012 氷牙コウモリ (4)
前回のあらすじ ----------------------------------
サラサはアンドレたちと氷牙コウモリがいるという洞窟へ。
なんやかんやのせいで、滑りやすくなっている床を注意して歩き、私たちは洞窟の奥へと進んでいた。
……二時間あまりに亘って。
進行速度の遅さを考えても、ちょっと深くないですか?
そう思ったのは私だけでは無かったようで、アイリスさんが少しうんざりしたような表情で声を掛けてきた。
「なぁ、店長殿。このぐらいで良いんじゃないか?」
「そ、そうですね。一番奥が気にならないと言うと、ちょっと嘘になりますが、大きさ的には十分でしょう」
ここの天井に張り付いている氷牙コウモリの大きさは、最低でも三〇センチ。
下手をすれば四〇センチぐらいの個体もいる。
これぐらいの個体の牙なら、冷却能力も申し分なく、冷凍庫を作る際にも重宝するだろう。
「あぁ、これなら俺たちでも判るぞ。確実にデカいよな」
「正に、取り放題だな! 店長殿、ここの氷牙コウモリを全部狩ったら、借金が解消したり――」
「しません。でも、ちょこっと減ります」
「ですよねー。はぁ、アイリスの命は高価よねぇ」
「い、言わないでくれ……」
アイリスさんは落ち込んだように言うけれど、事実なので諦めてください。
タダであげるには高すぎるポーションなのです、アレは。
「いやいや、アイリスの嬢ちゃんは幸運だぜ? 普通、借金を背負わせても助けてくれるなんて、ありえねぇんだから」
「そうだぞ、アイリス。しかも初対面の相手を」
「アンドレさんも、グレイさんも、それは重々解っている。あー、すまないな、店長殿」
「いえいえ。錬金術師の私でも、とても払えない金額ですから、仕方ないですよ」
「やはり、あの金額だと錬金術師でも――ん? じゃあ、あのポーションは何であの店に?」
「師匠の餞別です」
「ぐはっ! わ、私はそんな大事な物を使わせて――」
「気にしないでください。アイリスさんの命に比べれば、安い物です」
代金はもらうし。
「おぉぉ、店長殿から後光が差している……」
「いえ、差してませんから」
私、そんな変な人じゃ無いですから。
「いや! 私の目には見える! 店長殿! 私は頑張るぞ!」
「……はぁ。頑張ってください。とりあえず、手始めに上の氷牙コウモリを狩って」
「ああ! …………すまない、ケイト。私は無力だ」
私の言葉に、良い返事をしたアイリスさんだったが、暫し沈黙するガクリと項垂れた。
「攻撃手段、無いものね。アイリスの分は私が頑張るわよ」
「さすがケイト! 頼りになるな!」
笑顔になってパンパンと肩を叩くアイリスさんに、ケイトさんは苦笑を浮かべ、私の方に顔を向けた。
「調子が良いんだから。店長さん、普通に攻撃して良いのかしら?」
「基本的には。ただ、一撃必殺を心がけてください。騒がれてしまうと、バタバタと飛び回って面倒になりますから」
「一撃必殺……難しいわね。頭は狙えないし……」
「牙が無くなってしまうと無意味ですからね。なので、飛び回っていても捕まえやすい虫取り網が地味に一番便利だと思いますよ、魔法が使えない場合」
「あー、サラサちゃん、俺たちはどうすれば? 今日は使えそうな物を持ってきてないんだが……」
「アンドレさんたちは、私が落とす氷牙コウモリを回収してください。革袋はありますよね?」
「あぁ、大丈夫だ」
「それじゃ、始めましょう」
ポスポスと魔法を使って氷牙コウモリを落とす私と、それを回収するアンドレさんたち。
ケイトさんもなかなか上手く斃しているけど……。
「あっ!」
五匹ぐらい斃したところで、ミスった。
中途半端な怪我を負った氷牙コウモリがバタバタと騒ぎながら地面に落ち、同時に天井に張り付いていた他の氷牙コウモリたちが飛び回り始める。
幸い、『風壁』のおかげで、私たちにぶつかることは無いんだけど。
「ごめんなさい!」
「あー、仕方ないですよ。アンドレさんたちも、斃しちゃってください。これなら、届きますよね」
「おう! 任せろ!」
私は相変わらず魔法で、アンドレさんやアイリスさんたちは剣で飛び回る氷牙コウモリを斃し始める。
そして逆に、ケイトさんは回収係に。
さすがに飛んでいるコウモリに矢を当てることは、難しいみたい。
まぁ、結構不規則に飛ぶしね、コウモリって。
この状況で矢を射ると、下手すれば味方に当たりかねないし。
そしてしばらく。
この周辺からコウモリが全部逃げだし、地面にはいくつもの氷牙コウモリの死体が転がった。
「ふう。これを回収したら帰りましょうか。私の必要な量は十分確保できましたし」
「そうだな。持てる量もこれぐらいが限界だろう」
それぞれが持っている革袋には、すでに半分以上、氷牙コウモリが詰め込まれている。
今転がっている死体を入れると、ギリギリ?
