
何より一番の問題は、たまにでも襲ってくる魔物の存在。
今はまだアイリスたちでも難なく斃せているが、進むにつれて魔物は強くなっていくし、斃せば斃したで、周囲に血の臭いが広がり、その場を早く離れる必要がある。
にもかかわらず、ノルドラッドはなかなか移動しようとせず、その場から引き剥がすために、かなりの労力を必要とするのだ。
これでは文句を言うなというのも無理な話だろう。
「なぁ、ノルド。いくら何でも時間をかけすぎじゃないか? それに、準備期間中も森に入って調査していたと聞いたが……」
それでも相手は依頼主。
やや遠慮がちにそう言ったアイリスだったが、ノルドラッドは力強く否定した。
「村の周辺は調査したけど、この辺りはまた植生が違うんだよ! これを調査しないなんて、研究者としてあり得ない!」
「む……、私に研究のことは解らないし、雇われている以上、あまり言いたくはないが、食糧の問題もある。現地での調査期間を考えると、あまりゆっくりはできないと思うのだが?」
「そうよね。帰路のことも考えると」
「そう言われると……」
論理的な反論に、ノルドラッドも口ごもる。
彼の研究熱がどれほど高かろうと、飲まず食わずで研究を続けられるほど人間をやめていないし、アイリスたちに関しては言うまでもない。
持ってきた食糧の量には限りがあり、不確かな現地調達に頼るわけにもいかない。
そのことを考えると、本来の目的であるサラマンダーの調査を十全に行うためには、道中であまり時間を取るわけにはいかないはずなのだが……。