しかもこれから、二時間歩いて外に出ないといけないのだ。
死体の詰まった革袋を担いで。
体力的には問題ないけど、ちょっとウンザリ。
でも、師匠からもらったリュックに死体は入れたくないので、持ってきてないんだよね。
私も頑張って革袋に詰めて、それを担いで洞窟の外へ。
帰りは登りだったこともあり、来た時ほどの時間は掛からずに洞窟から出ることができた。
滑りやすい下り坂って、かなり神経を使うんだよね。
万が一、転けたりしたら、シャレにならないレベルの大惨事だし。
でも今回は幸いな事に、誰も悲劇に見舞われる事も無く脱出成功。
外に出た私たちは、揃って大きく深呼吸をした。
強烈な臭いがカットされると言っても、臭いのは間違いないので、綺麗な空気はありがたい。
「ふぅ……。それじゃ、ここで牙を回収してしまいましょう。死体を持ち帰っても邪魔なだけですから」
「そうだな。普通に折れば良いんだよな?」
「はい。根元から内側に、と、それだけ気を付ければ。あ、必ず革手袋は付けてくださいね? 指を無くしたくなければ」
「も、勿論だとも。さすがにこれ以上、借金を増やすのは……」
焦った様に言うアイリスさんに、私は頷く。
「ですね。指の再生となると、借金倍増とは言いませんが、数割はアップしますからね」
部位再生の錬成薬はとてもお高いので。
「うぐっ。気を付ける。……ケイト、もうちょっとぶ厚いグローブがあったよな?」
「少し危ない物を採取する用のがあるわ。それを使いましょう」
アイリスさんたちは採集者だけに、いつも手を保護するグローブを履いているんだけど、普段使っているのは武器などが扱いやすい柔軟性があるグローブ。
それでは不安だったのか、二人して荷物の中から取りだした厚手のグローブに履き替えている。
見れば、アンドレさんたちも同様で、このあたりは熟練の採集者っぽい。
私? 私は大丈夫。
薄手のグローブだけど、氷牙コウモリの牙程度では貫通しない物だから。
もちろん、錬成具。
三巻に載っていた物で、標準価格は三二〇〇レア。
一度は作らないといけないから、倉庫にはそんな物が並んでいるのです。
貧乏性な私だけど、便利に使えそうな物は積極的に使っていく所存。
倉庫で埃を被っていても、無駄なだけだし。
「ん? サラサちゃん、そのグローブ、薄そうだが、大丈夫なのか?」
使っていれば、こうして宣伝の機会にも恵まれるしね?
「はい。これは“柔軟グローブ”という錬成具ですから。少々の刃物では切れないぐらいに丈夫なんですよ。名前の通り、柔軟性もありますから、細かい作業もしやすいですし、便利ですよ?」
「ほう……ちょっと借りることはできるか?」
「えぇ、構いませんよ。手を入れてみてください」
興味を示してくれたグレイさんに、手袋を脱いで渡す。
グレイさんの手には明らかに小さいそれに、訝しげに片手を差し込んだ彼は、驚きに目を見張った。
「俺の手が問題なく入る。しかも、ほとんど動きを阻害しないな!?」
「この柔軟性、そして指先の細かい動きも邪魔しない厚み。これがこのグローブの特徴なんです。それでいて丈夫ですから、私は錬金術をする時にも使ってます。怪我をする危険性、地味に大きいですからね、錬金術って」
もっとも、正確に言うなら、今使っているのはこれよりも一つ上、四巻に載っていた“薄々柔軟グローブ”なんだけど。
これまた名前の通り、柔軟グローブがより薄くなっただけ。
「欠点は、錬成具だけに、ごく僅か魔力を消費することですが……」
「いや、感じ取れないレベルだぞ? 少なくとも、俺にはまったく問題ないレベルだな」
嬉しそうに手をにぎにぎするグレイさんを見て、ギルさんもちょっと興味深そうに、もう片方のグローブに手を入れている。
「うーむ、そんなにか。ちなみに、いくらなんだ?」
「えっと……三千……八百レアで。ある程度売れることが見込めるなら、ですが」
私は少し考えて、アンドレさんにそう答えた。
三二〇〇レアの標準価格は、王都で販売する時のお値段。
どれぐらいの量、売れるかによるが、この村の場合、三八〇〇レアで売っても、素材を取り寄せるコストを考えれば少し厳しい。
一つだけしか売れなければ、完全に赤字。
輸送費って、やっぱりバカにならないから。
私の場合、師匠にお願いするという裏技はあるけど……それも結局、輸送費を私と師匠の魔力で肩代わりしているだけだし、普通に仕入れた場合で考えるべきだよね。
「三八〇〇か。それで普通のグローブよりも丈夫で、作業もしやすい……十分に検討の価値があるな」
「ご注文、何時でもお請けしますよ? 可能なら、数が纏まっていると嬉しいです。……場合によっては、勉強しますよ?」
「ふーむ、可能かもしれないな。幸いっつーか、今は金を持ってる奴らも多いからな。例の件で。しかも、これ、氷牙コウモリの牙。コイツを取る時にも安心となれば……」
買いそうな人を頭の中で数えているのか、少し考え込むアンドレさん。
その間、私は、グレイさんたちからグローブを返してもらい、牙の折り取りを再開する。
バキバキと牙を折り、死体は森の中へ。
作業自体は簡単なものなので、一時間もすれば全ての革袋は空になり、牙の小さな山が残った。
想像以上に年齢の高い氷牙コウモリが多かったため、かなり深い青色に染まった牙はちょっと宝石みたいで、なかなかに綺麗である。
もちろん、年齢に応じて買い取りのお値段も上がるので、これだけでも十分に柔軟グローブぐらいは買えるだろう。
「えっと、分配は人数割で良いですか?」
これだけの数があれば、等分にしても冷蔵庫や冷凍庫に使うには十分。
そう思って提案したところ、アンドレさんたちは顔を見合わせた。
「俺たちはありがたいが、良いのか? どう考えても一番活躍したのは、サラサちゃんだと思うが」
「そのあたりは、案内賃ということで」
「そうか、悪いな。つっても、どうせサラサちゃんの所で売ることになるから、後で金でもらえるか?」
「あ、そうですね。では、お店でお支払いしますね。アイリスさんたちは……」
「私たちもそれで頼む。全部……あ、いや、どのぐらい借金返済に充てるかは相談させてくれ」
「ごめんなさい、あまり余裕が無くて……」
「はい、解りました。でも、無理はしなくて良いですからね? 変に切り詰めると、怪我とかしないか、心配ですから」
ここ数日、アイリスさんたちが集めてきた素材の買い取り額、その大半を借金の返済として渡されているから、二人の懐事情はおおよそ想像できちゃうんだよね。
食費、宿泊代が格安だから生活できているだけで、装備などを考えるとカツカツなのはすぐに判る。
「店長さん……ありがとう」
「いえ。アイリスさんたちが死んじゃうと、借金を回収できなくなっちゃいますから」
私が冗談っぽく言うと、アイリスさんたちは苦笑して頷く。
「重々気を付ける。借金を返し終わって、店長殿に恩返しができるまでは」
「はい。命の対価、その恩返しは長いですよ?」
そう言って私は、ニッコリと笑った。